第7話 午睡の棟



「ふぁ……ぁふ。流石に眠いわね」


 絢爛な装飾の施された人気のない廊下に、人影が二つ。

 つい先刻、白百合会と呼ばれる当学院随一の規模と権力を誇る倶楽部を後にした、アリスとローラである。

 アリスは他に誰も見る者が居ないのをいいことに、月に吠える狼の如く欠伸をかいていた。

 それを横目にローラが呆れ半分労い半分で苦笑する。


「結局、昨日の倶楽部活動ホームパーティーは明け方まで続いてしまいましたものね。正直、わたくしは膝が震えてきましたわ」

「無理やり連れて来てごめんねローラ。でも、私一人じゃあの肉人形とは面と向かって話せないのよ」

「分かってますわ。それに、結果的にあのような約束を取り付けられて良かったではありませんの」

「ええ、本当に。僥倖だったわ」


 白百合会と黒薔薇会の両代表によるお茶会。

 昨年度までの歴史的な対立を見れば、前代未聞とは言わずとも3ヶ月は学院中の噂の中心に君臨するであろう事案である。


「まさか、あのフローナが花園の姉妹エルマーナの契を結ぶなんてねえ。しかも、よりによって噂の君とだなんて」

「本当。こんな偶然がありますのね」

「偶然ね。案外分からないかもよ。フローナの初恋秘話は知ってるでしょう?」

「ええ。……とは言え、やはり会う度気になりますが、彼女は私達のことに気が付いていたりしますの?」

「分からないけど、気付いていても不思議じゃないわ」


 言いながら、アリスは日傘の持つ手を変える。

 普段から自分で物を持つ習慣がないため、腕の力はそこまで無いのだ。他方、下半身には自信があるのだが。


「それにしても、あのエルマーナ、随分綺麗な顔をしていたわね。本当に男なの?」

「こら、アリス。校舎内ですわよ」

「これは失礼」


 女性専用の学院に、在るはずのない男の影。

 自分達があやふやな位置に居ることに重ねて、普段から自室でその手の会話をしていることからイマイチ油断してしまうことも最近は多い。


 特にアリスは元来大雑把なところがあるため、ローラがそれとなく注意を払わないとひやりとする一面もあるのだ。

 珍しくこの学院では、年功序列が家柄の序列を圧倒的に凌駕するので、こと教員の耳にでもその手の発言が入れば、それはそれは面倒を通り越してうんざりするような結末へと至ってしまう。


「実際のところ、可愛すぎて太股のラインがいやらしすぎて嗜虐心が刺激されすぎて、持ち帰りたいのを必死に我慢してたわ」

「……えぇ、私もですわ。今アリスが話題にするまで完全に頭の中では、彼女──としますけど、女の子として認識しておりましたわ。あぁ、あの大粒の瞳を潤ませてこちらを上目遣いに見る光景……。とても情熱的な時間を過ごしましたわ」


 はぁ、と二人して火照った頬に手のひらを当てては、熱の篭った吐息を零す。


「でも、改めて思えば、あの時ローラを見上げていた視線……あれは間違いなく女には無い、私達と同じ光が瞳の奥にあったわ」

「彼女は彼女で私に欲情していただなんて……。あぁ、やはり一度肌を重ねたいですわ」


 言いながら、ローラはちらりとアリスを盗み見る。

 それに気が付いたアリスは、顔をしかめてローラの大してない腹の肉をつまんだ。

 それこそ、ローラのその視線は友人以上の何かに向ける類のものだったのだ。

 アリスはキッと睨みつける。


「こ、この前シたばっかじゃない! あれだってローラがどうしてもって言うから……!」

「だってアリス、あなたもその美しさは大概ですわよ? それに私達にとって、性別の概念なんてあって無いようなものではありませんの」

「そ、それはそうだけど……」

「もう一週間くらい経ちましたっけ? 前回まぐわったあの日だって、アリスも気絶するほど悦んでいたじゃありませんの」

「あれすると、次の日おしりが痛くなるからヤなのよ!」 


 叫んだアリスは顔を真っ赤にしてスタスタと歩みを早めてしまった。

 思わず周囲に人が居ないかローラは伺った後、慌てて後を追う。


「まあまあ、落ち着いて下さいな。時間を空けたのが良くなかったのですわ。ちゃんと御手入れさえすれば、痛みも無く、あなたも存じているように、それはもう天上へ登るかのような快楽を得られますわよ」

「……ほんとに?」

「ええ、本当に」

「……考えて置かないでもないわ」


 ツンと澄ましたそのアリスの返事にローラはニコニコ顔で頬を上気させると、アリスの細い腕にしがみつく。


「ちょ、ちょっとローラ!」

「ふふふ、ようやっとアリスが認めて下さいましたわ。これで私達の関係も黒薔薇会も安泰でしょう」

「一体、何を勝手なことを! あぁ、もう怒るわよ!」


 一人満面の笑でほほえみ続けるローラに巻き付かれるように腕を取られたアリスは、目を逆立てつつも何となく歩調はローラに合わせていた。

 結局のところ、仲は良いのである。


「そういえば、明日から授業ですけれども」

「まあ、……そうね」


 アリスは何でそんな嫌な事実を思い出させるようなことを言うんだと、非難がましい目を向ける。

 しかし、続いたローラの言葉にそれは真ん丸く変容することとなった。


「『生命倫理とファシズム』の新しい教科書、買いましたの?」

「…………。あ!」


 言葉にならないようで、無声で口を動かしたままもう片方の手をパタパタと動かしている。

 こう見ると、普段は冷徹と情熱のアリス嬢とは同一人物に見えないから不思議だ。


「落ち着いてアリス。そう思ってわたくしもまだ買っておりませんから。今から学生課によって外出許可証を頂きましょう。ついでに一緒に街の店を見て歩きましょうよ」

「うーーーー、ローラぁ」

「よしよし。今からなら余裕で手に入るでしょうし、大丈夫ですわ」


 そうして宥めすかすと、二人は教務課へ寄り、外出許可証なる一封を手に入れた。

 半分呆れ顔で対応されたが、割合、普段に比べ嫌味を言われなかったのは似たような学生が多くて辟易としていたからなのか。


 何にせよ、これで後は馬車に乗るだけで目的地にたどり着くことが出来る。

 しかしそのためには、今身に纏っている制服から着替えなければならなかった。


「どうしますの? 寮へ戻れば一応一式揃っているけれど」


 とは、天に向かって高々と聳え立つ円錐状の構造物を背景に、亜麻色の長髪を風に靡かせているローラだ。

 二人は端に水のせせらぐ大階段を降りている所だった。


 空は湧き上がる純白の雲が見ていて楽しい晴天。

 昼下がりにはまだまだ早く、晩夏とはいえ日差しはまだまだ優しくはない。 

 二人とも一つずつ握った漆黒の日傘が作る陰に、まるで陽光を浴びてしまえば毒にかかってしまう吸血鬼のように肩を縮めて隠れていた。


「うーん、寮はちょっと遠いいかなあ」

「……流石にこの日差しの中を寮まで耐えるのは厳しいですわね」

「薔薇棟に行こう。あそこなら溢れるほどドレスがあるし、何よりも近いわ」

「賛成ですわ。でも、まだ皆さん寝てるでしょうね」

「そうね。まあ、子猫達の寝顔を見られるのは早起きした者の特権よ」


 そう言いつつも実際のところは仮眠すらまともに摂っていない不眠不休状態なので、当のアリスも苦笑いだ。

 そうして、早足で少し学舎から離れた──それでも寮までの法外な距離とは段違いに近い──所にある、豪邸と見紛うような立派な建物へと辿り着いた。

 その名も薔薇棟。


 下手をしたら他の大小様々な倶楽部が集まる部室棟よりも大きいかもしれない。いや、確実に上回るだろう。

 木々に囲まれた先鋭的なデザインのそれは、黒薔薇会専用の棟だ。

 歴史ある会だからこそ得られる恩恵の一つである。


「ただいまー」


 鈍重な扉をそっと開くと、アリスとローラはそろそろと中へと入る。

 そこはコンサートホールやホテルのロビーのような空間で、先程訪れた白百合会の校内サロンのように吹き抜け構造となっていた。


 最近、ガス灯から電灯に変わった為、まるで太陽の下に居るかのように煌びやかで明るい。

 たまにこのロビーで甘い夜を過ごす会員もいるが、今日は居ないようである。思えば、この明度ではロマンチックの欠片も無いかもしれない。

 帰ってきたら灯りを段階的に調整出来るように学生課に言っておこうと、アリスは心の手帳にメモをした。アロマキャンドルを大量に買い付けるのもありかもしれない。


 そんなことを考えながら足音をあまりたてないように、二人はゆっくりと半円形に昇る対になった正面階段を上がる。そして、L字の廊下を進んで突き当たりの部屋へと入った。


 そこは一転、廊下やロビーとは違い、淡い間接照明が仄かに彩る薄暗闇が広がる空間。

 どこからともなく静かに聴こえてくる寝息は幸せそのもので、まるでこの場所だけが外界から隔絶されているかのような錯覚を得る。


「ふふ……、見てローラ。リンとシェリーが一緒に寝てるわ。二人とも凄く可愛い」

「あら、本当ですわ。いつの間にこんなに仲良くなってたんですの? 知りませんでしたわ」


 アリスに呼ばれて見れば、天井や左右の衝立が鏡になっている小ぶりなベッドで、まるで天使のようなあどけない顔立ちをした二人の少女が抱き合いながら眠っていた。

 二人で一つのシーツにくるまる様子はなんとも微笑ましいが、その隙間から見える肌色の柔肌が囲うように備えられた鏡に映ってなんとも刺激的だ。


 比較的、この広い部屋の端に置かれているベッドであるが、鏡に囲まれているというある種倒錯的なこの場所は、割と人気なスポットである。

 とうのローラもよく使っており、覆いかぶさっても跨られても接合部や背中など正面からは見えないところが見えるため、とても楽しいのだ。しかも衝立がしっかりと立っているので、乱交状態になる部屋から隔離されるところもポイントが高い。


 そんな愛液と汗にまみれたまま眠りにつく乙女達の合間を進み、部屋に備え付けられている巨大なウォークインクローゼットへと進む。

 その傍らで、アリスはガラスのテーブルに盛り付けられていたストロベリーを幾つか取ると、それをおやつ代わりにつまんでいた。


「さあて、どれがいいかしらね」


 ズラリと左右に幾列も並ぶ衣紋掛の数は10を裕に超える。

 すぐ近くで目に入るのは、ツヤの出るほど手入れの成された革製のボンテージ服や、本格的な縫製が輝く保安官の制服や指揮者の燕尾服など──およそ通常から考えて、まったくこの女子学院という場に似つかわしくないどころか、必要のないものである。


 それが、それぞれ全て四サイズずつあるのだから、物凄い。

 クローゼットの端は、およそ20歩進んだとしてもまだまだ辿り着かないくらいに遠いのだ。


 勝手知ったる様子で二人は幾らか歩くと、ようやく目当ての場所に着く。

 夜会や舞踏会に飛び込んでもその日一番の輝きを得られるようなドレスが並ぶ場所。その少し列をずれたところに、平時の外出用に着るようなカジュアルなものが、これも大量にあった。


 毎シーズン、流行を抑えて仕入れているため、コロコロと場所が変わってしまう服達である。

 アリスとローラは、そこからお揃いのワンピースを選ぶと、ついでに所々に置かれている棚の中から、これもお揃いの黒のレースをあしらった下着を身につけた。



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