第9話 「今日で一番馬鹿なこと言ってるからな、それ」
「だったらレン、ついでにって言っちゃあ悪いが、鍛錬終わりに歌を聴かせてくれよ」
「え?」
「アタシらからしちゃ、自分の鍛錬にもなってお前の歌も聴けるっつーならお得だぜ。ほら、今日なんて姉貴が剣をいいタイミングでひっ捕まえた功績もいれてさ、一曲聴きて~な。姉貴はどうだ?」
「ええ、それは素敵ね」
オルカの返事は言葉だけ見れば素直なのだが、いかんせん声音がそっけなさ過ぎる。
ほんのわずかでもいいから、あの木の陰から覗き見ながら不気味に呟いていたときの熱を見せればいいのに。
「っもちろん! 僕の歌でいいなら!」
とはいえ、ぱぁっとレンの顔は明るくなった。あまりに強いその輝きに、ベルは苦笑する。微笑ましくて、なんだかいいなと思ってしまう。
「あの、じゃあ、早速! 歌っていいですか!」
ベルとオルカが頷けば、レンはいそいそと剣を鞘にしまって木へ立てかけに行った。
「よっ、と」
ベルはオルカと二人、草むらに座り込む。やがてレンが戻って来て、こちらへ向かってぺこりと一礼。
「それでは、歌わせていただきます!」
パチパチとベルたちは拍手で歓迎。
すうっとレンは息を吸い込み、一拍置いて。
「“前が見えない恐ろしさ わかってはいるつもりでも”」
その歌声を森へ響かせ始め。
「“ただ暗闇を突っ切っていく わずかな灯もない場所を”」
すぐに、ベルは己の大きな過ちを悟った。
「“それしか知らない愚かさが 唯一持ってる僕の武器”」
(…………あ、駄目なのか)
だけど、知らなかったのだ。だから、仕方ないとしてほしい。
「“まぶしさに慣れてしまったら 次の暗闇は走れない”」
レン・レヴェントンの歌。
それを、息づかいさえはっきり聞こえるような、こんな至近距離で受けてはいけないなんて、知らなかった。
「“わかってる”」
(……~~~~っ!)
鳥肌がおさまらない。身体の内側を上へ持っていかれるような感覚は、高いところから飛び降りる感じと少し似ている。
「“ここにすべてがあったって”」
酒場で聴く時……つまり、間にそれなりの距離と人を挟んで聴く時とは、迫力が違う。
喰らう衝撃の格が違う。
「“止まる理由にできなくて”」
こんなに近く、しかも、観客は自分と姉の二人しかいない。
レンの歌はまっすぐ、ダイレクトに、絶え間なく自分たちへ着弾し続ける。
「“剥がれて離れるそのときに さよならひとつじゃ足りないんだ”」
(……お、あ…………あ)
白状すれば、誇張でなくベルは今、意識を保つのに凄まじい努力をしなければならなかった。
確認しなくても絶対の確信があるが、姉も同じような状態だろう。
気を抜けば、持って行かれてしまう。
「“僕はなにかを差し出すだろう”」
あまりに強い、この歌声に。
一曲が終わるまでは、ひどく短いようにも、馬鹿みたいに長いようにも感じられた。
とにかく最高で、だからこそ大変だった。
「――……っ、ありがとうございました!」
歌い終わり、レンは微笑んでそう挨拶した。
そこにいるのはもう、先ほどベルを圧倒し続けた超常的な存在ではなく、ふにゃりと笑うひとりの少年。
「……あの、オルカさん? ベルさん?」
「っ、あ、ああ。おう、や、その、なんつうか、あ~、……駄目だ、うまく言えねえ」
いい歌だった、なんて一言に収まるものでなかったことはたしかだ。
「だ、……駄目、でした?」
「そうじゃない、んなわけあるか。とにかくだ、……お前はなんか、すごいヤツだよ」
「……?」
レンは小首を傾げている。
この少年は自分の歌声について、正しい理解ができているのだろうか。
「ところであの、もしよろしければもう一曲とか……」
(それは死ぬ)
ベルの正直な意見は、さすがに口にできない。
しかし、歌わせるわけにはいかない。どうするか迷っていると、
「いえ」
口を開いたのはオルカだった。
(あ、馬鹿姉まさか……)
オルカはきっと、さっきの歌で喰らった衝撃や引き出された興奮を全力で押し殺して、なんとか普通の声を出そうとしたのだろう。
「一曲で十分よ、もういいわ」
それが勢い余って、彼女の声は逆に硬ささえ感じるほどの、ひどく冷たい音色になってしまっていた。
「…………そ、…………そうですか」
レンは、はっきりと悲しげな顔をした。見ているこちらが斬り付けられたような気持ちになる表情。
この礼儀正しく気遣いな少年が、感情を隠せないほど、オルカの返答はショックだったのだ。
うつむいたレンに、オルカは慌ててなにかを言おうとして口を開け閉めしている。だが、上手い言葉が出てこないようだった。
「いやいや、お前の歌はさ、そう安売りするもんじゃねえってことだよ」
そんな風に言ってみるベルだが、少々無理があることはわかっていた。
レンは微笑んでくれたが、どこか痛々しい。フォローは失敗だ。
「えとっ、じゃあ、今日は、もう帰りますね!」
無理に明るい声を出して、レンは木に立てかけておいた剣を取りに行った。
その間にチラリとベルがオルカの顔を窺えば、真っ青だった。
(あー……。………………とりあえず、レンと姉貴が酒場以外でも定期的に話せる機会ができたっつーことだけは、よかったはずだ)
一面から見れば事態は最悪かもしれないが、なんとかポジティブに捉えていきたい。
「オルカさんとベルさんは、森を巡回されるんですよね?」
剣を手に戻ってきたレンが問うてくる。そういえば、そんな嘘を吐いたのだった。
「おう、そうそう。これからもちょっと回ってくるつもりだ」
姉の状態も状態だし、今日のところはこう言って、レンとは別れた方がいいだろう。
(……ん? つうか……なんだ、なんか……)
「じゃあ、僕はこれで、」
「レン、待て」
去ろうとするレンを、気がつけば制止していた。無意識に近い行動だ。これでは、ブツブツ呟いていた姉に文句が言えた筋合いではない。
「はい、なんですか?」
こちらに問い返すレンは、両手で抱くようにして剣を抱えている。
(……ああ、そうか)
ようやく、ベルは自分が彼を呼び止めた理由がわかった。
すぐさま行動を起こす。レンと距離を詰め、
「……え? あの、ベルさん……?」
ベルは彼から剣を取り上げた。
「お前がこれを振っていいのは、アタシらと一緒にいる時だけだ。疑うわけじゃないが、だから一応これはアタシらが預かっておく」
「あ、なるほど……!」
「アタシらがいない時は今まで通り木刀振ってるか、腕立てとかで身体作りしてろ。それはそれで必要だ。いいな?」
「わかりました!」
レンはまっすぐな声を返してくれて、だからベルはすこし後ろめたかった。
本当は、違うのだ。
(悪いな。……おかしいって、勝手に思っただけだ)
強烈な違和感、嫌悪感。それはあるいは、忌避感と言い換えたっていいほどの。
レンが、剣を持っている。先ほど自分の心を揺らしに揺らした彼が、歌というものの本質を突き詰めた結果のような歌声を響かせていた彼が、剣を持っている。
なにより、あんなに幸せそうに、楽しそうに歌っていた彼が、剣なんて、持っている。
(合わねえよ、ちぐはぐだ)
似合わない、ふさわしくない。
(お前は、そうじゃない)
そうであって、ほしくない。剣なんて握るのは、自分のような人間でいいのだ。
……なんて、案外この少年に入れ込んでしまっているのかもしれない。もちろん、恋だとか愛だとかではないだろうけど。
思って、ベルはつい苦笑した。
「ベルさん?」
「いや、なんでもない。そんじゃあな。気をつけて帰れよ」
「はい!」
それから改めてレンはオルカとベルに礼を言って、街の方へと去って行った。
オルカとベルの間にはしばらく沈黙が続き、破ったのはオルカの方だった。
「最悪」
「……姉貴」
「最悪ね、私。…………あんなに、あんなに、レン君を傷つけた」
こぼすように言ったオルカは、震えながら唇を噛んで、自分の顔を両手で覆った。
「馬鹿じゃないの、本当に、なんで……なんで私、あんな……。勝手すぎる……。馬鹿で、勝手で、それで……レン君を、傷つけた。なんにも、悪くない、レン君を……!」
血を吐くような怒りの籠もった声だった。自分自身への怒りだ。
「傷つけた、傷つけた、傷つけた……! あんなに、素敵に、歌ってくれたのに……! あんなに、素敵に、笑ってくれたのに……! あんなに、あんなに……っ、なのに私はっ、……私は…………なんて、ことを……」
こぼれていく言葉の中に、見つからないものがある。
それは、『嫌われた』だ。
(……姉貴らしいっちゃ、らしいな)
この姉はたしかに馬鹿で勝手かもしれないが、こんな時、『好きな相手に嫌われた』と気を揉むのではなく、『好きな相手を傷つけた』と気に病む人間なのだ。
それが、ベルの姉なのだ。
「ま、これから挽回しようぜ。アタシも付き合うからさ」
「……ごめん、ごめんね、ベル。こんなお姉ちゃんで……ごめんなさい……」
「あのなあ」
どこか熱量があぶなくて、すごく生き方は不器用で。
「今日で一番馬鹿なこと言ってるからな、それ」
それでもオルカは、この姉は、ベルの誇りなのだ。
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