さよなら、スカート

サン シカ

さよなら、スカート

 私の失恋は確定している。

 でも物語は打ち切られない。


 恋は戦争で、死ぬのはわかっていて、それでも女子高生の武器で武装して敵陣に突っ込み、たった五文字の爆弾を投擲しながら完全敗北する――そんな私のクソったれた戦いを、あなたに見ていってほしいんだ。





*





 クラスメイトが男にフラれたって話はどうして気分が良いんだろう。

 騒いでいた奴らがスマホ使ってるのを担任に見つかって没収されていた。取られちゃうと次の日まで返してもらえない。まる一日動画見れないインスタ開けない音楽も聴けないって拷問ごうもんでしょ。学校でスマホは禁止。でも守れって方が無理だ。理屈じゃない。


 夏は苦手だ。

 虫が嫌過ぎる。

 受験勉強はぼちぼち始めた。


 スカートはバレないよう毎週五ミリずつ引っ張り上げている。スカートの長さにも学校の規則がある。でもそこに従っていたらちっとも可愛くないから。長いソックス履きたいけど、みんながしないからできない。


 深夜のポテチと紅茶豆乳がやめられなくて、いつも体重は理想の一割増しで。せたらプールに行くって野望があって、でも結局、服のままざらざらした濃い青色のプールを背景にピースした手だけカシャっと撮って、それをインスタに載せて満足した私は水着なんて着ない。


 なにもすることがない時は、今日はアタリとどこでデートしようかって考える。題して『もしアタリがカレシだったらシリーズ』。頭の中でもう112話まで進んだ。雨の日はわざと傘を忘れて、ふと傘を持ったアタリと目が合うってのは確か第3話辺りだったか。出会い編。


 空想というか、妄想癖もうそうへきがある。


 アタリとカップルの私ってBMI18で46キロジャストの理想の私だ。妄想の世界はなんでも思う通りに決められて愉快。ぱきっとした入道雲に負けないくらいの真っ白な水着が似合う、そしてアタリともお似合いの私をコントローラーで操るのだ。




 祭だっていうのにういっぺは浴衣ゆかたじゃなかった。


 それに文句言ったら彼女は「そんなん誰に見せんの?」って鼻で笑って、私が言い返せないのを見てさらに「時間の無駄」っつってまた笑った。こいつは夏の一大イベントである夏祭り花火大会に二人っきりで来るくらいの、私の親友。確かにこの気合い入りまくったカッコを見てくれるのなんて隣を歩くういっぺくらいだ。


 カレシに腕を絡めた線の細い女子が浴衣の帯にうちわを刺していた。向こうではたこ焼きのパックを別のカップルがつついてはしゃぐ。

 鮮やかな赤と黒の金魚はやる気なさそうにじっと動かない。

 耳元をが飛んでいた。


「夏だなぁ」

「七月だからな」

「うちら、もっとテンション上げとかない?」

「あはは、そういうノリ?高校最後の夏的な」


 入口のとこで買ったじゃがバターをかじるういっぺは、洗濯し過ぎてなんのロゴかわかんなくなったパーカと、下は学校のジャージ。

 モテなんて一切気にしていないそのコーデを非難はしたものの、一方でうらやましくも思う。こいつはそりゃ美人じゃないけど、他人に全然遠慮しないとこがなんか頼もしくて、一緒にいてほっとする。


「金魚すくいしよ!」

「しない」

「なんでよー」

「坂っちさ、木にとまってるセミ獲るのに二百円出せる?」

「蝉?キモい、やるわけない」

「でしょ」

「は?どういうこと」


 金魚はすぐ死ぬとか、くじ引きは当たりが入ってないとか、りんご飴は絶対途中で諦めるからとか。ういっぺは祭の出店を次々に斬って捨てる。剥がれ落ちたパーカのロゴみたいに、熟練と年季を思わせる見事な剣捌きだった。「せっかく祭なのに!」って私は不満たらたらだったけど、まぁそのおかげで財布を軽くすることなく花火会場まで行き着けた。

 ういっぺってお姉ちゃんみたいだ。


「浴衣」

「ん?」


 人でごった返す河川敷かせんしきに並んで座った時だった。


「アタリでしょ。見せたい相手」


 心臓が跳ねる。


「ちがう」

「やっぱり」ういっぺは呆れたように息を吐いた。「なんでよりによってアレ?」

「違うって言ってんじゃん!」




 ――ういっぺが言うのは今日の昼休みのこと。


『なぁなぁ、坂井って処女?』


 ういっぺと廊下を歩いている時にいきなり話しかけられたから、私は驚きとしやわせから固まった。

 出席番号1番。あたり古宇一こういち

 窓際いちばん前の席の、その後ろ姿を何度見つめたか知れない。

 柔らかな色の髪、白のシャツにぴったり収まった肩幅と日に焼けた筋張った腕は目に焼きついていて、妄想の中でさえ再現率は100パーセントだ。

 彼から、はじめて、話しかけられた。私のこと知ってたんだ。クラスメイトだしそりゃ知ってるだろうけど。

 でも。

 嬉しい。


『あれ、聞こえてる?』


 アタリの顔が急接近した。

 妄想の中でカレシ設定だったアタリと私はあんなにも親し気に喋ったもんだが、現実のこの私は全然無理だった。

 アタリと仲が良い、これまた容姿レベル高めの男子達が『おまえそりゃねーよ』って騒ぎだす。リアクション取れない私がショックを受けてると思ったんだろう。


 そう。アタリって男子はこういうことを平気で言っちゃう奴だった。2億点満点の外見から女子ファンは多いけど、なんでも思ったことを口に出す彼を敵視する奴も結構いた。

 でも好きだから関係ない。

 私に興味あるんかな?

 舞い上がっていた。


『私は処女だけど?』


 ふっと、ピンボケしたカメラみたいなういっぺの背中が私とアタリの間に入った。

 アタリと男子達が騒ぐのを止めた。

 ういっぺの声はくっきりとした怒気をはらんでいて。


『――だったらなに?表彰でもしてくれるの?』


 アタリを冷ややかに見上げている。


『あー、そうじゃねぇけど』アタリが頭に手をやった。

『じゃあなに』

『初めてだと、痛いじゃん?』

『はぁ?』

『だから女子にはとりあえず聞くわけじゃん?』

『意味不明』

『そっかな』

『自意識ヤバ過ぎ!でしゃばるな!ノリで喋るな!』


 そう決然と言い放つと、ういっぺは私の腕を掴んで食堂までずんずん進んだ。ちらっと振り返った肩先に、唖然と口を半開きにした男子達が見えた。


 ぼーっとして、130円ラーメンのうっすいメンマがはしをつるっと抜けて膝に貼りついた辺りで、やっと頭が動きだす。


 注文した憶えのないラーメン。

 向かいの席で頬杖ついたういっぺ。


『ういっぺって処女だったんだ』

『第一声がそれなの』


 彼女は太めの二の腕をぷるぷる揺らして呆れたように笑い、最後のカレーをスプーンですくった。


『平気?』

『なにが』

『さっきの、さ』

『ああ、どういう意味なんかな?』

『バカにしてる』

『そうかなぁ。ねぇねぇ、処女と処女じゃないのと、どっち設定がウケがいいと思う?』

『なに言ってんだあんたは……』

『男子ってどっちのが好きなの?』

『知るかバカ女が』


 うへへと笑う。

 幸せ過ぎて。




 ――ってことが昼にあったわけで、秘めた恋心を親友に見透かされそうになっている。


うわさあるでしょ、あいつ」


 ういっぺの目が上に泳いだ。ういっぺが思い浮かべるアタリは私の中のアタリとたぶん違っている。


「ヤリチンだの、女を女とも思わないクズだの」


 目はこれから花火でいっぱいになるだろうまっさらな夜空へ向いている。アタリは人気者だから噂は絶えない。私は人の話題に上がったこともない。


「でもそんなの、ただの噂だよね。口から口への伝言ゲーム。最後には限界まで薄めたカルピスみたいになって、それもう水でしょ?カルピスとは別物」

「私カルピスウォーター派」

「話の腰を折るな」

「はいはいっと」私は笑う。

「口伝いの話なんてそんなもん」

「でも噂が本当ってこともあるでしょ」


 別に噂はどうでもよかったけど(好きだし)、なんとなくういっぺに対抗したくなった。私だってたまにはそれっぽい意見くらい言えるって示したかったのかも。

 でもそんな空っぽの牛乳パックみたいな私の言葉は、ほんのちょっともういっぺを揺らがせられなかった。


「違うよ坂っち。噂って言葉自体が嘘っぱちなんだよ」

「なんで」

「『ねぇ聞いて。坂井真宙は辺古宇一が好きらしいよ』」

「違う!」

「うん。本当かどうかなんてね、隣にいて声聴いてりゃわかるもん」

「わかる?」

「好きなんでしょ?」

「だから違うって」

「本当に違う時はね、スマホいじりながらどーでもよさそうに返事してるよ。いつもね」


 ぶわぁって顔が熱くなる。

 スピーカーから『花火大会が間もなく始まります』って聞こえてきて、周りが一気にざわざわした。ずっと向こうの対岸にチカチカ光る信号機が見えて、いつの間にか辺りは真っ暗で。隣の人の手の中でうちわが揺れた。スマホは巾着きんちゃくに突っ込んだまま、私は誤魔化すすべを持たない。


「本当のことなんて本人見てりゃわかるんだよね」

「わかんないじゃん。心の中なんてさー」

「まあそうだね」

「ほら見ろぉ」

「他人の心の中はそりゃ知らないけど、一人だけわかる奴がいるんだよ」


 まだ顔が熱い。

 それは夏の空気のせいじゃない。

 私を特別って言ってくれる奴がいる。その毛羽立ったパーカをつまんで伸ばした。

 もっと外見に気を遣えば絶対モテるのに。男子は見る目がない。


「だからさー、アタリの噂なんて気にしてもしゃーないってこと」

「うん」

「でも今日わかった。ありゃ問題外。ダメ人間」

「なんでよー」

「いやあんた、なに言われたか忘れたのか」


 そりゃクラスの奴らに同じこと言われたらキレる。


「どうすんの?坂っち」

「別に」

「別にって?」

「どうもしないけど」

「『カレシ欲しい』って口癖じゃん」

「だーかーら、アタリはなんでもないし。しつこいなぁ」


 ういっぺがこんな性格だから恋バナなんてほとんどしなかったのに、今夜のういっぺはなんでかじっと私を見ていた。別に本心を話したって構わない。隠す理由なんかないけど、私はその強い眼差まなざしに気づかない振りをして知らない星と星とを線で繋いだ。


 無言の時間が一分近くとろりと流れて、やっとういっぺの目が私から離れた。

 内心ほっとした。ういっぺから本気で追及されたら白状しない自信はない。それにアタリとつき合うなんて妄想世界の話だから。

 別にクラスメイトのままでいい。

 今のままでいい――


「坂っち、私」


 花火を今か今かと待ちわびる周囲のざわめきがあって、真夏の河川敷はほわほわとした空気に包まれていて、でもつぶやくようなういっぺのその声は、授業中に腹の虫が鳴いた時みたいにはっきりと聞こえた。


「卒業したらアメリカ行くよ」


 ずっと高いとこで一発目の花火が弾けた。

 楽しみにしていたのに、遠くで風船が割れたような乾いた音に聴こえた。

 夜空を彩る光点がういっぺの横顔を浮き上がらせる。

 大歓声が上がる。


「ういっぺ、花火」

「うん。見よっか」


 二人で体育座りして、首をぐいんと夜空へ。はしゃぐ周囲に追い立てられるように手を叩いた。


「旅行?いいなー。私も連れってってよ」ういっぺの丸まった背をぽんと叩く。「何日間くらい?」

「四年」


 星は見慣れたはずの地元の空を上書きする勢いできらきら輝いて、てんで現実感がなくて。私はバカみたいに四年ってのが何日になるのかを計算しようとしては失敗した。


「昨日さ、やっと親が折れたんだよね。ずっと説得してて、ずーっと理解得られなかったけど、なんでか昨日いきなり『やりたいようにやれ』ってさ。びっくりだよね」

「なに言ってんの、冗談?」

「冗談みたいだよね。ほんと、昨日まではただの冗談だった」

「ちょっと」

「来週からバイト始める。今みたいにあんま遊べなくなるね。ごめん。アメリカには一人で行くからさ。日本と違って向こうの大学は入学試験にはあんま手間取らないみたいだし、勉強しながらお金貯めとこうと思って」

「なに急に、そんな」

「一年の頃は坂っちによく話してたじゃん」


 そういえば――


 "卒業"なんて言葉が太陽の寿命くらい遠くに見えていた頃、ういっぺはよく"夢"の話をした。アメリカにあるなんとかって長ったらしい名前の大学に、自分がやりたいことを研究しているチームがあるとか。


「え?意味わかんないんだけど」


 とげのある声が出た。


「一緒の大学行くんじゃん。約束したじゃん」

「うん」


 頷いて、でもこっちを見てくれなかった。

 花火が五月蠅うるさい。

 歓声がかんさわった。

 いちばん聴きたい声が聴こえねーだろ。

 黙ってろよ!


「ごめん」


 ドン、ドン、と空襲みたいな炸裂音がする度、薄暗い中からういっぺの顔が極彩色に浮き上がる。いつも偉そうに私の素行そこうを注意してくるういっぺは、不安そうで、今にも泣きだしそうで、そんな顔見たことなかったから私はキレた。


「なんだよそれ、急に。――意味わかんないって!」

「坂っち」

「約束破んなよ!相談もなく勝手に決めて……『ごめん』って?」

「坂っち、私」

「信じらんないよ。裏切ってんじゃねーよ!先週買った過去問の金返せよ!」

「ごめ、んなさい」

「今までの時間全部無駄じゃん……!返せよ!全部返せ!」


 膨れ上がった感情が言葉になって溢れ、止まらなかった。一気にまくし立てて、酸素が足んなくなって、やっと言葉が途切れた。


 くるしい。

 胸がいたい。

 私は立ち上がった。


「坂っち、ごめん」

「うるさいバーカ」


 もうなにも聞きたくなかった。

 ろくに前も見ないで人混みを無理矢理かき分けて走った。

 つんのめる。

 草履ぞうり鼻緒はなおんとこで血が出ていた。

 こいつも私の邪魔をする。

 草履を脱いで裸足になって、近くのごみ箱に投げ捨てた。

 イライラしていた。

 こんなもん走りにくいだけ。

 そうなれば今度は浴衣ゆかたが邪魔でしかなくて、すそのとこ破ってやろうって引っ張ったけど私の力じゃびくともしない。


 自分の部屋のベッドに倒れ込んだ時には足の裏はもう傷だらけだった。

 仰向けで、両手で顔をきつく押さえた。

 動きたくない。

 考えたくない。

 なにもしたくない。

 全部、焼き尽くしたい。






 どれくらいそうしていたのか。

 空っぽの腹がまぬけな音を立てた。

 そういえばういっぺに無駄な出費を止められたせいで全然飲み食いしなかったんだ。あいつ、もう帰ったかな……。時間的に花火も終わっている。

 放り投げていた巾着をベッドの上から手繰り寄せてスマホを見たら、ランプがチカチカ光っていた。一件の不在着信。慌ててスマホを枕の下に入れた。話なんか聞いてやらない。あんな奴。もうどうでもいい。私との約束より自分の進路取った奴なんか。


 なにも考えたくない。

 この心のぐちゃぐちゃをどうにかして、ただ数時間前まであった心の平穏を取り戻したいだけ。

 怒りなのか不安なのかよくわからない感情が私の中心をぎゅうっと絞ってやまない。

 解放されたい。

 楽になりたい。

 なんなんだこれ。

 私が悪いわけじゃないのに。

 私は裏切られた側なのに。

 テレビをつける気にも、ユーチューブのお気に入りチャンネルを見る気にもならない。ドアを締めきって電気もつけずに寝転がっていると、この世に自分だけ取り残された気がした。クラスメイトもういっぺもアタリも、進路を決めて卒業して幸せな未来へ向かう。

 私だけがこの部屋に閉じこめられてどこへも行けないでいる、錯覚。

 こんなんで明日学校行けるんだろうか。

 ちゃんと眠れるのか。


 だから私はアタリのことを考えることにした。それはいつだって私にとっての至福の時間。アタリがカレシだったらシリーズ、えっと、第何話だったかな。楽しいことだけ考えよう。


 彼は、当然だけど、モテる。最近まで社会人の大人の女とつき合ってたって。いい歳して高校生とししたのイケメン転がしてんじゃねーよ。同年代だったら絶対声もかけられないだろうから、メイクとかエッロい洋服とかで必死に盛ってるだけだろ、あんたらなんて。私らの楽園にチート使って入ってくんな。


 アタリの日常がそんなのだから、特に目を引く顔じゃない私が恋人になんてなれるはずがなく、だからアタリは妄想の中だけのカレシで、それで十分だった。


 でも、今日、話しかけられた。

 初めて喋った。

 喋っては……ないか。

 なんも言えなかったし。

 でもアタリが自分から私に声をかけようって思ってくれたってこと。

 素直に嬉しい。

 特別感。

 だからちょっと欲が出たりする。

 ありえないけど。

 もしかしたら。

 アタリが私のことを――とか。


 噂はどうでもいい。ういっぺも噂は嘘っぱちだって言っていた。こんなに好きになっちゃったら、彼のことは全部都合良い方に考えられる。


『隣にいて声聴いてりゃわかるもん』


 ふとさっきのういっぺの言葉が頭に割り込んできて、頭をぶんぶん振って追いだした。アタリと私の邪魔すんな。どっか行け。アメリカでもどこでも行っちゃえよ。


 スマホがブーンと震えた。

 知るか。

 無視。

 謝っても絶対許さない。

 それが実際になんの通知音なのかを確かめもせず、枕を数回殴った。

 真っ暗な部屋。

 帰ってきてどれくらい経っただろう。

 目覚まし時計の秒針の音だけが響く。

 待っても待っても次の通知音は鳴らない。

 気持ちがたかぶってとても寝れないし、なにもする気にならないしで、意識はどんどん枕の下のスマホに集約されていく。

 そのこと以外考えられない。

 ついに我慢できなくなって「あーもう!」ってスマホを引っ掴んだ。

 やっぱり、ういっぺからだった。

 電話の着信じゃなくラインでもなくメールだったのが珍しくて、さんざ迷ってからメッセージを開いた。


『言いわけはしない。でもいっこだけ坂っちに言いたいことあるから。明日教室で。おやすみ』


 拍子抜ひょうしぬけなくらい短い文章。私が彼女に投げまくった言葉に対してどう思ったのか。それ考えたら心臓が時計の秒針より大きく鳴り始めたのだけど、なんか力が抜けた。ほっとしたというか。


 そうして不安が引っ込んでいったら、すぐにまた怒りがむくむくとふくらんでくる。

 『言いわけはしない』?

 はぁ?

 謝るつもりもない?

 私と仲直りできなくてもいいってこと?

 アメリカ行ってさよならだから、もう私のことなんてどうでもいいって?


 ムカついた。ムカついたけど、その文章があんまりに私のよく知る彼女らしくて、文字が頭の中で声に変換されるようで、ういっぺの言葉が全身にじんわり染みた。


「言いたいことって……なんだろ」


 言いわけしないってことは同じ大学に行くつもりはないってこと。

 じゃあ私はどうしろって言うの?そこの大学にどうしても行きたい理由なんてない。親友と一緒に通えるって以上の目的なんてなかったから。途端に大学への関心が遠のいていく。

 高校生じゃなくなった私はなにをやればいい?頭はもうういっぺのことだらけ。どんなに考えないようにしても、彼女のお古のパーカとかすっぴんの肌に浮き出たニキビが私を埋め尽くす。


 中学からずっと一緒だった。

 迷わず同じ高校に来た。

 クラスが変わっても毎日一緒に帰った。

 ういっぺの『言いたいこと』ってのが大学のことじゃないとしたら、思い当たるのは一つしかない。


 それは、アタリのことに決まっていた。


 必死に誤魔化したけど、なにか言いたげにじっと私を見ていた。来年には自分がいなくなっちゃうから、私のことが心配だったのか。あいつはそういう奴だ。今までういっぺに頼りまくってきたからなぁ。世話を焼けるうちになにごとか、、、、、を言いたいって思ったんだ、きっと。


 あぁ、そっか。

 ういっぺ――いなくなっちゃうのか。


 すーっと、背中が冷えた。

 将来について私お得意の妄想力を発揮してみたら、途方もない不安に襲われた。

 まただ。

 心を絞られるような感覚が一層酷く。

 そうだ。

 卒業したら全部なくなっちゃうんだ。

 そんなことに今気がついた。

 あと半年ちょっとで。

 ういっぺも、アタリも、私の世界から。


 卒業というものの残酷さだ。問答無用で私達は引きがされる。私が行く大学にアタリはいない。ういっぺは同じ国にすらいない。今の今まで想像もしなかった。そんなこと、だって、普通だよね?明日も明後日も今日みたいな日なんだって、誰だって思うよね?上半身をベッドから起こす。考えると怖い。親友も大好きな人も同時に失って、私はどうすりゃいいんだ。誰か教えて。わかんねぇんだ。でも部屋に私は独りだった。ういっぺもアタリもいない。「大丈夫だよ」って言ってくれる味方はいない。もっかい電話かかってこないかなってスマホを握り締めた。暗い室内にはなにもない。頭はどんどん冴え渡り、まだ起こっていないはずの将来の私の姿を私に見せようとする。妄想は私の特技だから。


 現実の私がそこに登場したのは初めて。アタリとオシャレな会話をして夕焼けの浜辺で彼の肩に手を回してキスをする私はもういない。目を合わせるのが怖い。妄想の中ですらアタリと喋れない私がいた。アタリとつき合ってバラ色の学生生活を送っているリアルな自分はどうやったって思い描けなかったけど、アタリとつき合うことのなかったこれからの私っていうのは、いとも簡単にその姿を追いかけることができた。


 高校生じゃなくなった私はもう一生制服を着ることはない。アタリがカレシだったらシリーズに登場した私はいつも制服姿だった。その夢は卒業と共に消えてしまう。真白のシャツに紺のネクタイをだらしなく引っかけたアタリの横を歩くことは一生なかった。夢は夢でしかなく、私は大学生になる。


 普段着のアタリってどんなだろう。

 スカートじゃない私ってどんな感じ?

 夏場のえりつきシャツがどんなに鬱陶うっとうしかろうが、制服姿の私とアタリがぎこちなく手を繋いで下校するシーンは何時間でも夢想していられた。卒業してしまえばそれも全部、果たせなかった過去へ押し込められて。卒業まであと数か月。あと何十日?時計を見た。7月11日の高校生の私が今にも消えてなくなろうとしていた。大学へ進めば、親友も、大好きな人も、みんな思い出の中へ消えて取り戻すことはできない。

 どんなに手を伸ばしても触れられない。


 今ならすぐ、、、、、そこにある、、、、、のに、、


 言葉を伝える口があってさらさらの髪に触れられる手があるのに、私はそれをしなかった。


 大学生になった私は片思いしていた頃を思いだすんだろう。

 20歳の私。

 30歳で今は顔も知らない相手と結婚した私も。

 40歳でパートに出て若い子に混じって働く私は?

 おばあちゃんになった私は、今の私を思いだした時どう思う?


 絶対に後悔しないって言えるか?

 んなわけない。

 好きな人をただ見ていただけで、親友とケンカ別れした高校時代だぞ?

 「やり直したい」って。

 「あの頃の私ってバカだったなぁ」って。

 今の私を笑い者にする未来の自分がありありと見えた。


 ……なんか、嫌。

 嫌だなぁ。


 若さだけが取り柄の今でさえぱっとしない私が、しわが増えて、腹が丸くなって、二の腕がたぷたぷして、髪の毛がほっそくなった未来の私に鼻で笑われていた。おばさんわたしが酒飲んで酔っ払いながら「若い頃なんてろくなことなかったですよー!私も子どもだったのよねぇ」って職場の飲み会で、若い子とかおっさん上司相手にしょうもない笑いを取っていた。


 ――バカにすんな


 "今"の私だって私なりに必死で生きてんだ。

 自撮り写真が一発でキマるような容姿なんてなくて、三十回くらい同じ角度を試してアプリでデコって目と輪郭盛ってやっとインスタにアップできるってね。なにが悪い?何気なく撮った写真をSNSにそのまま載っけられるクラスの上位グループの連中が死ぬ程うらやましいよ。そんでも私はこの不満だらけの身体引きずって毎日生きてんだよ!

 自分に自信なんて持ちようがなくて大好きな人になにも言えない……

 そんな私を私自身があわれむのかよ?

 目をカッと見開いて妄想を掻き消し、枕を思いっきり壁に投げつけた。

 嫌。

 嫌だ嫌だ嫌だ!


 汗をたっぷり掻いていた。

 すっごく気持ち悪かったけど、そのおかげでちょっと頭が冷えた。


 ういっぺはアメリカへ行く。

 ずっと自分のことばっか考えてた。

 もし私がういっぺだったら、親友と同じ大学に行っておもしろおかしく女子大生をやるって将来を捨てて、一人ぼっちで外国へ行く決心なんてできたのか。

 南風が一面の金色の稲穂の上をすべっていくみたいに、肌の表面がざわざわ泡立った。


 ――それってすごいことなんじゃないか?


 よく考えれば「一緒の学校行って遊ぼうね」なんて小学生のガキみたいな約束じゃん。そんなものを唯一つの楽しみにしているあほな私に、ういっぺは泣きそうな顔して本気の言葉をくれたんじゃん。私を怒らせるのわかってて。嫌われるの承知で。


 全部自分で決めたんだ。


 ……あいつ、すごいなあ。

 まるでかなわない。

 私なんてガキが駄々こねてるだけ。

 ういっぺのほうが何倍も不安だっての。

 言葉も通じない国へ、一人で。


 自分の頭を一切手加減なしでぶん殴った。右から駆け抜けてきた激しい痛みとしびれがなくならないうちに、スマホに素早く文字を打ちつけて迷わず送信した。


 『一件、送信しました』


 画面の文字。すぐに、強い強い後悔が私を襲った。汗が止まらない。なんとか今のメッセージをなかったことにできないか?電波の事故とかで届かなきゃいい。

 そうやって激しく焦る私を、同じ私がせせら笑った。それは私自身を殴った数秒前の私だ。「もう取り返しはつかない。でもそれを望んだのはあんたでしょ?」って。

 そうだ。これでいい。

 ういっぺに送ったメッセージを読み返した。


『明日朝にすげぇもん見せてやる。それまで話しかけないで』


 身体が震えた。

 自分が本当にそれ、、をやるのかって思うと、これからの人生全部が終わった気がした。

 でも、もう、引き返せない。

 後戻りできなくする為に、痛みで頭がくらくらして正気じゃない一瞬に宣言したんだから。


 わかったことがあるよ。

 時間は無限じゃなかった。

 "今"はいつか終わる。

 不満があるわけじゃないけど誇れるものでもないこの退屈な毎日は、私が「別にこのままでいいや」って全部放り投げたことから生まれたんだ。

 進路はういっぺに任せっきりで。

 私自身が決めたことなんて一つもない。


 妄想の向こうに卒業式の日が映る。

 私の存在なんて初めからなかったみたいに校門を出ていくアタリを、ただ見守っている。

 それはどんな気持ちだろう?

 ういっぺはきっと近くにいる。

 次の日から別れ別れでも、その日まではクラスメイトだ。

 そしたら彼女はどうするか?

 簡単に想像できる。

 私が後悔するってわかりきってて、あのお節介おばけがなにも言わないわけがない。だってあいつは私って奴を誰より知っているから。


 明日言いたいことって、それ、、なんじゃないか。想像は確信に変わっていく。


「告白したら?」


 ういっぺの低い声が耳元で聞こえるようだ。


「このままじゃ後悔するよ?やってみなきゃわかんないじゃん」


 きっと、いや、絶対にそう言う。

 イライラする。

 同時に不安が押し寄せてきた。

 私はベッドから立ち上がった。

 このイライラの、この不安の正体はなに?

 真っ暗な部屋で目をきつくつむる。

 情緒不安定になっている。

 この感情は見過ごしちゃダメな気がする。

 ただ眠って明日にしちゃダメな気がした。

 私は告るかな?

 いやいや、ムリでしょ。

 そんな勇気ないでしょ。


 ……違う。

 そこじゃない。

 イライラの原因はそれじゃない。


「ういっぺに謝っときゃよかったのに」

 20歳の私が言う。

 ういっぺと二人で通うはずだった大学のキャンパスで。


「アタリは高嶺の花だったよ。もっと現実見て男選ばなきゃ!」

 30歳の私が言う。

 現実見た結果の旦那が隣に座っている。


「人生やり直したーい!」

 40歳の私が叫ぶ。

 飲み屋で酔っぱらっている。


「まあなんだかんだで、いい人生だったんじゃない?」

 おばあちゃんの私が悟ったみたいに言う。

 そのくそばばあに中指立てた。


 あぁ。

 そっかそっか。

 イライラの正体がわかった。


 ――こいつらだ。

 未来の、私自身だ。


 ういっぺが行くって言うから大学を決め、いつまでも恋人ができない私を心配した親の言うままにお見合い結婚して、子どもができてそれなりに不自由ない生活の中で昔を思い出しながら、奴らは口を揃えて言うのだ。


「若気の至り」


 うるせぇ黙れ。

 私の人生の転機にはいつも私以外の誰かがいる。

 そして「こっちだよ」「あっちに行けば」って私の行くべき道を教えてくれる。

 それが私の人生のぜんぶだった。

 波風のひとつもない、だって、全部他人の指示に乗っかって生きてるから、失敗したらそいつのせいにすればいい。自分はなにひとつ失敗していない。


 これが……こんな奴らが"私"かよ?

 だからイライラしたんだ。

 すっごく簡単に言えば、自分の人生を自分で決めなかった。

 それだけ。

 たったそれだけ。


 明日、ういっぺは必ずこう言う。


「坂っち、自分の気持ちを相手に伝えなよ。後悔しないように」


 ありがとね。

 いっつも背中押してくれて。

 また助けられるね?

 ういっぺの言う通りにすれば、少なくとも大好きな人に対して告白もしなかったって後悔はなくなるだろうね。うん。

 でもさ、違うんだよ、ういっぺ。

 それを先に言われちゃったらさ、"ういっぺに言われたからそうした私"が生まれるだけなんだ。


 なんも変わらない。粗大ごみに捨てたい未来の私がまたいっこ生まれちゃうんだよ。

 だから居ても立ってもいられなかった。ういっぺからまた電話があったらたまらない。ういっぺとひと言でも喋ってしまえば、私の未来は確定してしまう。学生の頃は若かったなぁって、青臭かったなぁって、くだらない大人の笑い声がする。


『明日朝にすげぇもん見せてやる。それまで話しかけないで』


 だからういっぺにこのメッセージを送った。

 私は明日、アタリに告白するって決めた。

 数時間前までういっぺと親友だった。

 親友だと思っていたし、向こうもそう思ってくれていたはず。

 でも私の世界は歪んでしまった。

 ……違うか。

 世界は正常な姿を取り戻したって言うべきだろう。

 ちゃんと現実見ていなかったのは私の方。

 私とういっぺは本当に友達だったのか?

 ただ一方的に彼女を頼って、彼女の人生にすがりついていただけじゃん。いつでも頼れるお姉ちゃんだと思っていた。


 ははっ。

 バカじゃん、私。

 そんなのは友達じゃない。

 対等じゃない。

 ういっぺはすっごい奴であり、私はすっかすかなあほだ。私が奴の親友になるには、私が奴のとこまで上がっていかなきゃならない。

 酷いことを言った。自分勝手な言葉を一方的にぶつけて彼女の言い分を理解しようとしなかった。それでもまだ、ういっぺは私に手を差し伸べようとしている。『言いたいことがある』って?どんだけいい奴なんだっての。


 ばかみたい。

 こんなのはダメ。

 ちゃんとしてない。

 ただ一方的に助けられてるだけ。


 私は彼女の妹じゃなく、親友になりたい。だからもう、ぺらっぺらな言葉じゃなく行動で見せるしかない。しかもういっぺが口を開く前に。私が自分で決めた人生を見せつけて、「大丈夫だよ。安心してアメリカ行ってこいよ。ずっと待ってる」って。それでやっと、私はういっぺと友達になる権利を得られるんだ。


 自分で生き方を決める。

 そうしないともう、どこへも行けない。

 尊敬する親友の隣に笑顔で立てない。


 もう退路はないぞ、私。

 覚悟しろ。

 ここは人生の崖っぷち。


 まだ17歳だけど背中の先は闇、落ちたら私は今の私を笑う私に落ちぶれて、もう戻ってこれないと知れ。これができなきゃ自分じゃなんも決められない人間のまま、永遠に親友を失うことになる。私がいちばん嫌いな私になっちゃうんだ。


 未来なんか知るか。

 今の私を笑う奴は許さない。

 居心地いいだけの他人の決めた人生?

 そんなもん、砕け散れ。






 いつもより二時間早く起きた。入念に顔を洗って倍の時間かけてメイクしたった。買ったまま一度も使うことなく収納の奥に眠っていた長いソックスを履いた。スカートもぐいっと思い切り引き上げる。こんなもん、あと数か月でゴミだ。来年からコスプレだ。ならスカートが私のものであるうちにこき使ってやる。


 鏡の向こうにはメイクと戦闘服せいふくに身を固めた戦士がいる。

 これから一世一代の勝負に出る。

 両手でパンパンと頬を張って、勝ち目ゼロパーセントの戦いに向かう。


 適当に時間を潰してから校門を駆けくぐり、ホームルームギリギリで教室へ飛び込むと、既にそこに担任が立っていて、着席した全員がこっちに注目した。

 私らしくないって?

 いつも目立たない生徒がメイクばっきばき、スカート超短くしていて。

 うーわ。

 注目されてる。

 これだけ他の生徒から熱心に見られたのって入学以来初めてかもね。

 その中にはういっぺもいる。


 彼の席の前で立ち止まる。

 すぐ目の前のアタリが私をきょとんと見上げていた。

 私だけを見ていた。

 どんな奇怪きっかいな行動でも、アタリに目を向けさせたのはこの私。

 その事実をなけなしの勇気に変える。

 足がガクガク震えた。

 あー、もぉ……

 やーだーなー!

 負け戦だもんなー。


 きっと今日とは決定的に違う、明日の私。

 あんたはたぶんすっげぇ傷ついている。

 もしかしたら泣いてる。

 公開告白してフラれたせいで学校中の笑い者になってる。

 アタリからドン引きされてるかも。

 私の未来なんて確定している。

 でも。

 きっと。

 ういっぺが隣にきて頭を撫でてくれるさ。

 

 たったひと言の爆弾。

 必要なのは覚悟だけ。たったそれだけ。


「アタリ、すき」


 ヘーイ。

 未来の私達、みんな死ね。


 ういっぺ。

 行ってらっしゃい。










 ――『さよなら、スカート』


 あらすじにつづく








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さよなら、スカート サン シカ @sankashikaku

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