やがてうたわれる運命の、ぼくと殲姫の叛逆譚【カルテット】
藍月要/ファミ通文庫
プロローグ
プロローグ
この世界では、踏み潰す側と這いつくばる側が決まっている。だから、これは戦いとすら呼べない蹂躙劇。
自分が負けることなど、否、わずかの傷を負うことさえもありえない。万にひとつも、そんなことは絶対にありえない、
「……ッ!?」
はずだった。
(………………な? な、にが……?)
腹部へ突き刺さった衝撃に吹き飛ばされ、無様に地面を転がって、男は頭の中で困惑の声をあげた。
なにが、起こった?
顔を上げれば、視線の先には女の姿がある。今、自分がとどめを刺そうとした相手だ。
オルカ・スクーデリアという名のその女は、夜の森の中、金色の髪を星明かりにきらめかせながら、あちこちに血の滲んだ傷だらけの身体で立っている。
見れば、握る自らの大剣から右手だけを離し、その拳を振り抜いた姿勢だ。
(…………まさか)
自分は、殴り飛ばされたのだろうか。
余裕綽々で痛めつけていたはずの相手に。
(馬鹿な…………ぐッ!?)
男は立ち上がろうとして、腹部の痛みに思わず顔を伏せ、地面へ膝を突いた。
ありえない、ありえない。
自分には《うたうたい》の絶大なる加護がついている。つまり、無敵の存在なのだ。こんなこと、本来、あるはずがない。
自分を落ち着けるため、男は深く息を吐いた。
(…………どうせ、そうだ、どうせ死に損ないの、渾身の悪あがきだろう)
自分を吹き飛ばしたらしい相手のことを、改めて考える。
(……まぐれで一矢報いてきたとはいえ、結局は女だ。女の魔物狩りだ。男の魔物狩りである俺と違い、ヤツらは《うたうたい》の加護を得られない――所詮は、穢れたまがい物だ)
そんなヤツに、自分が負けるはずはない。
思いながら、男は顔を上げ……。
「…………は?」
あまりに信じがたいものを、眼に映すこととなった。
それは金髪の女、オルカ・スクーデリアの向こうにいた。彼女が後ろにかばい、必死で守っていたひとりの人物である。
十代の半ばにいくかいかないかの、非力な細身の少年だ。
「な…………」
男にとっては、取るに足らない存在だった。殺すことに決めてはいるが、そこに感慨などない。顔も名前も覚えていなかった。
だが、今、その姿が強烈に目に刺さる。あるはずのないものが、あってはいけないものが、少年の身体から顕現していたからだ。
叫ばずには、いられなかった。
「……な、な、……なんだと!? なぜ、ど、どういうことだ!」
声に浮かんだ狼狽を、取り繕う余裕さえない。
「答えろ! ガキ! 貴様、その、その…………――その背中の翼はッ、なんだッ!!」
少年の背に、いつの間にか揺れていたもの。
それは、どの生き物のものとも違う、どこか無機質で非現実的な、しかし圧倒的に荘厳で神秘的な、美しい六翼。
「……なに、って」
オルカ・スクーデリアが、少年の代わりに、こちらを睨みつけながら声を返してくる。
その瞳は、今、真っ赤に輝いていた。男の記憶が正しければ、もとは金眼だったはずなのに。
彼女の変化はそれだけではない。
全身に刻んでやったはずの傷が、すべて綺麗に消えている。
なにより、身体から発する魄気が、先ほどまでとは段違いに強い。比べるのも馬鹿らしいくらいに。
「答えは、ひとつしかないでしょう」
やめろ、言うな。思っても、口にできなかった。
「あの翼がなんなのか……あの翼を持つ者がなんなのか、それを、お前たちはよく知っているはず」
「ぐ、ぐ……」
男も、頭の論理的な部分ではわかってしまっている。状況ははっきりしているのだ。
なぜなら、少年は、ただ突っ立って背中の翼を揺らしているわけではない。
(耳、障りな……!)
歌っているのだ。
そして自らの歌声を、背中の翼をはためかせて増幅し、強く大きく響かせている。
それにより、魔物狩りの瞳の色を変え、傷を癒やし、爆発的な力を与える……そういった存在を、自分たちはよく知っていた。
(馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿なッ!! そんな、そんなことは……!)
今日何度目になるだろう、『ありえない』という思いが頭の中でぐるぐると回る。
なにがもっともおかしいかと言えば、性別だ。
歌を歌い、加護を授けることができるのは、今まで女性だけだった。
歌の加護を受け、絶対的な強者となれる人間は、今まで男性だけだった。
それがこの世界の常識で、今まで決して崩れることのなかった大前提のはずなのだ。
なのに、なのに。
オルカ・スクーデリアは、すうっと息を吸う。
殲姫と呼ばれ、多くの功績を積みながらも、加護を得られない女であるがゆえにまがい物とされてきた彼女は、言った。
たとえどれだけ歌を愛していても、男であるがゆえに、やはりまがい物とされてきたその少年について、はっきりと。
「そこにいる、その子は――」
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