閃光花火

 市民センターの狭い一室に、遮光の十分でないカーテンで不完全な闇を作っている。スクリーンとプロジェクターを準備していると薫子かおるこが横から覗き込んでくる。

「手伝おっか?」

「いいって。二人はそっちでお菓子でも食べてて」

「ここ飲食禁止でしょー? 悪い子だよね」

「だからラムネと飴しか買ってないんじゃん」

「これは?」


 薫子がひょいと掲げてみせるのは、リボンのかかった小箱だ。中身はチョコレート。お礼にとわたしがあげたのだから品物についてはよく知っている。

「それは家帰ってから開けて」

「はぁい」

 返事だけはよろしく、広げた大袋からレモンイエローのセロファンに包まれたラムネをつまんだ。爪は短く揃えられている。指先は細く、彼女の器用さをあらわす。右手の指はタコでごつごつしていて、左手には古い切り傷がいくつかの薄いしこりとして残る。

 つられたように黄色の包みに触れたもう一人、甘楽かんらはすらりとした色白の手をしている。爪は指から一ミリほど伸ばしてごく淡いピンクのマニキュアを塗っていた。桜貝のような繊細な造形。もちろん指に傷などない。手首は折れそうに華奢で肉がない。アイドルみたいな顔より、わたしにとっては魅力的な部位だ。

 二人の手がそれぞれラムネを取り出すのをじっと見ていた。作業を止めてまで。甘楽は形のいい眉をひそめて、小鳥がさえずるように呟く。


「お客さん、来ないね」

「まぁねぇ。てきとうにチラシ撒いただけだもん。そんな甘くないよ。二人が見てくれればいいの。今日は試写だからね。ってか、これ文化祭で流せるのかな」

 薫子は耐えかねたように吹き出す。

「無理だから学校の外でやってるんでしょ?」

「いやこれは念のためというか、冷静に見たらどういうふうに見えるのかとかそういうことであってね?」

「薫子ちゃん、やめなよ。あかりも。手が止まってるよ」


 甘楽はかわいい。だからへたくそな仲裁でもわたしたちは言いなりになる。

 ほどなく準備は整った。スクリーンへ光が投げかけられる。夕暮れ時の海岸が映し出されている。遠くに穏やかな波、下は砂浜だ。潮騒だけが響く。


 画面にローファーが片方投げ込まれる。女の子の笑い声。薫子の手がそれを拾い上げる。細くもしっかりとした皮膚に包まれた指は靴のかかとを違わずひっかけた。二十二センチのローファーは甘楽のものだ。

 少女たちは画面の外に腰かける。たてる音だけがそれを教えてくれる。再び現れた薫子の指が砂をもてあそぶ。さらさら。甘楽の柔い手もそれにならう。指のあわいをこぼれ落ちる砂。手のひらをうずめ、指をさしこみ、互いにかけあう。しだいに行為は熱を帯びて、砂よりも互いの手を触れるようになる。いたずらのように肌をすべりあう指。


 ざらざらに埃っぽく汚れた指を絡めて、映像は再び静かになる。暗転。


 マッチを擦る音。薫子の指。炎にぱっと明るくなる画面。小さなろうそくに火がともる。薄いアルミの容器に流し込まれた、安くて白いやつだ。

 赤っぽい線香花火がふたつ現れて、競ってろうそくへ向かう。炎の熱にちりちりと焦げる。輝く球が先端に生まれ、小刻みに震える。か細く光の線が散る。しだいに激しさを増し、毛細血管のような複雑さを示す。かたときも同じ形をしていない。

 やがて線香花火の心臓たる球は落ちる。まだ燃える余地を残したまま。

 次の一本、次の一本と取り出されていくけれど、どちらも命を全うできずに落ちてしまう。はじめのうちは落ちるたびにふざけあっていた二人も、もう声を発さない。ただ生まれては落ちる、はかない火の玉が映っている。


 花火は尽きてしまう。

 ろうそくの明かりの中に、二人の手が戻ってくる。確かめるように握りあう。それからふいにほどかれて、薫子の薬指がそっと甘楽の手の甲を撫ぜた。

 弱い炎は吹き消された。画面は闇に閉ざされる。背景に流れていた波の音もフェイドアウトする。


 なんだかいたたまれなくなってカーテンを思い切り開いた。こんなの文化祭で流すどころか校内の誰にも見せられない。薫子がニヤニヤしている。

「灯の性癖が出まくりだよねぇ」

「やめなって……わたしは好きだよ。アーティスティックだし、光の捉え方がかっこいいし」

「甘楽さん、たぶんそういうフォローのほうがざっくり来るよ。ねぇ灯?」

「ご推察の通りでございます。でも甘楽に褒められたことは事実だからとりあえず生きる」

 急に真面目くさった顔で薫子がまた口を開く。

「たださぁ、灯は表現したいものに技術が追っついてないよね。こんなチープな光じゃなくてさ。暗がりのほうに本質があるんじゃないの? 喋ってるときの方が感じるよ? もっとどろどろして言葉にしづらそうなやつ」

「なにそれ。思春期じゃん、恥ずかしいじゃん」

「だから技術を磨けばって言ってんの。手が込んでれば主張は何であれそれっぽく見えるからさ」

「薫子は天才だからなぁ」

「灯も天才になっちゃいなさい」

 茶化すような雰囲気の陰で、薫子の目がいくらか暗くなる。彼女は確かに才能に恵まれている。息をするように手を動かし、次々と圧倒的な作品を生む。だけどその裏には片時も緩まない努力があるのだ。彫刻刀と木材のあいだで傷ついた彼女の手がそれを証明する。だからこそわたしは彼女を撮りたかった。なのに。

「ごめん。自分に嫌気がさして八つ当たりってやつだわ」

「ん? どした急に」

「やっぱわたし薫子を撮りたいんだよなぁ。今度は彫刻やってるとこがいいな」

「お、将来わたしが有名になったらプレミアがついて高く売れる映像?」

「細かいな。べつにいいけど。もし高く売れたら薫子にもちゃんと分けるから」

「待ってよぅ、なんで二人で盛り上がってんの? わたしも仲間に入れてよ」

「じゃぁさ、甘楽さんがわたしのモデルってことでどうよ。三人でもう一作」

「燃えますなぁ。甘楽、どう?」

「えぇ? いいよ? むしろ嬉しい、かな」

「甘楽さん美しいもんなぁ。わたしも楽しみ。ってか、実はこっそり甘楽さんのクロッキーとか描いてたんだよね。好きすぎて」

 薫子のあけすけな告白に甘楽は顔を赤らめる。窓の外はもう暗くなり始めていた。まだ自分の中に燃やすものが残っているなら、それが真っ黒なタールのようなものであっても構わない。

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