運転手の場合(3)
「それでは事務所の皆様、丹下源太、二日目も元気に遊説活動に出発いたします」
二日目だ。今日は丹下ちゃんは同乗してねぇ。オレとウグイス君の二人体制だ。
金のある候補者は、運転手の他にウグイス二人とナビと雑用係を乗せる。運転手は運転に専念し、ウグイスは喉を潰さないように交代しながらやるわけだ。そして専属のナビがいれば、町名が変わったタイミングや、学校、病院、緊急車両にもすぐに対応できる。車両の誘導や事務所との連絡、昨日の葬式のような場合の謝罪は雑用係の仕事だ。
だが、支持者も少ない、金も無い、知名度も無い、ナイナイ尽くしの丹下ちゃんには運転手とウグイス一人ずつが限界だ。
それでもナビはオレがやればいいし、緊急車両や対立候補にはアイツの方が先に気付いて対応してくれている。
有象無象が束になっても、優秀なたった二人の選挙カーには敵わねぇって事を、俺とウグイス君で見せつけてやる。
実際、コイツは高校生とは思えねぇほど気が利きやがる。丹下ちゃんがすっかり忘れていた腕章も彼が準備した予備のお陰で事無きを得たし、支持者の声援や葬式にもいち早く反応した。緊急車両や踏切の存在にも敏感だ。
臨機応変な対応力にも頭が下がる。
昨日は公園近くでは子育て支援を、老人ホームの近くではバリアフリーを呼び掛けた。下校途中の小学生には『上から読んでも』をやりやがった。全くとんでもない策士だ。
田中彼方遊説車の煽りにも冷静に反撃しやがって……笑いをこらえるのが苦しかったぜ。
今朝はボリュームを絞って出発の挨拶をしてたな。確かに近隣住民にとっては、毎朝毎晩「行ってまいります」「ただいま戻りました」をマイクでやられたらかなり迷惑だろう。初日は派手にやるのは仕方ないとしても、二日目からは抑えて行くのがこの業界の暗黙の了解だ。それすらガッツリ心得てやがる。
「ご通行中の皆様、市議会議員候補の丹下源太でございます。二日目朝一番のお願いに上がりました」
これが十時キッカリから、昨日は『朝一番』が消えたんだ。しっかり時計も見てやがる。
しかも車のスピードに合わせて喋る内容を変えている。
目的地までの移動で時速四十キロ以上出している時はひたすら名前を連呼、やや速めの三十キロ前後では名前と軽くスローガン、更にゆっくりになるときは政策までガッツリ入れていた。
どんな理由があって夜間高校に通っているのか知らねぇが、コイツには育ててみたいと思わせる何かがある。
「クラクションコール、ありがとうございます。街づくりは人づくりから。子供の教育に力を注ぎます、義務教育期間の医療費全額助成、保育所待機児童ゼロを目指します。丹下源太に皆様のご支援をよろしくお願いいたします」
「踏切」
すかさずカチッとマイクをオフにする音が聞こえてくる。「ふぅ」と溜息を残して、お茶で喉を潤すウグイス君がルームミラー越しに見える。
「お疲れさん」
「まだまだ、これからですよ」
「今日も終わったら学校か?」
「はい」
彼を見つけたのは偶然だった。コネクションも何も持っていない丹下ちゃんの為に、オレがウグイスを探してやると言っちまったんだ。
オレには当てがあった。あの『インフル全滅事件』の
彼女が前回の『インフル全滅事件』で足を洗っちまったから、小波事務所で抱え込んでいたウグイスやら運転手やらが暇になったはずだった。
それで彼女に頼み込んでまずはオグちゃんを引っ張ってきた。彼は小波美奈子のところで場数を踏んでる。使えるはずだというのはわかっていた。
そして、オグちゃんがインフルにやられている間も元気だった当時のウグイス嬢、あの娘を丹下事務所に引きずり込もうと思った。だが彼女がなかなか見つからない。
どこへ雲隠れしたのかと思えば、結婚して、旦那の転勤でニューヨークだったかどこだったかへ行っちまったらしい。
オレは困った。丹下ちゃんに「ウグイスはオレが探してやる」って言っちまった、もう後には引けねぇ。
だがその時に思い出したんだ、あのインフル事件の時、ウグイス嬢は弟を狩り出して手伝わせていたはずだ、と。
イチかバチかだった。「無理だ」と言われることも想定してた。そのときはそのときだ。
だが、彼は二つ返事で「やります」と言ってくれた。電話での連絡だったから、顔も知らねぇ、身なりも分からねぇ。だが、声と話し方の第一印象はとにかく良かった。ウグイスなんだ、見た目なんかどうだっていい、話し方の雰囲気の方が大切じゃねえか、俺はそう思った。
「昼間、こうやって働けますから」
何のことかと思った。さっき「このあと学校か」と聞いた事に対しての答えだと気づくのに、時間がかかっちまった。
「働きてぇのか」
「うち、貧乏なんで。僕の下に妹二人と弟がいるんです。父もいなくて」
シングルマザーってやつか。で、姉ちゃんは結婚して外国に行ったんだな。そうなりゃ、母親とコイツが確かに大事な働き手にはなる。
遮断機の向こうを電車が通り過ぎて行く。
選挙カーのすぐ横で、小学生が「上から読んでもタンゲゲンタ、下から読んでもタンゲゲンタ!」と騒いでいる。ウグイス君の効果は絶大だぜ。
「今日、小学校お休みなんですね」
「ああ、祝日だからな」
ウグイス君が窓を開けて、マイクを使わずに「ご声援ありがとうございます。上から読んでもタンゲゲンタ、下から読んでもタンゲゲンタ、あなたの街の丹下源太でございます」と一発かますと、小学生はきゃーきゃーと大喜びだ。
そうか、妹や弟がいるから、小学生の扱いに慣れているのか。
「僕が彼らくらいの頃に一番下の弟が生まれたんですよ。おむつ替えは僕がやりました。妹たちは幼稚園児だったんで、当時中学生だった姉が遊び相手をしました」
赤ちゃんの面倒も見てたのか。そりゃぁ、子育て支援の話をリアリティを以て話せるわけだ。
「弟がぐずってなかなか泣き止まないとき、仕方なくおんぶして外を散歩するんですけど……そこに来るんですよね、選挙カーが。あの当時の僕にとって、選挙カーは呪わしいものでした。だから遊説車が通る時のお母さんの気持ちって想像がつくんです」
だから、赤信号で止まっている時は音量を絞り気味にしてるのか。そして、子育て中のお母さんたちにはねぎらいの言葉をかけるのか。
ウグイス君の方が丹下ちゃんよりも育児歴は長いかもしれねぇな。
遮断機が上がった。同時にマイクオン。
「
決めた。俺はこいつを一人前にする。
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