ウグイス男子

ウグイス男子

「ニィニィ、今日遅かったじゃん。仕事長引いた?」

「うん。ヤバかったけど、事務所の人が送ってくれたから間に合った」

「職場の人が理解あると助かるよねー」

「マジ、ニィニィの職場の人、神だべ。俺、今度の選挙、丹下源太に投票するべ」

「おめぇは選挙権まだねぇだろうが」

「ぎゃはははは」

「あ、オレ今日現場でニィニィの声聞いたよ。今日は刀豆平の仕事だったから」

「あたしもー。店の前、ニィニィの車が通ったー」


 僕は学校で『ニィニィ』と呼ばれている。

 いつだったか、休みの日に弟と一緒に歩いているところをクラスメートに見られたんだ。その時、弟が僕を『ニィニィ』と呼んでいて、それがそのまま学校で広まってあだ名になった。今では僕より年上の人にも『ニィニィ』って呼ばれる。


 定時制高校はいろんな年齢層の人がいて面白い。ギャルサーのお姉さんみたいな人とか、元カラーギャング? チーマーって言うの? そんな人とか……あ、レディースのヘッドだったなんて人もいて、みんなに『リーダー』って呼ばれてる。さすがにアタマだっただけのことはあって人望も厚く、統率力もある。歳は確か五つ上。


 殆ど僕くらいの年齢の人だけど、偶に凄く離れた人もいる。野瀬さんくらいのおじさんは、みんなに『銀さん』って呼ばれてる。『いぶし銀』の『銀』さんだ。

 他にも『姐さん』、『七右衛門』、『マスター』、『ぽったん』、『店長』、『くまごろう』、『デューク』、名前が山田なのに『鈴木』ってあだ名の人もいる。これだけ聞いたらいったいどんな集団かと思う。その中で『ニィニィ』なんて実におとなしい方なんだ。


 僕は全然目立たない生徒で……いわゆる『陰キャ』ってやつだと思うけど、そもそもそんなに弾けられる性格でもないし、ここでのその地味な存在感はそれなりに心地よかった。

 それが一転したのは今週に入ってからだ。

 ウグイスの仕事を始めた初日に、たまたま『くまごろう』が交通誘導やってる現場の目の前で赤信号に引っかかった。そこで彼が僕の声に気付いたんだ。

 僕が白手袋で手を振ったら、彼の口元が『ニィニィ』って言ってた。

 その日から学校では、僕の声をどこそこで聞いたというのが話題の中心になっている。中学で演劇部に入っていたことが、巡り巡ってこんな形に還元されるなんて思ってもみなかった。

 

 今まではビジネスの上での言葉遣いとか、挨拶の仕方とか、みんな彼らに教えて貰ってた。お世話になりっぱなしだった。

 だけど、ここへきてみんなの役に立てるような気がし始めている。


 僕たち定時制高校の生徒は、全日制に通えない様々な理由を持つ人が集まる。

 僕のような貧困層もいれば、若い時に教育を受けられなかった銀さんのような人もいる。くまごろうは落ちこぼれてついて行けなくなってここへ来た。ぽったんは引きこもりだったらしい。姐さんは高校に入ると同時に出産してそのままドロップアウト。デュークもドロップアウト組だけど、彼の場合はいじめに遭ってた。

 こんなふうにいろいろな問題を抱えた僕たちだから、政治に期待する部分は大きい。そして僕たちの声が政治を行う人たちにすぐに届けばいいのに、といつも思ってる。


 僕が。今の僕なら丹下さんに届けられる。

 僕自身は政治家になんかなれないし、なりたいとも思わない。だけど、僕がみんなの声を届けるのは容易だ。丹下さん自身も「有権者の生の声が聞きたい」と言ってたし。

 それができるのは選挙が終わるまでの間、僕がウグイスをやっている間だけだ。


「ねぇ、丹下さんちのお子さんて、今幾つなのー?」


 僕がぼんやりしていたら、姐さんが唐突に聞いて来た。


「えーと、上が八歳で下が五歳……だったかな」

「五歳って、うちの子と一緒じゃん」


 あの三十四歳の丹下さんと二十一歳の姐さんが、同じ五歳児の親なんだ……。


「一限なんだっけ?」

「コミュ英だべ」

「俺はコミュ障な」

「聞いてねぇし!」

「オレ英語嫌い、スワヒリ語の方がいい。いっひ、りーべ、でぃっひ」

「それフランス語じゃん」

「ドイツ語だべ」


 年齢差を全く感じないクラス。僕はここがなんだか居心地がいい。


「あ、ニィニィ、何か落ちたよ」

「え?」

「なにそれ四つ葉のクローバー?」


 あ、これは。


「押し葉にしようと思って挟んでたんだけど……そっか、コミュ英の教科書に挟んでたんだ」

「どうしたの、この四つ葉」

「女から貰ったんだべ。だべ?」

「うん、女の子」

「えー、うっそ、やるじゃんニィニィ」

「まあね」


 あの小さなお姫様から貰ったって事は秘密。

 僕はクローバーを教科書の間に挟んだ。

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ウグイス男子 如月芳美 @kisaragi_yoshimi

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