第12話:【小晴】優しい空に集う

 夏希の夢を聞いた時に、一緒に東京へ行くことを考えた。でも、なにをしに行くのかってなったら、なにも理由がない。

 夏希がやりたいことをやるのに、私は居ても居なくても、全く関係ないんだって気付いた。

 それから、なにを頑張ればいいのか分からなくなった。

 夏希に進路を聞かれて、専門学校に行くと言っていた。それは本当だ。

 困ったら母ちゃんに聞けば楽だと思って、母ちゃんと同じ資格を取れる学校。入試を受けて、ダメならダメでも仕方ないやと思ってた。

 でも受かった。勉強なんて、適当にしかやってこなかったのに。


「夏希。暇んなっだら、いつでも戻ってこ」

「そっただお金、あるわげねえべ。卒業するまでは戻れねえべ」

「そいだら、次は二年後だな」

「んだ」


 小さなころからずっと、夏希と一緒だった。あの日、駅のホームで見送るまで、これからもそうだと疑っていなかった。

 次に会えるのは二年後。

 そう話して。新幹線が行ってしまって。家に帰ってニャインをしても、なかなか既読が付かなくて。

 ようやく話せたのは、夜になってからだった。

 東京までは遠い。

 地図で見たら数センチなのに、とても遠いのだと知った。

 二年は長い。

 新幹線を見送ってから、夜までだって長かったのに。


「母ちゃん、勉強教えで!」

「ど、どしたの。卒業したばっかでしょぉ」


 私は不器用で、お菓子作りは試食専門だった。

 夏希が作って、私が食べる。それを夏希は、仕方ねえなって言いながら喜んでくれる。

 このままじゃ、そんな時間は二度と戻ってこない。そう気付いた。

 だから自分の出来ることを探したけど、なにが出来るのか分からない。なにをやれば、夏希を取り戻せるのか分からない。

 やっぱり私は、頭が悪いんだって思い知った。


「はあ? たった二年て小晴、本気で言っでんの。夏希ちゃんみでに、ずっとやっでたわけでねし」


 どこかで聞いたようなことを、母ちゃんに言われた。私の成績では、卒業してから何回も頑張れば資格が取れる、くらいに考えていたらしい。

 でもやる。やらないと。

 やったところで、どうなるのかは分からない。でもせめて、夏希に負けないくらい頑張ったって思わなきゃ、合わせる顔もない。


「今日も疲れたー」

「今日もアルバイト? おつかれさん」

「実習とアルバイトの毎日だー」

「毎日ニャインしてたら、寝る時間なくなるでしょ」


 夏希はマラソン大会の時だって、疲れたけど楽しいと言っていた。実際に楽しそうだった。

 ニャインでは顔が見えないけど、本当に疲れてるなって分かった。だから無理をしなくていいと言った。


「最近、なにしてんの」

「なんも」

「専門学校に行くって言ってなかった?」

「あれ嘘」

「嘘!?」


 どうしてごまかしたのか、理由を聞かれても分からない。

 あの勉強嫌いの私が、と冗談でも言われるのが嫌だったのか。失敗したら恥ずかしいからか。

 どちらにしても、余計な心配をさせたくないとは思った――はず。

 それから話すのが、まばらになった。

 ほとんど毎日話していたのが、三日に一回になって、一週間に一回もなくなった。

 疲れてるんだから無理するな、と言ったんだから。夏希はそのとおりにしてくれたんだ。

 良かった。私があの子の足を引っ張るわけにはいかない。

 どれくらい経ったころか。話すのは、一ヶ月に一回か二回くらい。

 それも、なにかあったか聞いて、なにもないって答えて、了解というだけになっていた。

 私も勉強することが多すぎて、本に埋もれていた。たぶんこれが終わったら、文字を見るのも嫌になる。


「アルバイト先、変えた」

「やめたの?」

「知り合いがお店やるの」


 知り合い?

 知り合いってなんだ。夏希は知り合いも親戚も、全員が県内に居るはずだ。

 まあ――何ヶ月も行ってるんだから、そんな人の出来ないほうがおかしいけど。

 夏希の近況を聞くのは、久しぶりだった。あの子の中に、私はまだ残っていた。いやそれは当たり前だ。

 イタリアンのお店。そこでデザートの担当者になった。卒業してそのつもりがあれば、ずっと働いてほしいと。

 なんだそれ。もう成功しちゃってるじゃないか。いつだってそうだ。夏希はいい子だから、すぐに認めてもらえるんだ。

 それでいいんだ。頑張れ。


◇◆◇


 春菜さん。狭霧ちゃん。雪絵さん。岡野さん。常連のお客さんたち。

 楽しそうな写真が毎回送られてくる。

 私は毎日暇そうな振りをして、寝すぎて眠いと話を終える。

 こっちから提供するような話題がないのは本当だ。ずっとずっと、勉強ばかりしてるんだから。

 こっちはこんなに苦労してるのに、あっちは楽しそうで。さすがにこの格差は、黒い気持ちになってくる。

 今に見てろ。私も自慢しに行ってやる。


「母ちゃん、これ……」


 駅のホームから、一年と六ヶ月。合否の通知が届いた。試験を受けてから約二ヶ月ほどは、ふわふわ浮いたような気分だった。

 あそこの答えはあれで良かったのか? あの問題は、読み間違えてなかったか?

 大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせていたのが、どんどん重苦しくなっていった。浮いているのに浮いてない。地面のすぐ上で、足がつるつる滑ってる気分だった。

 滑るとか、縁起でもない。


「やっだ、やっだな」

「これ、私だな!? 間違いねな!?」

「あんだだよぉ! あんだ、やっだなあ!」


 届いた通知を、何回見返したことか。高校生だって取れる資格だけど、私にはとても難しかった。


「これで夏希ちゃんとも、胸張っで会えるな!」

「夏希は関係ねえべや」


 すぐにでも会いに行きたかった。

 でも夏希の夏休みはもう終わっていて、また忙しい日々に戻ったみたいだ。

 だから私は、嘘をつき続けた。こうなったら、とことんやってやれだ。


「東京駅広えなぁ……」


 十二月。地元も寒かったけど、東京も寒い。父ちゃんは上着なんかいらないと言ってたけど、全然要るんだが。

 そしていま、私はどこに居るのだか。ぐるぐる見回しても、壁が見えない。

 どっちを向いても人がたくさんで、ずっと向こうに案内図があるように見えるけど辿り着けそうにない。

 乗り換えなきゃいけないはずだけど、どこに行けばいいのやら。どうしてホームの番号ごとに、順に並んでいないんだ。

 方向を見失って、いつの間にか改札に居た。後ろにはたくさんの人が居て、出るしかない。


「大丈夫だ。切符買い直したって、何百円のもんだべ」


 駅員さんに聞こうにも、人の波でなかなか近付けない。やっと行けたと思ったら、もうそこには居ない。

 立ち止まってる人は、必ず誰かと話してる。


「夏希もなんだが言っでだねや……」


 どこをどう歩いたのか、見たことのあるテレビ局のグッズ売り場に着いた。道に迷っていてもそこはそれ、買う物は買う。

 店員さんに聞いたら、とりあえずここは地下だと。私はいつ階段を降りたんだ。

 ――あれ、電話がかかってきた。

 相手は、夏希だ。


「なんした?」

「小晴、いまどごだ?」

「秘密だべ」

「秘密じゃねえべ。東京駅さ居るのは知っでんだがら」

「なしてさ!」

「小晴の母さんがら電話があっだべ」


 おのれ母ちゃん。助かるけど困るじゃないか。まさかなにからなにまで、全部話したとか?


「どうせ迷い子になっでるだら。迎えに来だんだ」

「迷い子になんかなっでねえべや」

「そうけ? そいだらどこさ居だら出でぐる?」

「悪りがっだず。教えでほじいっす」


 グッズ売り場の近くに居ると言ったら、じゃあすぐ先にある階段を、とりあえず上れと言われた。

 ニャイン通話を繋いだままにして、バッグの紐が手に食い込むのは我慢して、言われたとおりにする。


「あ、すんません」


 上っていたら、下りてくる人たちに逆らうみたいになった。階段の上り下りにも、ルールがあるのか。


「小晴!」

「夏希ぃぃ!」


 絶対そんなことするやつ居ない。なんて思ってたのに、抱き着いてしまった。

 これではまるで、会いたくて仕方がなかったみたいだ。


「よーしよし」

「わんこじゃねえべ――ん、この子は?」

「この子が早霧だべ。あたしも東京駅だば自信ねがら、着いできでもらっだ」

「あー、写真と雰囲気違うがら、分がんねがっだ」

「よろしく、小晴さん」


 なんだろう。早霧ちゃんはずっと、クスクス笑ってる。頭に雪でも積もってるか?


「母ちゃん、なんが言っでだが?」

「いんや。迷い子だけは怖いがら、迎えに行っでぐれて」

「なんも予定ながっだのけ?」

「電話もらっだの、一週間前だ」

「お母さん、優しいですね」


 くそう、なんていい母ちゃんなんだ。

 二人とも、今日のためにアルバイトのシフトを調整してくれたらしいし。くそう。


「折角だがら、どごが見てぐが?」

「時間はたっぷしあるがら、急ぐごどはね。んでも最初に見でえどごある」

「どごだ?」

「あんだだづのお店だ」


 空。という意味のシエロ。山小屋みたいな見た目の、素朴な店。

 まん丸で大きな緑色の窓。中は広々と、はしてないけど。たくさんのお客さん。

 コックさんぽい帽子をかぶって、笑っている夏希。同じ服装で優しく見つめる、春菜さん。エプロン姿で慌ただしそうな早霧ちゃん。

 あの空間に、一秒でも早く行きたいと思う。


「春菜さんに、紹介しでほじいべ!」


 もちろん二人が断るわけもなく、すぐに電車に乗って、一路シエロへ。

 駅からバスに乗り換えて、ゆったり空に向かう坂を上る。


「あれがそうだべ」

「ああー、写真とおんなじだべ」

「当たり前だず」


 私たちが話すのを、早霧ちゃんはずっと笑って聞いている。きっとこの子が、夏希を守ってくれたんだ。

 理由もなく、そう思う。


「春菜さん、いいべが?」

「あれ、どうしたの」


 ちょうどお店は、お昼の時間が終わって喫茶だけの時間らしい。と言っても、夜の準備をしないといけないようだけど。

 写真では何度も見た春菜さんは、背が高くてちょっと儚げで、優しさが溢れ出てるって感じの人だ。

 でも実物は全然違って、優しさだけで出来てるだろうって思った。


「あ、あなたが小晴ちゃんね。お話はよく聞いてます。春菜です」

「よよよよ、よろすぐお願いします」

「春菜さん。あたしがお金出すがら、小晴に何が出しでもいいがな」

「もちろんいいよ。でもお金は、私が持つよ」


 おお――こんなやりとりが実在するのか。世界は広い。

 なんてふざけた感想を考えている間に、小さなグラスに入った物を春菜さんは出してくれた。

 なんだろうか。ケーキっぽいけど、ちょっと違うような。赤や黄色で可愛らしい。


「ズッパ・イングレーゼだべ」

「ず、ずぱ――酸っぱい?」

「ズッパ・イングレーゼ。夏希ちゃんが作ったの、食べてみて」


 スプーンを入れると、ふわふわスポンジになにか染み込んでいるらしい。しっとりおいしそうなのを、ひと口。


「ん――んまぁっ!」

「でしょう?」


 自分のことみたいに嬉しそうな春菜さんと、ほうっと胸を撫で下ろす夏希。ニコニコしながら、紅茶を淹れてくれたのは早霧ちゃん。


「あのな」

「ん、なんした?」


 他意がなかったと言えば、嘘になるかもしれない。でもそれは、そうなったらいいのになという願望みたいなものだ。

 みんなキラキラしているのに、私だけがなにも持っていないのがつらかった。


「私、本当は専門学校に行っでるんだ」

「え。そうなんが? なして嘘だば言っだ?」

「そいだば――あえだべ。その、驚ぐがなて」


 そこを言われるのは当たり前なのに、想定してなかった。なんとかごまかして、こちらの言いたいことを言わなくては。


「そえはいいんだべ! そっただごどより、こえさ見るべ!」

「ん?」


 カバンの中に大切に入れておいたそれを、ごそごそ取り出した。さっと素早く出来ればいいけど、現実にはそうもいかない。

 折ったりしないように気を付けて、心の中でジャーンと効果音を付けた。


「わっ、すごい。一級だ」

「簿記、検定?」


 春菜さんは、どういうものだか分かってくれたらしい。私が勉強していたのは、母ちゃんがやっている経理関係だ。

 夏希は、すごいのは知ってるけどよく分からないという感じか。


「こえだけじゃねえべ」

「えっ。簿記一級て、こえだげでもたまげだべ」

「来年は、税理士試験も受けるべ!」

「税理士? そんなとこまで行くの? すごいねえ!」


 また春菜さんは褒めてくれる。まだ受かったわけじゃなくて、受けると言っただけなんだけど。

 今度は夏希も早霧ちゃんも、なんだそれという風な顔。国家資格が要るとか、知らないみたい。

 ふふん、私はそればかり勉強してきたのだ。


「はあぁ。難しいんだべ? 頑張ったねや」

「母ちゃんに教えでもらっだ」


 春菜さんが説明してくれて、どういうものだか二人も分かってくれた。

 私も遊んでたわけじゃない。夏希が頑張ってる間、邪魔をしないように、同じくらい頑張ってたって伝わっただろうか。


「ねえ、小晴ちゃん」

「はい?」

「もし、良かったらだけど。うちのお店の会計業務、やってみる?」

「い、いいんが!?」


 誰か担当の人が居るのかとか、そういうことは知らなかった。

 だからちょっとだけ、シエロではどうしてるんですかみたいなことを聞いて、ダメそうなら諦めるつもりだった。


「私がやってるんだけど、どうしても後まわしになっちゃって。困ってたの」

「え、春菜さん。美雨さんだばいいんだが?」


 美雨さん? やっぱり誰か、担当者が居るのか。それなら押し退けてまでは。

 いや、どうにかやりたい。いやでもやっぱり――。


「美雨はね、田舎に帰るんだって。でもこのお店には、たまに来てくれるって」

「そいは残念だず。先月やっと、初めで来でくらさったのに」

「しょうがないよ。だからね、小晴ちゃん。実務経験、要るでしょ。アルバイトで良かったら、やってくれないかな」

「やるっす! やらせでほじいっす!」


 クリスマスには、まだ二日早いのに。私はとても大きなプレゼントをもらった。

 学校を卒業して、春になったら。私は東京へやってくる。腐れ縁の夏希と、一緒に居られる場所へ。


◇後日談◇


「え、春菜さん。この荷物、なんだが?」

「ごめんね、小晴ちゃん。会計書類、溜め込んじゃって」

「これ、一年分だが――?」

「助かります!」


 春にはもう少しかかる地元の家に、宅配が届いた。それを見計らったようにかかってきた電話は、そこで切れる。

 どうやら、あわてんぼうのサンタクロースは、早めに来たくせに渡し忘れがあったらしい。

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