第8話 (馬鹿なんじゃねえのかな、マジで)

「帰ったぞ~」


 日中における三姉妹の定位置は、街の南端にある見張り台だ。木を組んでできた簡素なものだが、作りはしっかりとしていて頑丈である。


「おかえり~……」


 見張り台の上、ナーファルがこちらへ手をヒラヒラとさせる。今日の見張り当番はナーファルなのだ。

 オルカはといえば、


「……っ! っ!」


(お~お~、やってるやってる)


 見張り台には登らず、その根元あたりで自身の魄武器である片刃の大剣を振っていた。

 基本的に、この姉は空き時間をいつも鍛錬に当てている。


(……我が姉ながら、とんでもねえなと思うよ)


 オルカの剣さばきは、見事の一言。大振りでありながら隙がなく、豪快でありながら無駄がない。


 ベルも腕に覚えはあるが、もしこの姉を倒さなければならないとしたら、打てる手段は闇討ち一択だろう。それだって、勘も鋭いので難しいのだが。

≪うたうたい≫の加護を授かれる男でさえあれば――そんなことを、この姉は幾度となく言われている。


「……ベル、おかえり」


 大剣をズガンッと地面へ突き刺して、爽やかな笑顔を浮かべるオルカ。物騒な得物を抜かせば、なにかの絵画のような美しさだ。

 この姉は強いだけでなく、スタイル抜群な美女でもある。


「おう。ほれ」

「ありがと」


 紙袋を差し出すと、彼女は中から肉と野菜の挟まれたパンを何種類か取った。


「ベルの分は?」

「アタシは道すがら食べてきたから」

「お行儀悪いわよ」

「ば~ちゃんに見られたら怒られるかな?」

「そうね、違いないわ」


 オルカと二人、顔を見合わせて笑う。

 三姉妹の育ての親は愉快な女性だが、行儀や礼儀には厳しい人だった。


「じゃあ残りはナーファルの分ね。……ナーファル! いくわよ~!」

「いつでも~……」

「はいっ、と」


 紙袋の口をキュッと絞って、オルカは頭上へ放り投げる。

 見事、紙袋は見張り台の上で手を伸ばすナーファルのもとへ渡った。


「あーあー食いもんぶん投げて。へっへっへ、姉貴も怒られるぞ~。……ああ、そういや、話変わるんだけど、さっきちょっと気になること聞いてさ」

「なに? 魔物関係?」

「いや、じゃなくてレンが、」

「なにかあったの!?」


 オルカはこちらへ二歩も三歩もずいっと踏み込んできた。

 圧がすごい。


「なにかあったっつーか、なにもなけりゃいいなっつーか。それがな……」


 ベルは先ほど男性ふたりから聞いたことを、かいつまんでオルカへ話した。

 正直、途中から言わなきゃよかったかもしれないと思った。


「……レン君が、剣を? …………え、剣? 剣、って…………剣? で、でも、剣は、……き、斬れちゃうのよ? 人の身体とか、じ、じ、自分の身体とか」


 オルカの顔は、もう真っ青だった。


「そんなもの、レン君が振り回してるの? じょ、常軌を逸した危険行為……!」

「ついさっきまでアンタ同じことしてたけどな」

「私とレン君じゃ話が全然違う! レン君になにかあったら! も、もし間違って自分の身体に当てちゃったりしたら…………っこうしちゃいられない!」


 手に持ったパンを一口二口で飲み込むように平らげたオルカは、大剣を消して駆け出した。止める間もない。

 小さくなっていくオルカの背中に、ベルは慌てて声を投げつける。


「っ待て待ておい姉貴ー! いやそんなわけだからちょっとアタシが行ってくるつもりだっておいもう聞いてねえよなそうだよな!」


 聞いていたとしても、どうせ結果は変わらないだろう。ベルは頭を振った。


「……オルカ姉? なにあの勢い……。ベル姉……オルカ姉どこ行くのあれ……?」

「レンのとこ! アタシもちょっと行ってくる!」


 あの姉だけ行かせるのは不安だ。


「えー……!? レン君のところ……!? なら私も行きたい……!」

「お前は見張り当番だろ! なにかあったらすぐに矢ぁ撃って知らせろよ!」

「えー! えー……! ううう……」


 妹は不満げだが仕方ない。見張り台をホイホイ無人にするわけにはいかないのだ。

 オルカを追ってベルも駆け出す。門を抜け、街から出てすぐそこに、レンがいつも木刀を振っている森がある。


 街の外ではあるが、魔物も危険な動物もほとんど出ない場所だ。


(つうか、姉貴はどこだ……)


 凄まじい勢いだったため、もう見失ってしまっている。

 追いかけ始めたのが遅かったせいではあるが、スピードが身上のベルとしてはやや屈辱的だ。同時に、あの少年に対する姉の執念が窺い知れる。


 森を進むと、やがて見慣れた背中が目に入った。彼女は太い木の陰に隠れ、前方へじぃっと視線を向けていた。


 なにか小声で言っているようなので、耳を澄まして聞き取ってみる。


「……ああっ、あぶないあぶないあぶないそんなあぶないものあぶない感じで振り回してっ、うう……ひゃああ……あぶないあぶないあぶない剣先が全然止まってないだめだめあぶないあぶないこんなのだめだめあぶないあぶないあぶないあぶないあぶな、」


「あぶないのはアンタだよ」


「ぁたっ」


 スパン、とベルはその不審人物――自分の姉の頭を張った。自分の姉だなんて信じたくないがしょうがない、事実は事実だ。


「こえーよ、なにしてんだよ姉貴……」

「み、見守ってる!」

「不審者はみんなそう言うんだよ……。頼むからせめて、ブツブツ呟くのだけはやめてくれ」

「え、私なにか言ってた……?」

「こえーよ……!」


 無意識であんな呟きをこぼさないでほしい。

 そしてこんな会話をしながらも、オルカの視線はこちらへまったく向かない。前方のすこし拓かれた空間――そこで剣を振るうレンにのみ注がれている。


「……ま、たしかにあぶなっかしいけどな」


 レンの様子を見て、小声でベルも言う。

 

「ふっ! はっ……! ……うわわっ」


 右から左へ振り、斜め上へと斬り上げ、下へ振り下ろす。その動きはそこそこサマになっているのだが、最後で剣が泳ぐ。きちんと止めきれていない。

 あれでは、いつ怪我をしてもおかしくない。


「はあ……はあ……」


 レンの額には玉のような汗が浮かんでいる。振り続け、もう腕が限界なのだろう。

 止めきれずに剣を泳がせている原因は明らかにそれだ。


(どう見ても、やめ時だな)


 木刀だったら限界まで振ってもさしたる危険はないが、刃の付いた真剣となれば話は別だ。剣の振りを最初から最後まで制御できている内に、訓練は終えなければならない。


「……あと、もう少しだけっ」


 だが、気合いの入ったそんな独り言が、風に流れて聞こえてくる。


「レン君もうやめましょうとても頑張ったわとっても頑張ったからそろそろもういいのよやめましょうやめましょうやめましょう……」


「姉貴もそれやめてくれ」


「え……?」


「無意識ってのはせめてどうにかしろ……」


 小声で話しながら、とにかくレンを止めに入ろうとベルが決心した、まさにその時だ。

 剣を下から上に振ったレンの手の中、柄がズルリと滑った。


「あっ……」


(っ馬鹿!)


 心中で悲鳴を上げるベルの視界の中で、剣はレンの手からすっぽ抜けた。


 くるくると回転しながらまっすぐ頭上へ上がった剣は、木の枝にも引っかからずに、そのままレンの頭めがけて落ちてくる。


 さらに不運は重なる。剣を振った疲れが下半身にも溜まっていたのだろう、避けようとしたレンは、足をもつれさせて転んだ。


 あれでは、本当に当たってしまう。ベルは全速力で動こうとして。


 視界の中、閃光が奔った。


 そう言い表したくなるほどのスピードで駆けたのは、一瞬前まで隣にいた姉。


(っ速ぇ! マジかよ!?)


 オルカは勢いのままに空中へ跳び、レンへ迫る剣へ見事、間に合ってみせた。柄をキャッチして地面へ着地。


「……オ、オルカさん?」

「…………」


 レンからすれば、オルカは突然現れたように見えたのだろう。驚いた顔をしている。


「どうしてここに…………い、いやそんなことより! ありがとうございます!」

「…………」

「あ、あの、オルカさん……?」


 礼を言うレンに、オルカは無言だ。だけでなく、彼に背中を向けた姿勢のまま微動だにしない。


(あ、ここにいる言い訳を考えてやがるな!)


 そしてうまく思いつかないのだろう、だからオルカはなにも言えないし振り向けない。ベルには、そう察しが付いた。


「あ、あの、オルカさん、……その、僕、」

「よおレン、なかなか頑張ってたじゃね~か」

「……え、ベルさん?」


 レンがこちらを振り向いた。ベルは彼のもとへ歩いて行く。


「昨日のことがあるからな。ここにも魔物が来てねーか、アタシと姉貴で巡回に来たんだよ。いねーとは思うが、一応な」

「あ、なるほど……」


 しれっと嘘を吐いてみれば、レンは簡単に納得してくれた。素直で好ましい。


「しっかし、魔物よりもあぶなっかしいモンを見つけちまった」

「……お、お恥ずかしいところを」

「別に恥ずかしくはねーが、姉貴が間に合わなきゃ脳天に直撃してたぞ。なあ姉貴」


 話を振ると、ようやく姉は振り向いて口を開いた。


「……そうね。いいかしら、レン君」

「は、はい」

「未熟な剣は、傷つけるつもりではなかったものばかりに刃を立てる。誰のためにもならないわ」


 レンに剣を手渡しながら、オルカは言葉を止めない。


「そもそも、剣はあくまで振るうもの。剣に振り回されているようでは、その柄を握る資格なんて最初からない。わかるでしょう」

「……はい」


 レンはうなだれて答える。


「ごめんなさい……」


 その声は、揺れてこそいないが力もない。とてもわかりやすく、ズッシリ沈んでしまっている。

 顔を俯かせたレンの前、オルカはベルの方を向き……。


 ああああああ言い方間違ったあああああああああ! 


 みたいな顔をしている。


(馬鹿なんじゃねえのかな、マジで)


 ベルは思わず自らの眉間をもみこんだ。

 心配だ、その一言を伝えればいいだけなのに。


「ま~、ほら、レン」


 ポンとレンの肩に手を置く。こちらに顔を向けた彼にベルは続けた。


「アタシも姉貴も、得物は剣なんだ。見せたことあったっけか?」

「は、はい。前に一度……」

「だったか。だからな、剣の扱いに関しちゃあ一家言あんのよ。お前も歌についてはそうだろ? 譲れねえこととか、許せねえこととかさ、あんだろ?」

「あ、そうかも……」

「よし。だからアタシらがちっと口うるせーのも我慢してくれ」


 ベルがそう言えば、レンはブンブンと頭を振った。


「いえっ、そんな! 口うるさいだなんて全然……!」

「そうか? だってよ姉貴」


 オルカに話を向ければ、レンの顔もそちらを向く。

 その瞬間にはもう、オルカはしれっとしたお澄まし顔だ。


「そう……まあ、そうかしら。なら、……い、いいのだけど」


 しかし表情とは違い、その返答はほんのすこしだけ取り繕えきれていない。よほど安心したらしい。


(……ま、大事な姉だしな。もうちょい助けてやるか)


「なあレン、お前、これからもこの剣で練習続けるつもりか?」

「え、えっと…………はい。そのつもり、です」

「正直でよろしい。ご褒美に、これからはアタシらがお前の練習を見てやろう」

「……え? え!? いえ、で、でも!」

「嫌か?」

「そんなわけないです! そうじゃなくて! だってベルさんたちお仕事大変なのに! 僕になんかお時間を割いて頂くわけには!」


 さて、どう言って説得しようか。ベルが考え始めた時だ。


「……基本に立ち返るのは、大切なことよ」


(お……?)


 なんと、オルカが自ら話に入ってきた。


「歌でもそうかもしれないけれど、正しく上達し続けることを望むのなら、定期的に基本へ戻って自分のやり方を確認するべきなの。そして、初心者にものを教えるというのは、それにうってつけだわ」


 なるほど、上手いことこじつけたな。姉の弁にベルは感心する。


「だから私たちにとっても、有用な鍛錬になる。どうかしら、レン君と私たち、お互いに利がある話でしょう」

「……そ、そうなんでしょうか?」

「ええ」


 頷いたオルカにベルも続く。


「アタシら魔物狩りにとって、鍛錬は当然の日課で、もちろん仕事の内だ。変な遠慮はいらねえぞ」

「僕にとってはすっごくありがたいことなんですけど、ありがた過ぎるというか……」


 もうひと押し必要か。ベルはさらなる提案を口にした。

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