第5話 閑話




 ミラージュ・サクレイは困惑していた。

 

「あの……一体これは」


 音楽棟の中にある、ピアノ練習室のひとつ。その中で、ミラージュは手渡された紙の文字をもう一度追って、読み間違いでないことを認識した。

 すると、あからさまなため息が正面から聞こえてくる。

 見あげるまでもなく、その主は、この部屋に置かれた唯一の楽器であるグランドピアノの前に座る一人の少女だった。


「見れば分かるだろう。それが次の君の仕事だ」


 この部屋を密談の場に選んだのは、この時間帯に使用していても不審がられないことと、高い防音性を持つことが理由だ。

 だから、叫びたかった。

 この鼻につく態度の上司に。

 内容の理由について聞いてるんだ馬鹿アマ! と、糾弾したかった。

 しかし、ミラージュにそんな権限は与えられていない。出来ることといえば、せめてもの反論を並べるくらいだった。


「ここまでする必要があるのですか? 最悪、複数の死人が出ますよ」

「やむを得ないだろう。先日、黒薔薇会に行かせている密偵がこんなものを見つけてきた。……奴らが動く前に、潰す必要がある」


 ピアノに背を向けて座る少女から、一通の便箋が渡される。

 恐らく書き写したものだろう。


『今年度中に、真の王女の子宮を奪え』


 開けてみれば、紙面にはそう書かれていた。


「……これは、一体誰から誰へ送られたものなのですか」


 便箋を返すと、少女は渋顔を作る。


「黒薔薇会の本拠地……薔薇棟のプレイルームに他の手紙とまとめて置かれていたそうだ。送り主は分かっていない」

「プレイ、ルーム……?」

「お前も覚えがあるだろう。複数人で性行為をするためだけに作られた部屋だよ」

「そんな所に放置されていたのですか?」

「ああ。紛れている不届き者は幹部クラスか、もしくは幽霊生徒かと睨んでいたんだがな。まさか薔薇会自体がクロだったとは思いもよらなかった」


 名前の通りな、と皮肉げにため息をひとつこぼすと、少女は背後にある蓋の閉められたグランドピアノの上に便箋を放った。


「ミラージュ。まだ、女装野郎達の告発の準備は出来ないのか」


 その言葉に体を固くする。

 この学院の中では、まずありえない会話だからだ。

 しかし、その事実をミラージュは知っていた。


「……それが、やはり王室派の上等官僚でさえも渋っていまして。どうやら彼らの後ろにはこちらが想定していた以上の権力構造があるようです」

「まったく、ロードレイン家はよくやるよ。名を轟かせるフォルトレイン学院は何世代もかけて築き上げたものだろう。未婚の貴族家令嬢が集まる女子学院に、男が混ざっているだなんて親連中が知ったら大混乱じゃ済まされない。実際に私たちが尻尾を掴んでいるのに、それさえも黙殺させてしまうのだから凄まじいよホント」

「これはもう、動いているのはロードレイン家とグランフォード家だけではないということでしょう」

「ああ……クソ。どうして王室は家臣たる公爵家にこうも反抗の意識が芽吹くまで力をつけさせてしまったのだ」


 小柄の少女は、その身の大きさに似合わない大仰な手振りで嘆いた。


「なによりも問題なのは、なぜ彼女・・を今のフォルトレイン学院に入れてしまったのか、ということでしょう」

「しょうがあるまい。王室の者は代々、ここに通う慣例が旧くからある。だからこそ、誰もロードレイン家が裏切るだなんて思わなかったわけだがな」

「すでに実態が分かっている以上、彼女を直ぐに学院から離れさせるべきでしょう!」

「それは無理なのはお前も分かっているだろう。体面が傷付いては彼女の存在意義が無くなる。それはなによりも避けるべき事案だ」


 苦虫を噛み潰したような顔をして、少女はぐるりと首を回し、ガラス越しに見下ろせる中央の大階段の横顔を見やった。


「しかし恐ろしいものだな。女よりも女らしい男がいるというのは」

「……はい」


 少女は足を組むと行儀悪くピアノに背をあずけ天を仰ぐ。


「まったく、黒薔薇会にラオを潜入させたのはいいものの、まさか妊娠させられるとはな! あれだけ気をつけろと言ったのに……。まあ、奴のお陰で会長二人がハリアーだと言うのが分かったのは事実だが……しかし、そのせいで私が駆り出されることになったんだから許せない」

「……ラオは性欲の強い子でしたから」

「私の生活をどうしてくれるんだ! まさかまた制服に袖を通すことになるなんてな。新入生という扱いだから、お前の一つ下ということになるのか」

「そう……ですね。どうして私よりもずっと年上なのに、そんなにお子様のように若いのですか」

「そういう体質だといつも言っているだろう。まあいい。考えようによっては、これはこれで楽しめそうだ。お前は引き続き白百合会の内偵を続けろ。私はこれから黒薔薇会に潜入する。例の任務、ヘマをするなよ」


 言われ、ミラージュは下唇を噛む。


「本当に、やるんですね」

「ああ」


 少女は椅子から立ち上がると、自分の顔あたりにあるミラージュの肩を叩いた。


「毒に伏せた薔薇に、火を放て」


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