* 怪盗の休日の × 後日談 *

 大鷹美琴おおたかみことは緊張した面持ちで無機質な廊下を歩いていた。仕事柄ヒールの高い靴は履かなかったが、それでも靴音は誰もいない空間に高らかに木霊こだました。「本部長室」と書かれた木製の扉の前で立ち止まると、ふぅっと大きく深呼吸をする。


 例のショッピングセンターで自身がひったくりに遭った事件で、犯人逮捕を優先するあまり一般人を危険に晒したことに関しては、減給や戒告などの懲罰処分こそ免れたもののすでに厳重注意を受けていた。


 ――これ以上、何があるって言うのよ。


 扉を恐る恐るノックすると、「どうぞ」という低い声がした。


 これまでに数回しか足を踏み入れたことのない部屋の奥、窓の前に置かれた大きなデスクに神奈川県警察本部長の西村が座っていた。眼鏡を掛け、手にした書類に目を落としている。その傍らには、刑事部長の秋月と捜査三課長の只野の姿もあった。


「呼び出して悪いな」と只野が言う。

「このあと会議が入ってるんであまり時間がない。端的に要件を伝える」と秋月が後を引き継いだ。

 そうしてくれ、と美琴は心の中で呟いた。

「きみに内示が出てる」

「……内示?」

 まったく予想していない展開だった。次の瞬間、頭をよぎったのは「左遷」という言葉だ。


「刑事部捜査三課、大鷹美琴殿。七月一日付で、警察庁刑事局組織犯罪対策部への配置転換を命ずる」

「……警察庁?」

 頭の処理が追いつかない。

「きみも知っていると思うが」と本部長の西村が、眼鏡をはずしながらゆったりとした調子で口を開く。「刑事局は、いわば全国の警察刑事部の統括組織。刑事としては正真正銘の出世コースだ」

「栄転だよ。おめでとう」と只野が自分のことのように嬉しそうな表情を浮かべた。その根の優しさが、いまいち出世できない原因でもある。

「どうして……なぜ私が?」

「きみの刑事としての機転、勘の良さ、ときに一般人を危険に晒すことも厭わない行動力を見込んでのことだ」

 秋月の最後のセリフは、くだんのひったくりの件に対する皮肉を存分に含んだものだっただろう。


 でも、と美琴は思った。本庁の刑事局はいわゆる「キャリア組」の指定席だ。美琴のような国家資格を持たない「ノンキャリ組」が行ける場所ではない。

「今回は本庁から異例のご指名だ」

 美琴の疑問を察したように、西村が付け加える。「きみの配属先は『特殊窃盗団対策課』だ」


 ――特殊窃盗団対策課……?


 聞きなれない名前に眉をひそめる美琴に向かって、秋月が説明を加える。

「一般には公表されていないが、通常現場での捜査を行わない本庁の刑事局において、唯一自ら捜査活動を行う部署がある。それが特殊窃盗団対策課だ」

「一般には公表されていないって……メディアにも知られていない組織ということですか?」

「そうだ」

「なぜ?」

「厳重な情報統制。「特窃とくせつ」が扱う案件はそれだけ機密性が高いということだ。情報が少しでも漏れれば、捜査は後手に回ることになる」

「『特殊窃盗団』っていったい何のことなんですか?」

 秋月の回りくどい言い方に、短気な美琴は若干の苛立ちを滲ませて言った。その質問に束の間の静寂が訪れる。それを破ったのは、本部長の西村だった。

「今日現在、この国において『特殊窃盗団』に該当する犯罪組織はただ一つ」

「……まさか」

 西村が大きく頷く。


「怪盗カラスだ」



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