* 違う「次元」の × 特別編 *

 深夜の都心をサイレンがつんざいた。赤色灯が至るところで夜の帳を赤く染めている。


「そこを左だ」

 ミヤマの言葉と同時に、ホシがハンドルを切る。ラジオからは「Sing, Sing, Sing」が流れていた。

「チャンネル変えてくれない? いい曲だけど、せっかくの緊迫感が台無しだわ」

「あるか? 緊迫感」

「強盗犯が警察に追われているときになかったら、いつあるのよ?」


 まもなく首都高の入り口が見える。「なんだ、あれ?」とミヤマが呟いた。

 がらんとした片側三車線の道路のど真ん中で、黒いスーツに中折れ帽を被った細身の男が仁王立ちしている。

「酔っ払いか? 寝つきが悪くなるから、轢くなよ」

「あなた、ホラー映画観ながら寝てるじゃない」


 ホシがやや速度を落として男の右脇を走り抜けようとした、その時だった。男が口元に笑みを浮かべるのをミヤマは見た。左手で帽子を押さえると同時にひらりと身をかわし、右手に持った黒い物体をこちらに向けた。次の瞬間、破裂音とともに二人の乗った車が激しく蛇行する。悲鳴とともに、ホシがブレーキを目いっぱい踏み込んだ。ミヤマが前頭部をダッシュボードに打ちつける鈍い音が響いた。

「痛っ……」

「なによ、いまの!?」

「リボルバーだ。タイヤを撃たれたんだ」

 おでこを押さえながら、ミヤマが直前に見た光景をホシに伝える。

「銃? いったい何者?」

「警察じゃなさそうだな」


 ミヤマが喋っている間に、助手席の窓外に明かりが灯った。男がくわえた煙草にマッチで火をつけていた。ミヤマが車を降りると、ゆっくりと銃口が向けられた。

「そこまでだ。鉛が食いたきゃ、そう言いな。お前の胃袋に直接ごちそうしてやる」

 細面ほそおもての男の口の動きにあわせて、煙草の火とあごひげが揺れた。中折れ帽の下で眼光が鋭く光っている。


「やれやれ」とミヤマはため息をついた。「俺たちはタクシーじゃない。それに、タクシーを止めたいなら、銃で撃つより手を上げたほうがいい。タイヤがパンクしちまったら走れない」

「あいにく、俺の狙いは車じゃない。あんたが持っているお宝だ」

 男は、あごひげでミヤマの後ろにあるアタッシュケースをしゃくった。

「これのことか?」

 ミヤマが座席の上からアタッシュケースを持ち上げる。

「そうだ。話が早いじゃないか」

「苦労して手に入れたお宝を初対面のやつにおいそれと譲ってやるほど、俺たちはお人好しじゃない。だいたい、あんた、いったい何者だ?」

「マナーを知らねぇのか? 相手の名前を知りたけりゃな、まず自分から言うもんだ」

 ミヤマは幾分むっとしながらも、「俺はミヤマだ」と素直に答えた。

「ほう。俺の名前は……」


「嘘でしょ?」

 運転席から降りたホシが言葉を失った。中途半端に口を開いたまま、男の顔を見つめている。

「……実在してたなんて」

 ホシの大仰な言い草に、ミヤマは首をひねった。

「あんた、伝説のガンマンとかなのか?」

「まだ現役だ。伝説にするには早すぎる」と男は笑った。

「あなた、泥棒のくせにこの人を知らないの?」

「お、そっちのお嬢さんのほうが話が早そうだな」

「お嬢さん……」

 低くしわがれた声で発せられたその言葉に、ホシが頬を赤らめた気配があった。


「せっかくお近づきのところ残念だが、のんきに道の真ん中でおしゃべりをしている暇はないんだ。おとなしく渡してもらおうか」

 そう言うと、スーツの男はなんの躊躇いもなく、立て続けに二回引き金を引いた。アタッシュケースを持ったミヤマの手に二度衝撃が走った。すぐに、ドンっと重いものが落ちる音がする。不意に握った手が軽くなった。見ると、取っ手の先が消えていた。


「ありがたく頂戴していくぜ」

 取っ手のなくなったアタッシュケースは、すでに男が抱えていた。そこに、黄色いフィアットが派手なブレーキ音と一緒に現れる。男は滑るようにルーフを乗り越え、器用に助手席の窓から車内に収まった。運転席で、赤いジャケットを着た猿顔の男が満面の笑みで手を振っている。後部座席には、場違いな袴姿の男が白木の棒のようなものを抱えて目を瞑っていた。右目だけでちらりとミヤマを見やると、再び目を閉じた。


 走り去る黄色い車体を呆然と見送る二人を、いまにも壊れてしまいそうな旧型のブルーバードが猛スピードで追い越していく。


「結局、あいつらは何者なんだ?」

「この国で最も有名な怪盗よ」

「最も有名? 俺たちじゃないのか?」

「向こうはTVシリーズに映画化までされているのよ? 足元にも及ばないわ。残念ながら」

「そうか」とミヤマは残念そうに呟いた。「せっかく盗んだのに、盗まれちまったな。ボスには何て言おうか?」

「事実をそのまま伝えれば、『それは貴重な経験をしましたね』って言われるわよ。これは特別編だから、カラスが失敗したことにはならない」

「そういうものか? なんだか、都合がよくないか?」

「だって、あんな大怪盗が出てくるなんて思わないじゃない。卑怯よ」

 ホシの釣り上がった目はすぐに垂れる。「それにしても、渋かったわね」


 ミヤマはホシが何のことを言っているのかわからず、手に握られたままのアタッシュケースの取っ手を見つめた。それから、なんとなく視線を上に転じる。


 ちょうど、一筋の流れ星が、東京の夜空をけたところだった。





※当初予定していませんでしたが、モンキーパンチ先生の訃報を受け、急きょ特別編をお送りしました。ご冥福を心よりお祈りいたします。

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