第8話 更衣室で裸になってみたら
長い長い雨続きの日がようやく終わりを迎えた頃、ついに体育で水泳が解禁された。
試練の時だ。今まで上着だけの着替えとは異なり、全裸になる必要がある。女子のみんなに自分の体を晒さなければならない。体は女であるけど、違いは股間ぐらいでそれより上は男とほとんど変わりない。もし、男みたいだねと言われるとこっちが恥ずかしくなる。
サボるのも手だが、五十分もベンチで体育座りして待つのは歯がゆい。おまけにプールは屋外にあるから暑い陽に晒されるから、焼け死にしそうだ。プールに入りたい。体を動かしたい。
更衣室は体育の時と同じところだが、今回は男子も隣の更衣室に着替える。
「男子、ぜってーのぞくんじゃねえぞ。のぞきしたら、飛び込み台からケツキックお見舞するからな」
「金子の裸なんて見たくもねえよだ」
金子が牽制の脅しを入れると、この時ばかりは女子からも賛辞の声が上がった。ただ、ここに一人元男がいるんだけなぁ。
あの木のカビ臭い更衣室に入ると、普段の体育と異なり満杯だ。さすがに女子便所で水着に着替えるのは抵抗があるようで、みんなこっちで着替えている。空いている棚を探そうにも、着替えている女子の間を通らなければならず生の肩と肩が触れ合いそうだ。それに着替えている子もいるからどこに視線をやればいいのか迷ってしまう。
「あずみん、早くしないと内田先生からお説教だよ」
空いた棚を古河が見つけて俺らの着替えを投げ込むと、躊躇なく俺の前で今日着ていた胸に小さなリボンが付いたノースリーブを脱ぎ始めた。周りは水着に着替えている子が増える一方で、一人だけ取り残される見えない圧力に迫られた。
あーもう、一気に着替えちまえ!
パッパッとシャツもチノパンもシャツもパンツも脱ぎ散らかして、真っ裸になった。
「あずみん! まっぱ、まっぱ!」
隣で古河が小さく叫ぶと、バスタオルを被せた。古河は自分のことでもないのに赤面している。
「あずみん大胆すぎるよ。金子さんがけん制しているからって、油断しすぎ……」
「……え? 全部脱がないと水着着られないだろ」
「隣に男子がいるんだから、なにかして来たら怖いんだって。バスタオルで巻くとか。ほら、巻いて巻いて」
女子って更衣室の中では裸になって着替えるのじゃないのか。いつも裸になってから着替えるからその癖がついていたから、ちょっとまずったかな。
バスタオルを鎖骨の下あたりまで巻き付けると、その中で水着を足元から入れていく。腰のあたりまで持っていくのは男子のと同じだが、腰から肩まで上げないといけない。
当て布を乳首の所に被せ、最後に肩ひもを通して完了。伸縮性のある水着がお腹や胸にぺったりと張りついていく。男子のと比べると、胸を守らなければならない分、体全部を拘束される感じだ。
一方、古河の服の下には、キャミソール下着でなく青のスクール水着が現れた。
「古河はもう下に水着着ているんだな」
「うん。あらかじめ着替えておけば授業に間に合うと思っていたけど、授業中まで体ゴワゴワして気持ち悪かったよ。お尻も気持ち悪かったし、次からは、やらない」
ああたしかに、今着てみても下着よりも体に密着しているから窮屈極まりない。それを体育の授業まで椅子に座りっぱなしだから嫌になるよな。授業に間に合わせるためにそこまで我慢するメリットが一時間目でもない限り少ない。それに結局また脱いで裸にならないといけないのだから、裸を見られない利点もない。
水泳帽を頭に被って今の自分の姿を下からみると、水着が少し紫もかかっているのもありなすびのコスプレしているみたいだ。
「安住。まだ成長期なんだから、自暴自棄になるのは早いぞ」
「……誰?」
「いやあたしだって」
聞きなれた乱暴な口調で呼びかけた女子が金子だと気づいた。いつもの長いポニーテールがすっかり水泳帽の中に隠れて、誰であったか分らなかった。
髪型でいつもどの子か判断しているから、こうなるとよく見ていないと誰が誰であるか見分けがつきにくいな。
「金子さん。あずみんが何か困ってたの?」
「いや、安住がさ。自分の体見ていたからぺったんこで自信ないのかなって思ってさ」
「別にそんなわけじゃないし」
「あずみん、胸はあった方がスタイルが良く見えるってお母さんが言ってたよ。大人になると貧相に見えるからって。大きすぎてもと服の種類が狭まるからそれも考えものだって」
「古河、お前の母ちゃんファッションに詳しいな」
「ウチのお母さん、ファッションデザイナーやっているから。詳しいの」
「ふーん。やっぱ服選びとかって、親の影響があるんだな。古河いつも可愛い系のやつ着ているからさ」
今まで苦手だとか言っていたはずの古河と金子が意気投合し始めた。この間の保健室で、梅野が金子のこと話していたから警戒心が薄れたのかもしれない。苦手苦手とこぼしていたのに、結構喋る喋る。
古河と金子が話している隙に、胸をナイロン生地の上から押してみる。つるんとしている。水着だからでもあるが、膨らみがない。男と変わらない、けどこれから膨らんでいくのか。
男の時なら、自分の胸に女のおっぱいがあったら嬉しい。柔らかくふにふにするあれが自分のものになって触れるのだから。
でも今はなんか、やだな…………
屋外プールに出ると、太陽がプールサイドの床をあっつあっつに焼いてくれたおかげで足をばたつかせて、足の準備体操を済ませてしまった。準備体操の最中、早くプールで足を冷やしたい衝動を抑えながら手足を動かした。
やっと入水許可が降りると、足からザブンと塩素の匂いが漂う水の中にダイブした。耳の中に水が入り込んでゴボゴボと沈む音が聞こえてくる。耳の中が水で満杯になって目を開けると、白い筋がいくつも水中を照らして、まるでステージのようだった。
水面に上がるとさっきまでの無音から、クラスメイトのきゃーきゃー涼む、折り重なった産声を上げている。
「あーつめたい」
「生き返るって感じだな」
「あずみんおじさん臭い」
「みんな静かに、まだ授業中ですよ。はい並んで!」
内田先生が笛を吹いて、水泳の授業を始める。そして授業が終わるニ十分前になると自由時間となってみんな散開すると、俺は一番レーンで泳ぐ。
前世の記憶があいまいなはずなのに、何十も脚をバタ足させても二十五メートルが遠く感じてくる。体が小さくなったせいなのか、筋力が足りないのか、水中の向こうにある壁が見えてこない。
壁にタッチしてプールの底に足をつけて一旦休憩を入れると、隣のレーンで岸が水の中に入ってきた。
「岸。一緒に競争しねーか」
「おう、ってなんだ安住かよ。男子かと思った」
岸の視線が俺の水着に向くと、機嫌悪そうに嘆息を吐いた。顔つきが前世の男の時と変わらないから男子と見間違えるのはわかる。だが、どうして女子だとわかると態度を変えるのかと詰め寄る。
「なんだよ、女子だとなんか不満でもあんのか? 女子だと差が開くとかなのか」
「だってさ、女子だったら、負けて泣いてみろよ。他の女子がどっからか集まって、なんで手を抜かないんだ。そうよそうよするから嫌なんだよ。最悪周囲から孤立するし」
「言われてみれば、そういうとこあるな」
「お前も女子だろうが」
おっと、失念していた。いかん、まだ女である意識がないから思わずうなずいてしまった。
しかし、そういう理由で責められるのは道理としてどうなんだ。普通に勝負して負けたのに、勝った奴が後ろ髪を引かれるのは変だ。
「俺はそんな泣き虫じゃないっての。つか、負けてもそんなことしねーし」
「だよな。安住は去年もそんなんだった」
去年? また前世にない微妙な出来事が起きている。
岸とは四年の時は、短距離とかかけっこを争っていたが、それでもめ事になることなんて一度もなかった。運動での友人的な関係だった。
「なんだろうな。安住だと女子って感じがみじんも感じられないんだよな。良くも悪くも、体つきもエロくないし。金子みたいな男女的なものでないし」
ドボン。岸が突然水の中に引きずり込まれた。突然消えた岸を求めて叫ぶと、水中から気泡が泡を立つと、二本の水柱が立った。岸が戻ってくると、その後ろに金子がにやけた顔で上がってきた。
「なんかあたしのことで言ったか」
「呼んでないし、引きずることないだろ!」
「こら! そこの三人、水の中に引きずり込んじゃダメでしょう!」
けたたましく内田先生の笛が鳴り響いて、なぜか俺は関与していないにもかかわらず注意された。俺はなにもしていないと弁解したが、すぐ近くにいたのだからわかったはずと受け入れてくれなかった。
まったくなんでそう決めつけるのか、理不尽だ。
プールの授業も終わり、更衣室でいつもの服に着替えなおし。今度は失敗しないようにバスタオルを巻いて肩ひもから水着を脱いでいく。プールの水が接着剤のように吸着して、着た時よりも脱ぐのに力が必要だった。
水着を下から出して体の水分をふき取る番になると、巻いているバスタオルだけでは届かない部分が拭けない。これ、もう一つタオル持ってきた方がいいかもしれないな。
四苦八苦しながら、男子より女子の方が着替えが遅い理由を体験して着替えを済ませる。
だが隣で着替えていたはずの古河が、まだタオルを巻いていた。ほかの子はもうバスタオルを脱ぎ捨てて下着になっているにもかかわらずだ。おまけに動きも落ち着かない様子。
「あずみん。ちょっとお願いしていいかな」
「……もしかして忘れた?」
小さく、ハトが首を動かすように前に首を動かして頷いた。古河の着替えが入っている棚には下着類は入っていない。それに古河が着ていたのはスカートで、うっかりすると見えてしまう。
「体操服持ってきてやるから待ってろよ」
ぱぁっと花が咲いたように古河が笑顔を見せてありがとうと、チャイムが鳴ったあとでも女子たちの話し声が絶えない中でもそのささやきが聞こえた。
教室に戻ると、まだ先生も誰も戻ってきてなく空っぽで、窓から入ってくる初夏の涼風がカーテンを巻き上げていた。古河のロッカーにある体操袋からハーフパンツを探る。誰もいないのが幸いだけど、こうしてみると、俺下着泥棒しているみたいだな。なんて……
ガラッ。教室のドアが滑る音がなると岸が、俺に指さして叫んだ。
「おい泥棒。何やってんだ!」
「俺だよ馬鹿!」
「あ、安住かよ。また間違えた」
「あほか! プールの時とは違うんだぞ!」
声を張って、怒声を上げたが内心心臓が怯えるほど跳ね上がっている。許可はもらっているのに、急に下着泥棒と言われたら誰だってびっくりする。
ろう下の向こうから男子の高低差のある声が流れてきた。そして手にはハーフパンツ。まずい……いや女子だからセーフ……にはならないよな。体操の授業の終わりなのに、体操服の下だけ持っていたら、古河が下穿いていないことがバレてしまう。
「安住、反対側から行け。遠回りになるが更衣室に届けることはできるだろ。俺がその間引き付けてやる」
岸は古河のハーフパンツを見て察したようだ。
「マジで頼むぞ。でなきゃ、他の女子に下着泥棒と間違えられたとチクってやるから」
「おどかすなよ」
岸がろう下を覗いて男子たちとの距離を見計らうと、ろう下に出て男子たちを引き付ける。その隙に俺は教室の反対側から出る。
古河に体操服を届けたあと、教室に戻ると誰も俺に向かって注目はしてこなかった。岸が上手くやってくれたのだろう。
岸の奴、女は苦手だとか言うくせになんだかんだ助けるじゃん。
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