運転手の場合(2)

「どうしたの、嬉しそうな顔して。その感じじゃ、丹下ちゃん手応え十分だったみたいねぇ」

「当たり前だ、オレがハンドル握ってんだ、勝つに決まってる。すまねぇが、これ片付けてくれるか」


 いつもの癖で出しちまったんだろう、オレの前にあるグラスと焼酎の瓶を、女房が「あぁ、ごめんねぇ」と下げた。

 オレは毎晩焼酎をグラスで一杯だけやるんだが、選挙戦の間はアルコールは一切飲まねぇ。女房も知っているから選挙が始まると出さないんだが、今日はうっかりしていたんだろう。まあ、そんなこともあるさ。


「なぁ」

「なあに?」

「丹下ちゃん、初めて会った時、確か十七歳だったよなぁ」

「そうね、輝樹てるきと同い年だったもんね」


 輝樹は十七歳で死んじまった。バイク事故だった。オレたち夫婦は輝樹を失って、生きる意味を見出せずにいた。

 空っぽになった心を埋めるために、子供を失った親たちが集まる会に参加したいと女房が言い出した。オレはそんなのに参加したくなかったんだが、憔悴する女房が見ちゃいられなくて、その会に連れて行った。


 そこには犬や猫や、ボランティアの学生がいた。動物たちは『動物セラピー』という療法の為に連れて来られていた。参加者たちは動物と触れ合ったり、ボランティアの学生に話を聞いて貰ったりしていた。

 女房はそこで「輝樹!」と、ある一人の学生に声を掛けたのだ。その学生は、後ろ姿も体格も、もさっとした雰囲気まで、輝樹によく似ていた。


 それが丹下ちゃんだった。


 丹下ちゃんは、輝樹と同い年、当時十七歳だった。「ボランティアは初めてだし、話を聞くだけしかできないんですけど、いいですか? 他の人、呼びましょうか?」と言ってくれた丹下ちゃんに「君がいい」と言ったのを覚えている。


 丹下ちゃんは、お人好しで、そそっかしく、楽天家で、泣き虫だった。

 悩み事があっても「どうにかなるさ!」と言い、困っている人には必ず手を差し伸べ、女房が輝樹の話をするのを聞いて、毎回号泣した。

 ただ泣くんじゃない、大号泣だ。周りの目も憚らず、「うわぁーん」と声を上げて泣く。「輝樹君と友達になりたかった、絶対仲良くなれたと思う」と毎回そう言って泣きやがる。オレは丹下ちゃんが可愛くて仕方なかった。


 十分心が落ち着いて、もうその会合に参加しなくても大丈夫となっても、女房は丹下ちゃんに会いにそこへ通った。だが、丹下ちゃんが大学生になって、ボランティアに参加できなくなった。

 女房は残念がった。オレたちにとって丹下ちゃんはもう息子同然だった。


 それでも近所だったのが幸いした。丹下ちゃんはボランティアに参加しない代わりに、個人的にうちに遊びに来るようになった。ご両親が家の庭で作ったという野菜を持って来てくれることもあったし、うちで飯を食わせることもあった。

 気づいた時には丹下ちゃんも大学を卒業してやがった。知らぬ間に大人になりやがって、一丁前にネクタイ締めてスーツ着て、出来立てホヤホヤの名刺を持って来てくれた。名刺には『総務部 丹下源太』と書いてあった。そうか総務部か。一体どんな仕事してるんだ。


 その頃からだ、政治の話をするようになったのは。

 結婚した社員が「保育所がずっと定員オーバーで子供が産めない」と嘆いている、育休の制度を使うように説得するが「戻った時に自分の居場所がなくなっていそうで怖い」と言ってなかなか育休をとらない、そう言ってオレに愚痴をこぼした。


 そのうちに「彼女ができた」と言い出した。結婚するつもりだという。今度紹介するなんて言い出して、「うちは親じゃねえんだから、彼女さんも何事かと思うだろうが」と言ったんだが、どうやらその彼女さんがオレたちに会いたいと言ったらしい。結局彼女さんはうちに遊びに来て……そのまま丹下ちゃんの嫁さんになっちまって、家族ぐるみの付き合いだ。二人の子供も嫁さんによく似て可愛らしい。


 奥さんの方が給料のいい仕事をしていた丹下ちゃんは、あっさり仕事を辞めて専業主夫になった。主夫になったことでいろいろな問題が見えてきたんだろう、ある日「俺、政治家になろうと思う」って言いだしやがった。嫁さんも賛成してくれたらしい、よくできた嫁さんだ。

 それでオレのところに相談に来たんだ。その時オレは決めた。あいつを一人前の政治家にしてやるってな。


 丹下ちゃんが十七歳だったあの日から更に十七年。輝樹の倍、生きてるんだな。


「なぁ。丹下ちゃん、オレたちの二人目の息子みたいなもんだよなぁ」

「そうねぇ」


 こんな事を言ったら女房はどう思うんだろうか。


「もしかすると、三人目の息子を見つけたかもしれねえんだ、それも高校生なんだがよ」


 少しだけ沈黙の時間ができた。何考えてんだろうな。


「お父さん……輝樹は帰って来ないんだよ」

「まあ、そうだな」

「輝樹の代わりにはならないんだよ」

「丹下ちゃんだって輝樹の代わりなんかじゃねぇ。丹下ちゃんは丹下ちゃんだし、輝樹は輝樹だ。ただオレは、頑張ってる子を応援したい」


 じっと黙って目の前の茶碗を見つめてい女房が、ボソリと言った。


「どこの子?」

「それがな……わからねぇ」


 笑われた。ま、そうだわな。オレも自分で笑ってるくらいだ。


「夜間高校に通ってる。昼間はうちの事務所で働いてんだ」

「ウグイス君?」


 オレは返事の代わりに笑った。


「あいつは賢い。今日も初日にして対立候補を完全に封じやがった。度胸が据わってやがる」

「へぇ、イマドキの子にもそんな子がいるんだねぇ」

「オグちゃんが丹下ちゃんの頭脳、ウグイス君が丹下ちゃんの声、オレが丹下ちゃんの足やってんだ、今回は必ず丹下ちゃんが勝つ。オグちゃんとウグイス君は丹下事務所にそのまま引き入れる。丹下ちゃんの時代が来るぞ」

「お父さんの生きがいになっちゃったねぇ、丹下ちゃん」


 そうか、いつまでも生きがいを必要としてたのは、実は女房じゃなくてオレだったのかもしれない。

 これからオレは、丹下ちゃんとオグちゃんとウグイス君に生かされるんだろうか。それもいいな。老兵はまだまだ現役だ。


「オレの底力、見せてやる。若いもんにはまだまだ負けねえぞ」


 歳をとったな、オレも。

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