第5話

 明日、僕は換体手術を受ける。

 これまでデータ採取のために体内中を走り回っていたナノマシンが、気づかない内にその役割を終えてゆっくりと排出されているようだった。皮膚の下の何となくもぞもぞとしたかゆみもなくなり、換体に向けて全ては順調に進んでいることを、ベッドまでやってきた医師と看護師がにこやかに説明した。

 不安や恐れもあると思いますが、どうぞ安心してください。当院でもこれまで50名以上の方の換体を実施しています。術前はやはり怯える方もいらっしゃいましたが、全身麻酔がかかって、次に眼を開けた時にはもう新しい義体です。皆さん術後はいきいきとされていますよ――。

「先生は、換体をされようと思ったことはないのですか」

 好奇心で僕は尋ねた。その医師は白髪交じりの髪に手を当てながら、微笑んだ。

「ハゲてきたら考えますね」

 あははは、と僕と看護師さんは笑った。奇妙な話だけど、禿げ切った地肌から天然の頭髪を生やす毛生え薬は未だに開発されていなかった。



 地上から離陸するつもりで――それまでの肉体から、新たな義体という宇宙船に乗り換えるつもりで。

 新しい船で空を飛ぶのは楽しみだけど、本音を言えば不安もある。海埼が言っていたように「人は土を離れては生きられない」のかも知れない。それは精神的な部分の話でもあるだろうし、生まれ持った肉体ではなく義体というテクノロジーに自分の命を預けることの危うさという意味もあるのだろう。


 いずれにしても、僕は今、あの世の両親に――「換体は生命への侮辱だ」と文字通り死ぬまで訴えていた両親に、教えたいことがある。

 誤解を恐れず言えば、僕はむしろ生命が僕を侮辱しているように感じていた。僕を苦しめた存在を、僕は本当の奥底で恨み切ることができずにいるのだから。僕が頼んだわけでもない、親子の情という遺伝的な何がしのせいで。

 そして、僕が苦しんだ理由は――あなた方からもらった肉体を、捨て去る直前の今だからこそ、正直に告白したいと思う。


 僕はただ甘えたかった。

 ただ一緒に遊んでほしかった。

 ただこっちを見つめてほしかった。

 ただ抱きしめてほしかった。


 僕はそれらの苦しみを、換体というテクノロジーで払拭する。色々理屈をこねたって、八つ当たりに近いことはわかっている。けれど、換体というテクノロジー“ごとき”で払拭できるほど、生命は生易しくなんかないってこともわかっている。


 それでも、僕は今なら前へ進めそうな気がしている。

 根拠? 思考? 正当性? そんなもの、ぼろぼろに砕かれたって――いや最初からそんなものがなくたって別によかった。

 ただ、自分の意地がここにある。頑なで強固な、この意地だけは、紛れもなく僕のものだ。

 銃弾の雨を突っ込んで行く兵士たちのような割り切り。

『死者だけが戦争の終わりを見た』というのなら、明日の換体が、親の呪縛に抗う僕の、ちっぽけな戦争を終わらせることができるのかどうかを、僕は確かめたい。


 そして、大事なことがもうひとつ。シュレディンガーの猫ではないけれど、手術の結果は僕にとって最後の親孝行になるかも知れないし、最後の死体蹴りになるかも知れない。

 最後の死体蹴りとなるケースは、つまりこういうことだ。換体を行ってもなお、僕の命が親の呪縛に囚われたままなのであれば、それは僕の苦しみを取り除けなかったという意味で、テクノロジーの敗北だ。そして、テクノロジーが生命を侵すなどという、父さんと母さんの懸念は全くの杞憂だった。だから、義体に移ってもなお、僕は両親への複雑な感情にぐだぐだと苦しむ。僕の「復讐」はなおも続き、僕の両親は見当違いな主張に人生を捧げて死んだ間抜けということになる。全員敗北の、虚無だけが残るバッド・エンドだ。


 それとは逆の場合――最後の親孝行になるケースとは、つまり換体によって棄却される種々の“感覚”の中に、「親の呪縛」も含まれている場合だ。義体に移った僕はビオトープで泳ぐめだかも、水族館の楽しみも、ジャンクフードの摂取も相変わらず大好きで、海埼とも楽しく仲良く遊びに出かける。ただし、その時の「好き嫌い」「楽しさ」「ノスタルジー」の奥底にある、父さんと母さんへ抱いていた感情はすべて忘れている。

 それならば、この肉体とともに今ここにいる悩める“僕”は死に、このちっぽけな戦争から解放される。父さんと母さんの懸念は当たっていて、テクノロジーは生命を屈服させたことになる。だから、僕の「復讐」は完了し、父さんと母さんの名誉も守られる。全員が幸せな、グッド・エンドだ。


 そういうわけで、僕は、最後の良心を振り絞り、前者ではなく後者を――この肉体とともに“僕”が死ぬことを願った。

 医師の話では、換体に伴う“感覚”の相違や欠落は、当事者でなければわからないという。テクノロジーではそこまで面倒を見切れないという。全身麻酔から眼を覚ました時、そこにいる“僕”がどちらの結末を迎えたかは、“僕”でも誰でもない、まさに神様だけが知っている。


 明日が“僕が死んだ日”になることを祈って、僕は恐らく最後の眠りについた。


<了>

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僕が死んだ日 文長こすと @rokakkaku

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