第3話 突っかかる金子志乃
薄明の明かりの中、俺はランドセルを揺らしながら手をこすり合わせている。朝の冷たい空気がまだ完全に春に達していないことを肌で痛感させられる。早く学校に着きたいのだが前にいるこいつらで先に行こうにも行けない。
「ねえまだ?」
「ねむたいよ」
身長が俺と比べて四分の三以下の下級生が眠い目をこすりながら一列に歩いている。その中にはまだ傷一つも日焼けもしていない光沢が輝いているランドセルを背負っている新一年生もいるため、先頭の六年生は交差点を曲がるたびに左右確認を三度も四度もしている。
俺たち五年生は後方でその様子を眺めているが、集団登校ってこうしてみると六年生が一番負担かかるよな。一番気を張らないといけないし、さっきも親御さんに「うちの息子をお願いしますね」と早々にプレッシャーかけられたし。俺も来年からしないとと思うと気が重い。
「なあ秀美。あれからどうだ? なんか体調が悪いとか、頭痛がするとかないか?」
「なんもなかったぞ。股のあれがないぐらいで三食食えてぐっすりと問題なしだ」
「本当に大丈夫か。まだあれの時期が来ていないだけかもしれないし」
『あれ』の内容が何かわからずたずねるが、大枝は目線を逸らしながら「生理だよ。生理」と耳元でささやいた。
……あれか。女の子の日ってやつか。確かに女になったのだからそれがあるのを失念していた。しかし、そういう兆候は今も起きていない。至って健康だ。
「安住と大枝。喋ってないで下級生が列を乱していないか見てろよ」
俺たちがしゃべっている声が聞えたのか、六年生がピリピリとした雰囲気を纏いながら振り返った。機嫌を悪くしないように従い下級生に目を配らせた。
校門を通り抜けると、みんなそれまで束縛されていた縄から解放されたかのように自分たちの教室へ散会していく。さっきまで気を張っていた六年生も、空気が抜けた風船のように飛んでいった。俺たちも五年生の教室へと向かっていく。
教室に入ると、朝だというに快活な声が飛び交っている。五年の時はクラスのほとんどが大きく入れ替わったのだが、ほとんど人は何かしらのグループをすでに形成している。四年生の時も同じクラスだった岸もそうで、教室の中だというのに、そいつらとキャッチボールをしていた。
「岸君、ボール遊びなら外でやってよ。危ないよ」
「当たんないようにするからいいじゃん」
女子に忠告されても全く動きを止める気はなく白球が高々と教室の蛍光灯すれすれまで上がって教室の入り口に落ちていく。
偶然にもその近くにいたので後退しながら、ゆっくりと弧を描きながらボールを追う。
――景色が変わった。天井が消え去り、コンクリートの天井は澄み渡った青空の中にポツンと白球が浮かんだ空に切り替わっていた。
これは……俺の記憶?
体は自然と白球を追いかけ、ボールの落下地点に足を置くと、ボールが左手の中にぽすんと軽い音を立てて収まった。と同時にどんと誰かにぶつかった。
同時に景色が元の鈍色のコンクリートと蛍光灯の天井に戻った。
「おい、気をつけろよな」
「ああ、わりいわりい」
「それまじで謝ってんのか。あっ、お前昨日始業式でグースカ寝てたやつじゃんか。先公の次はあたしに喧嘩売るとかいい度胸してんじゃん」
ぶつかってしまった相手は故意でないのに謝ったにもかかわらずメンチを切られた。そいつは俺よりも頭一つぐらい背が高く、髪を一つに纏めている。そしてつり上がった目の中にある大きい黒い瞳が、金子志乃が女子であることを証明した。
「なんだよ。さっき謝ったじゃねえか。俺よりでかいからって偉そうにしやがって」
「いや、最後の言葉で思いっきりあたしに喧嘩売ってんじゃん」
金子が呆れながらも、鼻に皺を寄せてふんと鼻息を鳴らした。金子志乃、前世の記憶でも覚えてはいるが、評判は良くない。女子のくせに他の学校の男子とケンカすると噂があるほど小学生なのに見事な不良である。きっとろくな女にならないだろう。
「おい、やめろよ。秀美はわざとぶつかったわけじゃなんだから。それとも先生に言いつけてやろうか」
「はいはい、わざとやったわけじゃないのはわかっているって。寄ってたかって女の子をいじめんのは恥ずかしくねえのか」
自分のことを棚に上げてようやく金子が俺から離れ、自分の席に着くと隣に座っていた子はすっかり縮み上がっていた。次の席替えまでご愁傷様だ。
騒動になるところを見事に収めた大枝は一気にみんなの注目の的になった。だご、それに胸を張る様子もなくそそくさと教室に入っていった。
ボールをくるくると回転させて、何か仕掛けでもあったか探るが、ただのゴムボールだった。岸にボールを返すと、さっきの一部始終を眺めていたのに未だ呆気に取られていた。
すると近くで岸にボールを投げるなと怒っていた女子が、レースのついたレモンイエローのワンピースを揺らしながら俺に寄ってきた。
「あずみん災難よね、飛んできたボールを受け取っただけなのに」
「あずみん?」
「安住くんのあだ名。ひでみんでもよかったけど」
知らない。俺の限りある前世の記憶の中で少なくとも『あずみん』なんて言う可愛らしいあだ名なんてつけられたことはなかった。自分の知らないところで人間関係が進んでいるなんて、どう対処すればいいかわかんないぞ。
「ちなみに今決めた。今ね、このクラスで初対面の女の子にあだ名つけているの」
今かい! つか初対面かよ! びっくりするわ!
俺が「勝手に名付けるなよ」とむくれるがにへらと女の子は小鳥が首をかしげる動作のようにいたずら気に笑った。
「まあまあ、あずみんの方が言葉的に可愛いし。わたしは古河ゆみだから。ゆーみんでもいいよ」
「いいよ。古河で、なんか言った方も恥ずかしくなるし」
「えー。わたしはゆーみんでもいいんだけどなぁ~」
のったりとした語尾で古河は指を頬に添えた。古河は俺の記憶の限りではあまり交友はなかった。前世では金子と違い、女の子女の子して近寄り難かった。向こうも俺にアプローチをする気もなく、オシャレが好きな女子だった。金子とは別のベクトルで極端だ。
この女の子とした性質は一体どこから生まれたのだろうか。生まれ持って備わっているのか。
「そうそう気をつけてね。あずみん、金子さんと同じ飼育係でしょ」
「えっ!? 誰が決めたんだよ」
「あずみんでしょ。手あげていたし」
ああ、もう。なんで、飼育係なんて選んだんだよ俺。相方が金子になったとか気付かなかったのかよ。理由とか覚えておいてくれよ。
そしてその相方であるあいつに視線を向けると、金子は教科書一つも出さず腕を枕にしてうつ伏せに寝ていた。が、バチンと黒い瞳がAIが作動したかのように動き睨みつけた。
「なんだよ。メンチ切られたいのかよ」
遠くからでも喧嘩を売られた。完全に目の敵状態だ。まじかよ、あいつと同じ係かよ。女の子になって早々前途多難じゃねえか。
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