第12話 空っぽのウサギ小屋
二学期が始まって初めての週末に雨が降った。雨がある日は野球はお休みで、先ほどその連絡が回ってきた。今日は部屋の中でじっと休むもうとしていたが、ふと金子のことを思い出した。野球をやり始めてからしばらく顔を出していなかったので、金子と疎遠になっていたから学校を覗いてみようと思い立った。
学校でも会えることは会えるが、あのコンクリートのダンジョンから離れたところにある癒しの泉で会うと、心地よい。さながらウサギ小屋はゲームのイベント空間だ。
雨の音しか聞こえない校舎を通り抜けると、ウサギ小屋には金子の姿はなかった。小屋にはウサ吉たちが、新しく入れたばかりであろう餌に夢中で食んでいる。
「金子、今日来ていないのか?」
「おーい。うちの学校の子かい? 今日はあの女の子来ていないよ」
GWに俺と金子が座っていたドアが開くと、用務員のオジサンが出てきた。
「いつも週末には来ているはずなんだけどな」
「そうなんだよな。いつもあの子が餌とか掃除をやってくれるから手間が省けたのに、今日に限ってやる羽目になったよ」
「金子にサボるなとか、よく言われないな」
「残念だけど、毎度のごとく言われて尻ぶっ叩かれている」
金子がこのダメな用務員のオジサンに尻を回し蹴りで叩く姿が容易に想像できた。しかし、どうして今日いないのだろうか。風邪でも引いたのだろうか。けど前に家に誰もいないと言っていたから、一人で風邪と格闘しているのかもしれない。じっとりと不穏な空気がまとわりついてきた。
「オジサン、学校の住所録とか見られるかな。その子のいる住所を調べたいんだけど」
「悪いけど、それ俺が怒られるんだよ。守秘義務ってやつで」
「ここの生徒なのに?」
「ダメ。こっちも首がかかっている」
クラスメイトの住所ぐらい教えてもいいじゃないか。
「たぶんだけど学校の裏筋から突き当りにある団地のほうじゃないかな。あの子そっちからいつも来ているから」
「そう。ありがとう、オジサン」
用務員さんに教えられた道を進むと学校の校舎と同じ色合いをした団地群がつみきのように並んでいた。残暑の蒸し暑さが雨のためか、どこの部屋も部屋のクーラーの室外機がガンガン回っている。
手前の団地に入りポストを見てみると、『金子』の名字がすぐに見つかった。染みが目に入る階段を上がるとすぐの部屋にあった。インターフォンを押す。
返事が来るよる先にチェーンを外す音が聞こえ、扉が開くと背中まである髪を茶髪に染めたお姉さんが出てきた。身なりは出かける直前かと思わしく、肩やお腹を大胆に露出したタンクトップとミニスカートだった。どこかで見たことがある顔だった。
「宗教勧誘はお断りよ」
俺を見るなりいきなり扉を閉めようとした。慌てて、扉にしがみついて足一つ分までの空間を保たせた。
「勧誘じゃないです。どこからそんな発想でるんですか」
「ウチの家に中学の男子が来るなんて、ケンカ馬鹿の妹の恨み相手か宗教勧誘のしか考えられないの」
「俺小学生です。こんな見た目ですけどちんちんもついてないですから!」
お姉さんの長いまつ毛(たぶんつけまつげ)が二度上下すると、パッと手を離した。
「姉貴、その声安住か?」
奥から低いガラガラ声が聞こえる。部屋の中を覗くと、もぞもぞ芋虫みたいに布団にくるまった物体が玄関に向かって這っていた。
姉貴。そうか、金子のお姉さんか。改めて金子のお姉さんの顔を見ると、その顔は以前金子が見せた大人の表情と似ていた。
「志乃の友達か。じゃああと頼めるね」
「はい?」
「妹、風邪気味であたしこれから用事あるから。妹の面倒よろしくね」
言う暇も与えず玄関に置いてあったハンドバッグを手に取ると、そそくさと扉から出て階段を降りて行ってしまった。突然川の流れが変わったような急流のような勢いで去っていき呆然としていた。
「いけいけ、面倒見てもらったことなんて一度もないくせに……安住こっちきて扉閉めといてくれ。寒い」
我に返り、金子の家の中に入った。部屋に入ると、金子は布団を二つに畳んで部屋の隅の押しやると、険しい表情で睨んできた。
「なんで、きた?」
GWの時に俺に突きつけた、知られたくない静かな怒り。触れてはいけない領域に踏んでしまった警戒の視線。心にずしりと落石して重くなる。
「……その、今日ウサギたち見に来ていなかったからどうしたのかなと。ごめん。家に誰もいないとか言ってたから、一人で風邪と格闘していると心配して」
「……ちょっと昼飯作るから待っとけ」
「風邪ひいているんじゃ」
「喉だけ。昨日足ぐねったからしばらく安静さ」
金子は片足を引きずりながら台所にへと赴いた。。
改めて部屋をぐるっと見回すと、部屋の中心は布団が敷けるぐらいのスペースが確保されている。しかし、四方の隅は服が柱のように積み上がっている。どれも折りたたまれてなく乱雑だ。一つ手に取ると、サイズが大きく明らかに金子のものでなかった。男のものは一つもなく、かなり派手だ。おまけに部屋からは香水とホコリと湿気が混ざった独特の臭気が漂っていた。学校では一切そういう匂いは発していない金子には無縁であるはずのものでいっぱいだ。
「あんま触んなよ。姉貴のものだから、触るとガチギレする」
戻ってきた金子がホットプレートを持ってきて、茶色に変色したカーペットに無造作に置いた。ホットプレートが温まるとボールから肌色の液体をお玉で円を描くように垂らす。液体が黒のプレートに触れるとジュウと焼き始めると、香ばしい匂いが立ちこめる。
「つか、金子。さっきお姉さんからケンカに来たとか言ってたけど、マジ?」
「一回あった。ケンカした奴の兄貴が、どこからかあたしの家の住所を嗅ぎつけてさ。そん時は、たまたま姉貴の彼氏が家に居たから追い返せたけど。まじでビビった。姉貴もオカンもあん時ばかりはガチギレされてさ」
「家まで特定されたら怖いよな」
すると、金子は黄色い液体がついているコテを俺に向けた。
「アホ、女だけしかいないというのが知られたら困るんだよ。女しかいないってだけで格好の獲物になるんだ。家族全員襲われたらどうするんだって。てのをオカンから耳の穴がふさがるほど言われてさ」
持っていたコテを下ろし生地の上にキャベツと卵を乗せると、もう一つ目をつくり始める。金子が鼻歌を歌いながら焼いている間、俺は自分が用務員の人に言ったことにさいなまれた。学校が住所を教えないようにしているのは、そういう輩から守るためだったのか。そういうことも気付かず、金子に迷惑をかける所だった。
焼き上がった皿に差し出されたをもらった割りばしで喰らった。舌を火傷した。でもうまい。
「うまいなこれ」
「こんなん。お好み焼き粉と水と卵とキャベツ入れて焼くだけで、簡単だっての。今日は手抜き」
「いつも金子が作っているのか」
「オカンが働いているから、晩飯作れないからやっている。姉貴は自分でバイトして外で飯食っているからいつも二人分しか作らないけど」
金子は誇らしげもせず、湯気が立っているキャベツ焼きを半分口に運ぶ。けど、そういう態度をしているからこそ、自分が小さく見えてしまう。食事も自分でつくっているし、台所も皿とかが積み上がっていなかった。
金子の家はきっと色々な事情を抱えている。なのに、家事はきちんとしている。一方の俺は食器も運んでいなく遊んでいる。前世では金子のことを碌な女にしかならないと思っていないかった。いや関わろうとせず偏見を持っていた。
けど、女として、飼育係として金子と会ううちに、変わっていった。金子は、立派なやつだと。
奥からこみ上げる熱いものを、キャベツ焼きを喰らうことで消火した。舌が痛い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます