第4話 私、今どんな顔してる……?

「あ~あ~クッソ、なんなんだアイツら! ほんっと腐ってやがる!」


「私が……フォーク……投げてやりたかった……。オルカ姉の方が……ちょっと早かった……悔しい……」


「アタシは皿を投げようかと思ったんだが出遅れたぜ! ちっくしょ、次はぶん投げてやる。姉貴は一回休みだぞ! ……って聞いてんのか? ん、おーい、姉貴?」


「オルカ姉……? どうしたの……?」


 店を出て、数歩行った先。

 足を止めたオルカに、妹二人が寄ってくる。


「姉貴~、おい、お~い? なんだよ、さっきのクソどもにムカついてんのか? わかるわかる、でも今はとりあえず魔物のとこ行こうぜ。いや、ほんと魔物より先にあいつらヤっちまいてえとこだけどよ」


 ベルがこちらの目の前で手を振りながらそんな風に言うが、オルカの頭には現在、さっきの男たちがどうのなどという些末なことを考える余裕はない。


「姉貴? どーしたんだよ?」


「絶対引かれた……」


「は?」


「絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた絶対引かれた……」


「うるせえななんだよ怖えな!!」


 バッと身体をこちらから離すベル。可愛い妹にも引かれてしまった。


「オルカ姉……引かれたって……レン君に……?」

「そう……。だって、フォーク投げて壁に刺して男脅して去ってった女よ、私……」


 レンとの間に空けてしまっている距離を埋めるため、取っつきやすい親しみを見せていかなければならないというのに、どうしてこうなったのか。


「あー……オルカ姉……さっきなんかトんでたもんね……うん……怖かった」


「怖かったよね!? で、でも理性は一応あったの! でなきゃフォーク当ててた!」


「むーん……それはたしかに……」


 納得したようにナーファルは唸った。


「ビビらせたのはあくまでさっきのヒゲ野郎だろ? 別にレンは引いてねえよ」


「……そ、そうかしら」


「や、わかんねえけど。わりと適当に言ってる」


「゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ…………」


「すげえ声だなまた……どっから出してんだそれ」


 オルカが両手で顔を覆った、その時だ。


「っオルカさん! ベルさん! ナーファルさん!」

「……!?」


 背後に突然、ドアの開く音と少年の声が響く。驚きにオルカの身体は固まった。


「あん? お~、レン」

「レン君……? どうしたの……?」


 ベルとナーファルは振り返り、なぜか店から出てきたらしいレンに声を返している。 だが、オルカにはその勇気はなかった。


(絶対引かれてる絶対引かれてる絶対引かれてる……絶対……絶対……)


 もし振り返ったなら、きっと彼には怯えた目で見られるだろう。そんな痛みに耐えられるわけがない。


 レンはとても優しい子だし、気を遣う性格だから、きっと露骨にならないよう必死に隠してくれるだろうけれど、それでもだ。


 それぐらいの姿を、自分はさっき見せてしまった――。


「あ、あの! 僕、僕、……明日も! お待ちしています!」


「……え?」


 飛んできたあまりに意外な言葉に、決して振り返るものかと決めていたオルカは、馬鹿みたいにあっさり禁を破ってしまった。


(……レ、レン君)


 果たして、振り返ったオルカの視界の中にいたのは、怯えているわけでも、怖がっているわけでもなく……、


「僕は、なんの力にも、なれないですけど! オルカさんたちは、お疲れなのに、魔物と戦いに行ってくれて……! なのに僕なんて、なんにもできないですけど!」


 ただただ、悔しそうな顔をした男の子だった。

 きっと、戦えない自分自身に腹を立てている、男の子だ。


「でも! 明日も! お待ちしてます! 明後日も! その次も! そうしたら、精いっぱい、歌います! 僕の全部で歌います! だから、だから、……どうか、お気をつけて! どうか、ご無事で!」


 ああ、そうか。

 彼は、とにかくそれを言いにきてくれたのだ。気をつけて、無事で、それだけを。


「……はっ、なんつ~顔してんだよ」


 言いながら、レンに歩み寄ったベルが、彼の髪をくしゃくしゃとかき回す。


「あのなあ、これでもアタシら三姉妹、結構名前通ってんだぜ。ちっとくらい予定にない仕事入れられたってなんでもねえよ」


 いつの間にかベルと同じようにレンのそばへと寄っていたナーファルが、彼の手をきゅっと握る。


「そうそう……そんなに……心配しなくても……大丈夫」


「それにアタシらにゃ無敵の姉貴が付いてんだ。な~そうだろ姉貴」

 ベルがそうこちらに話を振ってくれた。レンの視線がオルカに向けられる。


「オルカさん、あの……」


「心配してくれてありがとう。油断をするつもりはないけれど、今は特別警戒しなきゃいけない魔物はこの辺りにはいないわ」


 ペラペラと、オルカの口はよく回る。もちろんこれは、『きちんとした大人の女』の仮面を被っているからだ。


(あ~……なんでこう……)


 自分も、ベルやナーファルみたいにもっと親密な感じで話をしたい。思う心とは裏腹に、オルカの口からはいつものように、澄ました声ばかりが出ていく。


「疲労も大したことないし、だから、特に危険はないわね」


「そ、そうなんですかっ、よかった……」


 レンは安心したように息を吐く。


「あ、そうだ……! あの、オルカさん、さっきは本当に、ありがとうございました!」


 それから、オルカの大好きな、あのふにゃりとした笑顔を浮かべてそう言った。

 怖くなかった? 引いたりしなかった?


 そんな事を聞く気なんて起きないくらい、穏やかに。


「ベルさんとナーファルさんからお聞きしてもいたんですけど、オルカさんってとってもお強いんですね! すっごくかっこ良かったです!」


「っ………………あ、れは手が滑っただけ。さあ、ベル、ナーファル、行くわよ」


 レンに背を向け、言うが早いかオルカはちゃっちゃと歩き出す。


「おい姉貴、ったく! ……じゃあなレン、仕事終わったらあったかくして寝ろよ!」


「レン君……またね……」


「あ、はい! あの、でも、本当に、お気をつけて!」


 彼の声に、振り向かず足も止めずに手を上げるだけがオルカの精いっぱいだった。

 ほどなくして、ベルとナーファルがこちらに追いついてくる。


「……おい姉貴、あのなあ、だからそういうとこが…………おおおなんだその顔」


「ベル、私、今どんな顔してる……?」


「だらしねえ浮かれポンチ」


「だよね……」


 レンには絶対に見せられない顔である。だが、そうなるのも仕方ないのだ。


「かっこ良かったって、私、かっこ良かったって……!」


「オルカ姉……わかりやす……」


「わかりやすくったっていいわ! レン君がかっこ良かったって言ってくれたからもうなんでもいいわ! ぃよし! 気合い入れて仕事するわよ!」


 今なら、どんな高ランクの魔物でも簡単に屠れる気がする。

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