可憐

 汗を吸って湿るノートに、鉛筆が甘楽かんらさんの横顔を描いていた。すっと通った鼻筋にくっきりとした二重の目。これが無意識なのだから、わたしもいよいよ狂っている。消しゴムをかけたって完全には消えない。


 授業は眠いけれどまったく退屈ということはない。さらさら流れる声の中に興味をひかれる言葉が聞こえる。そこから思考が脱線してしまうから成績は上がるべくもないのだけど。


 甘楽さんはこの教室には居ない。しかも友達の友達程度の関係だ。でも彼女の手のかたちを私の感覚神経は知っている。骨、靭帯、筋肉、皮下脂肪、そしてあまりに柔い皮膚。我が友人の不完全な映画は、わたしの眼前に甘楽さんモチーフを引き出した。

 共演と言えば美しくも聞こえるが、指を絡め合って花火をしただけだ。どうも監督様には手フェチの気があるらしい。わたしの実用一辺倒の硬い手と甘楽さんのペンより重いものは持ったことがありませんという感のある手。対比として面白いとは思う。なのに、ままごとのような匂いがあるのはなぜなんだろう。


 あの子、あかりから映像を取っても、死んだりはしない気がする。たとえば忙しさやなんかで塗りつぶせばいつか忘れてしまうんじゃないか。灯自身には胸に秘めた暗さを感じるのに、出力された作品には切実さが足りない。手段も目的も通り過ぎてという経験は本当にある?


 ときどき自分が気持ち悪い。無意識に走る鉛筆が、かたちを分解してあれこれ考えてしまうことが、木材に潜むかたちを簡単に幻視できることが。表層に現れない感覚は言葉を与えようとすれば逃げてしまう。

 この手を止めればわたしはきっと息ができない。マグロが泳ぎ続けなければ酸素を取り込めないように。反面この手を動かし続けるかぎりわたしには傷が絶えないだろう。何も彫刻刀が滑って自分に刺さるというばかりではない。見えているのに届かない、技術の足りないもどかしさに削られる。わたしのよどみを巧く汲みあげられない制作に苛立つ。溜まってしまったは明確に毒で、わたしを静かに壊していく。


 あの子とわたしは違う。優劣でなくその色が。制作すなわち衝動、そして毒。この毒がなければわたしは心臓を動かしてはいられず、けれどいつか毒はわたしを殺すだろう。


 灯、あなたは何によって生きるの? あなたの腕は、目はどんな動力で命を得るの?


 わたしは絵に狂い、彫刻に狂い、いつかもっと深い所を狂わせるのだと思う。かの葛飾北斎は名を変えまくったあげく『画狂老人』を名乗ったそうだ。これはユーモアなのかもしれないが、わずかばかりの自嘲と、狂気に対する愛を感じる。狂気はどこか甘美だ。外界の鋭利な切っ先から脆い心を守ってくれる。

 正気のまま芸術を志すことなんてできそうにない。才能とかインスピレーションとか技術とか余命とかお金とか親とか理性とか他者からの評価とかそういうものを振り切れるだけの狂気が必要なんだ。

 誰かが眩しそうに見てくるたびに、とほうもない隔たりを感じる。そんなところ歩けないよ、と冷静にわたしの下の道を評する彼ら彼女らの目に、わたしの血塗れの足は映らない。わたしの血は透明で、傷口は存在せず、ただ痛みだけがある。真っ当な道を進める強さはない。適性も。手を止める理性もない。ならばどれだけ擦り切れてひび割れて最後には粉々になる運命だとしても、棘だらけの道を走っていくよりほかはなかった。


       ***


 放課後は誰にも平等に訪れて、わたしは工作室で角材を睨んでいる。どう見ても甘楽さんだった。体育座り。遠くを見てて、髪は背にこぼれている。絶妙に乱れた制服のスカート。やや内股かげんの上履きの足。

 鉛筆でごりごりとあたりを取って、さっさとノミを打つ。デッサンもろくにしないで始めるなんて邪道だ。でも止まんない。


 わたしにはいじわるな従弟がいたんだ。


 夏になると連れていかれる父の田舎。水田ばかりが広がり、山のふもとにさびれた神社が建っていた。母はひたすら父の親族に気を遣い、帰る頃には十も老けて見えた。ゆえにわたしのことを十分に気に掛ける暇はなかった。


 従弟はわたしをからかうのが好きだった。わたしがようやく物ごころつく五歳かそこら。彼は八、九歳だっただろうか。罵詈雑言を浴びせられ、仕上げとばかりに蹴りを食った。わたしは泣かない子どもだった。何をされても黙っていた。

 どうにかして痛手を食わせたかったらしい。肌身離さず持っていたお気に入りのお人形を夜中に盗まれた。お手洗いに目を覚ましてそのことに気づいて素足のまま外に出た。小石の交じる砂の地面がまだ足の裏に痛かった。月夜だった。むっとする、緑の匂いの風がゆるゆると吹いていた。引き寄せられるようにあぜ道に入った。水路に浅い流れの音がした。


 ただ予感に任せていただけだったのかはもう覚えていないけれど。稲を守るぬかるみの中に宝物を見つけた。泥に濡れてかたちを失っていても、たしかにそうとわかった。

 ぬかるみはなかなかお人形を離そうとはせず、幼い腕には重労働だった。やっと取り上げたものの、泥に細部ディテールを埋もれさせており、暗さも相まって不気味だった。


 わたしは水路に降りた。脛のところまで水深があった。


 洗う、洗う。ナイロンの黒い髪が、不完全に別れた指が、大きな双眸がだんだんあらわになっていく。わたしのなじんだ姿になっていく。水は心地よかった。泥はどこかへ流れ去る。

 やっと安堵してお人形をそっと撫でた。泥にまみれてびしょ濡れの寝間着をたいそう咎められたことは言うまでもない。


 あの時からだと思う。

 意味のない立体の中に意思のあるかたちを見るようになったのは。不明瞭なかたちから明瞭なかたちを起こすことに執着するようになったのは。

 わたしは粘土をこね、消しゴムを切り、砂を積み上げあるいは削り、絵を描き、やがて彫刻を見つけた。粘土も石膏も嫌いじゃない。石や金属だって興味はある。だけど木は特別。命あるものとしてうまれて、死をもってわたしの前に放り出される。そこには木目や堅さや重さと言った生き物としての名残があって、かたちに強く結びつく。


 彫刻刀に持ち替えた。甘楽さんの横顔はまだ、不完全な輪郭のまま遠くを見ている。

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不完全なポートフォリオ 夏野けい/笹原千波 @ginkgoBiloba

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