第7話 手紙

「やっぱり、ナナミは絵が上手だね! タクミの絵も好きだけど、セラはナナミの絵の方が好きだよ」


 そういうセラに、「いや、僕の方が上手に描ける」なんていうこともなく、兄はただ「そうだね」と笑っていた。

 物心ついたときには僕の面倒を見ていてくれて、何をするにも助けてくれたあの兄は――あの時、本当はどういう気持ちで僕を見ていたんだろうか?



一、

 僕は横浜に戻っていた。


 まっちゃんが持たせてくれたあの弁当屋の弁当は帰りの機内で食べたので、僕は念願の一つをかなえたことになる。おそらく味は普通の弁当とさほど変わらないのだろうけど、何年もの思い出の分だけ贔屓ひいきが入って、僕が食べた弁当のなかでも上位に位置している。また、来月帰った時にも食べようと思っている。



 相鉄線の最寄り駅を降りて職場に向かう道は、急な勾配の長い坂になっている。昔、職場の敷地のほとんどがゴルフ場だったのもあってこういう土地になっているのだ、と同じ職場の年配の方に聞いたことがある。現代の僕たちにとっては迷惑なだけのその坂を上り、休暇明けの初日は雨で傘を差しながら門をくぐると、自分の席まで工学系の建物のなかをゆっくりと考え事をしながら歩く。


 途中、自動販売機で缶珈琲を買うと、その脇に政権批判の過激なスローガンを書いた立て看板がいくつか並んでいて、いつもの日常の方に戻ってきたんだなと変に納得してしまう。



 自席について、デスクトップパソコンを久しぶりに立ち上げている間に、机の上に溜まっている書類に目を通していく。所属している学部の仕事から先に片付けるつもりで横によけて、薬品の卸会社が置いていった新しい研究用機器や試薬のパンフレットはそのまま丸めてゴミ箱に入れる。

 立ち上がったパソコンでメールをいくつか確認して、旅先で受け取ったアクセプトされた論文の最終版の原稿チェックなど、優先度の高い仕事をこなしてから、さっき買った缶珈琲を開ける。



 ようやく口をつける段になって、僕の部屋の扉が開いて「あ、南別府みなみべっぷ先生。今日からだったんですね」と、教室の秘書さんが入ってきた。

「ええ、お土産はセミナー室のテーブルに置きましたんで、みんなで分けて下さい」

 と言った後で、思い出したように

「そうだ、山口さん。古い読めなくなった手紙を復元してくれるところって……知らないですよね?」

 そう続ける。

 山口さんは「なんですか、それ」と不思議そうな表情を浮かべたあとで、うーんと唸る。山口さんは前の教授がこの教室にいた時からの秘書さんで、色々と職場内に詳しいこともあって、ダメ元で聞いてみたのだった。


「うーん……やっぱりこの大学でそんなことは聞いたことないですね。文化財の復元とかしてる大学で聞いてみたらどうですか?」


 そう答えた後で「で、何なんですか?急に」と尋ねてくるのを、「ちょっと色々とありまして」と誤魔化してパソコンに向き直る。ブラウザを立ち上げ、文化財の復元を研究している大学を検索して、それをブックマークする。



二、

「40歳で開ける予定にしてた方のタイムカプセル、何故かタクミ君のぶんだけが無くなってたらしいのよ」

 お姉さんがそういうと、「無くなったって、タクミさんのだけが?」とまっちゃんが聞く。

「だからそう言ってるじゃん。六年生の時に学級委員長だった大迫おおさこさんが私達が集まる前に開封して、中身を名簿順に並べてくれてたんだけど、タクミ君のだけなかったんだって」

 そういうと、ぐいっと多めにビールをあおる。


「タクミ君、成人式のときはちゃんと取りに来てたし、今回も来ると思ってたんだけどね……だとしたら、何で無くなってたのかしら」


 その後で缶ビールの口の部分をぼんやり眺めながら、「会いたかったんだけどな」と小さくつぶやいてたのを、僕もまっちゃんも確かに聞いていたんだけど、二人ともそれには触れないようにした。



 あとでまっちゃんに聞いた話だけど、お姉さんはこの県では一番大きな地方銀行に勤めていて、この歳になるまでそれなりに縁談もあったらしいんだけど、何故か毎回断っていたらしい。

 それが兄への想いなのかどうかわからないにしても、僕は四年前に兄が亡くなったときにこの街の、特に兄に親しかった人たちには伝えるべきだったなと申し訳なく思っていた。


 (となると、あの古ぼけた封筒と読めない手紙が、兄さんのタイムカプセルの中身か……)


 それと同時に僕は鞄の中にしまってあるあの封筒について考えていた。




三、

 早速というべきか、ブックマークした大学の研究室に送ったメールは昼過ぎには返信が来ていて、内容としては「そのような依頼は受けていない」ということだった。ただそのメールでは、「民間企業でも手紙の復元を行っているところはいくつかあるし、そちらを訪ねてみてはいかがですか」と結ばれていて、僕はそのアドバイスの通りにすることにした。


 僕たちが交わした『光礁ひかるぜ』と呼ばれるあの街にしかない不思議な現象を見に行こうという約束は、確かに僕と兄――そしてセラしか知らない。



 あこう園では学校からの帰り道で寄り道することは禁止されていたし、子供だけで遠くまで行くことも出来なかったので、僕たちはそれを先生たちにも、他の子供たちにも言わずにいた。そして、その三人のなかで生きているのは僕だけ――だとすると、新しい方の便箋にあの文章を書いた人物は、何らかの方法で、この兄のタイムカプセルの手紙を読んで、そこに『光礁ひかるぜ』のことが書いてあったと考えるのが自然だ。



 このまま手紙にあった八月七日を待ってそれを問いただしてもよかったのだけど、僕はもう少し調べてみようという気になっていた。



 その日の夕方に、もう一つ別に連絡していたところからも返信があった。兄が最後に勤めていた会社。僕はその返信メールに丁寧に面会の伺いをお願いして、もう一度返す。



 僕は、まっちゃんに言われた言葉を思い出していた。


 僕が『自分がどうやって生きてきたかを振り返らないといけない』のだとしたら、次は、あの二人ぼっちの家から、セラとあった施設での生活、そして祖母に強引に引き取られて貧しい生活に逆戻りしたときも、僕が本当の母親から引き渡されてから高専に入るまでの長い間、ずっと一緒に居てくれた兄さんのことを振り返らないといけないんだと強く思っていた。




(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る