第10話 もっといい歌を歌えばいいだけだ。

「はあ……」


 吐いたため息は、これで今日いくつ目のものだろう。

 店の床を箒で掃きながら、レンは自己嫌悪に顔をしかめた。


『一曲で十分よ、もういいわ』


 昨日の、オルカの言葉が頭の中で蘇る。その硬質な声音も併せて、だ。

 彼女が悪いわけでは、もちろんない。悪いのは、あんな反応をさせてしまう歌しか歌えなかった自分だ。


「で、こっちが鶏肉で、こっちが兎肉ね。数と質、確認してちょうだい」

「…………ん、数は問題ない。質は、少し落ちたな」


 店の奥にあるテーブルでは、マスターが肉屋の女将さんを相手に仕入れを行っている。

 時刻は、昼を過ぎてからだいぶ経つ。店は準備中にしてあり、お客は入れていない。


「何年か前からだけど、特に最近、この辺りじゃ魔物の動きが活発だからねー……。どうしても輸送に護衛の数を増やさなきゃならなくて、値段が上がりがちなのよ」

「俺の出した金額では、もうこの質のものが限界か」

「そういうこと。……マスターのこのお店は街の名物だし、私もなるたけなんとかしたいんだけど……ごめんね」

「いや、いい。事情が事情だ、しかたない。……たしかに、魔物は多くなったな」


 マスターの言葉通り、近頃、魔物の出現頻度はどんどん増している気がする。

 現に、以前からこの街を護ってくれていたベテランの魔物狩り女性は、厳しくなる魔物との戦いで疲弊を余儀なくされ、一年ほど前、ついに大きく負傷。


 幸い、一命はとりとめてくれたが、もう満足に戦うことはできなくなってしまった。

 掛け値なしに、あのとき、街は存続の危機に立たされた。


 男性の魔物狩りたちはいたが、彼らはまったく当てにはならない。『男性の魔物狩りは、いざとなったら街を捨てて逃げてしまう』……なんて噂が、たびたび耳に入ってくるくらいだ。

 広がった絶望的な雰囲気を、レンは忘れることができない。


(協会に連絡をしたって、代わりの魔物狩りが見つかるかどうかは運次第だし……)


 女性の魔物狩りは、基本的に、協会という組織に登録を行う。そうすることで仕事の斡旋を受けたり、魔石を安定した値で換金できたりする。


 ただし、協会はあくまで互助会的な組織だ。命令系統があるわけではない。


 協会に魔物狩りの派遣を依頼しても、実際に誰かが来てくれるかどうかは保証がない。


(……だから)


 そう、だから。

 この街はひどく、運が良かった。奇蹟のようなものと言ってもいい。


「魔物はねえ、多くなったよお、ほんとに……。昔はこんなんじゃなかったんだけどねえ……。オルカちゃんたちが来てくれなきゃ、この街はどうなってたか」

「……そうだな」

 

 スクーデリア三姉妹。この国では知らない者などいない、凄腕の魔物狩り。

 まさか、彼女たちが来てくれるだなんて。

 今、この街の住民が安心して暮らせているのは、三姉妹のおかげだ。


「いつまでいてくれるのかねえ。ひとつの街にはあんまり長居はしないって話だけど」

「どうだろうな、できるだけ長いことを祈るが」

「ほんとに……希望を言えばずっといてほしいね」

 

 肉屋の女将さんの口調は、それが叶わぬ願いとわかった上での、すこしトーンの低いものだった。


(……そうだよな。オルカさんたちは、いつかここを出てっちゃうんだ)


 いろいろな街を転々としているらしく、今まで、ひとつの街には長くいても一年くらいだったらしい。


 この街に彼女たちがやってきて、もう一年は過ぎている。つまり、いつ新たな街へ旅立ってもおかしくない。

 この街に居着いてくれる他の女性の魔物狩りが見つかるまでどうか……なんて願うのは、あまりにも厚かましいだろう。そんなもの、何年かかるかわからないのだから。


「……はあ」


 掃除を続けながら、レンの口からまたため息が漏れる。


(街として困るっていうのももちろんだけど……さみしいな)


 せっかく知り合えた人たちだ。お別れが、単純に悲しい。

 それこそオルカには、彼女が満足してくれるような歌をまだ歌えていない。

 街を護ってくれていることへの感謝を伝えたいのに、自分にできるはずの一番の方法が、うまくいっていない。


 情けなくて悔しくて、昨日の彼女の言葉と声音もまた脳裏に蘇って、もう一度、ため息がこぼれ――。


「レン、ため息で埃が掃けるのか」

「あ、す、すみません……」


 マスターから注意されてしまった。そういえば、掃除の手が止まりがちだった。


「ふん……集中できていないようだな。そんな状態でいくら仕事をやっても無駄だ。すこし、外で頭を冷やしてこい」

「……はい、すみません」


 返す言葉もない。


「ちょっとマスター! あんたね、そんな言い方するこたないでしょう! レン君だって一生懸命やってるでしょうが! いっつもきっちり仕事してるし、なによりあの歌で売り上げにも貢献してるはず! もうちょい甘やかしたっていいんじゃないの!?」

「む……」


 ポリポリと、マスターは自身の後頭部を気まずそうに掻く。


「あ、あの! いえ、ほんと、僕が悪いので……!」


 かばってくれた肉屋の女将さんに、レンは首を振る。

 彼女の気持ちは本当にとても嬉しい。だけど、自分なんかのことでマスターが責められるのは申し訳がなさすぎる。


「……はあ~、マスター、いつかレン君に愛想尽かされても知らないよ」


 じろっとマスターを睨んでから、女将さんは荷物を手に立ち上がった。


「んじゃ、とにかく、頼まれたものはたしかに届けたからね」

「ん。また頼む」


 マスターに頷き、「レン君も、またね」と手を振って、女将さんは店を出て行った。


「…………レン」

「……は、はい」


 なんとなくの気まずい雰囲気。

 何拍かの沈黙をはさんでから、マスターは言った。


「……なんだ、その…………ふん、とにかく、すこし外に行ってこい」


 街の人々にはその無骨な口調や雰囲気から厳しい人と見られているし、実際、一緒に暮らしているレンも、わかりやすく甘やかされた覚えなどはない。


「はい、ありがとうございます」


 だけど、それでもレンは、この人はとても優しい人なのだと思っている。

 マスターが拾ってくれなければ、あの日、自分は野垂れ死んでいたはずなのだ。今こうして生きているのは、すべて彼のおかげなのである。


 レンは部屋の隅に集めていた埃を片付けてから、掃除用具をしまう。

 それからマスターに頭を下げて、扉を開けて店を出た。



「……さて、どうしよう」


 街を歩き出して、なにをしようか迷う。

 突然降って湧いた事実上の自由時間だが、休むつもりにはなれない。


(……そんな暇、僕にはない。未熟だらけなんだから)


 そうだ、買ったばかりの剣を振ろうか……考えたけれど、思い直す。

 スクーデリア三姉妹がいないところでは、あれは振ってはいけない約束だ。そもそも、あの剣は今、オルカたちが持ってくれているのでレンの手元にはない。


(……オルカさん)


 彼女のことを考えると、またため息が漏れた。

 失望されてしまったことが、ずいぶん心に重くのしかかっている。


「……っ」


 レンは自分の顔を挟むようにパンパンと叩いて、意識を切り替えた。

 いつまでもうじうじしていても仕方ない。今の自分でだめだったなら、もっと力をつければいいだけだ。


 もっといい歌を歌えばいいだけだ。


(よし、歌おう。…………いや、新しい曲を作るのもいいかもしれない。……うん、そうだ、いっそ今まで作ったことのないようなヤツを)


 そうすれば、また新しく掴めるなにかがあるかもしれない。いや、きっとある。

 殻を破らなければ。今までの自分という殻を。


 強く気持ちを固めたレンは、踵を返して店へと戻った。裏口から入り、階段を上って二階へ行けば、その片隅にレンが住まわせてもらっている一室がある。


 部屋に足を踏み入れ、手に取ったのは片隅に立てかけてある弦楽器だ。細長い筐体に張られた六本の金属線を指で弾けば、鍵盤楽器とはまた違った味のある音が出る。

 外で曲を作るときは、いつもこれを使っている。


(今日は天気もいいし……うん、あそこにしよう)


 弦楽器を抱え家を出たレンは、お気に入りの場所へ向かうことにした。

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