この物語はフィクションでした。

はまなすなぎさ

第1話



 そこには天国なんかなくて、とはいえ、もちろん地獄なんかは僕はまだ知らないのだろうけど。

 なんて、中身も意味もない言葉だけが脳内を浮遊しはじめた時点で、僕は自分の見窄みすぼらしさを認めざるを得なかった。

 なんの変哲もない銀色の箱が立ち並ぶ街で、無機質に通り過ぎる車、車、車。舞い散る葉桜、街路樹、荘厳なエントランスを構えた商業ビル、時々素知らぬ顔で混じる富裕層の世界へ続くエントランス。僕らはかつてここを何度か通ったかもしれないし、まだ一度も通っていないかもしれない。僕はこの大都会にやってきてもう数年になるというのに、未だにこの土地のことを覚える気が全くない。

 きっと来ていたことがあるとしたら、そのときはとびきりの感嘆詞とともにこの景色の美しさを褒めちぎっていただろう。あるいは、ここでしか感じられない空気感──例えば活気とか、澄んだ風とか、隅々までよく行き届いた街のカラフルさ、その景観なんかに──心を躍らせ、ありもしない語彙力を掻き立てて、素直にその時間に幸福を感じていたに違いない。これは確信だ。もし来ていた過去があるならば、絶対にそうしている。僕はそういう人間であった。よく、たかが海外旅行で世界観が変わるやつはそもそも大した知性なんか持っちゃいないと揶揄されるが、悲しいことに、僕は多分そちら側の人間だった。なにからも軽率に影響を受ける。そしてすぐ、どこかへ忘れてしまう。記憶も。気持ちも。

 嫌味ではないが、正直なところ、勉学を修めるという決まりきった、形式ばった行為を執り行うことに問題が生じたことはなかった。だから、例えば脳に個性的な欠陥が内在されていて、そのせいで記憶力が致命的に皆無であるのだろう、だから忘れっぽいのだ、などという推論はことごとく偽だった。しからば単に興味の問題なのだと周囲に思われるには、それで十分だった。十分だろう? つまり僕という人間の性格は、人と過ごす時間というものに対して、出来事というものに対して基本的に興味を向けることのできない冷酷なものなのだと、想い出を覚える気など最初からさらさら持てない、他者から見れば味気のない木偶の坊なのだと、そういうふうに思われ生きてきた。なればこそ、悪気もなく全てを簡単に忘れるのだと。

 僕はといえば、そういう評判を受けているこの人格について半分その通りで、しかし半分はその通りではない、と思うことで、つまりそこにはもっと高尚な、あるいは逆に、他者には理解できないような仕方のない理由があるのだと信じ込むことで、最低限の非自己否定ラインを保っていた。自分で自分を悪者にしないすれすれの波面がそこだった。わかっている、そいつはどう見たってただのていのいい逃げ口上でした。指摘の全部を認めることが僕の矮小さを肯定する格好の材料になってしまうような気がして、私は判断を永久の申し送り事項にしていたのでした。そして実際、それにかなう理屈なら無限にこしらえることができたのだ。そうやって僕は僕からずっと逃げていた。

 人を悲しませて十八年経つ。いや、正直なところそんな数字の正確さはどうでもよく、それは僕が一番この話題にしっくりおさまると思える洒脱な数字だということ以外に、確固たる意義を持ちはしない。僕は、大体世間一般の大学四年生が取りうる年齢分布の、その中央値に位置する凡学生だったので、なんとなく生まれたての数年を除いて、あとは全部迷惑をかけていると勘定して問題ないだろうという浅はかな考えだけでいつもそう思っていた。どうでもいいことだ。迷惑をかけない人生なんてないし、なんなら迷惑を迷惑と思わずこの人生を支えてくれた人々──それはもちろん家族とかを含むが、これはこれで世相的には複雑な話題を含まざるを得ないのでどうでもいいのだ。僕は一般的な家庭で育った、それだけで十分だ──に対して、「僕の人生は迷惑なものだとわかっていますが、しかしりとてどう申し開きいたしましょう、まずは無限の謝罪から」などという態度をとることこそが、最上級の侮辱であることを僕は肌感で理解していた。そんなことは口が裂けても誰にもいうつもりのないことだ。とはいえ、そう思わなかった日も、まさに一日もなかったと思う。誇張かもしれない。そうだ、これも本当はもうどうでもいいのだ。

 明確に人に不利益を被らせたとき、とりわけ、人の感情に、取り返しのつかぬ傷を与えたとわかったとき、簡単に口にすべき言葉でないことを承知した上で、否、正確にはそう承知したという儀式をおこなって自分の偽善心に報いた上で、この世から消えてしまいたい、と心から思う。わかっている、そんな気持ちは他人には至極どうでもいいものであることを僕は理解している。だが、僕にとっては、これだけが唯一を誇る死活問題だった。人を傷つけてしまったら、いくら僕でも生きている価値はないのだ。譫妄のような矜持。しかし皮肉なことに、実際これに導かれるようにして、僕は、いつまでもそばにいることを誓ったはずの人とさえ、別れの瀬戸際を彷徨うろつくことになった。たかだか個人的な感情が、一生を添い遂げるという約束さえ、簡単に反故にしようとする。でも僕はそれに抗えなかった。そしてなにより、そう思った背景には、傷つけたという揺るがない事実が横たわっているのだ。それだけで、どちらにせよ全てが十分だった。

 いや──これは格好悪い格好をつけた戯言だ、と僕は僕をけなした。大丈夫、僕はまだ、これがただの慙愧に耐えない思考だと理解できるようだった。彷徨いたのは決定的な悲劇があったからでも、僕の性質に彼女が愛想を尽かしたからでもない。──傷つけたから仕方がない? この件の発端に、彼女の主体性も、関係を砕くような事故の存在だって、介在などしていないというのに? すなわちただ純然に僕が、それを、彼女と離別するか否かを──一人、長らく悩んでいただけだったというのに? つまり、始めから終わりまで、相手はそのようなこと、露ほども感付いちゃいなかった。多分、僕を、疑ってもいなかっただろう。でも彷徨きはじめた、それは僕が僕の口から、僕の考えをそっくり知らせてしまったからだった。僕は自分の心を隠しておけない。だから、つまるところ、僕が勝手に瀬戸際にした。それもつまり、僕の救えない性格の一部だった。終始僕のせいだ。格好をつけるな屑が。

 理由はなんだっただろう。初めて気持ちを明かしたとき、もちろん訊かれたはずだ。だがどうやら忘れてしまったようだった。思い出せない。気持ちはすぐどこかへいく。だから消去法が唯一の友達だった。そうだ、例えば──自分といさせるわけにはいかないから離れよう、とかいう犠牲めいた美談ではない。そんなふうに思う。そもそも彼女は僕の、この自己犠牲的な精神を好いていなかった。僕はそれを知っていた。しかし僕はそこに修繕を施すよう努めるどころか、あろうことか拗らせた尊大な自己否定感により思想を日に日に悪化させた。ついには思想は犠牲ではなく無意義な卑下を誘発し、僕はますます醜い精神投影を、その最愛の人といるまさにそのときに、自ら進んでおこなうようになってしまっていた。ことあるごとに陳腐な消滅願望を隠さず吐露した。それが癖になっていた。

 そう考えれば、ある時期からの僕らの約束された邂逅の数々は、どれだけつまらない時間だったことだろう。僕にとっても、彼女にとっても。熱のない手の平を惰性で繋ぐ日々だった。ここで邂逅と綴るのは、それが約束されていなければ発生したか怪しい程度の事象でしかなかったからだ。僕は多分、彼女に会わなければどうしようもない、という気持ちになったことがない。だから全部偶然だった。会おうと約束することは、いつも僕からではなかった。

 そうだ、だから僕はもう、僕をその人の隣に置いておけないのだ、と考えるようになったのだった。それからは、僕はもはや自分の呼吸さえ客観的に息苦しかった。この発話がうざったかった。だから僕が嫌いな僕を、僕の好きな人の側には置いておけない。それは確かに確かだった。だがだからといって、おそらくこれは傷つけないためではなく──彼女が僕のために傷つく姿に「僕が、傷つく」のに耐えられなくなって、の離別感情だった。

 より掘り下げれば、僕の愚行により傷ついているかもしれないという単なる可能性の積算に対して、もう背負えない、もう逃げ出したい、という気持ちを一方的に抱き──あまつさえ、その思考に歯止めが効かなくなってしまっていた。

 自分勝手な悩みだった。僕はそれ自体がひどく情けなく、失礼で、考えてはいけないことで、そう、考えてはいけないことで、それこそ、どこかの架空の地球にいる設定の、かの絶対遵守の能力を持つ皇子が、これまたとあるゲームの設定よろしく実はこの世界に転移しており、かつ僕の気づかぬうちに道端で僕をその力で縛っていて、僕は「こんなこと、考えちゃいけないのに、」と必死に抗いながら、その力に負けて別れを選択してしまうが、彼の目的は僕の恋人をより幸福にすることにあり、まあ実際は誰も傷つかない、的な現実だったらどんなにいいだろうと阿呆みたいな想像をすることで自我の崩壊を防ぐくらいには、僕は僕の考えの浅ましさを熟知していた。同時にその止めどなさも。

 彼女のせいではない。僕のせい。ではなく、彼女のせい。

 僕は偽善が好きだったが、もうそいつはただのごみだった。

 だから僕は、僕はなぜだか──否、心当たりなど僕のほうにも彼女のほうにも山ほどあるのだが、見て見ぬ振りをしていた──離別の考えに支配されている、ということにして黙っているつもりだった。

 お前が離れたいだけだ。

 毎日うっかり発生する言葉を、毎日入念に繰り返し抹殺していた。

 今となっては──不滅の最愛という概念を欲していただけかもしれないと、お互いこんな状態になってまで、なぜ特定の個人に執着を持つのかと──猜疑に満ちた被害妄想を抱き、同時に、即時的に、それを否定し続ける生活だった。

 暗い路地の隙間から碧い星空を見上げては、大切なんだ、この僕には彼女が、と自己洗脳を試みては──真実ほんとうか?──頭蓋の裏から誰かの思考が聞こえて唇を噛んだ──では問おう、あなたのいうその腐った愛するという言葉は、一体いかな素敵な心持ちを指すのです?

 それはただのポーズだよ。そもそも、そういう気持ち自体はどうでもいいんだろう。事の本質はそこではないだろう。だって畢竟、お前が疲れちゃっただけなんだから──そうだろう?

 ある時分から完全に答えに言い淀んだまま、僕はこんなところまで来てしまっていた。ここまでくると、もう身勝手すぎて全く面白みのない下郎だった。僕は僕の一番嫌いな人種に成り下がっていた。

 つまり、僕はもうとっくに、醜い自己正当化をする不義理な人間以外の何物でもなくなっていた。

 有り体な話だと僕は僕を笑う。笑わずにはいられない、こんなことで。お前は弱者だよ、お前だけが弱者。人から聞かされていたなら、適当に相槌を打ち、つまんねぇなあと内心毒づきつつおくびにもださないで、それらしい忠言をして立ち去っていたような、そんなどこにでもある、というのも失礼なほどくだらない悩みだと、僕はわかっていた。というより、わかっている人間を内心振舞うことで、平静を保とうとして失敗しているような、何もできないやつであるところの僕であった。しかしながら、結果的に人を傷つけてしまった時点で僕にとってこれはなによりも重要な案件であり、また同時に、その当人にとっては、こんなことで偽善ぶって悩んでいる──ふりをしている──僕なんかは、憎悪の炎で燃やし尽くしてしまいたいと恨むほどに、大きな憎しみの対象のはずだった。否、後者は単なる想像に過ぎないが。本当は、彼女がそんなことを口にしたことは一度とてありはしなかった。僕が僕の口から二人にとっての絶望を吐き出したあのとき、彼女は悲しんだが──当然だ──、不機嫌な素振りを見せたことも最近はとんとないのだった。ないので、僕が勝手にそう思っているだけなのだが、これは被害妄想を超えた譫妄の、その先にある僕によって希求された悪意だった。これを言い切ってしまえるぐらいには僕は彼女を信用していたし、彼女は僕を信用していた。少なくとも僕はそれに関しては今も疑わなくて済むことを感謝するくらい、僕たちは導かれたようにここまでの半生を共にしてきた間柄であったのだ。だから、なにも言わない彼女の態度が余計に神経を逆撫でた。そんな感情を観測して、程なく僕は自分のことを屑だと感じたが、その断罪的正義すらもう自分にとってはただのファッションでしかないのだと唐突に自覚したときに、僕は本当の意味で、本当に自分には生きている価値がないなと悟った。

 自覚してからは己の思考に素直になれた。つまり、彼女は僕に、鬱憤とか、そんな言葉では生ぬるいくらいの諦念、それからあるいは、侮蔑の眼差しなどを向けているが、同時に、心を曇らせる深い愛情によって僕を生かし続けてくれている、そういう考えが、これは僕の悪い癖だが、もう思い込みとは一線を画すような、確信に昇華していた。してしまっていた。なぜそう思うに至ったのかというと、僕自身が完全にそうであったからだった。僕がそうやって、どこかで精神の緊張を維持しつつ彼女を許容していた。失礼な話だ。しかし責任転嫁ではなかった。なぜなら僕たちは、あるいは鏡のような二人であったからだ。それは僕がそうであるように望んだからだった。だから彼女は見事に僕の分身になったし──否もしかすると、僕が彼女の分身になったのかもしれなかったが、それがもはやどちらでも良いことはどこを見渡しても明白なのだ──僕は己の悪意を彼女も同様に抱いているものと確信することに、ありえないほど罪悪感を抱かなくなっていた。そう、僕はよく確信をする。これは望まれない変化だった。

 春風が厳しさを増したので、コートを抑える手に力が入る。

 青い空を仰いでいると、こんな回想が実は虚構だったのだと明かされるのを願うばかりの、そんな今日という日であった。昼と午後の間という、なんの情報もない言葉を、僕は内心でこの時間帯に当てる。時計はつけていたががらくただ。太陽は見えないが、どこかにあることは確か。そんな天候の中で、季節を外した長袖に隠れるソーラーパネル式の腕時計は、もう数日息をしていない。どうでもいい。心から、これの復活などどうでもいい。別に時が巻かれることに恐怖感があったわけではないと思う。そんなものは誰にだってないか。純粋に。興味がないのだ。多分、もう。

 それでも、僕は僕らの過去の存在を否定する気にだけは一度たりとてなったことはなかったと、ただそれだけを誇りに思う僕だった。否、そういうことを誇りに思う自分に、最上級の賛辞を送りたがる、自分に酔っ払った日陰者だった。僕にとっての過去とは、鮮やかな想起の記憶ではなく、鮮やかな、感情の記録だった。何も覚えていない薄情な僕の、それが精一杯の矜持で、言い訳であった。だから、あるときに確かに実在したはずの──それが本当はどんな由来によるものであったにせよ──互いの感情を「はい違いますね、それは勘違いでした」などと軽々嘘にしてしまうことには、遥かな抵抗がある僕だった。それだけだった。無論それさえも、このような下卑た性根をした精神のことであるから、例に漏れず吐き気を催すほどに浅薄な偽善心によるものだ、と考えることは可能だった。しかしこれに関してだけは、僕は僕の中のどこかに潜む、欠片みたいな善の渇望による作用であるのだと、そう信じることを、やめたくはなかった。

 つまりこんなところに来てまで、まだ、僕は僕の、この救いようのなさを救済する形で、僕という、人の形をしたこの塵芥のどこかを信じたいと、そう考えてしまっていた。信じて、痛かった。だが、信じるしかないというような強迫観念に囚われていることも、また真実だった。

 多分これには原因がある。というのは、僕は、現在に至るまでに積層した全ての、事実としての幸福に感謝し、それでもやむなく今を覆っている不幸せがあるなら、どちらをも適切に見渡して溜飲を下げることが、みっともなくも一生懸命に歩んできたという自負がある過去への最大の供養であると、ずっとそう思って生きてきたのだ。そうか、そう考えると、信じたいのは僕自身の心理というよりは、過去そのものだったのかもしれない。過去。巨大な生の履歴であるところの過去だ。僕は僕が存在するという事実を常に嫌悪している。だが、だからこそこんな肉体も精神もどうでもいいと思っていたのかもしれない。なればこそ、こんな生涯にさえ僅かに灯る貴重な信仰の傀儡として自分を操ることなど造作もなかったのだ。僕は僕を生きたいというよりは、僕の信仰に生きたかった。過去をそのまま受容し感謝するという信仰に──。

 ここまで考えて、そんなのは嘘だ、と思った。聞いていられない。痛々しい。僕はこんなことを考える自分をかろうじて嫌悪できた。全て嘘、簡単な話、僕は僕が好きなだけなのだ。僕という人格が可愛いだけなのだ。だから僕を信じたいなどと綺麗事を惜しげなくほざいてしまうのだ。だって信仰とかいうその最後の堤防だって、自分に真に善の気持ちがあると信じられるからこそここまで抱き続けているのではないのか。僕は何かを信じるために自分を道化にすることで心を欺き傀儡としてその何かを信じている、のではないのだ。だってその前に、すでに自分を信じることを終えてしまっているではないか──僕は、ぺらぺらと詭弁だけが上手くなった、中身のない二十一歳だった。だから自分を信じるとか信じないとか、そういう高尚な土俵で思考をしてもいい人間だと錯覚してしまっていた。錯覚を許可されていると思うことで生きていた。僕は僕なんか信じたくはないが、ただ、二人で労力を費やした酸いも甘いもある過去を、否定したくないだけなのだと、思っていたかっただけなのだ。それを信じていたかった。その過去の本質などは見ようともせずに。

 実際、過去にしがみつくというそのくだらぬ信仰のためだけに、どこまでもありもしなかった幸せを妄想で描いているだけかもしれないことだとか、感じていなかったはずの幸福感を偽装することで僕と彼女を肯定していたのかもしれない可能性については、僕はさんざんこれまでも吟味してきたし、今回のことで最も吟味せざるを得なかったが、最悪なことに僕は頭がいいので、自分を騙すのが他のどの一芸よりも秀でている極めて阿呆な人種であった。僕は僕の心がわからないことを知っていた。知っていながら知るふりをするうちに、突然わかる日が来ると信じる以外に、生きるすべを持たなかった。幸せだと言い聞かせた数多の記憶だけが怨霊のように耳朶をすり抜けていく。悲しさはデフォルトなので、僕はこの虚無感がどこからもたらされたものなのかについて思考を巡らせるのを放棄した。違う、わかっていたが捨てたのだ。だって僕は忘れるのが得意なのだ。なあそうなのだろう?

 街が光を放っていた。

 春先の暑さが泣いていた。

 ごめんね。うずくまる僕が涙目でいったが、僕は自分の言葉をもう信じていないので彼を刺殺した。彼は笑い、ゆっくり腐っていった。遺留された血に色はなくて、少し寒気がした。

 人生は続いていく。そういうスケールの大きいことを考えないと、今にもあのトラックにふらふら近づいていきそうな、そんな心情だった。そんな刹那的な切なさで簡単に人生を閉じるほど僕は愚かではないが、同時に、理屈では説明できない突発的な行動による人生終了のお知らせを、僕は常に何よりも恐れて生きていた。高いところが苦手なのはそのためだった。どんなに注意していても、突然自分の回路が暴走して飛び降りてしまうかもしれない、そんな自分を信用していないことに由来する恐怖が、僕を高いところから遠ざける。同様に、いつあの行き交う巨大車両に接触する狂気を発露してしまうかを全く推論できない以上、僕は僕を道路から可能な限り離れた場所へ連れていく必要があった。道路。美しい構造だ。どこまでも飽くなき美しい物語の貯蔵庫だ。でも僕はここで散る気など毛頭ない。そんなことは露ほども望んじゃいなかった。

 桜色の桜を見つけたので、惹き込まれるようにそちらに向かうと並木だった。季節の木。僕は上野の広場に来ていた。でも僕はその種別を知らない浅学な男であった。葉桜、彼女から聞いた言葉だった。八重桜、それが何を示すのかを僕は彼女と桜を見るまで知らなかった。正直、今一人で上野恩賜公園とかを歩いて、あの湖といいたくなるような池の周囲を散歩したとして、八重桜はこれですと自信を持って指し示すことは百万の並行世界の一つにもないだろうと思っていた。枝垂桜、染井吉野、名前だけだ。僕はその見た目を知らない。今も昔も。知ったことがないのか、知って忘れたのかも、わからない。どんなに美しい景色も、それをどんなにつぶさに観察した果ての美しいという感情でも、僕は大抵そこに知識を伴えない。そして、覚えることがないので、次に桜の種別を知った上で気の利いた感想を述べる未来もない。

 そんな僕を、僕だけは嫌いではなく、僕でない全てが嫌っていたのだと理解するのに、いやに時間を費やしたのが成人前後の年月だった。僕がこれまで大学で学んだのは、微分幾何でも超伝導の仕組みでもなく、僕自身の不甲斐なさに尽きた。それだけが確固たる収穫だった。つまりは三年間の悲哀だった。

 珍しく白い花をつけた桜の枝先が、強風を耐え忍び大きく歪んだ桜の植え込みに落ちていたので、なんとなく拾った。その桜の木も全て真っ白だった。これは死んだ色ではない。生きた色。

 去年、同じ季節に彼女とここの夜桜を見に来た。一年経ったので、僕にとってはもうほとんど覚えていない部類の記憶。いないが、この公園に白い桜は当時二本しかなかったので、ここは多分同じ場所なのだと考えることができた。見れば今年も白い桜はここの他に一本しかないようだった。同じ桜かな。でも確信が持てなかった。僕は初めて、過去を覚えていないことをこんなにも悔いた。

 あの日、通りすがりの爺様に言われた言葉がある。その人は自分を七十九だと言ったが、そのようにも、そうでないようにも見える風貌をしていた。これは世界が終わる瞬間だよ、そう言われてもまるで信じてしまいそうなほど鮮やかに揺れる茜を桜の陰で見つめていた僕らの傍に、いつのまにかするりすら、水が上から下に流れるくらい無摩擦に、無音で、その人は収まった。そう考えると、ある意味でかなりお節介な御老公だったが。東京で見知らぬ人が語りかけてくるのは特別珍しいことではないが、奇妙なことに、僕はこのときのことだけはきちんと覚えているのだった。夕焼けと夜桜の境みたいな幻想的な時空、一条の言葉が差す。「この穢れのない、この桜の色みたいな純白のドレスを、」

「いつかこの子に着せてあげなよ」

 景色があの時と重なり、全てが確信に転化する。逆立った木の幹を撫でて、抗えず目をきつく瞑った。記憶の奔流。あの言葉への返答にと僕らが揃って作った純白の微笑みを想い出して、僕は今日初めて、心の底から少しだけ涙を流した。



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