第3話 ……なにもできなかった

「いやあ~レン君! 僕は思うんだけどね! レン君が女の子だったら絶対に≪うたうたい≫様になってるよ~! 間違いない!」


「いえ、そんな……!」


「なああんで男の子かな~! せっかくそんなに歌がうまいのに~! 女の子みたいな顔もしてるのに~!」


「あ、あはは……」


(そう、かな……? ううん……)


 女の子に見えるというのは、たまにこうして言われることだった。自分ではよくわからなくて、レンはすこしだけ首を傾げる。


 常連客の一人である中年男性は、強めの酒を一気に呷ってなおも続ける。

「ほんとにさー! なああんで男の子かなああ! もったいない、もったいない……! もったいない! ていうか、なんで≪うたうたい≫様って女性だけかなああ!?」


「ええっと……どうしてなんでしょうね?」


 色々な説が言われているらしいが、決定的なものはなかったはずである。


 とにかく、≪うたうたい≫と呼ばれる特別な力を持つ者が現れ始めてから二百年余りが経つが、今のところそのすべてが女性……そんな事実があるだけだ。


≪うたうたい≫になれる条件すらもわかっていない。共通しているのは女性であること、そして非常に高い歌唱力を持つことくらいらしい。


「ほんとにさああ…………ほんとにいいいい……」

「あ~あ~呑み過ぎよ。その辺にしときなさい、はい没収」


 テーブルに突っ伏す男性。隣に座る女性が、彼の手からグラスをむしり取った。


「レン、ごめんね、酔っ払いが絡んじゃって。そろそろお暇するわ」

「いいえそんな! またのお越しをお待ちしています!」


 レンがそう言って頭を下げると、女性は男性を立たせつつ「もちろんまた来るわ」と気っぷ良く笑う。テーブルに勘定を置き、彼女は男性と一緒に店を出て行った。


 ステージが終わり、そろそろ店じまいが近い時間帯だ。


 他のお客も、ちらほらと帰り始めている。今日の仕事も終わりが近い。

 レンは自分の足を少しだけ揉み込む。


(ひえ~パンパンだ~。筋肉が足りないんだな……)


 未だ成長期の身体は、まだまだ出来上がっていない。それがもどかしかった。

 早く大人になりたい。一人前になって、やりたいことがあるのだ。


(そのためには、身体をもっと鍛えなきゃ!)


 ちらりと厨房の方に目を向ければ、マスターの動きに鈍りは見えなかった。自分なんかよりよほどハードに働き続けているというのに、さすがだ。


 この酒場にはレンしか店員はおらず、店主であるマスターと二人で店を回している。

 店の規模やお客の数を考えればそれは絶対に無理なはずなのだが、マスターの手際や体力が超人的なので、なんとかなってしまっていた。


(……うーん、やっぱりすごい。マスターって何者なんだろう)


 幼い頃に拾われて以来、レンは彼に育てられてきたようなものだが、その素性はほとんど知らない。


 歳だってわからない。四十から四十の半ばくらいだろうとは思うが。

 レンにできるのは、彼の足を引っ張らないよう、せめて自分の仕事を精いっぱいやることだけだ。


「おお~いレーン! 追加注文いいか~!」

「っはーい! ただいま!」


 明るい声を響かせたのは、三姉妹の次女・ベルだ。レンは三人のテーブルへ向かう。


「レン君……そろそろ店じまい……じゃない? 注文……大丈夫なの……?」

「大丈夫です! ご遠慮なくどうぞ!」


 独特のテンポで喋る三女・ナーファルが心配してくれるが、レンは笑顔で首を横に振る。お客の要望にはできる限り応えるというのが、この店のスタンスだ。


「んじゃ~、悪いが遠慮なく。柔らかい肉と硬い肉と肉汁たっぷりな肉がそれぞれたらふく食いてえ。姉貴とナーファルは?」

「私はお酒のおかわりが欲しいわ」

「チーズ……チーズが食べたい……あとサラダ……」


 レンは腰に差しておいた注文票を手にとり、三姉妹のオーダーを書き記す。


「はい、少々お待ち下さい!」


 他のお客だってもちろんだが、特にこの三人にはのびのび好きなように食べてほしい。


 だって毎日、彼女たちは街を守るために危険な魔物と戦ってくれているのだから。こういった休息の時間くらい、思うままに過ごしてほしい。

 頭を下げてから、オーダーを伝えるためレンは調理場へと向かう、


「よお、やってるよなあ! とにかく酒だ! 酒もってこい!」

「あとは適当に食いもんな! 俺様たちの口に合うような上等のやつだぞお!」


 途中だった。乱暴に開かれたドアの音に思わず反応、足を止める。

 店に入ってきたのは、大柄な男二人組。片方はひげ面、もう片方は禿頭が特徴的だ。

 ドタンバタンと開け閉めされたドアの悲鳴が、レンの耳の奥に刺さる。


「どうしたおいボウズ! てめえ聞いてんのか!?」

「あ、は、はい! 少々お待ち下さい!」


 ひげ面の男がレンへ声を投げてくる。

 この二人の注文は、いつもこんな感じだ。まだ残っていた周りのお客は顔をしかめ、その多くが呆れたように首を振って席を立つ。


 彼らはレンに「また来るよ」と言って店を去って行った。


「しっかしここは退屈な街だなほんとよお!」

「しゃーねえだろうクソ辺鄙なとこにあんだから! だっはっはっは!」


 周囲の露骨な様子にも二人はお構いなしだ。気づいてすらいないのかもしれない。

 特権階級のふるまいである。


 コンコン、と小さく硬い音。見れば、ベルがこちらを向いて口だけ動かしている。はっきりとしたそれは、しっかり読み取れた――アタシらのは後でいい、だ。


(……ごめんなさい)


 本当に申し訳ない。その気遣いに、レンは頭を下げて甘えることしかできなかった。


 マスターの方へ行くと、彼にも男二人の声は聞こえていたらしい。手際よく、もう料理を用意し始めていた。


「レン、三姉妹の注文は? そっちの方が先のはずだな?」

「注文票はこちらです。ただ……あの人たちの後でいいって言って下さって」


 三姉妹の注文票をマスターの前へ置きながら伝えると、彼は「……一品追加しておく」とだけ静かに言った。


 男たちへ酒と料理を持っていくと、ひったくるようにトレーから酒を取られた。


「おっせえ! 俺様たちが飲みにきてやってんだぞ? わぁってんのか?」

「魔物狩りだぞ? なあ、そこらの一般人どもじゃねえんだぞ? もしものときに誰がてめえらを守ってやると思ってんだ!」


「すみません」


 心を無にして頭だけ下げると、とりあえず舌打ちが返ってきた。


「田舎街はこれだから嫌になるぜ。……ああ、そういやあボウズ、お前、声鳴らしだったな?」


「はい」


「はあああ……、わかってねえなあオイ! なあ!」


 酒をぐいっと飲み、グラスをテーブルに叩き付け、ひげ面の男は言う。


「歌っつうのはな! 女が歌うもんだろうよ! 男の歌なんてなんにもなんねえんだ! んなもんいらねえだろ! な~んでわかんねえかな! 常識よ常識!」


「つうか魔物狩りがこうして来てやってるんだから、せめて女の声鳴らしの一人も用意しておくとかあよお、するだろ、普通よお、それが気遣いっつうもんだろ」


 ひげ面の男に禿頭の男もそう続いて、大きなため息を吐いた。


「ん、おい女、てめえなに睨んでやがる……ああ、んだよ、お前らか。いたのか三姉妹」


 ひげ面の男が、視線をオルカたち三人へ向ける。


「あまり……騒がないで……。お酒……まずくなる」


 男たちを横目で睨んでいたのはナーファルだ。その隣、ベルは眉間に皺を寄せたまま目をつむっており、いかにも我慢をしている様子。


 オルカだけは涼やかな表情を揺らさず、グラスを口元で傾けている。

 彼女たちに、今度は禿頭の男が酔いの回った口調で絡み始める。


「あ? 誰に向かってクチきいてんだてめえ……つうかよお、あのなあ、普通よお、するだろお、挨拶とかさあ。同じ魔物狩りとしてよお、挨拶くらいなあ」


「いやいや、同じじゃねえよ! 同じじゃねえさ! だっはっはっはっは!」


 割り込んだひげ面の男は大声で続ける。


「俺たちは男の魔物狩り! こいつらは女の魔物狩り! 天と地ほどの差があるだろう! いざって時につっかえねえかんな~、女の魔物狩りなんつうのは!」


 そんなこと、ない。声をあげそうになり、歯を食いしばってレンはこらえる。

 しかし、投げつけられた言葉を否定せず黙ったままの三姉妹へ、男はなおも続ける。


「いいか! 俺たち男の魔物狩りはな――≪うたうたい≫様の歌を聴けば! 力は湧き立ち身体は速く! 勘は冴え渡り守りは堅く! 技は閃き心は熱く! そうすりゃあもう、そこにいるのは一騎当千の強者よ! 魔物どもなんざ屁でもねえ!」


 だがお前らはどうだ!? 男は自らの膝をパアンと叩いて言う。


「なっさけねえよなあ! お前ら女の魔物狩りは、≪うたうたい≫様の歌を聴いても、な~んも変わんねえんだもんな! あの凄まじい加護を、ほんのわずかも得られねえときた! なんだそりゃ!? 出来損ないだな! だっはっはっは!」


「ひゃっひゃっひゃっひゃ! おいおい言ってやるなよおそんなさあ! しゃあねえだろお! ≪うたうたい≫様には女しかなれねえんだからよお、そしたらその歌で強くなんのは男に決まってらあなあ! どっちかが女ならどっちかは男、支え合うもんだ!」


 彼らの言っていることは、現状、正しいとされている。

 魔物狩りは、その身に宿した戦うための能力で、魔物を討つ人間。

 そして≪うたうたい≫は、その歌声を魔物狩りに聴かせることで、彼らの力を爆発的に強化できる、特別な女性たちだ。


≪うたうたい≫の歌の持つ影響力は凄まじい。魔物狩りと一般人の間には比べるのも馬鹿らしいくらい圧倒的な戦力差があるが、≪うたうたい≫の歌による加護を得た魔物狩りと得ていない魔物狩りの間にも、それと同じくらいの力の差ができてしまう。


(……なんで、なんで女性の魔物狩りに、≪うたうたい≫様は力をくださらないんだ)


 男たちふたりが言うとおり、女性の魔物狩りは≪うたうたい≫の歌から加護を得ることができない。すくなくとも、今までそういった記録はないらしい。


 それは、やはり男たち二人が言うように、≪うたうたい≫には女性しかいないからだと言われている。


 役目の片方が女なら、もう片方は男。この世は男女でバランスが取れている、なんて論理だ。


「「「…………」」」


 押し黙る三姉妹が今まさに目の前でされているように、女性の魔物狩りは男性の魔物狩りから馬鹿にされ続けてきた。


 出来損ない、まがい物、所詮はモドキ……そんな風に。

 露骨な身分差・役割差だって存在する。


 男性の魔物狩りはいざという時の戦力として大切に温存される傾向にあるため、普段、街の人々を守るために魔物と戦うのは、もっぱら女性の魔物狩りの仕事なのだ。


「感謝しろよ~! 俺たち男の魔物狩りがいるおかげで、お前らは雑魚の魔物だけ狩って暮らせてんだからよ! だーはっはっはっは!」


 ひげ面の男は、大声で笑って大得意。


 たしかに、今まで国難レベルの大きな脅威……極めて強力な魔物が出現したとき、力になったのは男性の魔物狩りたちらしい。


 彼らは≪うたうたい≫の歌の加護を授かり、獅子奮迅の働きを見せたという。


(だからって、なんでオルカさんたちがこんなに馬鹿にされなきゃいけないんだ……)


 生活を守ってくれているのは、女性の魔物狩りだ。

 うろつく魔物たちが街に入らないよう毎日毎日戦ってくれているのは、この街の人々が感謝しているのは、オルカたちスクーデリア三姉妹だ。


「おおそうだ! さっき街の外に魔物らしきもんを見たんだった。お前ら、今から行って狩ってこい。それくらいできんだろ、女の魔物狩りでもよ」


「っ待ってください!」


 我慢が、できなくて。

 思わず声をあげてしまい、自分はやっぱり子どもなんだと思った。


「オルカさんたちは一日、お仕事をされていてお疲れなんです。だから」

「ああ? ……おいボウズ、そりゃ、俺たちは仕事してねえとでも言いたいのか?」


 こちらの言葉を遮って自分から言うくらいには、自覚があるのだろう。

 街の人間はみんな知っているが、このふたりと今ここにいない隊長格の男、合わせて三人の魔物狩りは、見張り台の上で日がな一日酒を飲んではダラダラしているだけだ。


 それでも街から金はせびるのだから、良いご身分である。


「なあ、おい、ッチ」


 ひげ面の男は舌打ちひとつ、苛立たしげに顔を歪めて立ち上がった。レンと三姉妹を交互に睨む。


「男の声鳴らしと女の魔物狩り、出来損ないのまがい物同士でつるみやがって。……とりあえず、テメエにゃ躾が必要だな」


 男の身体は、レンと比べて大きく分厚い。彼が魔物狩りでなく一般人だったとしても、レンなど一方的にやられておしまいだろう。


 だが、謝らないし、許しも請わない。殴られる程度の覚悟はできている。意地を通すのは子供の権利だ、その後に痛い目を見ることまで含めて。


 男がその太い腕を振りかぶり、レンは上着の裾をぎゅうっと握りながら、まっすぐそれを見続ける。怖がって目をつむってなんてやるものか――。


「っ!?」

「え……」


 男は息を呑み、レンの口からは驚きの声が漏れていた。


(……今、なにか)


 視界を横切ったような。自分と男の間を、銀色に光るものが、超高速で。

 図らずも、男と揃って視線を横にずらせば……。


 壁にフォークが突き刺さっていた。


「失礼、手が滑りました」


 美しく凜とした声が、平然とした響きで鳴り渡る。

 言葉と同時、立ち上がったその人は、声に似合いの美女だった。


「育ちがよくないもので、申し訳ありません。お怪我は?」


 言葉こそ丁寧だが、彼女、オルカ・スクーデリアの声はひどく冷えている。


「な、な…………」


「ああ、男性の魔物狩りですものね、こんなもので怪我などまさか、するはずがありませんよね。失礼」


「お、おま、………………ま、まあ、……そう、だな」


 なにかきっと文句を言いかけたのだろう男は、しかし、言葉を飲み込んだようだった。代わりに、オルカから目を逸らしながら曖昧に頷くのみだ。

 気持ちはわかる。それはそうだ。


(うわあ……うわあ…………す、すごい……)


 強者の風格、そう言えばいいだろうか。

 オルカが全身から発するそれは、凄まじい圧力でこの場を制していた。


 それでも、もし≪うたうたい≫の歌があれば、このひげ面の男の方がオルカより強いのだろう。


 だが、今ここに≪うたうたい≫はいないし、≪うたうたい≫の歌はない。


「……ぅ、く」


 オルカの圧に晒され、男の顔には脂汗が浮いている。


(オルカさんって……聞いた通り、本当にめちゃくちゃ強いんだ……)


 いつか、ベルとナーファルが教えてくれたことだ。


 オルカがもし≪うたうたい≫の歌の加護を授かれる男性として生まれていたのなら、今頃は≪うたうたい≫の専属護衛に――すなわち、この国で最も強い魔物狩りの一人になっていたはず。


 そう誰しもに言われるほど、オルカは超が付く実力者らしい。


 敵である魔物を殲滅するその圧倒的な戦姿と、高貴ささえ感じさせる美貌から、付いた二つ名は、殲姫。


「一つ、お聞きしたいことが」


「な、なんだ」


 髪と同じ、金色の瞳が男を射貫いている。ひどく鋭利に輝くそれを、レンは綺麗だと思った。


「見かけた魔物というのは、どの辺りに?」


「ほ、北東の方角だ」


「そうですか、わかりました」


 オルカは腰に巻いた革製のバッグから勘定を取り出し、テーブルに置いた。


「レン君、ごちそうさま。……ベル、ナーファル、行きましょう」


「へいへ~い」


「わかった……」


 妹二人を連れ、店の出口へ歩いて行くオルカ。


「……ああ、そうそう」


 彼女はその途中で足を止め、振り返って男へ言う。


「魔物狩りの力は、魔物を屠るためのもの。まさか誇り高き男性の魔物狩りが、魔物でなくか弱き民草に手をあげるだなんてこと、もちろんありえませんよね? これまでも、……これからも」


「……ま、まあ、そう、だな」


「安心しました」


 そう言いながら、相変わらず彼女の瞳は斬りつけるような鋭さだ。ひげ面の男も、椅子に座ったままの禿頭の男も、バツが悪そうな顔で改めて頷くのみ。


「レン君、注文は取り消しておいて。ごめんなさい。壁とフォークもあとで弁償します」


「いえ、そんな!」


 レンの言葉の続きを待たずに、オルカは店を出て行ってしまった。

 ベルとナーファルも彼女に続き、扉の閉まる音だけが残された。


「……けっ! 調子に乗りやがって! ≪祝福持ち≫の隊長がいりゃああんな女……!」


「ま、まあまあ、いいだろう。結局なんだかんだ言っても俺らに言われた通り、お仕事行ってくれたんだしよ」

「そ、そうだな、それもそうか! だっはっはっは!」


 男ふたりが勝手な会話をしているが、レンの意識はそんなものにピントを合わせない。


(……なにもできなかった)


 細く頼りない未成熟な身体。理路整然と反論できる頭もなくて、できたのは感情だけの噛みつきひとつ。


 どうして、こんなに無力なんだろう。

 ドアを呆然と眺めながらすこしばかり立ち尽くして。


「……っ」


 それでも、レンは前へと踏み出した。

 無力なただの子供だけれど、せめて自分にやれることだけは、すべてやりたくて。


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