第5話 女の子は損?得?
女の子として生まれ変わって、早一週間が過ぎようとしていた。公園の桜の大輪が気持ちよく開いている。
外で運動するにはもってこいの日和だ。けど関門が待っていた。
五年生として、女として、初めての体育の時間だ。自分の体は散々見てきたのだが、他の女の子の体を見るのは――自分が女とはいえ精神的に気が引ける。
「はい、女子たちは早く更衣室に行きなさい。男子は教室で着替えて」
内田先生が、パンパンと手を叩いて女子たちを教室から出てと急き立てる。自分はすでにジャージ姿に着替えているくせに、十分で着替えて校庭に出て遅刻厳禁なんていう。男子は楽だろうが、女子は更衣室の場所が教室から一階上がったところにあるから遅れる確率が高くなる。けど、みんなと合わせないといけない。それが学校の集団生活なんだから。
「安住更衣室に行くのか? めんどくさいから女子トイレで着替えてろよ」
階段を一段上がるところで、昇降口にいた金子が呼び止めた。いちいち鍵を取りに行って更衣室に行くよりはトイレで着替えたほうが早いのは確かだが、金子の誘いに乗り気でなかった。
家だと男女別にトイレが分けられてないから平気だが、学校のトイレの赤い女の子マークが見えると回れ右してしまう。まだ抵抗がある。緊急で学校でしなければならないときは、車イスの人用トイレを使っている。あれは男女兼用だし学校で唯一の洋式だから色々と楽だ。
それにしてもなぜか金子は最近俺に声をかけてくる。別に何かしたわけでも、してくれたわけでもなく金子の方から突っかかってくる。
階段に足を引っかけたまま止まっていると、古河が俺の手を引いた。
「みんなそこで着替えているから混んでいるわよ。私たちは上で着替えるから」
「そうかよ。まあ早く着替えて降りて来いよ」
古河の助け舟のおかげで、金子から引き離すことができて更衣室に行くことができた。こっそり「サンキューな」というと古河はにへらと笑って返した。
更衣室はロッカールームみたいな鉄製の箱なんてなく、むき出しの木製の棚が積み上がっていた。入ってみてわかるほどカビ臭い木の匂いが立ち込めていた。
入ったと同時に、視線を背けた。すでに何人かの女子が下着姿で着替えていた。女の子が目の前で着替えてくるのは、こっちが恥ずかしくなる。だが、緊張感があるだけで高揚感である心臓のドキドキは感じられなかった。
恐る恐る下着姿の女子を見てみると、なんてことはない。キャミソールとかシャツを見ているがみんな俺と同じ凹凸のないつるつるだ。髪が長いか短いかぐらいの違いしかない。なんだ一人で困惑して損したと安堵した。
「あずみん。どうしたの」
「いやなんでもねえよ」
「もしかして、下着気にしているの? 大丈夫だよ、わたしもまだキャミだもん。お母さんにブラ付けたほうがいいって言われたけど、恥ずかしいものね。みんなそーいうの気にする時期だから」
「そうなのか?」
驚いた。小学生なのに、もう相手や自分の体のことを気にする時期なのか。古河はこくこくと小鳥が首を動かすようにうなずいた。
「そうそう。金子さんも案外心の中では自分の下着変じゃないか、なんて思ったりして」
「あいつにはあだ名付けてないのかよ」
「金子さんは苦手だからつけてないの。ちょっと怖い感じがして」
ワンピースを脱いだ古河は難しい顔をして、棚に置いた体操服を被るように着替える。
それは言えてる。古河はキャピキャピしているから金子とは相性が悪いし、あだ名付けようにも文句のひとつガーガー言われて委縮するだろうな。そういう危機回避のためにも安易にあだ名がつけれなかったのだろう。
俺も古河の隣で着替えた。すると、さっき古河が目の前で着替えてもドキドキ感はみじんもなかったことを思い出した。
校庭に到着したのは授業開始二分前とかなりぎりぎりだった。しかし、必死に授業開始時間に間に合わせるために走ったのに、最初の体育がランニングとはひどすぎる。俺の不満はクラスのみんなも同じだった。しかし、口々にえーとかまじかよとか不平不満を言いながらも、文句を言っても授業が変わるわけでもない。みんなスタートラインである朝礼台前に並ぶ。
男子は七周、女子は五周と少なめなのが幸いだ。
内田先生が手を叩いてスタートの合図を鳴らす。
グラウンドに敷かれた白線に沿って外周を走っていく。ハーフパンツに半袖と肌が露出しているが、春の陽気な暖かさもあって快適だ。先に走っていた男子を一人、二人と追い抜かすと前方に女子たちがいないことに気付いた。
どこにいるのだろうとグラウンドを見回すと、一周遅れで女子たち(金子は一人だけ固まらず男子と混じっている)はグループごとに固まって同じ速度で走っていた。男子はそれぞれ自分たちのペースで先を行ったり、遅れたりと個々で異なっている。
前も後ろも男子なのに、俺だけ浮いているような場違い感を誰も気にしていないのに、いたたまれなくなる。
これは女子と速度を合わせないといけないのだろうか。
俺は形だけは全力で走っているよう腕を振りつつゆっーくりと減速して走った。そして、一番後方で走っていた古河に追いつくと同じ位置で緩やかに吹く風を受けていく。
「あずみんどうしたの? さっきまで男子と走っていたのに」
「まあ、ちょっとペースダウンだよ。長距離だしあんま走ると午後の授業疲れるからな」
「だよね。わたし体力ないからあんまり走ると春のぽかぽかで寝ちゃう自信ある」
古河がかくんと首を傾けて寝るポーズを取ると、さっき追い抜かした男子が俺の傍を通り過ぎていった。
だいぶ男子たちとの差が大きくなった。
ゆっくり走るのは楽なのだが、どうも物足りない。ランニングをしたおかげで、足のエンジンが温まってきて軽い。風も吹いてこなく、春の温和な空気が包んでいる。その中をトップスピードで走りたいと鬱憤が溜まる。暴発したのはあと二周を切った時だった。
同じ位置で走っていた男子二人が突然、長距離なのに、大きく腕を振ってスタートダッシュを決めて、走り抜けていった。まるでその二人だけ競技が始まったみたいで、相変わらずおしゃべりをする女子とは対照的だ。
脚が動いた。あの二人につられるように俺も足を出した。
風が気持ちいい。
噴き出る汗が、風で飛んで行って涼しい。
同じようにノロノロしていたのが馬鹿みたいだ。
こうして思いっきり走った方がよっぽど気持ちいい。
何人もゆっくりと俺の目には歩いているようにも見えていたクラスメイトを、追い抜かし、そいつの顔を見た。いつの間に抜かされた?と力の抜けた表情がどこか滑稽でたまらなく駆ける速さをもっと上げた。
いつの間にか残り一周となって先に行った男子たちを追いかけようとしたとき、後ろで俺を呼ぶ声がした。
「秀美、おい秀美ったら。お前突然走るんだから、声かけているんだからちょっとは止まれよ」
振り返ると、俺が追い抜かした男子は大枝で。俺を追いかけて走ってきたようだった。大枝が、何度も呼吸をして酸素を取り入れた。
「あれからなんか死んだの時の原因とか思い出せたか?」
「いややっぱり五年生までの時の記憶しかないな。未来を予想できれば何が原因で死ぬことになったかわかるんだけどな」
「思い出せそうなことがあったら、なんか言って来いよ俺も手伝うから」
手伝うと言っても、俺としてはその時の記憶よりも、今の家のことを何とか手伝ってほしい。
女として生きてきて一週間経つが、母さんの態度は俺が覚えている時と違い、厳しくなった。片足を組んでいるのもダメ。髪はリンスも使って。一言一言うるさくなった。別に俺の勝手なんだからそれぐらい好きにさせほしいのに……
ほぼ最後尾で走っていたはずの古河がいつの間にか追いついてきた。
「別に大したこと話していないって」
「ええ、何々? なに話してたの、教えてよ。なんか気になるよ」
古河が可愛らしい猫なで声で縋った。教えようとは毛頭なかった。前世の自分の死んだ原因がなんであったかと荒唐無稽なことを言っても信じてもらえないのもあるが、古河が突飛に大枝との会話を聞きだそうとしているからだ。
「なあ古河、おまえ大枝のことやけに気にしていないか。もしかして……」
古河は押し黙ると、ポコポコと痛くない程度に肩を殴った。
「もう、あずみん。言っちゃダメだよ。女の子の秘密だって」
やっぱ図星かよ。
「安住さん、古河さん。授業中におしゃべりしてはいけません。ほら走ってはして、あと一周!」
ようやく気付いた内田先生が、手遅れ気味な注意の声をすると、足を速めてさっさと最後の一周を走り切った。
女子より二周多い男子も次々とゴール。大枝もゴールすると俺の方に向き、呼吸が荒くなりながらも足を運ぼうとする、が古河に前を塞がれてしまった。
「大枝君お疲れ、結構息上がっているけど大丈夫? 先生がウォータークーラーでしっかり水分補給と休憩取れって言っているから一緒に行こ」
「あ、ああ」
いきなり古河が前を塞いだことに動揺したのか、たじろいで身動きが取れない。それを見越してなのか、古河はウォータークーラーがある屋根の下へ大枝の手を引いて行った。
大枝良かったな。お前モテ期が来ているぞ。
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