第10話 八月七日
八月七日――――
僕は、潮風が建物も車も何もかもを錆び付かせていくあの小さな街にまた帰ってきていた。前と同じ時代遅れの看板のある駅前でやっぱり暇そうにしていたタクシーに乗り込むと、目的地よりも少し離れたところで降りる。
僕は、少しの間誰もいない寂しい道を一人で歩くことにした。
何となくそうしたいという想いで。
二十年前に僕たちが居た『あこう園』のあった場所へ向かう夏の林道は蝉の鳴き声でいっぱいで、時折、鳥の鳴き声が混じるくらいで人の気配はまったくない。
最後の坂道の下で白い小さな車が止まっているのを見かける。僕はそこで誰がまっているのかをもうわかっていて、一歩一歩登っていく――あの頃と同じように。
やがて昔あこう園の建物のあった開けた場所に出ると、白いゆったりとした服に麦藁帽子の女性が立っている。
背丈は僕よりも一回りくらい小さくてたぶん150センチ後半くらいといったところで、後姿では詳細な体型はわからないものの、すらっとしていることはわかる。肩よりも少し先まで伸びた黒い髪は
向こうも僕に気づいたのか振り返ることもなく、右手で麦藁帽子を押さえつつ、左手で自分の横の空間をちょいちょいと指さす。たぶん、ここに来いってことなんだろう。僕は素直にそれに従う。
女性の横に立っても、僕はその顔を覗き込まない。そのまままっすぐ前を向く。
「……あそこが園庭だったところでしょ? だって、ブランコの跡が残ってるもの」
僕がそうだねというと、「だから、あの辺が本棚とかあった広間。あ
のボロボロのサッシからよく園庭に出て行ったよね」と続ける。
あの辺が先生たちの部屋で、僕たちの寝ていた部屋があそこ、ほら、隔離室があの辺だよとしばらく僕も付き合う。夏の風が僕たちの間を駆け抜けて、建物があったところに生えている黄色い名前も知らない花を揺らす。
そして、僕は横を見ることもなく、まっすぐ前を向いたまま君の名前を呼ぶ――
「おかえり、セラ」
それを聞いて、白い服の女性が麦藁帽子の端と端を両手でギュッと握って、顔を隠
すように下を向く。
「……いつ、わかったの?」
うつむいたまま尋ねてくる。
「つい最近。兄さんが残した二枚の写真をよく見ると、日付がそんなに離れていないのにセラの顔にあった痣が消えていたり、増えていたりしてた。突然増えるのはあのスーツの男のせいであったかもしれないけど、あんな痣がすぐに消えるはずはないからね……」
まだうつむいたまま、「そうね」とつぶやく。
「君たち姉妹は双子、だったんだね。僕たちも……いや、僕や先生、園のみんながわからないうちに何度か入れ替わっていて。兄さんだけがそれに気づいていて、だから
『もう一人の子』も兄さんにだけ懐いていた」
僕がそういうと、セラはぶんぶんと顔を横に振る。
「……ううん、そうじゃないよ。ユイは……私の妹は、私が話すタクミやナナミのことを聞いて、ずっと『お兄ちゃんが欲しい』って言ってたから。それにタクミがセラのことに気づいたのも、ずっと後のことだし…………」
セラはそういうと兄のことを思い出したのか、顔を曇らせる。
「タクミが高校を卒業して東京に出てきた最初の就職先で、たまたま私が居た施設に仕事で来たの。私、あまりに嬉しくて本当に嬉しくて、絶対に気づいて欲しくて、自分から声をかけちゃって。『タクミ!』って」
僕は「そっか」と短く返すと、気になっていたことを尋ねる。
「あれは……あのタイムカプセルの中身はセラが持ち出したの?」
セラは「タクミにそう言われて」と、うなづく。
僕が続けて「読めなかっただろ」と聞くと、もう一度うなづく。
「セラ。ほら、覚えていないかな? 兄さんって、ちょっと地味ないたずらをするのが好きだったじゃないか。例えば、学校の課題で虫を捕まえないといけなかったのに僕とセラが捕まえられないでいて、どうしようと悩んでた日の夜に、こっそりと空の虫籠にバッタを入れてたり。
僕たち施設の人間には関係のないはずの授業参観の時に自分の教室抜けだして、ひょっこり顔を出してみたり」
セラがその出来事を思い出して、「ああ、それ。あの後タクミ凄く怒られてたのよね」と笑う。
「……あの手紙はね、ラブレターへの返事だったんだ。兄さん宛に来た手紙への返信。そこには、『僕は弟の面倒を見ないといけないし、もし成人式でお互い相手が居なかったら』みたいな小学生が書きそうなちょっと恥ずかしい文章が書いてあったんだけど、結局、その返事は出さずにいたんだね。"あの二人"は小学生の頃からずっっと両想いだったんだよ。それはそれで少し切ないんだけど…………」
僕はそこまで話すと、しばらく間をおいて、初めて28歳になったあの小さな友だちの顔を見る。昔と同じ黒い髪に色白な顔をして、ほんの少しだけ垂れ目で僕を見つめながら「何?」というと、左側の上唇から八重歯がのぞくのもあの頃のままだ。もちろん皺が増えてたり、年月を感じさせるものもあったんだけど。
「セラ。そこにはね、『僕はセラを探しに行って、連れてこないといけない』とも書いてあったんだよ。君の妹のことではなく、ちゃんと君を探しに行くって書いてあったんだ」
セラは声も出せずに両手で口を押さえている。
僕はあの古びた手紙と二枚の写真に兄が残したちょっとした『いたずら』の種明かしを、自分の推測も付け加えて続ける。
「兄さんはどのタイミングかわからないけど、君たちの施設からの一時帰宅を使った入れ替わりに気づいたんだな。今となってよくよく考えてみたら、君の妹さんの方はすぐに体調崩していたし、いくつか気づくポイントみたいなものもあったのかもしれない。兄さんは気づいていながらも、それを黙っていて、君たち二人を同じように接していたんだ。
そして最後の日、亡くなったのが妹さんの方だったことにも気づいていたんだ。それでも兄さんにとっては、同じく妹みたいな子が亡くなったショックは当然あったと思う。
……でも、それと同時に兄さんの中では、『早くセラを助けに行かないといけない』って思いがあったんだろうね。だから、園の先生にわざわざあの二枚、君と妹さんが入れ替わっていた写真をもらって大事にしまって、そして君の居る別の施設を探しだすことにした。
そこはどうやったのか僕にはわからないけど、兄さんははじめから、僕とセラの両方の面倒を見るつもりで計画していたんだと思うよ…………今となっては確かめることも出来ないし、ほんと、何となくなんだけどね」
たぶん、岩切さんが彼女と見間違えていたのはセラのことなんだろう。もちろん、モテる人だったしそうじゃないのかもしれない。
それに――これはたぶん本当にそうなんだろうけど、僕とセラ、二人同時に大学に行かせるためにかなり無理をしていたのだと思う。それを思うと、僕は目頭を右手の人差し指と親指で押さえる。
それでも僕は兄さんに感謝を込めて、こう続ける。
「セラ、おかえり。また、一緒に暮らそう」
僕はそういって、セラを抱きしめる。弾みで帽子が後ろに外れると、黒くて長い髪がまた風で揺れる。
「……ナナミが気づくのが遅すぎたせいで、私、もう二十代後半なんだから責任とってよね」
そう茶化していうセラの言葉に、「ああ」と応える。セラの両腕が僕の背中に回る。
「ただいま、ナナミ」
その街には
海に浮かぶ岩礁が太陽の光とは違う銀色の光を放つという言い伝え。ある人
は神様の威光を受けて光ると言い、また別の人は岩礁の下に大量の金が埋まっていてそれが光るとも言い、それを信じて実際に異国の人が調査をしたこともあるらしい。
その岩礁が光る原因はまだわからないのだけれど、それはいつしか地元の子供たちの間に一つのおまじないのようなものになって伝わる。
『光礁の光を見ることができれば、何でも一つだけ願いが叶う』
僕たちはその二十年前のおまじないを確かめに、夏の風が吹き抜ける細い林道を来た時と同じように一歩一歩下りて行く。
もし、日が沈む頃にその銀色に輝く光を見れたら、こう願おう。
例え貧しい家庭に生まれたとしても、学問を志した誰もが高校や大学に進学できる国であり続けますように。
僕たちが兄や周りの色んな人々の献身的な支援でそうできたように――
「……あ、そうそう。私、一応戸籍上は『ユイ』ってことになってるから。人前で呼ぶとき気をつけてね」
「……何だか面倒だなぁ」
「そういうのは、28まで放っておいた人間のいうことじゃないと思うけど」
「セラ、結構根に持つタイプだったんだね……」
「一生根に持つつもりだから、よろしくね」
「うん……まぁ、はい」
「返事が悪い。やり直し」
「はい、はい」
「あ――思い出した! ナナミっていつもこんな感じだった、もう!」
「ほら、早く行かないと光礁見れないかもよ?」
「わかってるわよ! もう!」
(了)
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