+5kg いなり寿司ピラミッド
いつもより2時間早く8時に起きた俺は、玄関で靴ひもを結んでいた。
昨日、ある決心をして、スポーツショップに駆け込んだ俺は、ランニングシューズを買っていたのだ。
そう。ランニングシューズ。
つまり俺は、決意した。
これ以上は耐えられない。
というか本気で内定なんかもらえない!
これ以上太ってしまえば、就職は絶望的だ。
だから、鉄の意志で決心した。
つまり。
痩せる。
それも、
健康的に、
走 っ て 痩 せ る !
フルメッシュのめっちゃ走りやすそうな靴のひもを結び終わって玄関を出る。うおぉ~太陽が眩しい!
「あ、コウくんどこ行くの~?」
よっしゃ、走るか! と考えた瞬間だった。
俺を太らせてやまない
……最近、朝食まで作りに来るようになった美帆さんである。
美味しいんだけど!
美味しいし、めっちゃありがたいんだけど!
俺は、これ以上太れねえんだ!
「これから走ってくる。朝飯はいらないから、今日は帰れよ」
俺は鉄をも超える超合金の意思で、最大限そっけない声を出して、鍵を閉めた。
呆然とする美帆を残して、俺は――走り出した。
◆◆◆
美帆に悪いことしたなー。落ち込んで帰ったかなーとか、胸のもやもやを振り切るために、bluetoothイヤホンをベアリングして、音楽を流した。
両耳からは、どぅどぅどぅどぅん♪ とギターの音色が聞こえてきて、テンションが一瞬で沸騰する。
「僕らは、位置について~♪」
と思わず口ずさんじゃったりなんかしてノリノリ。
『番組が、水上を初めて密着したのは5分前。下ろしたてのシューズを履いて、ランニングをはじめた水上』
――走ることは好きですか?
小さいころは無邪気に「好き」って言い切れたんですけどね。
なんでしょう、今は口にするのが恥ずかしいっていうか。
けど、ついつい求めちゃうというか、自然と体が求めちゃうんですよね。
ピロン♪
《走ることを、……自然と求める》
うぉおおおお!
走りながら、HNKの番組『プロフェッショナル 仕事のやり方』風にナレーションとセルフインタビューすると、マジでテンション上がる!
コレ楽しい。
なにコレ楽しい!!!!
「ずっと探してーいたー! 理想の自分ってー!」
周りも気にせず大声で歌う俺氏。
なんだか脳内麻薬ドバドバって感じで気持ちよくなっている。
こ、これがちまたで噂のランナーズハイ!
あはは! 気持ちいぃいいいい!
マジ気持ちぃぞぉおおおおおお!!
体が限界を超えた先にあると言われる究極の快感。走るっていう苦行を乗り越えるため、脳が快感物質を出してハイにさせる、最終奥義! すげえすげえすげえぞ!
――水上さんにとって、走ることとは。
そうですね。小さいときは「好き」って簡単に言えて、今は自然と求めるって、まるでおっぱいみたいですね。はは。
ピロン♪
《走ることとは……おっぱい》
変なオチがついても気にならなかった!
だって楽しいもん!
楽しいんだもん!
まあ俺、まだ1キロぐらいしか走っていないけど。
◆◆◆
結局、近所をぐるっと2キロぐらい走って限界が来た俺は家に帰る。
いやー走ったわ。
まじで俺頑張ったわ。
こりゃ痩せたわ。
そんなことを考えながら、ドアをガチャッと開ける…………と、……鍵が開いているわけ。
「コウくんおかえり~」
ニコニコと俺を出迎える美帆さん。
「鍵閉めてたけど、どうした?」
「合鍵だよ♪」
カチャッと鍵を掲げて、ニコッと笑う美帆。
「お、おぅ……」
まあ、合鍵渡してるもんな。
素っ気なくしたかなーって思ったのも俺の杞憂だったわけだ。
ため息をつくと、
「お風呂にする? 朝食にする? それとも……」
と、顔を赤らめて、もじもじしだす美帆。
もしかして、『それとも、わ・た・し?』とかとか言い出しちゃうんじゃなかろうか!
やばいってまだ美帆高校生だし俺まだ就職していないんだからそういうことは早いって!
さっき走っている最中におっぱいのことを考えてしまったから余計に心臓の高鳴りを禁じ得ない俺氏。
幼馴染みJKに悟られないよう最大限平静を装うチェリーボーイの俺氏。
すると、美帆はちっさな握りこぶしで口元を隠しながら、チラッと俺を見て言った。
「それとも……ふ・と・る?」
ですって。
食事系選択肢を二倍にして、なにか期待したまなざしをしてくる美帆。
「…………」
「…………」
沈黙の末、美帆さんは可愛くちっちゃな声で、
と、繰り返した。
「なんで2回言ったぁあああああああああああああああああああ!」
叫んだよね。
まあ叫ぶでしょ。
なにこのドキドキ損!
「きょ、今日こそ、俺は食べないんだからねッ!」
あまりの動揺にツンデレヒロインみたいな台詞が出る俺。
すると、
「ふふ♡ こっち来て!」
そう言って、美帆は玄関で俺の手を取った。そのままずんずんキッチンを抜け、1Kの小さな部屋に連れて行かれる俺。おおかた、部屋に料理を用意しているんだろう。
「は! 今の俺に料理をちらつかせてもムダだ! 俺は約2キロという過酷な超長距離を走って今まさに体力の限界! 激しい運動をしたあとは食欲が無くなることは必須! はははムダだったな美帆よ! 今の俺にはなにを見せても食欲は沸かないッ!」
絶対食べない!
これは超合金の意思をも超える、固い決意! ミスリルの意思だね!
「じゃーん! 今日のおいなりさんでーす!」
目の前には山のように盛られたいなり寿司のピラミッド。
それを見た俺のミスリルの意思は早くもひびが入った。
『水上に密着して45分。大量のいなり寿司を前にした水上は、あることを思い出していた』
――いなり寿司になにか思い出でも?
おばあちゃんがまだ元気だったころ、小学校のころですかね。運動会を見にきてくれたんです。甘酸っぱいいなり寿司をたくさん作って来てくれて、炎天下で疲れた体でもたくさん食べて。よーし、午後からの徒競走がんばるぞって。
ピロン♪
《いなり寿司、それは……祖母の思い出》
やば、脳内プロフェッショナルが再燃したぞっていうか美帆のいなり寿司うまそぉおおおおおお! つやつや光って、まるで金塊のピラミッド! こいつまじかよ。まじもんの食テロリストだよ。
「ははは!」
食欲に負けないように無理して俺は笑う。
「いいだろう。ひとつは食ってやるよ。だがしかし! 俺の求めるいなり寿司ではなかった場合……この大量のいなり寿司はラップして保冷して、美帆んちに持って帰ってもらうからな!」
ひとつ、手に取って、はむっと頬張った。
じゅわぁあああ……。
『ずっと探してーいた。理想のいなりって〜!』
頭ん中で、もう音楽が鳴り止まないわけ。
もう俺の脳内プロフェッショナル、番組終盤の一番の盛り上がりなわけ。
おいなりさん、うまああああああああああああああああああああああああああああ!
ばあちゃんが作っていたやつと同じ味で、甘めの出汁がお揚げに染み染みで、はぐっと口に入れたらじゅわっときて! すし酢もさっぱりしてお揚げの甘さをくどくさせないというか!
「なにこれ美帆! ばあちゃんと同じ味じゃん!」
「ふふ♡ 運動会で食べたよね。味を再現するの、がんばったんだよ♡」
「美帆……」
美帆の想いに胸がいっぱいになった。
もういっこ手に取る俺。
ああ、やばい。ちょっと泣きそう。
はむっと食べると、シャキッと音がした。
紅ショウガだ! そういえばおばあちゃん、紅ショウガ入りの作ってた!
鶏そぼろの味もしっかりして、さっぱりの中にしっかりしたうまみが口に広がってくる――!
じゃあ、もうひとつ……。
次は、カリッと音がした。
たくあんだー!
後追いで鮭の風味が飽きさせないなー!
やばいうまい。
やばいうまい。
やばいうまい。
やばいうまい。
やばいうまい。←こんなペースで食べ続けちゃうわけ。
――美帆さんのいなり寿司はどうでしょう?
おばあちゃんの味……に、限りなく近いんです。近いっていうか、もう、これは同じっていうか。やばい……泣いちゃダメですよね。けど、もう食べられないって思っていたから……すみません。
小学校のころ、美帆も食べていたんです。
ホント、幼馴染みっていいですよね。
俺、美帆と幼馴染みで、本当によかったです。
ピロン♪
《美帆。ありがとう》
「はぁ……」
気づけば、目の前のいなり寿司ピラミッドは消えていた。
「今日は、俺の負けだわ」
胃袋パンパンにして、苦しみに耐えながらそう言うと、
「お粗末さまでした♡」
と、美帆は満面に笑みを浮かべた。
……俺、痩せるの無理かもしんない()
=本日の摂取カロリー=
いなり寿司✕100
合計 9,646kcal(+祖母の思い出カロリーレス)
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