第11話:【春菜】気まぐれなお店

 十月の最初の日曜日。オープンの日を今日にしたのは、改装工事が終わって、荷物が入ってと計算していくと、そうなったから。

 なりゆきまかせだ。


「ほらオーナーシェフ。なにかひと言」

「えっ、私ですか。ここは岡野さんが」

「なんで俺だよ。俺は完全に部外者だろ」


 地図を入れたチラシを配り直して、当面のスタッフさんもアルバイトで雇った。

 前の仕事を辞めて、半年以上。ゆっくりぼちぼちやれるななんて思っていたら、あっという間だった。

 それはきっと、楽しかったから。

 仕事をするのに楽しいなんて、いつ以来だか分からない。もしかしたら、初めてなのかもしれない。

 そう思える理由の一つは、アルバイトの女の子たち。


「夏希ちゃん、ドルチェは任せるからね。あ、でも重く感じないで。自由にやってねってこと」

「あ、ああ、ああああ、あたしでいいのがな!?」


 甘味をやってくれる経験者を募集したのだけど、長くても一年くらいしか続けられない、という人ばかりだった。

 それでは、この店の味というのが形になってきたころに、やめることになる。

 だからいっそ、近くにある製菓学校の学生さん。しかも準備を手伝ってくれた、夏希ちゃんに頼んだ。

 夜なら毎日でも来れると言ってくれたし、お昼は夜に準備しておいたのを出せばいい。私だって、ドルチェが出来ないわけじゃない。


「なに言ってんの。すんごい喜んでたくせに」

「早霧ちゃんも、引き受けてくれて助かるよ」

「ういっす!」


 ホールスタッフには早霧ちゃん。やはり夜なら毎日、と言ってくれたけど。この子は高校生。それほど無理はさせられない。

 でもこの二人の出会いと、それからのことを聞いた。そうしたら、どうしてもこの二人に来てほしくなった。


「あと三分だよ」

「えっ、もうですか」

「早くしないと、ぐだぐだなスタートになるぞ」

「えっ、ええと」


 岡野さんも今日はエプロンを着けてくれて、お手伝い。とても可愛い。

 彼は数字に強いので、私がやる会計管理を手伝ってもらう。平たく言うと、間違い探し。


「集まってくれたみんなは、このお店が引き寄せてくれたんだと思うの。だからみんな、ここに居るのが楽しいって思えることが目標」


 古い街の隣に、新しい街が。そこに小さな子も入れば、おじいちゃんおばあちゃんたちも居る。

 そんな街が、そこにあるお店が、大好きになれる予感がしていた。もうそれは、八割がたそうなってもいる。

 みんながそれと同じに、というのは無理だ。それぞれ感じかたが違うし、楽しいこともそもそも違う。

 でもそれでいい。一人ずつが違った楽しさを見つけられれば、それでこのお店の意味はある。

 きっとその楽しさは、自分がここに居る理由ってことだから。


「みんなが楽しい気持ちを、お客さまにも分けてあげてね。それがこのお店の、一番のお勧め」

「はいっ!」

「分がっだべ!」

「リストランテ、シエロ。開店します!」


 大きなまん丸の窓の向こうに、もう数人のお客さまが見えていた。チラシを持って、外に置いたお勧めのボードを見てくれている。

 雰囲気のある、片開きの扉。岡野さんが開けてくれて、執事みたいにおじぎをした。

 そうだ、接客の基本を決めていなかった。

 でも早霧ちゃんも岡野さんに倣って、トレーを抱えて頭を下げる。

 遅れた夏希ちゃんは、白い帽子が落ちないように両手で押さえながら。ピンで止めているから、そうそう落ちないはずだけど。

 ああ、なんて可愛いんだろう。皮肉みたいになってしまうけど、美雨の気持ちも分かる気がする。


「本日のパスタ、四人前でーす」

「はーい」


 四人前、か。ラーメン屋さんみたいかもしれない。変えなくちゃ。


「春菜さん。お祝いの花、ちょっと動かしていいですか。倒しそう」

「あっ、ごめんね。いいようにして」


 お花もだけど、物の配置が良くないかもしれない。やっぱり実際に人が動き始めると、勝手が違う。

 バラをメインにした、黄色とオレンジのお花。いちばん大きなのを贈ってくれたのは、美雨。

 その横に置いた日本酒は、長井くん。二人もいつか、来てくれるといいな。

 なんて思っていたら、コソコソ入ってきたのは、その長井くんだ。すぐに早霧ちゃんに見つかって、やいやいと言い合っている。


「ありがとうございましたぁ!」


 ランチタイムが終わるまで、お客さまは二十一人。飲み物だけという方もいらっしゃったけど、最初としてはかなりいいように思う。

 きっとこれは、雪絵さんのおかげだ。

 平日の昼間とか、人数が足らないところのスタッフさんも、結局あの人の紹介で来てもらった。

 職場でも配送先でも、必ず仲のいい人が居るんだと、雪絵さんの才能というか人柄だ。


「お世話になっておりまぁす。陣中見舞いでーす」


 さっそく、その人がやって来た。どうやら飲み物を買ってきてくれたらしい。

 ああ、そういえば調理に夢中でなにも飲んでいなかった。体調に良くないし、味覚も狂うし、気を付けないと。


「夏希ちゃん、雪絵さんになにか出してあげて。みんなも食べてね、私の奢り」

「分がっだっす!」

「えぇ? いいのかな、悪いなあ」


 そんなことを言いながら、早霧ちゃんが椅子を引くと、さっと座った。

 うんうん、この乗りの良さも大切よね。


「あ……」

「ど、どうだが?」

「これ、夏希ちゃんが作ったの?」


 真剣な表情の雪絵さんに、唾を飲み込んで頷く夏希ちゃん。


「これはね――すごいおいしい!」

「よ、良がっだずー」


 来てくれたお客さまも、みんなおいしいと言ってくれたのだけど、やはり帰り際にひと言だけでは不安だったみたいだ。

 雪絵さんだけでなく、岡野さんや早霧ちゃんがひと口食べる度に、夏希ちゃんは評価を欲しがった。

 気持ちは分かる。私だって、数日後に「シエロの料理はまずい」なんて噂になっていたらどうしようと怖れている。


「料理が四つと、デザートが三つだけ?」

「そうなんです。あまりたくさん用意しても、どれがどれやらってなりそうなので」

「そうね。ファミレスとかでしか食べたことないと、そうなるね」


 雪絵さんの話しかたは、大分砕けてきた。

 岡野さんはなんと話したものか困っているようだけど、雪絵さんは知らんぷりだ。


「いやでも、本当にこれおいしいよ。たくさん練習したの?」

「そ、そうなんだず。最初はその三つだげで、一つずつ自信がついだのから出すごどになっだっす」

「いいと思うよー。うまっ」


 ティラミスと、パンナコッタと、ズコット。まずは有名なところを揃えて、増やしていく作戦。

 いま雪絵さんが食べているのは、ズコット。サービスのつもりか、やたらたくさん出しているけど、食べきれるのかが心配だ。


「基本は、イタリアンとドルチェなんですけど、お客さまの舌に合わせて、違った物も少しは出してみようかなって」

「お寿司も?」

「あはは、そこまでになると冒険ですね。でも、お客さま次第です」


 先行きには、定番メニューというのも出来るかもしれない。でもなりゆきに任せようと思う。

 無計画ということじゃなく、常連になってくれる人の好み。ふらっと立ち寄ってくれる人に、一度で楽しんでもらえる趣向。

 そういうものを探すことに注力したい。

 それは、デザイン画を描いていたことに通じる。どんなサインが欲しいのか、どんな内装にしたいのか、漠然としたイメージさえもない人から言葉を引き出すこと。

 それを見た人が「そうそう、こういう感じ!」と、あやふやながらに褒めてくれることの気持ちよさ。


「なるほどねー。見えてない絵を描き出す、か。すごいことだよ、それ」

「あっ、いえいえ。そう出来たら最高っていうだけで、なかなか現実には――」

「私はいいと思います。日替わりと、シェフのお勧めしかメニューのないお店。なんていうか、自信あるんだろうなーって」


 雪絵さんの言葉に、早霧ちゃんまで乗っかった。なんだかそれでは、私がとんでもない自信家みたいだ。


「そんなに言われると、ちょっぴりあった自信までなくなりそう――」

「ああっ、すみません!」


 卑屈さを装って、口撃をやませた。すみませんと言いながら、早霧ちゃんはイヒヒと笑う。


「……でも、そういう意味じゃねえだが?」

「そういう意味って?」

「シエロって名前。毎日、同じじゃねえよって。気まぐれに変わっでいぐってごどだど思っでだっす」


 cielo。イタリア語で、空。

 説明をしたことはなかったけど、夏希ちゃんの言った通りのことを、私も考えた。

 そうだよと肯定すると、その目は北のほうの空を眺めて細まった。


「空にはね、太陽も雲も、星も、月もあるでしょ。どれも季節で全然違うし、綺麗だなっていう時も、厳しいなって時もある。それをみんなで乗り越えたいの」


 店主として、言うまいと思っていたほうの理由を言ってしまった。

 これは私が願えばいいことで、この子たちに背負わせることではないから。


「いいね」

「いいっすな」

「いいわね」

「いいですね!」


 みんな、笑って頷いた。これでいいのだと、認めてもらえた気がした。

 ずっと曇天の続いていた私の胸に、これから先は、きっと晴れ晴れとした気候が続く。

 そんな気がした。

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