+4kg 美帆の大盛りとんそくラーメン♡


 バイト先でたらふくパンを食べてあと、家に帰ると、美帆みほが俺のパンパンに膨れた腹を見るなり怒りながら問い詰めてきた。

 誰にいつそんなに食べさせられたのか、あまりに鬼気迫る表情をしていたものだから、つい洗いざらい話してしまった。

 すると、


「コウくんが浮気したぁああああああああああああ!!」


「う、浮気って、ちょ落ち着けって!」


「落ち着いていられないよ! だってコウくんがよその女にパンパンさせられたんだよ! ありえないありえないよ! だって女の人とパンパンしてんだよ! 私というものがありながら、ほかの女に目移りしてパンパンって、これが浮気じゃなくてなんなんだよ!」


「パンパンパンパンって・・・・・・バイト先でパン食べただけだろ!」


「いーや! コウくんのことだから、大人の色香に負けて、いつもよりいっぱい食べちゃったんだからね! わかってんだから、この浮気者!」


「俺が外でメシ食っちゃだめなのかよ!」


「食べてもいいよ! むしろいっぱい食べてもっと太ってほしいって思ってるよ! けど、私以外の女の人にデブにさせられるのはダメなんだよぉおおおお!」


 玄関入ってすぐのちっちゃなキッチン前でうずくまる美帆。

 修羅場しゅらばだった。

 しかし、世界一珍妙な修羅場だと思った。

 わ、悪い……そう言うと、がばっと顔を上げて、涙目でにらんできた。


「ま、まだあっちの方がまだマシなんだからね!」


「あっちなんだよ」


「あっちはあっちだよ!」


「だからなんだよ」


 歯切れの悪い美帆は顔を真っ赤にさせながらぼそりと言った。


 「えっちなことだよ」

「いや聞こえない」


 「だから、えっちなこと……」

「え?」


「だからえっちなことだよ!!」


「ななな、なに言ってんだよ!」


「そうだよ、そうだよ! まだえっちな浮気の方が許せたんだから!」


「お、おおおお、俺がそんなことするわけないだろ」


 そう言うと、美帆きょとんとして、


 「ま、まあ、そうだよね。コウくん、そういうところヘタレだし」

 ぼそっとひとり言をつぶやく美帆。


「え?」


「もう、ぜったいほかの人の料理で太らないで!」


「お、おう……」

 それはもう真剣な表情だった。

 えっちなことは許すが、ほかの人の料理で太るな……冷静になればだいぶおかしな台詞だ。


 よほどショックだったのか、しくしくと肩を震わせる美帆に対して、

「ごめん……なんでも言うこと、聞くからさ……」

 そう口走ってしまった瞬間だった。


 がばッ!

 ニコぉ~。えへへぇ~。

 と表情を崩す美帆。


「ラーメン、作ったよ♡」


「え」




















 ……あ、これ、ぜったい食べさせられる流れだ。









 ふた口しかない小さなキッチンには、大小の寸胴ずんどうが並んで、もくもくと湯気が立っている。換気扇は湯気がこもらないようにMAX出力で稼働している。

 ……こいつ、ついにラーメンまで手作りするようになりやがったか。


 美帆は手で小さな鉄砲を作ってあごに添え、キラーンとドヤ顔してくる。


「ふふふ。コウくんが超がつくほどラーメンが好きって私は知っているのだよ! 今日はラーメンおかわり自由! ほらほらおなかが空いてくるでしょ!」


「ぐっ……確かに俺は無類のラーメン好き。しょうゆみそしおとんこつ、にぼし、家系、つけめんでも! 俺 は す べ て の ラ ー メ ン を 愛 し て い る !」


 ラーメンが好きすぎて、ラーメンマンのキン消しを50体ベッド下に配置して、寝ている間にラーメンパワーを補充しているくらいだ。


「だ が し か し !」

 俺は叫んでいた。

「甘い! 甘いぞ美帆!」 

 ぽかんとする美帆。


「ラーメンは唯一〝未完成〟とされている料理。ラーメン屋が10年続く可能性3%とされる厳しい業界で、いまだに変化と進化を続け、世界のラーメンシェフたちが究極を求め高め合っている世界だぞ! それをぽっと出の素人が、簡単にラーメンなんてできるわけないだろう!」


 ――替え玉士郎アーチャー……俺に与えられた二つ名だ。


 数十年に一度、松戸市を舞台に行われるラーメン松戸1グランプリ――通称、聖杯ラーメン戦争で、俺はラーメンギークが講じて七人の審査員サーヴァントに選ばれた。その日、七人の店主マスターから提供される七杯のラーメン固有結界すべてに替え玉をする姿から、俺はそう呼ばれるようになった。


 そのときの盟友、器マニアアインツベルンスープ令呪マキリのやつらとは、いまだに交友を続けている。


「なにが言いたいかというと、俺のラーメンに対する知識や想いは生半可なものではないのだ! つまり、俺に適当なラーメンを出してしまったら即アウト。一生寸胴でスープを作れない体にしてやるからな!」


 美帆は俺の啖呵たんかに、余裕の笑みを浮かべ、

「まあ、まあ、お客さん。座って見てな」

 と頭に白いタオルを巻いた。


 いつの間にか美帆は黒Tシャツと黒エプロンって、それっぽい格好になっている。

 1Kキッチンの小さな明かりに向かい、美帆は目の前の器に向き合う。

 並ぶ寸胴に、小さい体躯。エプロンを翻す美帆がそれっぽく見える。


 コポコポと沸騰する寸胴に、テボ(ラーメンで湯切りするときに使う取っ手がついたザル)を入れ、その中に麺を入れる。


「麺は、細麺ストレート……ならば、スープは濃口しょうゆ、しお、もしくは白湯系か……?」


 美帆はタイマーをセットし、もうひとつの寸胴のふたを取った。

 その中には、真っ白い純白のスープが見える。

 そして、ふわっと豚の濃厚な匂いがした。


「とんこつ……だとッ!」

 豚の骨髄こつずいは下処理が難しく、素人が手出しできるものではない。

 下処理に失敗したら、臭くて食べられるものではない。

 そんな失敗を……美帆が、犯した?

「はッ! カロリーに目がくらんだか美帆よ! そんなハイレベルなラーメンに手を出しやがって! たしかにとんこつラーメンは、カロリーが高いように思えるが、実は細麺でローカロリーなのだよ! 俺を太らせたかったら醤油背脂系の次郎系で攻めてくるべきだったな!」


 ハハハッ、と高笑いをすると、美帆がふっと笑った。


「コウくんは……知らないんだね」


 その不敵な笑みに、思わずたじろいでしまう。


「な、なにがだよ」


「世の中には、簡単に、とんこつ出汁が取れる食材があるんだよ」


 そう言って、美帆はお玉で寸胴の底を掬った。


「お、おまえ、まさかッ!」

 寸胴の底には……

「そう、と・ん・そ・く♡」


 と……ん……そ……く…………だとッ!


 確かにとんそくを使えば豚の風味を容易に出すことができる。

 それにとんそくには大量のコラーゲンがあって、スープに適度なとろみもつけることが可能だ……。

 

 くそう……なんかちゃんとしたとんこつ的ラーメンになりそうじゃんか……謀ったな……美帆のやろう……。


 まだだ!

「しかし、まだ豚の骨髄による濃厚なうまみは作れないはず! それだと豚の匂いがするだけでペラッペラの薄味なんちゃってラーメンになるだけだ!」


 必死の抵抗だった。

 しかし、それすら、美帆はやすやすと超えてくる。


「とんそく2本、鶏ガラ2尾、鳥の手羽先8本、青ネギ2本、ニンニク、ショウガ……」


 まるで人体錬成の材料を読み上げるかのごとく、美帆はスープの具材を告げる。


「ま、まさか……おまえ」


「そのまさかだよ、コウくん。私も、とんそくだけだとうまみは作れないって気づいていたさ。それを補うための”鶏”なんだよ」


「ぐッ……」

 どんな言葉を繕っても反論することができない。

 理論としては完璧なのだ。

 これは、静かに見守るしかない。


 美帆は叉焼を切り、ラーメンどんぶりに叉焼のタレを入れた。

 そして、白濁のスープを注いだとき、ピピピ、とターマーが鳴る。

 それをノールックで止めた美帆は、テボを精一杯上に掲げて、思いっきりシンクに向かって下ろした。


 天空落とし……湯切りの七大奥義のうちのひとつ。

 美帆のやつ……こんな技まで習得したんだ。


 麺をスープに沈め、一度箸で掬い、またスープに沈める。こうすることで麺とスープがより絡む。

 具は、ネギとキクラゲとメンマ、叉焼。煮卵はいれない。正当派の博多とんこつラーメンの流れを組む盛り付けメイキングだ。


 ぐぅ~。

 腹が鳴った。


 ………………………………おかしい。

 2時間前にパンを3斤食べているんだぞ!


 ぐぅ~。

 それでも腹が鳴った。


 たとえどれだけ飲み会で飲み食いしていても、〆のラーメンは食える。替え玉するほど入る。……これが、ラーメンの魔力なのか。


「はい、できました♡」


 美帆は、頭に巻いたタオルをほどきながら、ことっ、とラーメンをテーブルに置いた。

 

「美帆特性の大盛りとんそくラーメンだよ。替え玉もできるから、たくさん食べて♡」


 見た目・匂いは完全にラーメンだ。


「見た目は、それっぽくできたようだな。しかし、味はどうかな」


 うまそう。うまそう。うまそう。うまそう。うまそう。うまそう。うまそう。うまそう。うまそう。

 口で言っていることと思考は真逆であった。

 もはや、限界だった。


 ……南無三なむさん


 レンゲでスープをひとすくい。

 そして、ずずずずずずず、とスープを飲んだ。

   ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………うめえ。



 とんそくのうまみ ✕ 鶏ガラのうまみが多層的に爆増されている。それにとんそく&手羽先のダブルコラーゲンがスープに適度にとろみをつけていて、舌にうまみが残り続ける奇跡を起こしている。

 麺をすすれば、極細ストレート麺がスープをすくい上げ、麺とスープが渾然一体こんぜんいったいとなり口の中にパラダイスを作り上げるのだ。

 それになんだよこの叉焼は。

 豚バラを丸く紐で縛り、きっと60度の醤油で低温調理したのだろう。

 なんだよこれ。醤油の風味は鮮烈で、肉質はとろっとろのまま。


 ラーメンはコース料理だと言われる。

 スープに、前菜、肉料理、主食、それがすべてひとつの皿で表現される、〝世界〟と表されるに値する料理だ。


 肉が主張しすぎてもダメ。

 スープが弱くてもダメ。

 麺の香りが飛んだらダメ。

 

 トランプタワーのように精巧に組み立てられた全体のバランスが、ラーメンをラーメンたるものにしている。


 そう考えると、美帆のラーメンは、


「…………完璧だ」


 気がつけば、麺がなくなっていた。


「替え玉あるよ♡」

「ああ、頼む」


 なんだこのラーメンは。


「替え玉あるよ♡」

「ああ、頼む」


 食べれば食べるほど、もっと食べたくなっている。


「ああ、スープがなくなったから、もういっぱい作ろうか♡」

「ああ、頼む」


 うまい。

 うまいうまいうまい。

 ラーメンうまい!

 美帆のラーメン、うまいいいいいいいいいいいいいいい!!

 

 

















 〝体は麺で出来ている〟






 〝血潮はスープで、心は叉焼〟






 〝幾たびの湯切りを越えて成就〟






 〝ただ一度の敗走お残しもなく〟






 〝ただ一度の勝利飲み干しもなし〟






 〝啜り手はここに独り汁の泉で麺を待つ〟





 〝ならば、我が生涯に意味は要ず〟





 〝この体は、ラーメンで出来ていたアンリミテッドラーメンカエダマ








 うまーい♡♡♡


「うっぷ。今日も、めっちゃ食べました」







=本日の摂取カロリー=


 とんそくラーメン(大盛り)✕2

  2,014kcal


 替え玉✕4

  896kcal


  合計 2,910kcal(≒両国のラーメン屋さんで出会ったお相撲さんの食べた量と同じ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る