泥棒と × 怪盗の違い

「強盗犯がこの画廊から出てくるところを目撃されたんですね?」

 深夜に差し掛かろうとしている銀座の一角。とある雑居ビルの前で、赤色灯が回っていた。末松刑事は、目の前の若い男に質問を投げかける。

「えぇ、そうです」

「何時くらいですか?」

「えっと、二十分くらい前なんで、二十三時半前後ですかね」

 末松の横で、大鷹という名の若い女性刑事がメモを取る。


 遡ることおよそ三十分――


    ×  ×  ×  ×  ×


 一台の黒いワゴンが静かに路肩に停車し、両側のスライドドアが同時に開く。男が右から、女が左のドアから降りる。夜の闇を縫うようにして雑居ビルの前に達すると、ガラス戸の前で男がしゃがみ込む。女は注意深く通りを観察する。人の気配を感じると、女は男に声を掛けた。男がすばやく立ち上がり、女と体を密着させる。人目をはばからずいちゃつくカップル。深夜の繁華街の片隅では、よく目にする光景だ。人の気配がしなくなると、二人はすっと離れ、男は再びガラス戸と向かい合う。


 それを繰り返すこと数回。男が小さく声を上げた。

「開いたぞ」

 その言葉どおり、男が取っ手を引くとガラス戸はゆっくりと開いた。二人はすばやく建物の中に身を隠す。


 そこは銀座の裏通りにある画廊だった。ほとんどの通行人が目もくれないその小さな画廊は、まだ名の通っていない画家や彫刻家の作品を展示していて、そういった芸術家の作品を愛好する人たちの間では知らぬ者はいないほど有名な場所だった。だが、いまそこにいる男女二人組はもちろん熱烈な愛好家ではなく、泥棒だ。


 二人は手際よく展示されている美術品を物色していく。時折短い会話を交わしながら、そのうちのいくつかを大ぶりなトートバッグに入れた。およそ五分のうちに十点弱を盗み出すと、バッグに入らない絵画などを小脇に抱え、その場を後にする。


 ワゴン車に戻ると、示し合わせたかのように二人同時に大きく息を吐いた。車がゆっくりと動き出す。

「うまくいったな」

「そうね」

 安堵の言葉を交わした直後、二人は異変に気づく。二人が寄りかかっている背もたれの後ろ、三列シートの最後列からうめき声が聞こえる。二人が驚いて振り返ると、運転担当の仲間の男が後ろ手に縛られ、猿ぐつわをされていた。今にも泣きそうな瞳で二人を見つめている。

「え……」

 ちょっとやそっとでは動じない性格の女が言葉を失う。仲間がこのような姿でいるからではない。運転手がいないはずの車が動いているからだ。

「お、お前たち、いったい誰だ!?」

 先に叫んだのは男のほうだった。


 助手席に座ったミヤマが運転席のホシに顔を向ける。

「俺たちに訊いてるのか?」

「でしょうね」

「俺たちに訊いてるのか?」

 今度は後ろを振り返り、幾分声を張り上げる。

「そ、そうにきまってんだろ!」

「やっぱり。だから言ったじゃない。余計に怒らせちゃったじゃないの」

 呆れたようにホシが言う。

「俺はミヤマだ」

 本格的なため息がホシの口から漏れる。

「あなたって本当に真面目ね。馬鹿正直に自己紹介する怪盗がどこにいるのよ?」

「別にいいんじゃないか? どうせ本名じゃないし」

「あ、それも言っちゃうわけね」


 ホシは人気ひとけのない場所を選んで車を停める。シートベルトを外すと、体ごと後ろに向き直った。

「あなたたちが盗んだものをあらためさせてもらうわ」

「検める?」

「バッグの中を見せて」

「ふ……ふざけるな!」

 男が勢いよくドアレバーを引いた。が、ドアは開かない。女も試すが、結果は同じだった。車内に一瞬の沈黙が訪れる。

「残念だけど、ドアはロックしてあるの」

「ふ、ふざけるな!」

 つい先刻と同じセリフとともに、男が前の席に座ったミヤマの喉元に何かを突きつけた。ミヤマは見るまでもなく、それがナイフであることを察した。

「おいおい、お前らも俺たちと同じちんけな泥棒だろ? 殺人犯にはなりたくないし、そんな覚悟もない。違うか?」

 男は返す言葉もなく、硬直する。

「だったら、身の丈に合った武器を用意したほうがいい」

 ミヤマはそう言い終わるや否や、男の顔面に向かってスプレーを噴きつけた。男が身をもだえる。

「ちょっ……」

 口を開きかけた女にも、ミヤマはスプレーを浴びせた。甲高い悲鳴が車内に響く。

「くそっ、こっちまで目に染みる」

 ミヤマが目頭を押さえる。霞む視界で運転席を見ると、見慣れないメガネ姿のホシがいた。

「備えあれば患いなし。身の丈に合った防具よ」

「メガネで防げるのか?」

「花粉症用のやつだから」


 ミヤマとホシはそれぞれ後部座席の足元からバッグを掴みあげると、中を確認する。

「こっちにはないわ」

 ホシがミヤマを見る。

「こっちもない」

「ちょっと、あなたたち、あの画廊にわざわざ危険を冒して入ったのにこんながらくたしか盗まないって、どんだけ見る目がないのよ」

「仕方ない。ボスに電話する」

 ミヤマは胸ポケットからスマホを取り出した。


    ×  ×  ×  ×  ×


「もしもし」

「俺だ。ミヤマだ。こっちにはない」

「あ、はい。こちらで確保しました」

 ワタリはマリア像の彫刻を手の中で回しながら言った。その彫刻を掘ったのは、武蔵野美術大学に通う弱冠二十歳の女子学生だった。彼女が世界的に権威のある賞を取り、美術界で一躍名を馳せるのはこの五年ほど後の話である。

「なら、よかった。まだ誰も来てないか?」

 ミヤマのその言葉が合図だったように、警備会社の社名が入った車がワタリの目の前に停まった。

「ちょうど来たようです」

「じゃあ、これから戻る」

 唐突に電話が切れた。制服を着た警備員が一瞬ワタリに不審そうな視線を向けるが、そのまま画廊の中へと駆け込んでいった。


    ×  ×  ×  ×  ×


「どうして俺たちが盗みに入るとわかった?」

 涙を流し、目をしばたたきながら、男が言った。

「あなたたち、下見の時にハンバーガー食べてたでしょ?」とホシが答える。

「ハンバーガー?」

「そう、ハンバーガー。いい? 偵察中にハンバーガーを食べてて絵になるのは、ブラッド・ピッドだけよ。二人とも映画の観すぎじゃない? 本物の怪盗はそんなことしない」

「ブラ……何を言ってる?」

 ミヤマとホシは、混乱したままの二人と最後部座席でうなり声を上げる男を残して車を降りると、来た道を足早に戻った。

「まだ痛いの?」

 ホシがミヤマに尋ねる。

「あぁ、ちょっとな」

「花粉症用のメガネ、貸そうか?」

「遅いよな?」

「あ、やっぱりあなたでもわかる?」

「『でも』ってなんだ、『でも』って」


 程なく先ほどの画廊と、車道寄りに立つワタリの姿が見えてくる。ワタリもすぐに二人に気がつくと、小さく頷いた。ホシがスマホを取り出し、画面を見ているふりをする。ミヤマは眠たそうにあくびをした。ミヤマとホシ、それにワタリが狭い歩道上で交錯する。その一瞬、マリア像を受け取ったのはホシだった。


 ミヤマとホシは次の角を右折すると、コインパーキングに停めた車に乗り込んだ。エンジンは掛けるが、発車することはない。


    ×  ×  ×  ×  ×


 そして、場面は冒頭に戻る――


「犯人は何人組でしたか?」

 末松刑事が鋭い視線で若い男に問いかける。

「えっと、五人? いや、六人かな」

「全員男ですか?」

「はい、目出し帽を被ってましたけど、体格からして全員男ですね。通りかかったタクシー二台に分乗して、あっちのほうに行きました」

 興奮した様子で、男は先ほどホシが運転するワゴン車が向かったのとは逆の方向を指さす。末松刑事はちらりとそちらの方向を見やったが、すぐに男に向き直った。

「タクシー会社かナンバーは覚えてますか?」

「いや、そこまでは……黒いのと黄色の二台でしたけど」

「そのほかに、何か気づいたことはないですか?」

「気づいたこと……あ、そうだ、何語かわからないけど、外国語を話してました。たぶん、東南アジアの言葉じゃないかな。タイとか、ベトナムとか」

「東南アジア、ね……」

 どういうわけか、末松刑事は少し残念そうな顔をした。


「カラスという窃盗団をご存知ですか?」

 唐突にその質問を投げかけたのは、それまで末松刑事の横でメモを取っていた大鷹刑事だった。

「……カラス、ですか? あぁ、最近テレビでやってますね。『怪盗カラス』って」

 男はいま思い出したという様子で言う。大鷹刑事は疑うような視線を男に向け続けた。

「失礼ですが、何か身分を証明できるものはお持ちですか?」

「え? あ、いや、そこのビルで働いてるんですけど、コンビニに夜食を買いに来ただけなんで、財布と携帯以外は何も……」

 男が指さした方向を大鷹刑事は一瞥する。

「では、オフィスまで同行してよろしいですか? 身分証を確認させていただきたいので」

「え? えっと……」

「大鷹!」

 末松刑事がたしなめた。「関係ないだろ。署に戻るぞ。ご協力ありがとうございました」

 そう言って男に一礼し、画廊へと戻っていく。

「でも……」

 大鷹刑事がなおも言葉を続けたが、やがて不承不承といった様子で後に続いた。立ち去る間際、男に疑いに満ちた視線を投げかけるのを忘れない。男はふぅっと息を吐くと、その場を立ち去った。


    ×  ×  ×  ×  ×


 ワタリが後部座席に乗り込んだのを確認して、ホシが車を発進させる。

「問題なしか? ボス」

「えぇ、いい加減な目撃証言をしましたから、捜査はある程度混乱するでしょう。あの窃盗団が捕まって情報が漏れることはないかと」

 でも……。言うべきか迷った言葉をワタリは飲み込んだ。

「今日も簡単だったな」

「帰ったら祝杯ね」

 ホシが揚々と言う。「コンビニ寄ってく?」

「その前にこれを貸金庫に入れなきゃならないだろ? ボス、三番でいいか?」

 カラスの三人は盗んだ品を一旦貸金庫に預けることにしていた。都心近郊にいくつか貸金庫を用意しており、それぞれに番号を振っている。三番は品川だった。

「ボス、どうかしたか?」

 ぼんやりと中空を見つめるワタリに、ミヤマが声を掛ける。ホシがバックミラーでワタリの様子を確認した。

「あ、いや、なんでもないです。そうですね、三番で」


 車は第一京浜に入り、南下を始める。ミヤマとホシが酒のつまみを何にするか議論を交わす車内で、ワタリは先ほどの若い女性刑事が今後仕事の邪魔になるかもしれないと考えていた。






『泥棒と × 怪盗の違い』 <了>

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