第6話 ウサギとスカートとズボンと

「秀美、どこ行くの?」

「ウサギ小屋の掃除。今日だけ行かないとなんないんだ」


 ランニングシューズの紐を縛っていると、リビングから母さんが心配する声を伴って顔を出した。桜の花もとうに散って大型連休に入り学校に行く必要はないのは飼育係もそうであったが、休みの日にウサギの世話をしていた用務員さんがその日休みなので餌と掃除をしなければならない。

 動物には休みはなく、毎日餌も食べるし、フンもする。そんなの生きて当たり前のことだけど、かたっるいのが勝ってしまう。学校がある日なら昼休みか放課後にすればいいが、休みの日になるとわざわざ学校に出かけなければならないのが億劫だ。なんで俺は飼育係になったんだと頭の中で自問自答するが、全く思い出せない。


「何時ぐらいに帰ってこれる? 夕方ぐらいになるなら、ついでに買い物もお願いできないかな。あまった分はお小遣いにしてもいいから」

「いいけど」


 母さんが買い物用のビニールの財布にお金と買い物用のメモを入れる。お手伝いをお願いすることも増えてきた。なんでしないといけないのと言えば「女の子だから」と常套句がやってくる。女だからってそんなことどうでもいいだろうに。でもお小遣いが絡んでしまうと素直に返事してしまう自分もいる。


「秀美、たまににはスカート穿けばいいのに。きっと可愛いわよ」

「別にいいだろ。それにズボンの方が穿きやすいんだから。いってきます」


 財布をひったくるように奪うと、玄関を飛び出すように出ていった。

 スカートは嫌だった。同じ女の子たちと着替えることも、女となった自分の姿を見てもなんとも思わなくなったが、スカートだけはどうしてもなれなかった。一度だけスカートがある。母さんが一着あったほうが良いと買ってきた新品だったが、下がスースーしてズボンと比べても布一枚を巻いただけと落ち着かない。

 それに鏡で自分を見た時なんか……なんか……

 チンッ――エレベーターが五階に到着したとき、財布をデニムパンツに押し込んでいく。



 学校の校門をくぐり抜けて、学校内を歩くと曲が鳴っていない敵の城に入っていく感覚に陥った。RPGの最終ステージで通路を進んでいったら、いつも鳴っていたBGMが急に止まって、この先は今までと違う恐ろしい敵が待っているぞと『無の恐怖』という魔物を味わうそれに似ていた。

 今日は休みなのでダンジョン内には鍵がかかっているから入れないが、いつも甲高い喧騒が聞こえていた校舎から物音一つ聞こえないのは『無の恐怖』が今学校を支配しているようだ。誰もいないコンクリートの城はウサギ小屋がある校舎裏に行くごとに、他の生き物も死んでしまったみたいに錯覚して『無の恐怖』の魔力が強くなってくる。


 びちゃびちゃと水道の水が流れる音が校舎裏から聞こえると『無の恐怖』の魔力が消滅した。誰かいる。今日は用務員さんがいないはずなのにと誰とも知れないやつが発した音に導かれるようにたどっていく。

 水の音は時折じゃー音も混じってあり、ホースの先をつぶして水圧を放っている。その音はウサギ小屋に近づくと大きくなり、校舎の角を曲がると演奏者の姿が見えた。


「金子、お前が鳴らしていたのかよ」

「ん。安住、お前飼育係のくせにおせーぞ。もうついでにウサギどもの小屋洗ちまったぞ」


 金子は休みの日でも相変わらずの口調だった。ホースを手に持ってウサギたちがいない小屋に水をかけていた。ウサギたちは檻の中に避難させている。だが変だ。先生から今日は俺がウサギに餌をやるように言われ、金子は明日の当番のはずだ。


「今日金子は当番じゃないだろ」

「学校が休みの日はこいつらと遊んでいるんだよ。家に居てもしょうがねえし、うさ吉たちと遊んでいる方がまだ気が楽なんだよ」

「家よりも?」

「……それ以上のこと聞きたいのか」


 家のことを聞くと金子はホースの先をつぶして水圧を強めた。俺はそれ以上聞かないように決めた。誰にも言いたくないことのひとつはある。休みの日でも学校に来るのは、言えない理由があってのことだろう。

 でも俺がそれを知ってどうなる。金子自身誰かに悩みを相談したいような奴じゃない。入り込もうとすれば反発するだろう。けど誰だって触れたくないことを根掘り葉掘り聞くのは、嫌がるに決まってる。


「わかった。俺は何も聞かなかった。あと何すればいい?」

「意外と素直だな。じゃあ、うさ吉たちに餌を……あっそうだ。キャベツねーんだ。用務員のおっちゃんの冷蔵庫に入れてあるんだった」

「キャベツないと食べないのか?」

「ぴょこ太とかキャベツがないと食べない偏食のやついるからな。ちゃんと食わさないと」


 檻の中に入っているぴょこ太(俺だとわからないが)に視線を合わせて「この偏食うさぎ」と可愛げのあるやつ弄る感じに隙間からぴょこ太の頭を突いた。

 金子ってこんな柔らかい表情もするんだな。目の前の苛々しい奴が学校がある日では絶対見せない一面。休みの日でもウサギと顔を合わせているのだから、名前も当てずっぽうでなく本当に覚えているのだろう。見えていないところで動いているのに、自分は何をしているのだと張り合いたい感情が湧きあがってきた。

 すると、ちょうど俺のポケットの中にキャベツ半玉ぐらいは余分に買えるほどのお金があることを思い出した。


「俺、金あるからちょっと買ってくるわ」

「まじ、頼むわ。その間中の掃除やっておくからな」




 近所スーパーで買ってきたキャベツを見せると、金子は口をゆがませて今にも破顔しそうに笑うのをこらえていた。


「なんで……一玉なんだよ。ぷぷっ、お好み焼きでも作る気か?」

「しゃ、しゃーねーだろ。近くのスーパーに半玉とか売ってなかったんだから」

「い、いやわかってるんだけどさ。どーすんだこれ残り?」

「……俺らが食べる?」

「生で?」

「フライパンないし」


 金子はついにこらえきれなくなり、後ろのひとまとめにした髪が大きく揺れた。


「そんな可笑しいことかよ」

「いや、だって、あたしもさ、用務員のおっちゃんに同じことしたから。どこまでおんなじなんだって、くくくっ」


 金子は用務員用の出入り口にある階段に座って、体を二つに折り腹をよじらせて笑いを抑えている。終いには拳をつくってコンクリートの階段をトンカチで叩く勢いでコンコンと叩いている。

 笑いのツボにハマっている様子に膨れた感情が、縛っていた風船の口の部分が緩んでしまったようにぷぅーっと飛んで行ってしまった。


「もういいよ。残り家に持って帰るから」

「悪かった悪かったあたしも減らすの手伝うからさ」


 金子は腹を抱えたまま、俺の持っていたキャベツの外側の三枚を剥いて、ウサギの餌に盛り付けて檻の中に入れた。同時にウサギは待っていましたと言わんばかりに餌入れに顔を突っ込ませた。

 俺と金子は階段のへりに座って、足を揺らしながら残ったキャベツを一枚づつ処理していく。

 カリポリカリポリ、檻の中でも階段でもキャベツを貪る音が二重奏のように校舎裏に鳴り響く。もう掃除が終わり水も止まっているので食べる音がより響くのでそう聞こえる。


「俺たちウサギみたいだな」

「そうなればいいのにな。人間様ほど顔の形がそんなに変わんなくて、可愛い顔してさ。人は顔じゃない魂だなんていう奴は詐欺師だね。みんな顔と性別で判断しやがる。あたし女のくせに女してなくて男女言われるしさ」


 ふいに大人みたいな哲学的な考えを述べたので横顔を見ると、もともと背が高いのもあるが、金子が大人っぽく見えた。よく見れば金子の鼻は同じ小五のくせに高く、まるで遠くの視線を見つめる厭世的な大人の女性のそれに似ている。


「誰の言葉なんだ?」


 俺はウサギのことについて話したのだが、返ってきたのは全く別の話だった。


「近所の学校の奴ら。通り際にやーい男女ってほざきやがったから一発しごいてやった」

「近所の学校の奴殴ったの本当のことかよ!?」

「自業自得。通りがかりの人に暴言吐くとこうなるを教えてやった。いい駄賃だろ」


 カラカラと勝ち誇るように腕を回すと、いつもの顔に戻った。さっき吐いた言葉とはまるで重さが違い、化かされたのではと思った。


「金子さ、どうして俺に構ってくるんだ? 初対面の時、俺にメンチ切っただろが」

「そりゃ、お前が最初男だと思ったから。でも女扱いしろとか要求しないし、男連中相手に自然に混ざって肝座ってるんだなって。安住の家って男兄弟ばっかなのか?」


 思わず膝にのせていたキャベツをおむすびころりんよろしく落としてしまいそうだった。誤解だ。ゲームとか漫画とか、周りの男子と好きなジャンルとが重なっているから話しかけやすいだけ。男から女になっても、女らしい趣味や仕草をしたら違和感があるから馴染めないだけだ。


「俺一人っ子。そういう女の子的なものは好きじゃないの」

「なーんだ。まああたしもそんなもん。古河みたいに女の子女の子なのが苦手でさ。スカートなんて、あたしには背がでかくて似合わないし」


 スカート、背が高いと似合わないんだ。考えてみれば、背の高いモデルの人とかもふりふりなスカートじゃなくパンツとかカッコイイ系のが多いな。金子の着ている服はいつもパンツ系ばっかりだ。今もやはりジーンズパンツだった。

 だがよく見ると、ウサギ小屋掃除で付いたものとは異なる汚れが目立っていた。上着も、よれよれだ。これ以上は言及しないほうが良いだろう。


「安住はオカンがスカート穿かせるとかないのか」


 背中に悪寒が走った。どうしようかと一瞬迷ったが、金子になら言及していだろうとどこかで感じた。


「スカートがさ……気持ち悪いほど似合わなくて吐きそうだった。男がスカート穿いているみたいでさ」

「生理的に合わないってことか? お前色々大変だな」


 金子は心配する一方で、オーバーに表現しすぎだと思っているようだが、実際に吐きかけた。一度母さんから、試しにと新しく買った青いレースが付いた女の子らしいスカートを、穿かせられた。股の下に空気が入り込んで気流がパンツの下で発生している。これがすーすーする感じだった。

 で、それを鏡で見ると、違和感がありすぎた。合わないパズルを無理やりはめ込んだような、男の自分が無理やり女装させられている気持ち悪さだった。しばらく見ていると、お腹のあたりから酸っぱいものがこみ上げてきてすぐにスカートを脱ぐと収まった。

 母さんは中学に上がったら制服なんだから、もう少し大きくなったら練習したほうが良いと言ったが、スカートを着た自分の姿を見るのは二度とごめんだ。



 ちなみに、キャベツは結局二人では食べきれず残りは持って帰り、今日のおかずの予定が豚肉の野菜炒めから回鍋肉に変更された。なんでメモになかったキャベツ一玉も買ってきたのと母さんがたずねると、偏食ウサギのせいだと答えた。

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