第6話


 深夜。日付が変わる時間帯。


 なんとなく眠れなくて……、っていうかさっきまで一緒に温泉入ってた霞美が同じ女子部屋にいるとかむしろ眠れる理由がなくって、夜風にでもあたって体温下げるかーって外に出たら、ちっちゃい女の子の背中を見つけた。


 内心ドギマギしつつ近づいて、それはやっぱりあの人で。


「なにしてんの?」

「貴女こそ……、鋼音」

「不意打ち‼ しかも呼び捨て……! 親愛の証ってか……⁉」

「貴女は最初から呼び捨てなのに私だけさん付けするのは不公平ですから」


 くふぅ……。霞美の口からあたしの名前が出るだけで、こんなにも胸が熱いよ。恋のパワーは絶大だよ。


「……ありがとうございました。キャンプファイヤー」

「いや、お礼はいらんぜ。もう十分もらったぜ……。でも、気に入ってくれたならさ、そのうちまたやろうよ」


 次は薪の組み方から教えて、野生児の雄姿を魅せるんだ。二匹目のウナギを狙うんだ。


「波音も一緒にさ、今度は夏休みに。彼女ちゃんも連れて来るかな?」


 どんな子だろうな。想像できん。まー波音のチョイスだから、ねーちゃんみたくいい女だと思うけど。

 風が通りすぎて、梢をざわざわ揺らしていく。

 五月といっても夜は冷えるな。


「戻らないの?」

「もう少しいます」

「そう?」


 拳で追い払われないってことは……、あたしもいていいのかな。


「寒くない?」

「平気です」


 しまった、ここは黙って上着をかけてあげるシーンだった。今からでも遅くないか? よし、さりげなく、さりげなく……。


「桜を、」

「おう⁉」

「……、見ていました」

「桜?」


 脱ぎかけたジャージを着なおして、霞美の視線を追う。ゴールデンウィークも終盤だから桜なんか咲いてるわけもなく、満月が近い銀色に照らされて、ソメイヨシノの葉が淡く光っている。

 葉桜を眺めてたってこと?


「好きなんだね、桜」


 頷くでもなく、否定するでもなく。

 うぬ。なんか今日の霞美はおかしいぞ? 青村の野生児こと鋼音ちゃんは残念ながらバカだけど、直感ならよく働くんだ。この度の初恋みたいに。


「今年は過ぎちゃったけど。春はさ、山桜も綺麗なんだよ。よっしゃ、来年はお花見もしよう」

「波音くんも連れて?」

「いーや。その頃にはもうね、ふたりっきりでお出かけする仲になってるもんね。あいつはあいつで楽しくやるでしょ」

「……それも、いいかもしれませんね」

「⁉」


 まじか。

 本当か。


 むこう一年、もっと仲良くなれる可能性があるってことでいいのか⁉ あっははぁ身体持つかなぁあたし! もっと鍛えないとな!


 明日を夢見て筋トレメニューに思いを馳せてたら、目の前にちっちゃい手の平が差し出された。


「貸してください」

「?」

「スマホ。操作、下手そうなので」

「持ってないけど」

「ケータイでいいです」

「あー電話? いやあたしそーゆーの使えなくってさ」

「チッ」

「また⁉」


 やでも。

 でもさ、電話を寄こせってことは、さ?


「〇七〇―五〇四一―三七七九」

「だよね! そうなるよね!」

「私の番号です。欲しければ勝手に覚えてください。」

「あ待って! もっかい言って!」

「〇七〇―五〇四一―三七七九。最後ですよ」

「〇七〇―五〇四一―三七七九! 〇七〇―五〇四一―三七七九‼」

「個人情報を全力で流出しないでくれますか」

「よっしゃああああ覚えた! 脳細胞に刻み付けたよ一生忘れないよ! お母さんに頼んでケータイ手に入れる! いやいっそのことスマホデビューだ! どんな難しい操作だって覚えてみせる! 愛の力で!」


 力の限り、夜空に叫ぶ。

 もう、なんて良い日だよ。大好きな人と一緒に過ごして、仲良くなれるって。どういうレベルの幸せだよ。


 なんて感激していたら、更に信じられない事件が、水野鋼音史に残るであろう大事件が勃発した。

 月に届けと叫んでたあたしを見てなのか、まぁそれしかないと思うけど、



「鋼音は本当に現代人ですか」


 そう言って。

 笑った。

 霞美が。



 あたしと顔を合わせる度に般若もビックリの殺意を放ち、短い会話の最後は謎の鉄拳制裁がお約束だったあの霞美が。口元に手をやって、育ちの良さそうな音量で、控えめにくすくす肩を揺らして、そこから髪を滑らせて、笑顔になってくれた。


 でも。


 なんでだろ、笑ってるはずなのに。


 どうして、そんなに哀しそうなの。


 どうして、すこし涙がにじんでるの。


 怒りに燃えた覇気はどこに隠したの。あなたは本当に霞美なの。


 ちょっとだけ濡れたまつげに、星が灯ってる。月明かりが前髪を、頬をなでている。宇宙の光たちが、みんなして彼女を称えてる。


 あたしの知らない、知らなかった霞美を目の前にして、我ながら見事に惚れ直したあたしは、不可解な哀しさを拭い去りたくて手を伸ばし、かがんで、キスをした。


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