第11話 女みたいな男と男みたいな女
「秀美さ。この夏休みの間、よく女だとばれなかったな」
「そりゃ、ばれないように行動しているからな」
「俺は皮肉で言っているんだけど」
練習に行く手前、たまたまマンションの駐輪場で鉢合わせした大枝に男と偽って野球をしていることを話すと、冷ややかな笑みを返された。
大枝の自転車の前かごには水泳の着替えが入っている。夏休みの間、学校で行われているスイミングスクールに通っている。夏休みの間暇ならと親に言われて通っているそうだ。
親に仕方なしに体を動かすのもいれば、主体的に動くのを反対する親もいる。この差は一体なんだろうな。やはり男と女の違いなのか。
どうも親たちの頭の中には男は動くべき、女は動かないべきという固定観念がこびりついている。もちろん、父さんのようにそんなもの取り払っている人もいる。その意識はどこから植え付けられたのだろう。
「それで、男と偽ってでも入る理由はなんだ。岸に男と偽って入るようにはっぱかけられたのか」
「前世の記憶が見えたと言ったら?」
「ほんとか!」
大枝が押していた自転車のブレーキを思わず引き、ブレーキの金属がこすれあう音がタイヤから鳴った。
「何度かだけど、一瞬だけ見えるときがあった。ほとんど野球をしている場面で一瞬しか見えないけど」
「もしかしたら、原因が見つかる可能性があるということもか」
「おそらくな。もしかしたら大枝にもそういうのが見えるかもしれないぞ」
河川敷の傍の歩道を歩いていくと、遠くにグラウンドが見えてきた。ウチの少年野球部の白いユニフォームが残暑の日差しで白が発光して、今着ている人数まで遠くからでも見える。
ここでお別れと、自転車にまたがりペダルに足を乗せた。
「秀美、記憶を無理に引き出そうと躍起になるなよ」
「ご心配なく。俺は好きで野球をやっているんだ。大枝こそ、ムキになるなよ。お前そういうことあるからな」
アップが終わると、全員それぞれのポジションで守備練習につく。夏の大会が終わり、六年生がごっそりと抜け落ちて人数が大幅に減ったことで早くボールが回ってくる。練習量が多くなって技量が上達する反面、帽子の中から大粒の汗がつばを伝って雨どいのように地面に滴り落ちていく。
残暑が厳しいこともあり汗がドバドバ出てくるので、内野の男子が帽子を脱いではいがぐりのように刈り上げた短い髪が現れたり消えたりを繰り返す。俺の髪もいっそ短く切ったほうがいいかなと思ったが、両親から大反対された。
女の子が丸坊主なんて虐めにあったと思われるからダメ、と特に母さんから猛反対された。
俺の髪は女としては短い方であるが、汗が帽子の中にひっかかり、その中で蒸発するから頭が蒸れてしまう。
カキーン!
監督の打った打球がライトに向かって、高くライト際にまで上がった。スパイクが土を蹴り、ライン際にまで追いかける。しかし、ボールはまだ伸び続けファールラインを越してしまった。
ボールの落下地点を見ると、グラウンドの端のファールゾーンにいる女子が座っている。このままだと、ボールがバウンドしてあの子に当たってしまう可能性がある。
「危ない!」
誰かが叫んだ。座っていた女子はようやく気付いたが、もうボールは地面に落下している。
俺の脚では間に合わない! 一か八か、ヘッドスライディングキャッチで飛び込んだ。胸が地面の砂の摩擦熱でこすれ、砂粒がやすりのように擦れて痛い。体が摩擦で止まると、グローブの中に球体が飛び込んできた。最悪の事態は免れたようだ。
「あの、大丈夫ですか」
ファールゾーンにうっかり入っていた奴が心配そうに声をかけ、顔を上げる。
って、梅野じゃねえか! まずい、名前バレしてしまう。正体がバレないように帽子を深くかぶりなおして、低めの声で返事した。
「平気だ。お前、こんなところに来るんじゃねえよ。ボールが飛んでくるだろうが」
「ご、ごめんなさい。野球の風景を描こうと」
梅野、どこまでも絵を描くのが好きなんだな。けど危ないことは危ないことを伝えておかないと、また当たるかもしれない。帽子の中が見られないよう、膝を屈めて梅野の視界より低い位置で目線を合わせる。
「絵を描くのはいいが、もっと周りに気をつけてやれ。ここならバックネット裏とかもっと安全なところがあるだろ。もしボールに当たってみろ、お前だけじゃなく、周りも迷惑かけんだよ。俺が注意すんのも今回だけだからな」
「は、はい。気をつけます」
ユニフォームに着いた砂を払わず、自分のポジションにへと走って戻っていく。危ない危ない。なんとかバレないように誤魔化したけど、なんかの拍子でばれてしまっていたなんてことがないよう願いたい。
太陽が頂点を越したところで、お昼休憩の合図の笛が鳴った。暑い日差しからようやく逃れることができると、まるでヴァンパイアのように這う這うの体で日陰のある所へ駆けていく。俺と岸はバックネット裏にある木陰でお昼を取った。
弁当に入れていた保冷剤で冷めきった白ごはんを口の中で何度も咀嚼する。
「あっつ。全然暑さが緩まないな。一雨降ってほしい」
「同感。夏休みって、梅雨が終わるとどうしてぴたっと雨が降らない日が続くんだ。」
夏休みもあと一週間ほどで終わるというのに、夏の終わりが全く見えてこない。たぶん九月もこの暑さが続くだろう。九月は秋とはだれが決めた。季節が全然秋の感じがしてこなくて、気が滅入る。
ユニフォームのシャツを引っ張って中に風を取り込んで、中を冷却させる。
「お前さ、もうちょっとデリカシーとかないのかよ。男の前でそういうの気を遣うとか」
「えー、いいじゃん。俺の体男とほんと変わらないぐらいぺったんこだぜ。おっぱい大きい人ならともかく、気にしたら負けだっての」
「なんだよ女ってのは。自分の裸を見られるのは嫌なくせに……もう別のとこで食うから」
岸は顔をゆでだこのように真っ赤にして、少し離れた木陰に移動してしまった。本当に気にしすぎだろ。
すると、木の幹から梅野がかくれんぼしているみたいにひょっこりと半分顔を出していた。幸いにも帽子は被っていたが、こっそりのぞき見している梅野に正体がバレてしまったのかと別の嫌な汗が吹き出してしまった。
慌ててお茶を飲んで落ち着かせると、おずおずと人見知りな子犬が知らない犬に頑張って近づこうとするように出てきた。腕にはこの辺にあるコンビニのマークが描かれたビニール袋を携えていた。
「あ、あの。これ、さっきのお礼です」
「え? ああ、サンキューな」
受け渡されたビニール袋を受け取ると、新品のタオルと絆創膏、それにスポーツドリンクなどが入っていた。運動する人にとって必要なものがこれでもかと入っている。
「あの、こちらにはどのくらいの頻度で来られるのですか」
梅野はぎこちなく、他人に対して話すように言った。
もしかして梅野、俺のこと。気付いていないのか。野球帽とユニフォームを着ているだけなのに本当に気づいていないようだ。天然だとは思っていたけどまさかここまでとは脱帽だ。本当に脱いだら一発でバレるけど。
「夏休みは毎日だけど、学校が始まったら、週に一回か二回ぐらいだな」
「あの、お邪魔にならない程度になら。スケッチとかしても大丈夫でしょうか。僕、ちゃんと避けますから」
「観戦なら監督もとやかく言わないけど」
「ありがとうございます! これからも、応援しますので」
大きく九十度にぺこりと頭を下げると、逃げるように梅野は歩道へと走って帰っていった。終始つむじ風のように慌ただしく飛んでいき、呆然としていると岸が手に弁当を持って戻ってきた。
「あれ梅野だろ。なんか言われたか?」
「いや。なんか応援しているって言われた。どうも俺のことを別の奴だと勘違いしているみたい」
すると、一体どこから出てきたのか、他の部員たちも俺の所に寄ってたかってきた。キャッチャーが肘で俺の背中を小突いた。
「吾妻、さっきの女の子から差し入れか? まさかの青春ラブロマンスを先取りなのか! 羨ましいぞこの色男」
「バーカあいつ男だっての。お前ら節穴だな」
なーんだと、肩を落として全員そそくさと休憩に戻っていく。この騒ぎの首謀者であるキャッチャーがみんなに「間違いなく女の子だって言ったくせに、お前の目は節穴か」と責任を問われている。
目の間にいる女子に気付かない時点で、全員目がレンコン状態なんだけどな。
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