第11話 シャルロット2



「はい、どうぞイリスさん」

「ありがとうございます」


 荷解きを終えた私達は一息つこうということになり、丁度部屋に見つけた紅茶をシャルロットが煎れてくださることになりました。

 部屋の中心に据えられたテーブルに、白を基調としたカップが二つ並びます。


 片付けに意外と時間がかかったこともあり、外は既に月の燐光が降る時節になっていました。

 まだカーテンを掛けていないこともあり、眼下には中庭の噴水が望めます。丁寧に手入れが行き届いた花壇に囲まれ、水面が柔らかく揺らぐ光景は風情があって心が安らぐようです。


「ご自分で紅茶煎れることが出来るだなんてすごいですね」

「あはは……。私の家は、皆さんのような大富豪ではなかったので。イリスさんのような公爵家の方とこうしてお話するのも本当は畏れ多いといいますか」


 最初に思わず抱きついてしまった後に我に返った時には、死を覚悟しましたよ、と目を逸らしながらつぶやかれていますが、この方かなり大物なのではないでしょうか。


 自分で言うのもアレですが、表向きには四女で通っているとは言え、アステライト家といえば他の二公爵家に比べ王家に対して絶大な発言力を持っている大貴族。その理由は例の如くうちの主が種を日頃からばら蒔いているからなので公言は出来ないのですが、普通は畏れ戦かれるのが常套です。ミラージュ先輩なんかはそのいい例でしょう。


 しかし、この方は違います。だからといって足りない・・・・のかと言われれば、答えは否。

 油断ならないとは、この事でしょうか。


「あ、美味しいですね」

「本当ですか? お口にあって良かったです」


 これだけ天真爛漫といった言葉が似合う方なのに緊張されていたのか、肩から少し力が抜けるのが分かりました。


 笑うさまは、天使のそれ。

 その裏に餓狼の牙が隠れていないと誰が証明出来ると言うのでしょうか。


「それにしても、学生の身分でこれだけ大きな部屋を頂けるだなんてすごいですね。流石フォルトレイン学院といったところでしょうか」

「そ、そうですね」

「ベッドも二段とかでもないですし、そればかりかこんなに大きなソファーが二つもあるだなんて」


 なるほど、そういうものなのでしょうか。

 少し価値観の相違があることには留意しなければならないようです。

 だからといって、シャルロット自身の見方が変わるという訳では無いのですが。しかし知らぬ間に言葉の端で傷付けてしまうことは可能なかぎり避けるべきでしょう。


 と、意識を眼前に戻すと、じっとこちらを見つめるシャルロットの瞳と相対しました。

 まるで、この紅茶のように透き通るように赤みがかったその一対は、とても美しいと素直に感じます。


 かれこれ数時間前にアリス様やローラ様、そして何よりフローナ様という破格の美貌を持つ方々と至近距離でお話していたことで感覚が鈍っていましたが、よくよく注意を払えば、このシャルロットも充分に──と表現すれば失礼になりますが、かなりお綺麗な顔立ちをされていました。


 いえ、こういうのを、可愛い、と言うのでしょう。

 巻き毛なのか緩く波打ったそのゴールドヘアは、傍から見ても日頃から手厚い手入れが成されているのが分かります。そのふわふわに柔らかそうな様子は、たれ気味の大きな瞳によく似合っています。


 そして今は、底深い光がその両の眼に溜まっていました。


「ど、どうかされましたか」

「……改めて今、目の前にあのイリスさんがいる事実を噛み締めていました」

「あ、あの気になっていたのですが、一体どういった話を耳にされたのですか。確かに私は上の姉たちより外向きの会に出席することは多かったと自覚はしておりますが、かと言ってあくまで四女ですのでそこまで目立ったわけではないと言いますか」

「そんな目立たなかったなんてとんでもない! イリスさんが会にお顔を出された日には、そこに居合わせた男性も女性も大騒ぎなんですよ!」


 えぇー……。そんな莫迦な。

 むしろその手の夜会では遠巻きにされていたくらいでした。


「会自体は毎回、私の周りだけ静かになったくらいですよ……? 多分、皆様、アステライト家でも四女という微妙な立場の私を扱いかねていたのがほとんどで」

「わ、私の友達にファーランド家の方が居るのですが、彼女曰くイリスさんを狙っている男性が余りにも多すぎて、その男性を狙っている女性同士も乗じてその場にいる全員が膠着状態に陥ってしまうとかなんとか」


 まるで私が時限爆弾かなにかの様ではありませんか。

 ファーランド家で女性と言えば、二女のレン様でしょうか。物腰柔らかで優しそうな印象でしたし、もし今のお話が本当なら、その惚れた腫れた兼政治的取引の渦には巻き込まれていなかったのでしょう。


「それは、本当のことですか……?」

「はい! 本当です! やっぱり気付かれてなかったんですね」

「気が付いていませんでした……。というより初耳です」

「だからこそ、あまりイリスさんを悪く言う方もいらっしゃらないということなんでしょうけど」


 男性から好意を──もっと言えば直接的な性意を向けられていたことに気が付いていなかった訳ではありません。

 これでも可憐な一人の少女として育てられたため、自衛の意識も持ち合わせています。


 目線や仕草で訴えかけられることもあれば、求婚もされたこともありましたし、強姦一歩手前まで行ったことだってあります。何をどう捉えたのか、私が誘ったように思ったとのことでしたが、現行まで待機していた家の者に捕らえられてからの消息は知りません。


 しかし、まさかそんな大事になっていようとは。

 確かにある時からぱたりとあからさまな誘いが無くなったとは思っていたのです。そういった理由があったのですね。


「イリスさんは絶対的なお綺麗さがありましたから、何を言っても僻みにしかなりませんでしたので、あんましよく思わないお嬢様方も大きなことは言えなかったんですよね。……鏡を見れば分かってしまうことですし」

「そんな、私なんか。シャルロットだってとても」

「やめてくださいイリスさん! 謙遜はおよしになって下さい……逆に傷付いてしまいます」


 本心なのですが。一応、自分の客観的な外見は把握しているつもりです。

 当然と言えば当然ですが、姉たちは私よりも僅かですが綺麗ですし。

 自信が無いと言えば嘘ですけれども。


「それに、イリスさんはかなり清純に・・・過ごされてましたよね。きっとそれも人気の理由のひとつなんです。私はイリスさんの雰囲気とお顔にイチコロだった口ですけど」

「せ、せいじゅん?」

「ほら、たまに風の噂から耳にすることがあるじゃないですか。婚前なのに積極的に交渉されるお嬢様。後ろなら大丈夫、とか、前でも外なら大丈夫、とか。そして最後の最後はインキュバスのご登場で悪魔付きの受胎……とか」

「………」


 うちの二つ上の姉は、美容として白湯を使用人に持ってこさせる代わりに使用人から白液を搾り飲む女でした。

 環境が環境だっただけあって、婚前交渉への忌避感などとうの昔に忘れていました。次女など主の目を盗んで一体何人と交わったことか。


 ふと姉の艶かしい肢体とぱっくりとモノを咥え込んだ秘所の形を思い出して、慌てて頭を横に振ります。


「お綺麗な方には付き物のような噂ですが、珍しいことにイリスさんには一切その手の話がなかったので」

「な、なるほど」


 私も心はほとんど女性ですが、流石に男性に抱かれることには抵抗があります。

 別に後ろから突かれることには、例の如く姉に散々仕込まれたため寧ろ慣れている程ですが、不思議と肉体的な本能からか男然とした人には嫌悪感があります。

 恐らく、私にとっては性別以上に容姿が女性的であるかの方が大切なのでしょう。逆に言えば見るからに女性の様相をしている方になら貫かれても抵抗はない気がします。むしろ興味が湧いてくるほどに。


「でも、どうして既に社交界へ出られているイリスさんは、わざわざフィニッシングスクールへ? ここに来られる方のほとんどは、むしろ社交界へ出るための準備が目的ですよね」


 た、たしかに……!

 目的なんて素直に答えられる訳もありません。


「……しゃ、社交界へ少し顔を出したところ、自分の至らなさを実感したので、淑女としての嗜みを学びたいと思いまして」

「はぁー……。さすがイリスさんです。しかし、それでは虎に翼を与えるようですね。あ、いえ、別に虎ってそういう意味ではっ」


 慌てるシャルロットに手を振って大丈夫ですと笑いかけます。


「虎だなんてそんな。精々が子猫ですよ」

「それはとても可愛らしいですね」


 言って、しばしば上の姉に猫のモノマネをさせられていたことを思い出しました。もちろん、仕草だけではなく尻尾や耳もありました。何より重要なのは、猫は服を着ないということでしょう。


 あぁ、懐かしのアステライト家。

 まだ学院に着て一日と経っていませんが、なぜかあの欲に溺れた生活が恋しくなります。


「あ!」


 すると、突然シャルロットが声を上げて立ち上がられました。


「どうされたのですか?」

「ゆ、夕食です! 夕食の時間です!」

「夕食の時間、ですか……?」


 数少ない部屋にあった丁度品の一つである古時計を見やると、なるほど確かに夕食にしても良さそうな時間です。むしろ少し遅いくらいかもしれません。


「たしかに給仕の方が来ませんね」

「違いますよ! 寮の夕食の時間です! 確かレストランへ入れるのは八時までなんです!」

「え!」


 なんてことでしょう。まったく知りませんでした。

 習慣が抜けず、当然の如く準備の済んだテーブルへと案内の者が呼びにくるものだとばかり思っていました。

 まさかレストラン形式だったとは。


 時間は19時53分。

 間に合うでしょうか。


「急ぎましょう!」


 そうして私達は、茶器もそのままに部屋を飛び出しました。





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