怪盗の × 休日②
イベント広場を見下ろす二階のデッキから、ワタリはステージの上で躍動する少年たちを見つめていた。やがて、二人が筆を置いたところで再び歩を進める。と、すぐに書店の店先に平積みされたムック本のタイトルに目が留まる。
『古今東西 怪盗大図鑑』
表紙では、シルクハットと燕尾服に片眼鏡を掛けたアルセーヌ・ルパンと思しき人物がニヒルな笑みを浮かべていた。店先の一番目立つところに平積みするほどの需要があるとは思えなかったが、自身が怪盗団のボスという特殊な読者層であるワタリは好奇心からそれを手に取った。
そのタイトルどおり、新旧、和洋、さらには実在か架空かを問わず、ありとあらゆる「怪盗」たちが写真やイラストを中心に紹介されていた。よく言えば「網羅」、悪く言えば「ごちゃまぜ」だ。
興味深げにページを繰っていた手が、あるところで止まる。
『大胆不敵にして鮮やか。日本生まれの大盗賊 「アカネ」』
アカネ――。
彼らの名が世間に知られることとなったのは、十五年前の六月。とある民家の茶の間に飾られていた九谷焼の皿が白昼堂々盗み出された時、残された紙切れにその名が記されていたのが最初だった。それ以降、十年近くに渡り、彼らは美術品ばかりをターゲットに様々な手口で犯行を重ねた。その間、警察は彼らを捕まえるどころか、その尻尾を掴むことさえできずにいた。
ワタリの目が記事の中のある一文を捉えた。
『アカネが狙った獲物を逃したことは、ただの一度もない』
「ただの一度も……か」
ワタリが声を漏らした時、何の前触れもなく大音量の館内放送が流れた。
『こちら神奈川県警です。つい先ほど、館内でひったくり事件が発生しました。犯人の特徴は黒のキャップに、黒のパーカー、下は青のジーンズ。身長……』
ワタリは一瞬呆気にとられたが、すぐに周囲を確認する。見える範囲にそれらしき人物はいないようだった。
『……館内のお客様に犯人確保へのご協力をお願いします。近くにいま言った特徴に当てはまる人物がいたら、確保願います』
「え、確保って私たちが捕まえるの?」「無理じゃない?」「やだよ、怖いじゃん」
騒然とした雰囲気が巨大なショッピングセンターを丸ごと覆っていた。それも無理はなかった。一般人に犯人確保の要請をするなど聞いたことがない。
『こんなに人がいるんだから、みんなで取り押さえろ!!』
アナウンスの声の主が絶叫した。
――やれやれ、泥棒が生きにくい時代になったものだ。
ワタリはため息をつきながら、「怪盗大図鑑」を元あった場所に戻した。
× × × × ×
ホシは大きなショッピングバッグを両手に持ち、鼻歌混じりに通路を闊歩する。
休日のショッピングモールは散歩するには最適な場所だった。不思議なもので、闇に紛れて活動することに慣れると、明るい場所がなんとなく落ち着かなくなる。かと言って、昼間に出歩かないわけにもいかない。その点、人混みに紛れると幾分安心した。なにより、寂しくない。
自分がよくミステリアスだとか、プライベートが想像できないとか、強いて言うならおしゃれなカフェばかり行ってそうだとか、そういうふうに見られがちなのは自覚していたが、ホシにはそれが不思議でならなかった。こうしてショッピングモールに来ることだってあるし、ラーメン屋に行くことだってある。みんなと一緒だ。
ジュエリーショップの前で足が止まる。「この夏の新作」と書かれたパネルの下のガラスケースに、深海の青を思わせる濃紺のサファイアのネックレスが飾られていた。それに近寄り、覗き込む。さほど高額ではないが、ホシはその青に吸い込まれそうな感覚を覚える。
――値段と価値は別の概念ですよ。
いつしか聞いたワタリの言葉が脳裏をよぎる。
「よろしければ、ケースからお出ししましょうか?」
すかさずという表現がぴったりな迅速さで、落ち着いた雰囲気を醸し出す年輩の女性が声をかけてきた。目尻に優しいしわが刻まれている。その手にはすでにお出しした後に載せるためのケースがあった。
「えぇ、お願いできるかしら」
「もちろんです」
店員は慣れた手つきでガラスケースを空けると、ケースに置くことなく「お掛けになってみますか?」と言った。その時だった。
『こちら神奈川県警です。つい先ほど、館内でひったくり事件が発生しました。犯人の特徴は黒のキャップに、黒のパーカー、下は青のジーンズ。身長……』
突如、大音量のアナウンスが流れる。ホシと目尻のしわが素敵な店員は示し合わせたように天井を見上げた。
『……館内のお客様に犯人確保へのご協力をお願いします。近くにいま言った特徴に当てはまる人物がいたら、確保願います』
――確保?
『こんなに人がいるんだから、みんなで取り押さえろ!!』
ショッピングモールの館内アナウンスには似つかわしくないその乱暴な物言いに言葉を失っていたホシだったが、程なくして自分の後ろが騒がしいことに気づく。
「ねぇ、あの人じゃない……?」「え、どうする? 捕まえる?」「え、でもナイフとか持ってるかも。てか、人違いかもしれないし……」
振り返ると、人垣の合間から黒のキャップを目深にかぶった若い男が足早に横切るのが見えた。
――黒のパーカーに青のジーンズ……。
たしかに特徴は一致してる、そう思った瞬間、男の前に大きな影が立ちふさがった。と、男が消える。何かを床に打ちつけるような激しい音が騒々しいショッピングモールに響き渡った。男が影に投げられたのだとわかるまで、ややしばらく空白の時間が流れた。やがて周囲からため息のような感嘆の声が漏れる。
影の正体を確認したホシは、慌てて野次馬を掻き分け前に歩み出た。
「ちょっと、何してるのよ!?」
小声で問いただす。顔を上げたミヤマが「なんだ、お前か」と口にした。
「ひったくり犯がいたから捕まえたんだ」
「泥棒が泥棒を捕まえてどうするのよ。面倒なことになる前に逃げるわよ!」
ミヤマの腕を掴むと、ホシはそそくさとその場を立ち去った。
× × × × ×
「あ、宮間さん、何してたんですか! 遅いですよ!」
ゆったりと歩いてくるミヤマを見つけて、間渕が手を振った。
「悪かったな」とミヤマが謝る。
「列に並んでたんですけど、宮間さんが来ないから十人くらい抜かされちゃいましたよ」
そう言った間渕の後ろのドアが開き、爪楊枝をくわえニッカポッカを履いた鳶が出てきた。
「お、兄ちゃん、やっと連れ来たの?」
「そうなんですよー」と間渕が返す。男が立ち去るとミヤマのほうに振り返り、「あの人に最初に抜かされました」と報告する。
「お待たせしました! 次のお客様、何名様?」
再びドアが開いて威勢のいい声がする。
「二人です」
「違う。三人だ」とミヤマが訂正する。
「え?」
「こいつも一緒だ」
後ろを指さしたミヤマの陰で、ホシが「あぁ、いい匂い」と恍惚とした表情を浮かべていた。
「へぁ、じゃあホシさんのほうが先輩なんですね」
麺と具材を早々に食べ終え、スープを啜りながら間渕が言う。
「カラス歴ではね」
「今までにどのくらいやったんですか?」
「さぁ、どのくらいかしら? 千件くらい?」
「ひぇー、すごいっすね。さすが巷を騒がす怪盗だ。今じゃ、公園で遊んでる子どもまで言ってますからね、『怪盗カラス』って」
そう言いながら、間渕は壁に掛けられた時計に目をやる。
「お、やばい、行かなきゃ」
「用事でもあるのか?」とミヤマが尋ねる。
「仕事っすよ、仕事。カラスみたいに人気はないけど、僕らもまじめに盗んでるんすよ」
「まじめに盗むってのもどうかと思うがな」
「宮間さんも来ます? 渕本さんも本宮さんもいますよ?」
「いいよ、俺は」
「ですよね。でも、二人ともきっと会いたがってるはずですよ」
「実際に『会いたい』と言ってるわけではないんだな」
「じゃあ!」と威勢のいい挨拶を残して間渕が出ていくのとすれ違いに、新しい客が入ってくる。
「獅子屋は何にするの?」
席に着くなり小柄な少年が横の長身の少年に尋ねた。
「特製ラーメンの全部のせ、大盛り」
「え、そんなに食べれる?」
「いいさ、今日のギャラだ。腹いっぱい食え!」
二人の正面に座った川合は満足げな表情を浮かべていた。
「あ」とミヤマが呟く。ホシがその視線の先にいる少年たちを見やる。
「知ってるの?」
「あぁ、将来のターゲット候補だ」
「ターゲット?」
一瞬きょとんとするが、すぐにその意味を理解したようだった。「へぇ、モノは?」
「書道だ」
「あら、奇遇ね。昨日、烏遊のところから盗んだばかりだっていうのに」
「それがショックで寝込んでるんじゃないか?」
イベントの告知に烏遊の名前があったから見に行ったのに、ステージの上に烏遊の姿はなく、代わりに少年たちがいたことをミヤマは思い出した。
「まさか。失恋した女子高生じゃあるまいし」
そう言うホシの胸元で、つい先ほどまではなかった濃紺のサファイアのネックレスが揺れた。
× × × × ×
駅前に停車していた黒いワゴンの脇で、男がタバコを吹かしているのが目に入った。むこうもワタリに気がつくと、少し驚いた表情を浮かべたあとに手を上げた。
「久しぶりだな。景気はどうだ?」
渕本が口の端でタバコをくわえながら尋ねる。
「悪くはないですよ。ミヤマさんが入ってくれて助かってます」
「あいつは元気にやってるのか?」
「えぇ、ほかのメンバーとの相性も抜群です」
「そうか、ならよかった」
そう言って煙を吐き出す。風がないせいか、随分長いことにそこに留まってから消えた。
「今日も仕事ですか?」
ワタリが腕時計に目を落とす。十四時半を回ったところだった。
「まぁな、まだ一人揃ってなくてな……。お、来たか」
渕本の視線の先を見ると、小柄で細身の若い男が必死の形相で走り寄ってくるところだった。
「す、すみません、渕本さん」
「すぐに出発するぞ」
「はい!」
若い男は威勢のいい返事をすると、運転席へと乗り込んだ。
「じゃあな。せいぜい捕まるなよ」
「えぇ、お互いに」
渕本を乗せたワゴン車が黒い排気ガスを残して走り去るのを、ワタリは静かに見送った。
『怪盗の × 休日』 <了>
※作中で書道パフォーマンスをしていた中学生コンビ、羽鳥と獅子屋が気になった方はこちら!↓
『竜を描いて、睛を点ず』 美澄そらさん作
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887286784
(本作とのクロスオーバーに関して、事前に作者様の許可を頂いています)
※一般人にひったくり犯の確保を依頼した館内アナウンスの主が気になった方はこちら!↓
『バディ!!』 自作
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889226229/episodes/1177354054889226243
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