怪盗の × 休日①

 六月のよく晴れた休日。梅雨の合間の貴重な日光を謳歌するように、ショッピングセンターの野外イベント広場にも多くの家族連れが訪れていた。ステージの周りにはすでに黒山の人だかりができている。その中央には巨大な紙とバケツ、それに人の背丈ほどはあろうかという大きさの筆が置かれている。


「た、た、大変なことになりました!」

 ステージ脇に設営された仮設テントの中で、イベント主催会社のスタッフが狼狽した声を上げた。

「なんだよ、みっともねぇ声出して。いいか、『大変』ってのは『大きく変わる』って書くんだよ。何が大きく変わったんだよ、言ってみろ」

「う、烏遊先生が来れなくなったそうです!」

「は? どういうことだよ、それ? 予定が大きく変わるじゃねぇか」

「なんでも昨日空き巣に入られて、作品をすべて盗まれてしまったらしいんです」

 報告を受けている上司の川合が首を捻る。

「まぁ、そりゃ気の毒だと思うけどよ、それと三十分後に始まる書道パフォーマンスと何の関係があんだよ? できてる作品を展示するんじゃなくて、ここで書いてもらうんだぜ? 道具も全部そろってる。烏遊さんさえ来てくれればいいんだ」

「いや、その……ショックが大きくて、いまは書く気になれないと」

「は!? そんな失恋した女子高生みたいな理由でイベントに穴開けられてたまるかよ。烏遊さんに電話しろ!」

「あ、あの……」

「何だよ!」

「……もうつながってます」

 気まずそうに手渡されたスマートフォンの画面は、通話中であることを示していた。


 ――ばかやろう、ミュートにしとけよ……。


「もしもし、烏遊さん?」

 川合はさすがにばつが悪そうに、電話の向こうに呼びかけた。



    ×  ×  ×  ×  ×



 ミヤマが改札を出ると、子どものように手を振る間渕の姿があった。

「久しぶりっすね! 宮間さん、元気でした?」

「あいかわらず賑やかなやつだな」

「嬉しいんすよ、久々っすからね。宮間さんが脱退してどのくらい経ちました? 一年半くらい?」

 ミヤマは少し考えてから、「二年半くらいだな」と言った。

「え、もうそんなに!? いやぁ、月日が流れるのは早いっすね」

 確かに早いな、ミヤマは心の中でそう呟いた。


 渕本がリーダーを務める強盗団を脱退してすぐに「カラス」に入ることになったミヤマは、それからなんだかんだ忙しい日々を送っていた。渕本が餞別にくれた金に手を付けることもなかった。決して恩義を忘れたわけではなかったが、身勝手な理由で辞めた手前、こちらから連絡をするのはなんとなく気が引けていた。そうこうしている間に二年半という時間が過ぎていた。

 そんな折に、突然間渕から連絡があった。「久しぶりにラーメンでも食べに行きましょうよ!」と電話口で言った言葉に、深い意味はなかったに違いない。


「渕本と本宮は元気か?」

 間渕が行きたいと言ったラーメン屋に向かうまでの道すがら、ミヤマは気になっていたことを尋ねた。「ニュースにはなっていないから、捕まってはいないみたいだが」

「二人とも元気っすよ。本宮さんは最初は宮間さんと……あ、宮間さんが抜けて三カ月くらいしたら、新しい宮間さんが入ったんですよ。その宮間さんと最初はりが合わない感じでしたけど、いまはなんとかうまくやってます。でも、やっぱり宮間さんとのコンビのほうがいい感じっす」

「……ややこしいな」

 渕本、本宮、宮間、間渕。四人で形成された強盗団は、やはりミヤマが抜けたあとに新しくメンバーを補充し、変わらず名前でしりとりを続けているらしかった。


 ショッピングセンターの前を通りかかったところで、ミヤマの足が止まった。「本日のイベント」という掲示を無表情に見つめている。

「あれ? 宮間さん、どうかしました?」

 ミヤマが付いてきていないことに気づいた間渕が声をかける。

「あぁ、ちょっとな……」

 動き出そうとしないミヤマの横に間渕が戻る。

「……書道パフォーマンス? へぇ、こんなのがあるんすね」

「ちょっと先に行っててくれ」

「え、先にって……」

「そのラーメン屋、混むんだろ? 先に行って並んでてくれ」

 そう言い放つと、ミヤマは脇目も振らずにショッピングセンターの中へと入っていった。



    ×  ×  ×  ×  ×



「どうでしたか?」

「だめだ!」

 川合が苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。「これだから芸術家先生は困る」


 十五分近く説得と懐柔を試みたが、烏遊の気持ちが晴れることはなかった。時計を見る。すでにイベントの開始時刻まで十分を切っていた。どのみち、いまから烏遊が家を出たところで到底間に合わない。

「あぁーっ、くそっ!」

 川合が両手で頭を掻きむしった。「おい、このなかに書道やってたやつはいるか!? 学生時代に書道部だったとか、書き初めコンクールで入賞したとか、なんでもいい」

「え、そんな……」

 テントの中が静まり返った。この流れで手を上げる者などいるはずがない。


「あの!」

 その時、後方から威勢のいい声が響いた。みながそちらを振り向く。髪をぼさぼさに伸ばした長身の少年と小柄で病弱そうな少年の二人が、テント内に足を踏み入れていた。

「なんだ、君たちは? 関係者以外立ち入り禁止だ」

「あの、僕たち東南中学書道部の羽鳥と……」

 小柄な少年はそこで、後ろで大きなあくびをしているぼさぼさ髪を振り返る。「獅子屋って言います」

「書道部?」

 川合の眉が動く。

「はい。いま『書道部のやついるか?』って聞こえたので」

「いや、確かに言ったけどよ」

「書道パフォーマンスできる人がいなくて困ってるんですよね? 僕たちできます! な、獅子屋?」

 獅子屋が「おうよ」という声とともにピースをする。

「あのな、坊主。気持ちはありがたいけどよ、遊びじゃねぇんだ。中途半端なもん客に見せたら、こっちの沽券に関わる。わかるか? 沽券って」

 つい先ほど書き初めコンクール入賞者を探していた川合が、自分の発言を棚に上げて高圧的な物言いで言った。

「沽券だかなんだかわかんないけどよ」と獅子屋が反論する。「中途半端かどうかは、見てから決めてくれよ」

 そう言うと、おもむろにスマートフォンをテーブルの上に置いた。音量を上げる。状況を見守っていたスタッフたちが一斉に覗き込んだ。


 音楽にあわせて画面の中で二人が動き回るのを、みな固唾を呑んで見つめた。時折、感嘆の声が漏れる。音楽が終わり、完成した作品が露わになった時には大きな歓声が上がった。

「か、川合さん、これ……」

「……お前ら、ギャラは出ないぞ」

「ラーメンでも奢ってくれればそれでいいよ」

 獅子屋がにやっと笑って言った。川合が腕時計に目を落とす。

「もう時間過ぎてる。急いで準備しろ! おい、アナウンス入れろ! 予定は大きく変わって『男子中学生コンビによる書道パフォーマンス』だ!」



    ×  ×  ×  ×  ×



 音楽にあわせて交互に巨大な筆を振るう少年たちを、離れたところからミヤマは物珍しそうに眺めていた。


 ――書道ってのは頭にハチマキ巻いて袴で静かにやるもんだと思ってたけど、こういうのもあるのか。


 やがて音楽が終わると、少年たちは優に五メートルはあろうかという紙の両端を抱えて誇らしげに観客に披露する。どよめきに似た歓声と拍手が沸き起こる。


りゅうえがいて、ひとみてんず……か」


 堂々としたその文字の背後に、墨で濃淡を巧みに表現した雲が描かれていた。竜こそ不在だったが、雲の向こうを天に向かって登るその姿が目に浮かぶようだった。ミヤマはゆったりとした拍手を少年たちに送ると、静かにその場を後にした。


 ――ボスがもしここにいたら、彼らの作品も盗むだろうか。


 そんなことを考えていた。



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