1章 失礼、手が滑りました
第1話 今日も、精いっぱい歌おう。
「おおーい! こっちにも肉と酒追加だ! 同じヤツな!」
「は~い! ありがとうございます!」
常連の男性客に笑顔で答え、すばやく調理場へ。
腕に乗せていた空の皿を流しに置きながら、店のマスターに告げる。
「マスター、アスブクラ兎のソテーと麦酒を四つお願いしますっ」
「ん。レン、そろそろ皿も洗え、たまっている」
「はい!」
ここは、街で唯一の酒場だ。働き盛りの人々が、男女問わずにやってくる。
すっかり日の沈んだ時分、一日の仕事を終えたお客で店内はいっぱいである。
(よし、さっさと洗って、そしたらまたお皿下げて、注文とって……)
レン・レヴェントン、十四歳。まだまだ少年と言われる年頃だが、この酒場で店員をしている。
生きていくため、それから、夢のため。
流し場にセットされた水魔石から水を出し、皿を洗っていく。
魔石は水だけでなく、熱や火、音に光、物体を動かす力や風、その他にも様々なものを生み出してくれる。
この世界の文明は、魔石を中心に回っていると言っていい。魔石文明だ。
活気に満ちた酒場の中、食器を洗い、空き皿を下げ、注文を取り、レンは必死に仕事をこなす。
「ええと、……ご注文のある方はいらっしゃいますか~?」
店内を見渡しながら、声を張って自分から聞いてみる。注文の波が途切れたのだ。
すると、近くに座っていた男性が言った。
「いやあレン君、しばらくは注文するヤツいないと思うよ」
「え?」
「だって、そろそろだろう? ……ほら」
彼が悪戯に笑った直後、店の大きな置き時計からゴオンゴオンと重い音が響いた。
これは、この店では、とある時間が来たことの合図である。
「う、うわ、いつの間にそんなに経って……! 気付きませんでした……!」
レンの言葉に、男性は「はっはっは! あんなに忙しくしてちゃわかんないか!」と大きな声で笑い、ぐいっと酒を呷った。
「……ふん、あれの時間か。レン」
マスターが料理をしたまま、いつも通りの渋い声でそれだけ言う。
つまり、始める許可が出た。
「はい!」
返事をして、レンは部屋の隅へ向かう。
そこに置かれているのは、大きな鍵盤楽器。
黒く艶めいた筐体の中にはたくさんの音魔石が並べられており、叩く鍵ごとに様々な高さの音が出る。
弾きこなすのは難しいが、レンはもう長い付き合いだ。
「みなさま、本日もご来店ありがとうございます」
鍵盤楽器の前に立ち、お客の方を向いて一礼。
「今夜もどうか、楽しんでいただけると嬉しいです」
店員であるレンが、鍵盤楽器を弾きながら歌う。この酒場で三日に一度開かれている余興だ。
「いよおおし待ってたぞ~!」「これが楽しみで通ってんだよ俺は! ……あ~いやいやマスターの料理も最高よ!?」「レーン! 私の好きな曲頼むよ!」
歓声が、店のあちこちから上がった。
いつも、それがありがたくて、誇らしくて。
レンは、歌うことを愛している。歌を聴いてもらうことも、嬉しくてしかたがない。
歌は、自分の人生のすべてだと思っている――だけど。
「ありがとうございます! 声鳴らし、レン・レヴェントン、今夜も全力を尽くします!」
レンは、間違っても歌手や歌い手、ましてや≪うたうたい≫とは、絶対に呼ばれない。
呼ばれてはいけない。
(……真に歌が歌える者、≪うたうたい≫を名乗っていいのは、ごくごく一握りの、その歌声に特別な力が宿った人たちだけ)
そうでない人間がどれだけ上手く、どれだけ熱心に歌っても、それは声を鳴らしているだけに過ぎない。真に歌を歌っているというわけではない……そう言われている。
これはこの世界の常識であり、自分はその特別な能力を持つ人間ではない。
あくまで、レン・レヴェントンは声鳴らしなのだ。
(そもそも、僕は男だし)
特殊な力を持つ者である≪うたうたい≫として目覚めた人間は、今まで確認された限り女性しかいない。
だから、女性の声鳴らしであれば、いずれもしかしたら≪うたうたい≫になれるかもという希望を持つことはできる。
だが、男性の声鳴らしは違う。一生、そのまま生きていくしかない。
時に口さがない人たちから、所詮は≪うたうたい≫のまがい物と蔑まれるまま、生きていかなければならない。
(……集中しろ)
鍵盤楽器の前、椅子に座ったレンはひとつ、頭を振った。
(大切なのは、呼ばれ方でも能力でもないはずだ。大切なのは……)
どれだけ、歌を人の心に届ける事ができるか。
どれだけ、歌を世界に響かせる事ができるか。
結局、それだけのはずだ。口に出せば不敬と罰せられる考えだが、そう信じている。
「では、一曲目を」
言って、姿勢を正し、呼吸を整えた。
さあ、ステージが始まる。
(歌おう、せいいっぱい。僕の歌を)
≪うたうたい≫とは呼ばれないし、いつかそうなれるかもしれない女性でもない。
だけど、命は懸けている。
レン・レヴェントンは、一夜一夜、一曲一曲、一音一音、死ぬ気で歌い、そのためだけに生きているのだ。
もちろん、今日もそう。
鋭く息を吸い込んで……、
「おっしゃああああああ間に合ったああああああ! ………………か?」
「どう……だろ……? ……ギリギリ?」
「いえ、もしかして、始まるところを邪魔しちゃったんじゃ……」
初めの一音を歌い出す寸前だった。店の扉が勢いよく開き、三つの人影が飛び込むようにして入ってきた。
揃って綺麗な金髪。纏う雰囲気こそ三者三様だが、その顔立ちは似通っている。
「おーい遅いぞ三姉妹!」「お仕事お疲れさん!」「いつもの席空いてるわよ!」
酒場の皆は、そんな声をかける。
周りに礼を言いながら、三人はそろって唯一空いていたテーブルに着いた。
せっかく来てくれたお客さんへなにも出さずに、まさか演奏なんて始められない。レンは楽器前の椅子からすばやく立ち上がり、彼女たちのもとへ向かった。
「オルカさん、ベルさん、ナーファルさん、ご来店ありがとうございます」
「いよ~、レン。悪いな、ギリギリに来ちまって」
そう言って人好きのする笑顔を咲かせるのは、ベル・スクーデリア。
ショートボブを活発に揺らす、小柄な女性である。パッチリとした目鼻だちが、明るい性格によく似合う。
「ごめんねレン君……。ベル姉が時間を間違えてて……」
「間違えたのはお前だろがナーファルてめえおらァ」
「ふふ……それはレン君が……どっちを信じるか……、だね……!」
独特のテンポを持った口調でベルにそう返すのは、ナーファル・スクーデリア。
すらりとした長身と、腰まで伸びた綺麗な髪が印象的。不思議な雰囲気を持つ、美しい人だ。
そして。
「ベル、ナーファル、喧嘩しないの」
温かくも、どこか凜とした声。ベルとナーファルの二人を窘めるのは、編んだ髪を艶やかなフルアップにまとめた美女。
「ごめんなさい、レン君。うるさくしてしまって」
気品と貫禄。
柔らかく笑う姿には、そんな二つの言葉がよく似合う。瞳の傍の泣き黒子は、そこに色香まで足している。
彼女は、オルカ・スクーデリア。スクーデリア三姉妹、その長女。
三女がナーファル、次女がベル、長女がオルカである。
彼女たちスクーデリア三姉妹は全員、魔物狩りと呼ばれる特別な人間である。人類の脅威である魔物と戦う、一般人とは次元の違う強さを持った人々だ。
≪うたうたい≫ほど希少ではないが、レンのような一般人と比べるとごく少数。
「いえ、うるさいだなんてそんな」
「そうだそうだ! いいだろうが酒場なんてどうせ元からうっせーとこなんだからよ~、なあレン!」
ベルが笑顔で言いながら、こちらの肩をバンバンと叩く。ナーファルも「そうそう……」と頷いている。
ベルとナーファル、この二人とレンは、わりと気軽に話す仲である。
こうして酒場に来てもらうとき以外でも、街で顔を合わせればいろいろと喋るし、食事を一緒にする事もよくある。
「はあ、あのね。……いえ、こんなことをしていたら、ますますレン君が歌うのを遅らせちゃうわね」
だが、オルカだけは違う。
「さっさと注文してしまいましょう。レン君、いつものをもらえる?」
「はいっ」
彼女を前にすると、レンは毎度、すこし緊張してしまう。
三姉妹は全員、とても素敵で綺麗な女性だ。
だが、中でもオルカはあまりにも、纏う雰囲気の凜とした、かっこいい大人のお姉さんだった。明らかに、自分とは住む世界が違う気がする。
「時間がかかってしまうようなら、飲み物だけでも大丈夫だから」
「いえ、お気になさらず……っ」
自分なんかが話をしていいのだろうか、そんな風にすら思ってしまう。
嫌いなわけではもちろんないし、苦手というのも違う。あえて言うなら、畏れ多いが一番近い。
レンにとって、オルカ・スクーデリアはとにかく、気軽には話せない、遠い人だった。
「すぐにご用意できると思います。……ええっと」
調理場のマスターをちらりと見れば、彼は小さく頷き、要点だけを短く言った。
「来ると思っていた、もうできている。レン、持っていけ」
「はい!」
やっぱり、さすがだ。思いながらレンは彼のもとへ行き、三人前の料理を受け取った。
柔らかく煮込んだ兎の肉と、彩り鮮やかな野菜のサラダ。それから、パリパリした食感の焼きパンと甘酸っぱい果実酒。
酒場でも人気のセットで、三姉妹がいつも頼むメニューだ。
「お待たせしました、どうぞ」
「おお~、美味そう美味そう!」「お腹……ペコペコ……」
テーブルへ届けると、ベルとナーファルの二人は勢いよく料理をやっつけにかかる。
「……うん、美味しい」
オルカは一旦、果実酒で口を湿した。そんなところも大人っぽいように感じてしまうのは、自分が子どもだからだろうか。
「やっぱり、ここのお酒と料理は素敵ね。おかげで毎日つい来ちゃうわ」
美しい顔に似合いの、澄んだ声でそう言うオルカ。
(……僕の歌が楽しみで、とは言ってもらえないか)
もっと頑張らなきゃな。内心、レンは気合いを入れ直す。
自分の歌を、オルカにとっての『この店に通う楽しみ』に数えてもらう。
それは実は、三姉妹がこの店にやってくるようになってからこっち、ずっとレンが取り組んでいる目標だった。
三人に頭を下げてから、鍵盤楽器の方へと歩いて行く。
今日も、精いっぱい歌おう。
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