+2kg 大きな大きなオムライス

「はぁ〜。今日も一社落ちました……」


 地下鉄から地上に出ると、あたりはあかね色に染まっていた。面接で惨敗ざんぱいしたことを思い出して深くため息をついた。


「面接官、あきらかに俺の腹を見ていたな……」


 ノックして個室に入る、失礼しますと笑顔で入場。どうぞ、とうながされるまで席につかない。

 俺がどれだけ就活マナーを守って面接にあたっても、面接官の目線はまず腹だ。大方、自己管理もできないやつ、そんな感じのレッテルを貼られるのだろう。


「痩せねばならぬ! 痩せねばならぬぞ!」


 そのためには食べる量を少なくする必要がある。食べる量を少なくするためには美帆みほの料理を我慢する必要があるし、美帆の料理を我慢するには美帆の料理の前に軽く腹に入れておけばいい。

 そう思って俺は自分のカバンから美帆が忍ばせてくれたスニッカーズを取り出した。


 あまーい♡


 うまーい♡


 美帆ありがとぉぉぉぉってなんでやねぇぇぇぇぇぇええええええええんんんんん!!


 あっぶねえ。完全に美帆の巧妙なトラップに引っかかるところだったぜ。あいつ頭良すぎだろ諸葛亮しょかつりょうかよ。半分食べちゃったじゃない。

 抗え。強い意思をもって抗うんだ。よし、今日俺は食わない。そう心に決め、なんならちょっと痩せてやるか、と歩幅を大きくした時だった。


 帰り道の途中にあるスーパーからビニール袋を持つ女子高生が出てきた。美帆だ。小柄ゆえかビニール袋がひとまわり大きく見える。美帆はスーパーを出るなりため息をひとつ。


「どうした?」


 美帆は俺と目が合うと、「コウ君!」とぴよぴよと駆け寄ってきた。そして俺を見上げ目を輝かせた。


「ちょ、ちょっとこれ持ってて!」


 それだけ言ってビニール袋を押し付けてくる美帆。俺が受け取ると、美帆はふたたびスーパーに駆け込んで行った。











 スーパーから出てきた美帆は顔をほころばせていた。


「おひとり様1パックまでだったんだけど、あそこでコウ君が来てくれたから2周目ならべたんだよ! たまご1パック88円! いつものお値段で2パック買えちゃうんだから!」


 美帆がこんなに所帯しょたいじみてしまったのも、俺に原因がないわけではない。

 美帆のやつは黙っていると、自分の小遣こづかいを使ってでも俺になにか食わせようとしてくる。それはやめてくれと、バイトの稼ぎから食費を渡し、その範囲内におさめてもらうようにしたのだ。俺のバイト代などすずめの涙ほどしかなく、いろいろ工夫してくれているっぽい。


「俺の稼ぎが悪いばかりに迷惑をかけるな」


 おどけてみると、美帆はキョトンとして、そしてニコッと笑った。


「ご飯作って、食べてもらって、私幸せだよ」


 恥ずかしげもなく美帆はそんなことを口にした。そんな不意打ちに顔が熱くなってしまい、そっぽを向いて誤魔化した。


 こつこつと足音がする。隣には夕焼け色に染まる美帆がいる。にこにこと楽しそうに歩いている。

 無意識か、こんなことを呟いていた。


「ちゃんとしたとこ、就職してぇな」



    ◆◆◆



 俺の部屋に帰るなり、美帆は「ご飯作るね」と制服の上からエプロンを着た。

 そして1Kの狭いキッチンでテキパキと料理をし始める。


 せめて就職先が見つかるまで俺は痩せる必要がある。大学で内定を勝ち取ったやつらはみんなすらっとして"出来る"雰囲気を醸していた。しゅっとしていると印象良く見えるのだろう。


 じっくりと頭をフル回転させて長考してみると、痩せるためにはやはり食べる量を少なくするしかない。食べる量を少なくするためには美帆の料理を我慢することが絶対条件だし、美帆の料理を我慢するには美帆の料理の前に軽く腹に入れておくしかないのだ!

 そう思って俺はテーブルに無造作に置かれたマーブルチョコレートを勢いよく掴み取った。


 あまーい♡


 うまーい♡


 よぉーし♡ 赤色チョコだけ集めてひと口で食べてやるぞぉおおおおってなんでやねぇぇぇぇぇぇええええええええんんんんん!!


 あっぶねえ。またもや完全に美帆の巧妙なトラップに引っかかるところだったぜ。なんだよあいつ頭良すぎだろ夜神月デスノートの主人公かよ。なに俺、食いまくって死ぬってデスノートに書かれちゃってんの?


 んなわけねえ。んなわけあるか。


 落ち着け。落ち着くんだ。よし、今日俺は適正量しか食わない。1人前で十分。1人前でお腹いっぱい。……1人前で腹八分目にはなる……最近食う量増えたからな……そんな量で足りるかな……。


 はっ!

 落 ち 着 け 俺 氏 !


 深呼吸して気を落ち着けると、キッチンからはリズミカルにたまごをかき混ぜる音がした。そしてバターの香りが漂ってきている。それに米を炒める音もする。

 ま、まさか、今日の料理は!


 オ ム ラ イ ス !


 それはふんわり卵の下にチキンライスの大地が広がる理想郷ユートピア

 頬張ほおばるたびに半熟トロトロたまごのコクが舌にダイレクトアタック。バターで炒められたケチャップライスがほろほろと崩れ、シャキシャキの玉ねぎと弾力が楽しい鶏肉が現れる。それらが口の中でたまごの旨み×バターの旨み×鶏の旨みの三重奏を奏でるのだ。


 一流職人の作るすしは、口の中でシャリがほどけ、ネタと渾然一体こんぜんいったいとなり、絶妙なハーモニーを生むという。そう。それはまさにオムライス。オムライスはその一流の鮨と負けずとも劣らない至高の料理と言えるであろう。


 こども料理と侮るなかれ。


 そう。


 大人もこどもも叫ぶだろう。


 ぼくオムライスだーいしゅきいいい!




 じゅる……。




 やばい。お腹すいてきた。

 やばいやばい。今日は腹八分で我慢するんだ!


「できましたー♡」


 美帆がでーんとオムライスを持ってきてくれた。


 わぁああああい、と一瞬喜ぶ。

 が。

「…………」

 目の前のオムライスを見て、固まる俺氏。



 あれ、おかしい。

 あれれ、おかしいぞ。



 



 美帆のオムライスは握りこぶしぐらいの小さなものだけど、俺のはラグビーボールくらいのオムレツが見える。俺のだけオムレツを割って仕上がるオシャレオムライスだ。


「あの、美帆さん?」

「なぁーに♡」

「俺の、大きくない?」

「近くにあるから大きく見えるんだよ。遠近法、遠近法♡」


 よくよく目を凝らす。どう見ても、


  。←美帆の皿。

  ◯←俺の皿。


 こんぐらい大きさが違う。


「そっかー遠近法かぁ」

「そうそう気のせい気のせい♡」

「そうだよなーあはは〜……ってなんでやねぇえええええん!」


 叫ぶと美帆がびくんとしてこっち見てきた。


「え。え。今日買ったたまご、全部使ったの⁉︎」

「じゃーん! コウ君のはたまご20個分のオムライスでーす♡」


 どうりでラグビーボールみたいになるはずだ。


「さすがに俺もこんなに食えん! もったいないから取り分けて冷蔵庫に」

「まあ、まあ、せっかく作ったんだからそんなこと言わないで♡」

「そうは言いっても、人間が食べられる量じゃねえよ」


 オムレツのインパクトに身を潜めているが、チキンライスの量も尋常じゃない。確実に1キロはある。


「食べてくれないの?」


 美帆が目を潤ませながら甘い声を出すが、無理なものは無理だ。


「こんな破壊的な量、食ったらぶっ倒れちまうね」


「ぐすん……」


 しゅんとする美帆を見ると少し心が揺れた。無理だとしても、できる限り食ってやるべきなんだろうか。まあ半分くらいなら、がんばれば……いやいやいやいやいやいや、冷静になれ俺。ここは心を鬼にしてそっぽを向いた。胸が痛むが仕方ない。



 俺は就活が終わるまではこれ以上太らないって決めたんだ。これも未来のためのことなんだ。



 肩を落としているかな、と思って美帆をチラッと見る。すると美帆はニコッとして、包丁を持ってきた。キランと刃先がこっちに向いている。



 殺

 さ

 れ

 る

 ⁉︎



 血の気が引いて身構えた瞬間、美帆はオムレツの真ん中に切れ目を入れた。

 どうやらオムレツを割って完成させるようだ。


「まあまあ、コウ君、これでも見てよ♡」


「はっ、どうせオムレツがチキンライスを覆って完成するだけだろ。何千何万回もYOUTUBEで見てきたわ! いいか、俺はオムライスに少しうるさいんだからな!」


 美帆が包丁を入れた側からオムレツが裂け、ぷるんとトロトロのオムレツがチキンライスに広がっていく。立ち上がる湯気とバターの香り。大量の卵で作るからか、YOUTUBEで見るオムレツよりもっともっと半熟で皿を揺らしたらプルプルと揺れている。これはやばい。絶対おいしいやつぅううううう!


「ほぉわぁあああああ♡」


 俺の声帯から女子小学生みたいな声が出る。 

 おいちちょう('◉⌓◉’)

 はっ!

 落 ち 着 け 俺 氏 !


「ふん、多少上手く出来ているかもしれないが、俺はそんなに食えないからな」


「わかってる♡ 食べられるだけでいいよ♡」


 そうは言っても完食させたい美帆氏。

 美帆はケチャップのボトルを持って、オムライスのまんなかに大きな大きなハートを描いた。


「コウ君にたくさん食べてほしいなぁ♡」


 俺はハッと鼻で笑って悪態を吐く。

「ケチャップでハートかよ。こどもじゃないんだから」


 その言葉は正直はったりブラフだった。

 オムライスはケチャップで何を描くかで価値が変動する唯一の食べ物である。ゆえにメイド喫茶のオムライスは相場の倍も3倍も高額だったりする。それはオムライスにひとさじの魔法を加えることにより完成する料理だからだ。


 俺が小学生のころ、全校集会で校長は言った。


 "料理には想いがこもっています。給食は残さず食べましょう"


 と。


 当時の俺は、給食のおばちゃんに感謝して食べましょう、という意味に捉えたが、今ならわかる。

 "オムライスは想いを食べる料理なんだ"

 という意味なんだろ?


 クッ! それにしても美帆のやろう……容赦ねえな。


 ひたいにぎっとりと脂汗が浮かんでいる。

 テーブルで上手く隠しているが、すでにひざが笑っている。あごが小刻みに震え、漏れそうになっている。

 漏れ出しちゃうよ、よだれが。


 よだれ漏れちゃう前に気を紛らわしたいが、目の前のケッチャップアーティスティングする美帆から目が離せない。


 オムライスを見続けたら危険だ! そう思って美帆に目をやると、開いた胸元の隙間からピンクの下着が見えてしまい、うっ、てなって心臓が止まりかける。


 ちくしょう……八方塞がりだ。


 俺は気を紛らわそうとテーブルの下にあった雑誌を手にとった。ページをめくると、ふわふわトロトロのオムレツ写真のオンパレードが出てきて、「ほぉわぁあああああ♡ ほぉわぁあああああ♡」さっきからどこから出てんのって感じの声が出る。


 雑誌の表紙には「レモンページ  オムライス特集」とある。きっと美帆のだ。基本のオムライス、というところにまるがしてあった。


「美帆……」


「コウ君、書けたよ! さあ、食べよ♡」


 オムライスを見て、固まった。

 オムライスのまんなかに描かれた大きな大きなハート。そのハートの中には、俺に向けて、あるメッセージが描かれていた……。
















♡ ███  ███

 █   ██   █  ♡

█   しゅーかつ   █

█  がんばって♡  █

 █        █

  █    ♡ █

   ██  ██

  ♡  ██









 ……ちくしょう!


 こんなん書かれたら!


 ちくしょうちくしょうちくしょう!


 こんなん書かれたら!


 完食しないわけにはいかないだろうが!





 スプーンを持ってひと口頬張る。

 あまりの旨さに頭をガンと殴られたような衝撃に襲われた。


 ……その後の記憶がひどく曖昧で、あまり覚えていない。
















 ◯がつXにち はれ


 きょうは、おなかがばくはつするほどオムライスをたべました


 みほちゃんがつくったオムライスはおいしかったです


 ぼくはオムライスだいすきなのでたくさんたべました


 おなかいっぱいになっても、みほちゃんがたべさせてくれました


 もうたべられなくても、みほちゃんがたべさせてくれました


 くるしくても、みほちゃんがたべさせてくれました


 おなかばくはつになりました






 翌朝。

 異常な満腹感で苦しさのあまり朝の4時に目を覚ました俺は、テーブルにあったノートを見て固まった。そこにはこどもの字で日記が書かれていた。日記には余白いっぱいに、大きな大きなオムライスが描かれていた。








 うっぷ。


「……また食わされてしまった」


 一生分のオムライス、食った気がする。









=本日の摂取カロリー=


 美帆の巧妙なトラップ

  408kcal

  

 巨大オムライス

  3,868kcal


 合計 4,276kcal(≒成人男性2日分のカロリー)

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