面白いものには必ず理由がある

まず、僕は異世界ファンタジーは好きです。
この前提を踏まえ、以下はレビュー文体に切り替えます。


 異世界ファンタジー、特に異世界転生ものは既にブルーオーシャンではなく強者ひしめく群雄割拠の戦国の世であり、そこから頭一つ抜けることはとても難しい。それは、2019年現在でアニメ化作品の多くが異世界ファンタジー(転生)を取り扱っていることからもよくわかるだろう。

 いわゆる「俺つえええ」作品の醍醐味は、だいたいが冒頭部分にある。絶対的強者が理不尽な社会に飛び込み、強さで周りを圧倒していく。その爽快感がたまらない。だがしかし、あくまで個人的な感想だけれど、冒頭部分を消化し終えた異世界ファンタジーは、その鮮烈なファーストインパクトを引きずったままテンプレート的展開へ突入してしまう。自分を慕う仲間と共に困難に立ち向かう。物語の展開による面白さはあれど、最初に打ち上げた大玉花火程のインパクトはもう消えてしまっている。

では異世界ファンタジーにおいて面白さとはなんなのか?
それは『理由』だと結論する。

現代のファンタジーの名作が持っているものは、世界観の徹底的なまでの作り込みだ。『主人公が世界の誰よりも強く、圧倒的な魅力がある』その要素一つでも物語をけん引できる力は確かにある。だが前述の通り、その花火はいずれ散ってしまう。一発屋の芸人さんは爆発的な人気は得ても長生きできないのと同じ。生き残っていく為には最初に見せた芸より、さらに別の引き出しが必要になる。
魅力的な主人公をより輝かせるものより長生きさせるもの、それは主人公を越えた大きな力に他ならない。つまり、世界そのもののことだ。

多くの異世界ファンタジーものにとって、『キャラクター』は『世界』の上位にある。まずキャラが存在して、キャラの周りに絵が描かれている。
だから世界は全くキャラクターの為だけの都合のいいものとして存在し、だから説得力もなく、どこかで見た焼き増しの印象になってしまう。

半面、『冰剣の魔術師』の世界観は『キャラクター』より上位に存在している。それは第26話で小出しにされた設定資料を見れば明らかだ。私は第26話を先に見てしまったのだが、見てすぐにこの物語は絶対読もうと決めた。

まずはじめに世界がある。
それは強固で絶対的で揺らぐことなく、世界でいっとう強い冒険者ですらどうにもならない冷酷無慈悲なまでの大地のこと。

どうしてなにもないところから氷が出せるのか?
どうして魔獣は人を襲うのか?
どうして回復魔法がある世界で病気のおばあさんが存在するのか?

通常「ファンタジーにとってはそういうもの」として流されるこれらの疑問に、いちいち理由が存在する世界。
登場人物たちはその上に立っている。
できることとできないことがある。
だから主人公は苦悩し、他人と力を合わせることを考える。
その瞬間、『俺つえええ』の主人公は物語の一部になるのだ。
彼そのものが物語だった、それが世界観のごく一部としての存在になる。
だから彼がこの先ずっと勝ち続けていくかどうかは誰にもわからなくなり、先が見えないからこそフィクションは楽しい。

物語の随所で語られるコード理論や魔術体系など、強者でない者に光が当たる要素が見られるのもとても面白い。

そして作者はテンプレートというものを上手く活用している。
異世界ファンタジーにお決まりの展開ならば、読者はある程度、展開を予測できる。テンプレではない独特の言語や世界観を示しつつ、同時にテンプレの展開を小出しにしながらこの先に来るだろう胸躍る未来を読者に想像させ、読む勢いを止めさせない技術にも非凡さを感じる。

 もしこれをアニメ化するのなら、今までの異世界ファンタジーと同列に捉えず、魅力的な世界観を存分に描いた名作にして欲しいと願うところ。

その他のおすすめレビュー

サン シカさんの他のおすすめレビュー110