第12話 夕食
滑り込みとは正にこのこと。
一階のホールにあったレストランまで可能なかぎり早足で階段を駆け下りて歩くと、丁度CLOSEの札にスタッフの女性が手をかけていたところでした。
必死に片手でドレスの裾を直し、もう一方で在らぬ方向へと乱れた横髪を整える傍ら頼み込むと、笑顔で入れさせて下さいました。
汗はかいていませんが、心臓は喉を通り越してしまいそうです。
そして、ふくらはぎがつりそうでした。
この時ほどヒールを恨めしく思った自分は居りません。
「わあ……」
「これは、すごいですね」
最初に声を挙げたのがシャルロットで、後者が私。しかし言葉は違えど、得た感動は同じようです。
そこに広がっていたのは、豪華絢爛の名を欲しいままにするローレリア・オペラ座のレストランもかくやと言った様相の贅沢な空間でした。
かと言って目に沁みる鮮やかさかと聞かれればそういう訳でもなく、むしろよくよく見れば色の深い木目が所々に使われており、それが各テーブルの上に揺れる蜜蝋の灯りに照らされてロマンチックな雰囲気を醸し出しています。
そんな夢に見たくても中々見られないような場所で歓談しながら食事しているのが見目麗しい歳若い少女となれば、何倍増しにも輝いて見えるというものです。
「お待ちしておりましたイリス・ルル・アステライト様、シャルロット・シュローケン様。こちらへどうぞ、ご案内します」
さっと横から現れ、上品な見のこなしで腰を折ったウェイトレスに付いていきます。
驚いたことに中は相当に広い様子で、高低差を巧みに使いながら複雑に入り組んだ構造はしかし、見る者に窮屈さではなく心地よい開放感と安心感を与えてくれるようです。
単純に考えれば一学年百人以上いるため、その六倍を収めなければならないのです。それは当然、大きくもなることでしょう。
しかし、ここに本当にそれだけの人数がはいるのでしょうか。
「ここはメインのレストランらしいですけど、寮の上層には高学年しか使用出来ないレストランがあったりと幾つか他にも食事処があるそうですよ」
「そうだったのですか」
遅く入ったからなのか、中を進むとチラチラと盗み見られます。一応、見る限りはドレスコードも問題は無かったようなのですが。
念の為、一瞬だけ下腹部前面を見下ろしますが特に問題はありません。多分、そっちを疑われている訳では無いでしょう。
「早速、皆さん驚かれてますね」
「え?」
問い返すと、隣のシャルロットはやけに上機嫌です。
「ほら、お食事されてるお嬢様方、みんなイリスさんのこと盗み見ているじゃないですか。何人かはイリスさんだと気が付かれている方も居るとは思いますが、多分みんな綺麗すぎて驚かれてるんですよ」
「……単純に睨まれてるとか、そういうものではないのでしょうか」
女性の諍いは恐ろしいものです。
今向けられている視線も、少なからずシャルロットの仰るようなものはあると思いますが、それは恐らく私達と同じ一年生の方。
多くの上級生からは、やはり値踏みされるような冷たさを感じます。
「ほら、物凄い形相をした方達もいますよ」
「え、え……? 本当だ。どうして」
あれは恐らく白百合会の方々でしょう。
よく見れば胸元に白百合を象ったバッヂのようなものを付けられています。
わかりやすい妬みの視線です。
出来れば平穏に過ごしたいのですが……。もう少しお化粧は薄くした方がいいのでしょうか。肌は幸運なことに元から色白なため撫でる程度なのですが、口紅の方は比較的気を使って鮮やかなものを使っているのです。
周りの方の様子を見つつ、少し明日以降の繕いを考えなければならなさそうです。
そうこうして通されたのは、衝立の囲まれた個室のようになっている場所で、半円形のソファが特徴の席でした。二人で使う分には充分すぎる大きさで、とても広々としています。
私とシャルロットは適当なコースを頼むと、先に持ってきて貰った季節の果実酒で乾杯いたしました。
「良き出会いに」
「はい! これからの学院生活に幸多からんことを」
二人して見つめあっていたら、自然と笑いがこぼれてきます。
照れ隠しのつもりで、お互い軽くグラスを持ち上げました。
「乾杯です」
ほんのりと苦味のあるそれで唇を濡らしながら、その後に運び込まれ始めた料理に舌づつみを打ちました。
食事中は他愛もないお話をしました。しかし、その他愛のなさが、無性に楽しく感じます。
シャルロットは交友関係が広いようで、どこそこの長男が町娘と駆け落ちして、代わりに家督を引き継ぐと思われる次男坊が今アツい、だとか、隣国の有名チョコレート専門店が第三副都に先月出店したばかりで丸一日並ばならければ手に入らないだとか、様々なお話を聞かせていただきました。
私といえば、夜会でのエピソードも沢山あるので披露出来ることは出来たのですが、如何せん男性とは端から真剣に話を聞いていなかったこともあって、エピソードのほとんどは女性とのお話になってしまいます。
「ファーメルン家と言えば服飾の流通事業が盛んじゃないですか」
と枕を置いたのは、丁寧にローストされた牛肉を薄く切り落としたものを、更に小さく切り分けながら口に運ばれるシャルロットの言葉。
桃色の肉肌はしっとりと柔らかく、胡椒と隠し味なのか柚子に似た風味の香るソースがとても合う絶品です。歯触りが心地よすぎて嚥下するのも惜しく思えます。
「ファル・リテイラーの名前は王国のいたる都市の中心に立派な店を構えていることで広く知られていますよね。生地もさる事ながら縫製も丁寧で、私も何着か下着や肌着を使っていますよ」
「あ、いいですね! スピアシリーズとか一見普通のレースに見えて、その実、挑戦的なデザインで。大人なレディという感じがして憧れます」
「そう言えばファーメルン家と言えば、長女の方が婚約を破棄してフォルトレイン学院に入学すると、一時期話題になりましたよね」
「そう! そうなんですよ!」
ぐっと乗り出したことでシャルロットの程よい大きさの胸元がチラリと覗きます。
決して大きくはないですが、これは恐らくとても美しい形をしていると睨みました。
心には狼が棲んでいてようとも、私はそれを飼う淑女。訓練された理性が、粛々と鉄面皮を作り上げていきます。
邪なことを考えている素振りなど見せずに、ふとスープを口に運びました。
鶏ガラの深い風味を黄金色に輝く油膜がぎゅっと閉じ込めたそれは、喉を伝う頃には鼻先に至福の一瞬を与えてくれます。
「その長女の方は、今フォルトレインの二年生なんです」
「噂は本当だったのですね。改めて言葉にしてみると不思議な感じです。社交界で有名な方が、今では同じ学舎を共有する先輩だとは」
「それは私も同じ気持ちだったんですよ。それでですねイリスさん、見てください、あそこ」
そう言われ顔を上げると、シャルロットの視線を追った先に、一人の上品な女性がいらっしゃいました。
夜色のドレスに身を包んだその方は、優雅な手つきで食事を進めながら学友と思われる方と歓談しています。
「多分、あの方がファーメルン家の長女の方です。写真で見たことしかありませんが」
「あれ?」
その横顔に見覚えがありました。
「ミラージュ先輩?」
間違いありません、あれはミラージュ先輩です。
シャルロットの送る視線の先にはその女性しかいらっしゃらないため、別の人物ということも無さそうです。
しかしミラージュ先輩のファミリーネームはサクレイだったはず。
もしかしたら、婚約を破棄してお名前が変わったのでしょうか。
その短い藍色の髪を綺麗に結わえているからか、昼間にお会いした時の印象とは大分違って見えます。
大人の色香を纏う女性として、他の先輩方とは一線を画していました。
そんな感じに思わずうっとりとミラージュ先輩のドレス姿に見蕩れていると、ふとこちらを振り向かれた拍子に目が合います。
本当にミラージュ先輩なのか十割の確信が持てていないまま視線を泳がせた私に、しかしその女性は花のようににこやかに微笑むと、小さく手を振ってくださいました。
笑窪の形が、悪戯めいた表情をされた時のミラージュ先輩と同じで、同一人物だと確信します。
私も手を振りさえしないもの、軽くグラスを上げて微笑み返しました。
「え、え? イリスさん、お知りあいですか?」
「お昼に校舎の方へ足を運んだ時に、少しお世話になったのです。寮に帰る時もご一緒していただいて」
「そうだったんですか! えー、羨ましいですー。あんな方とお近付きになれるだなんて。それにあの先輩にしっかり覚えられていましたよね」
「み、みたいですね」
そのミラージュ先輩本人から白百合会のことについては口にしない方がいいと釘をさされているため、特に触れないでおきます。
しかし、ファーメルン家ですか。
最初に先輩とお会いした時、真っ先に頭を垂れられたのは、そういうことに得心がいきました。
ファーメルン家は、アステライト家の取引相手なのです。
私がブランドの一つであるファル・リテイラーの下着を何着か持っているのも、実際に店舗から購入したのではなく、ファーメルンの家主からお近付きの印として頂いたのが理由です。
持ち株を持つまでには至っていませんが、傘下いっぽ手前の大口の取引先とでも言えましょうか。
ミラージュ先輩の中にある手帳に、格上の銘としてアステライトが刻まれていたことを嬉しく思います。
「イリスさん、後でそれとなく紹介して下さいよー。私、ファルの服大好きで、それを夜会で着こなすミラージュさんと一度お話してみたかったんです」
「わ、私はまだ少しお話したことがあるくらいで、決して親しいとかそういう訳では」
「でもミラージュさん、こっちに向かって来てますよ」
そうして、ご学友と別れたミラージュ先輩が私達のテーブルへと来られて、長い長い談笑が始まりました。
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