盗むだけが × 仕事じゃない①
「
気心の知れたテレビ番組制作会社のディレクターが、カルボナーラをフォークで巻き取りながら尋ねた。昼時を過ぎたファミレスにはのんびりとした時間が流れていた。
「あぁ……その話は雑誌のインタビューとかでも何度か聞かれたことはあるんですけど、誰も信じないんですよ」
「信じない? 嘘っぽいんですか?」
「嘘っぽいんですけど、嘘じゃないです。本当の話。聞きます?」
「えぇ、ぜひ。あ、でもその前にコーヒー頼んでおいていいですか? 飲みます? コーヒー」
「あ、じゃあホットで」
ディレクターが通りかかった店員にホットコーヒーを二つ注文する。店員が注文を持ち帰るのを見届けると、ディレクターは続けた。
「メディア向けの仕事をするようになったのって、うちで作ったあの題字が初めてですよね?
「ええ、そうです」
× × × × ×
二年前のある日、まだ知り合ってもいなかったいま目の前にいるディレクターから突然電話があった。
「烏遊さんですか? 送ってくれたあの……筆文字って言うんですか? すごくいいですね! 今度、在京局で新しく始まるドキュメンタリーをうちで作ってるんですけどね、その番組タイトルの題字をぜひ書いてほしいと思ってるんですよ。イメージ的には、あれです、『プロジェクトX』みたいな感じ」
烏遊は何のことだかさっぱりわからなかった。そもそも、当時はまだ烏遊などとは名乗っておらず、極めて典型的で日本人的な本名のほかに通り名やペンネームのようなものも持っていなかった。もちろん烏遊は最初不信がったが、「筆文字」という言葉が引っかかり、自分が送ったことになっているその書を写真に撮って、メールで送ってもらうことにした。三十分と待たずに送られてきた写真を見て、烏遊は唖然とした。
『怪盗カラス参上!!』
およそ書道の基本を無視した乱筆で、一メートルほどはあるであろう縦長の紙にでかでかとそう書かれていた。左下に小さく「烏遊」とあるのが見える。そんなものを書いた覚えはなかった。だが、まるで酒に酔っ払ったように乱れてはいても、その筆跡は間違いなく自分のものだった。
結局これがきっかけで、企業ロゴやキャッチコピーを書く仕事をするようになり、あれよあれよという間に、烏遊は「人気書道家」として一躍名を馳せるようになった。
× × × × ×
「それまでは、何をされてたんですか?」
「しがないサラリーマンですよ」
「書道はされてたんですよね?」
「えぇ、子どものころからずっと。社会人になってからも、ボランティアで同じマンションの子どもたちに習字を教えたり、細々とコンクールに出したりはしてましたけど」
「ほー、コンクールですか。烏遊さんくらいになると、入賞されることも多かったんでしょうね」
「いえいえ、入賞なんて数えるほどで。何度か美術館に飾ってもらったこともありましたけど……」
そこで思案顔になった烏遊に、ディレクターは不思議そうに声をかけた。
「どうかしましたか?」
「いや、いま思い出したんですけどね……」
× × × × ×
あれは、ディレクターからの電話がかかってくる半年前くらいだったろうか。あるコンテストで入賞し、都内の美術館で開かれた展示会に自作が出展されることになった。会期初日に会場を訪れ自分の作品を眺めていると、すぐ横に青年がやってきた。食い入るように烏遊の書を見つめているものだから、なんだか照れくさくなり、その場を離れて会場内を一通り見て回った。だが、驚いたことに、烏遊が戻ってきた時もまだその青年は同じ場所で同じように作品に見入っていた。
「この書を気に入っていただけましたか?」
烏遊は恐る恐る声を掛けてみた。青年は少し驚いたように烏遊の顔を見たが、すぐに人懐っこい笑顔を見せた。
「はい、とても。もしかして、あなたの作品ですか?」
「えぇ、まぁ……」と烏遊は恥ずかしそうに答える。
「それはすごい!」
そう言って青年は手を差し出した。ややあって握手を求められているのだと解し、烏遊は青年の手を握り返した。
「とてもお上手ですね。なんて言うか、まさに習字のお手本っていう感じ」
おそらくは純粋な賛辞だったであろうその言葉に、烏遊は顔を俯けた。まさに青年が言ったその言葉こそがコンクールの選評として贈られた言葉であり、烏遊自身の自作に対する長年の認識だった。
『あくまでも書道の基本に忠実。だが、遊びがなく、面白みに欠ける』
子どもに習字を教えるのには適任だったが、書道家、芸術家としては凡庸と言わざるを得なかった。
――もう一段、突き抜けたい。
「でも、もうちょっと弾けてみたらいいんじゃないですかね?」
「え?」
「遊んでみるというか、書道パフォーマンスみたいに『ぐぁっ!』って」
そう言って青年は見えない巨大な筆を両手で抱えると、下から上にダイナミックに払った。烏遊は呆然と青年を見つめていた。
「すみません。失礼なこと言って」
「い、いえ。自分でもそう思ってたので……まさしくその通りだなと思って」
目の前のあどけなさが残る青年に、自分の心の内を見透かされた気分だった。
「もし、どうしたらいいのかわからなければ、お手伝いしましょうか?」
「え? 手伝い?」
首をかしげる烏遊に向かって、男は胸ポケットから四角い紙片を取り出した。てっきり名刺だと思ったが、そこには「Bar CROW」の文字と都内のある住所が書かれているだけだった。
「三日後の夜にそのお店でお待ちしています」
そう言い残して立ち去ろうとする青年を、烏遊は慌てて呼び止めた。
「あなたは?」
「申し遅れました。私はワタリという者です」
ワタリは最初と同じように笑顔を浮かべると、颯爽とその場を後にした。
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