第4話 飼育係

 放課後から飼育係の仕事は始まった。五年生が担当するのは学校の校舎裏にあるウサギ小屋、近くによるだけでわらと糞尿の臭いが漂ってくる。

 金子と俺は互い話をすることなく、早々に小屋の掃除に取り掛かった。古くなった床に敷くわらをビニールに入れて、満杯になったのを外に出していく。

 大部分のわらを取り除くとこぼしたわらやフンが残っているので箒で掃いていく。もっと本格的に水洗いして掃除したのだが、床がそこまで汚れていないからまだ必要ないだろう。

 ウサギたちは人慣れしているようで、掃除をしていても隅っこに震えることなく藁を貪っている。しかしむしろ隅に逃げていた方がどれほどよかったか。箒で埃や藁を掃く音がしても長い耳をアンテナのように動かすだけで全く動かないから、ウサギの下にある古いわらを掃除できない。


「おーい、こっちの餌の方が新鮮でうまいぞ。おいでな」


 金子がウサギ用のペレットとキャベツを混ぜた餌をウサギたち一匹ずつに見せて隅っこの誘導すると、ウサギたちは釣られて金子の下に集まってきた。白い塊がぞろぞろ集まるその様は羊飼いだ。自然と金子の頭にアルプスの少女ハイジのペーターが重なって見えた。


「うまいことやるじゃねえか」

「褒めてもなんも出ないぞ。お前だって男のくせに、けっこう掃除きれいにやんじゃん」


 普通に褒めただけなのになんで皮肉に聞こえているんだよ。やっぱりこいつわざと喧嘩売っているよな。もう気にしないようにしようと手を動かすと、あいつが俺のことを男と言っていたことに、体が引っ掛かったように止まった。

 性別的には女であるが、見た目は男でおまけにズボンとロンTを着ていて、他のクラスの女子たちと比べても女の気配すらない。言った張本人ですらも何かしら女の毛質はあるのだから、俺はそう見えるのだろう。


「……やっぱ俺、男にしか見えねえよな」


 金子の手に持っていた銀皿がカランと音を立てて床に落ちた。幸いにも低いところから落ちたので中の餌はこぼれずに済んだ。しかし、金子の顔はまるで餌を盛大にぶちまけてしまったみたいに、口元があがり、眉をゆがませると七変化した。


「あっ? ……女子? まじか、安住って女子なのか?」

「男の見た目だが、女子なんだよな」

「わりいわりい男にしか見えなかった」

「おい、今朝の言葉そっくり返すぞ」

「なんだよ。謝ったじゃねえか! なんか文句あんのかよ!」


 一言一句今朝の俺の言葉をオウム返しに逆切れされた。怒ったり、表情変えたりと忙しいやつだ。

 と、金子の怒声に驚いて一部のウサギたちか小屋の中を飛び回った。あっ、まずい。俺が開けっ放しにしていた小屋の扉を閉めようとしたが、遅かった。二匹のウサギが開いた扉のほんのわずかな隙間を縫うようにして外に飛び出していた。


「おい安住、うさ吉とうささが逃げたぞ」

「誰だよそいつら」

「あたしがつけた名前だよ」


 わかんねえよ。

 飛び出したウサギ(うさ吉とうささ)たちは、小屋からそれほど離れていなかった。だが近づいたらぴょんと逃げて止まり、また近づいては跳ねて逃げるを今まで閉じ込めていた仕返しだと真っ白な体で真っ黒なことを告げているようだった。

 俺の方が四苦八苦している一方で、金子はぐるっと先回りしてもう一羽をなんなくと捕獲していた。飼育係一日目のはずなのに手際がよくウサギを腕の中に捕まえていたのもあるが、「早く捕まえておけよ」と煽ってくるものだから腹の底でこの野郎と対抗心のようなものが燃え広がった。


 ぴょんぴょんとウサギを壁際に追い詰めた。そして床がコンクリートであるのもお構いなしに、両腕のアームを広げてウサギをつかみ上げる。

 結果は失敗。体はコンクリートでなく、外に置いてあったビニール袋いっぱいの古いわらの中に突っ込んでしまった。わらが筵のように服に突き刺さり、中のシャツまで貫通して体に刺さっている。


「ドジだな。けど今日が放課後でよかったな、汚れた姿で授業受ける必要なくて」


 金子は、ニタニタと追いかけていたウサギを腕の中に抱いていた。ぶち模様があったのですぐにわかった。特段授業が好きであるわけでないが、教室で一人わらまみれの汚れた服を着ているやつがいたら嘲笑の的であっただろう。未だにわらがチクチクと刺さっていた。



 家に帰ると、俺の汚れた服を見て母さんは血相を変えた。文字通り真っ青で何度も繰り返して原因を聞くから、俺もつられて動揺してしまいそうだった。俺の前世の記憶で覚えている限り、こんなに慌てる母さんの姿を見るのは初めてだ。

 「ウサギ小屋掃除していたら、汚れただけだよ」と言うと、母さんは本当に、本当にと壊れたおもちゃのようにまた繰り返すのでそうだよと伝えると、それでスイッチがオフになり動作が止まった。


「びっくりした~秀美が何かされたのかと思った。ほら秀美、先にお風呂入ってきなさい。服は洗っておくから」


 言われるまでもなく、そのつもりだった。


 曇りガラス一枚隔たれた先の浴室に入り、熱いお湯が出るシャワーを被りバサバサと犬が水を飛ばすように髪の水分を飛ばした。

 鏡に自分の全身が映り、改めて何もない女の子としての自分の姿を拝見した。

 体は凹も凸もなく毛も生えていないから全身つるんつるんだ。水に濡れていることもあり、つるんとしている様が映えて見える。なんだか人形みたいだ。けど代わり頭が大きいから、これはマッチ棒の人形だ。おっぱいがまったく出ていないからそう思ってしまうのかも。

 そしてつるんつるんも下の所も同じだ。鼠径部から水滴が一筋伝って性器の所に向かうと、水滴はぴちょんと音を立てて落ちて水滴が小さく分裂した。

 男なら性器が引っ掛かってある程度滞留したのだろうが、情けないことに女にはそんなものはなく水は落ちてしまった。試しに太ももを閉じると、股と太ももがぴったりとくっついてしまった。股間のもぞもぞ感もない。もうこのまま人形として包装されて出荷されてもいいぐらいだ。


 ひとり自分の体で遊んでいると、髪から落ちていた水滴が少なくなってきた。そろそろ洗わないとと、いつも使っているシャンプーに手を伸ばした。父さんと共有している安物のシャンプー。それをいつもの調子でががっと洗ってシャワーでざっと洗い流す。いやなことも金子のことも全部洗い流してくれそうだった。


 浴室から出ると、母さんはごしごしと俺の服を洗っていた。


「秀美お風呂あがった? 秀美、髪ちゃんと乾かしていないじゃない。それにシャンプーもお母さんの使っていないでしょ」

「いやだって、シャンプーなんて何でもいいだろ」

「ダメよ。女の子なんだから、髪は毎日手入れしなきゃ。リンスもしたの?」

「していないけど」


 ダメ押しにまた母さんのスイッチを押してしまった。


「もう一回入りなおし! シャンプーもリンスもお母さんのを使うのよ。出たらちゃんとドライヤーして。そんなことじゃ女の子として失格だから」


 風呂に入ったばかりなのにまるで汚いものに出会ったかのようにヒステリックを起こして、母さんに背中を押されるまままた浴室に入り直しとなった。

 女の子として生まれ変わって二日目、女の子失格という烙印をクラスからも親からも見事に押された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る