第11話 (……うん。今日も素敵)
よく見える眼は、一番の自慢。だけど、鋭いのはそれだけじゃない。
スクーデリア三姉妹の三女、ナーファル・スクーデリアの耳は、遠くで鳴る音もはっきり感じ取る。
射貫くべきときに射貫くべき場所を、わずかの狂いもなく把握するには、視覚だけでは不十分なのだ。弓使いは、耳も肌も鼻も特級品でなくてはならない。
(……うん。今日も素敵)
敏感に、濃密に音を拾ってくれる自分の耳を、この街に来てからというもの、ナーファルはとても気に入っていた。
「“――、――――、――”」
街の隅、小高い丘の上。
小柄な身体の男の子が、楽器を抱えて小さな声で歌っている。歌詞のついてないそのハミングは、聴いたことのないメロディライン。
きっと新しい曲だ。今まさに作っている最中なのだろう。
(綺麗なメロディ……。……でも……それだけじゃない。張り詰めてる……みたいな)
彼がこれまで歌ってきたどの曲とも、毛色が違う気がした。
ナーファルが腰を下ろしているのは、レンがいる場所とは少し離れた位置に立つ、背の高い木の上だ。
もともとは、三姉妹の定位置である街の南端に作られた見張り台の上にいたのだが、遠目にレンの姿を見つけてここまでやってきたのだ。
視界に入らないよう、音も立てないように注意しながら。
ナーファルのいる木は、レンの後ろ側にある。だから、今も彼には気づかれていない。
「“――――、――――……、――、――――”」
今日のレンの歌声には、いつもの伸びやかな力強さはない。
この世界へと迷ったようにこぼれ出て、戸惑った顔で少しだけさまよい、確かな形を作れないままやがては融けて消えていく……そんな、脆くて儚い幻みたいなハミング。
人の弱さがむきだしになったようなそれは、美しかった。
(神様は……なんの文句があるんだろう……)
ナーファルには、わからない。
どうしてレン・レヴェントンが、≪うたうたい≫でないのかわからない。
彼の歌声は、世界で一番素敵なのに。
そのようなことを考えながらしばらく聴き入っていると、メロディが止まりがちになってきた。時折、首をひねって頭を掻くレン。
どうやら、行き詰まっているらしい。
ため息が聞こえた。成長途中の小さな背中が、さらに縮こまったようにすら見える。
(ん~……じゃあ)
ナーファルは迷わず、木から飛び降りた。柔らかく着地し、彼のもとへ歩く。
行き詰まっているのなら、きっと刺激が必要だ。誰かとしゃべることがそれになるのなら、今は自分が行くべきだ。
なんとなく、そう思う。だからそうする。ナーファルは感覚派である。
ちなみに姉のベルは、素早い頭の回転を利用して論理的な判断を下すタイプなので、ナーファルとはよく意見が衝突したりする。
「レーンくん……」
草むらの上に座り込んでいるレンの背中に忍び寄り、後ろからしなだれかかってみる。
「っわ! ……えっ、あ、ナーファルさんっ!?」
レンは狙い通り、驚いた声をあげてくれた。
かわいい。
「曲作り……だよね……? おつかれさまー……」
「は、はい……」
「……んー……お~」
「ナ、ナーファルさん?」
骨格の広さ、筋肉の硬さ、肌の質感。
かわいいなんて思ったものの、腕の中に感じる男の子の身体は、自分たち女とは違う。
今はまだ小柄なレンも、いずれはきっともっと男性らしい姿になるんだろうなと想像できた。かわいいなんて言っていられるのも、今のうちだろうか。
「あ、あの、ナーファルさん……その」
「ごめんごめん……ついつい」
こちらに抱かれたままのレンが、その顔を赤くしはじめたので、ナーファルは彼から身体を離した。困らせるつもりはないのだ。
「えっと、ナーファルさん、どうしてこちらへ? ここ、特になにもないですけど……」
「あるよ……。レンくんがいるじゃない……」
「え、僕ですか?」
「うん……」
改めて彼の横に腰を下ろしながら、ナーファルは頷いた。
「見張り台から見えたの……レンくんがここにいるの。だから遊びにきた……」
「それは、光栄ですというか……。でも、見張りのお仕事は大丈夫なんですか?」
「今日の当番はベル姉……。私はとなりで暇してただけ……」
ちなみにオルカは、今日も見張り台の根元あたりで剣を振っていた。
元から強いのに、鍛錬も怠らない。ストイックな姉なのだ。……ことがレンに絡まなければ、だが。
「さっきの曲……素敵だったね……。あ……ごめんね……勝手に聴いちゃってた」
「いえいえ、それはお耳汚しを。未完成のもので……」
目を伏せて、彼は静かに続ける。
「ちょっと、詰まってもいて。……あんなんじゃ、だめなんです」
「……っ」
レンのその言葉は、こちらの背筋が思わずゾッと寒くなるほど、どこか異様に深い音色をしていた。
「もっと、もっと違った、あんなんじゃない、あの曲があの曲であることを示すような、そんな音の連なりが絶対あるはずなのに……歌い方だって、ああいうんじゃなくて……わかってる、わかってるんです、あれじゃ違うって」
底の見えない、狂気にも似た歌への執念が、彼の声音からは滲んでいる。
「わかっているのに、正しい姿を掴めていないんです、僕は……。見えているのに、あるはずなのに、それがわかっているのに……僕は……」
(レンくん……)
彼はきっと、歌を生み出す時、自分の中のとても深いところまで潜っているのだろう。
そうやって、現れるべき、表されるべき本当の音を探すのだ。
(私には……馴染みのない世界だけど……)
とても過酷な作業であることくらいは、想像できる。
だって、でなければ。
「なにかが、……この曲を作り上げるのに必要ななにかが、今の僕には具わっていないんです……」
こんな風に、痛々しく声と指先を震わせることはないだろう。
「新しい場所に踏み込まなきゃって、殻を破らなきゃって、そう思ってこの曲を作り始めて……だけどやっぱり、なにかが足りなくて。それを見つけないままで、身につけないままで、今の僕のままで無理に作ったって…………いや、でも」
そう考えるのも、逃げなのかな。だから見つけられないのか。
彼は小さくそう言った。震える声に、強い憤りが見える。自分自身への憤りが。
「…………ナーファルさん?」
感覚で下された自分の判断にしたがって、ナーファルはレンの手をとった。こわばって震えたそれは、驚くほど冷たくて。
熱が伝わればいいと思った。
小さな身体で懸命に戦う、気高いこの子に。
「絶対見つけられるよ……レン君なら……。その曲のために……レン君が殻を破るために……必要なもの……。だからゆっくりで……きっと大丈夫……」
「……ありがとうございます。…………でも、その」
「……ちょっと焦っちゃってる?」
眼を伏せながら、レンは頷いた。
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