ミヤマ × カラス②
タクシーが閑静な住宅街の一角で停車する。宮間はポケットを探ってから、財布を持っていないことに気がついた。もっとも、金ならたんまりとある。ボストンバッグを開けると、札束から一枚抜き取り運転手に渡した。
「釣りはいらない」
「え……でも、三千二百円ですよ?」
「一度言ってみたかったんだ。今日が給料日でラッキーだったな」
戸惑う運転手を置き去りにして、タクシーを降りた。
――あとで足しておかなきゃな
渕本からもらった餞別に手を付ける気はなかった。保険だ。いつか返してもいい。また、会う日が来ればだが。
自宅に戻ると、真っ先に寝室のクローゼットを開けた。金庫代わりに使っている大型のスーツケースを引き出すと、ボストンバッグから札束を移す。さっき一枚抜き取ったのがどの束だったかわからなかったので、やむなくそのまま突っ込むことにした。
札束が残り少なくなり、ボストンバッグの底が見えたところで、一枚の紙片が入っていることに気がついた。
『お前が求めているものかはわからん。が、会っておいて損はないはずだ』
几帳面な筆跡は渕本のものだった。短い文章の後に電話番号が記されている。宮間は少しの間迷ったが、とりあえず電話をかけてみることにした。スリーコールきっちり鳴り終わったところで回線が繋がった。
「もしもし」と相手が言う。男だ。
「もしもし」と宮間も応える。
束の間の沈黙がある。宮間は何と言っていいかわからず、「渕本にかけろと言われたんだが」とだけ付け足した。
「あぁ、ミヤマさんですね?」
「……そうだ」
「思ったよりも早かったですね。明日、時間ありますか?」
電話先の声が唐突に言う。
「あいにく、明日より先の未来に予定は一つもない」
「明日より前の未来に予定はあるんですか?」
「酒を飲んで、寝る。それだけだ」
「なるほど」と男は微かに笑った。
「あんたは誰だ?」
「それは明日話しましょう。ご自宅はどちらで?」
これにはさすがに宮間も面食らった。泥棒が易々と自宅の住所を口外するわけにはいかない。
「新宿より西だ」
「では、明日の十時に吉祥寺の『クロス・ロード』というカフェで。いかがですか?」
「……問題ない」
「よかった。では、お待ちしてます」
男はそう言うと、宮間の返事を待たずに電話を切った。宮間はしばらく画面を見つめていたが、やがてため息を吐くと、ウィスキーのボトルを取りにキッチンへと向かった。
× × × × ×
指定された場所は、思いのほか小さなカフェだった。扉を開けると、妙に乾いた鐘の音が響く。灰色の口ひげを生やした店主と思しき人物が、カウンターの中から愛想のよい笑顔を向けた。L字型のカウンターの中ほどに若い男が一人、その後ろのテーブルにはおしゃべりに花を咲かせる主婦たちがいた。
宮間はカウンターの男の隣に腰を下ろした。
「ミヤマさんですね」
若い男はあどけない微笑みを宮間に向けた。
「そうだ。本名ではないが」
「はじめまして。ワタリと言います。本名ではないですが」
ワタリが差し出した手を、宮間は握り返した。
「宮間」という名前はコードネームのようなものだった。渕本、本宮、宮間、間渕。何が面白いのかは宮間にはわからなかったが、渕本がしりとりになるようにそれぞれに付けた。誰一人本名ではないし、お互いの本名を知りもしなかった。宮間の代わりの人間が入ったら、おそらく「宮間」を名乗るのだろう。しりとりが続くように。
「……カラスか」
「さすが、察しがいいですね。ミヤマという名前を聞いて、私はワタリと名乗ることにしました」
「三人目はハシブトか?」
「いえ、ホシさんです。ホシガラス。近いうちにお会いいただきます。もし、一緒にやるのであれば、ですが」
「やるって何を?」
そこで宮間の前にコーヒーが置かれた。そう言えば、何も注文していなかったことに宮間は思い至った。投げかけられた視線に、店主は「うちはコーヒーしかないので」と答えた。
「あなたがこれまでやってきたことと同じです」
「強盗か?」
宮間が店主の耳を気にして、幾分声を落とす。
「まぁ、そんなところです。ただし、現金は盗みません」
「じゃあ何を盗む?」
「本当に価値のあるものだけです」
宮間は少しの間考えた。
「俺を仲間に加えるように渕本に頼まれたのか?」
「いえ、私がお願いしていたんです。仲間を探しているので、誰かいい人がいたら紹介してほしいと」
見合いみたいだな、と宮間は思う。
「全部で何人いる?」
「さっき言ったホシさんだけです。いまのところ、これ以上増やすつもりはありません。あなたが入ってくださるのであれば、の話ですが」
どうしたものか。宮間は背もたれに体を預けると、ため息とともにぐるりと店内を見渡した。木目の壁に一枚の絵が飾られている。
「渕本が紹介するくらいだから、信頼はできるんだろう」と宮間は言った。「だが、腕のほうはどうやって見極めればいい?」
「そうですね……普段は犯行予告なんてしないんですが、三日後に鎌倉の国宝館から
「硯? そんなもの盗んでどうする?」
「どうもしません。欲しいから、盗むだけです」とワタリは笑うと、財布から千円札を二枚出した。「もちろん、いますぐに決める必要はありません。もし気が向いたら、電話をください。細かいルールや条件は、それから話しましょう」
そう言うと、ワタリは席を立った。
「あ、そうだ。私に電話をかけるときは、その電話を使ってください」
ワタリの言葉に、宮間はカウンターの上を見回す。
「どの電話だ?」
「その電話です」
そう言って、ワタリが宮間の胸元を指さす。視線を落とすと、上着の胸ポケットに見覚えのないスマートフォンが入っていた。不審に思いながら取り出してみるが、やはり自分のものではない。
「……いつの間に?」
「泥棒もマジシャンと同じで、種明かしはしないものです。私の番号は暗記していただいて、どこにも残らないようにしてください」
ワタリはそれだけ言い残すと、静かに店を出ていった。
宮間はその背中を見送ると、自分の携帯に残った昨日の発信履歴を消した。渕本からのメモはすでに処分してあった。
× × × × ×
四日後、テレビをつけるとワタリが予言した通りのニュースが報じられていた。
『次のニュースです。神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮から国宝の
宮間はため息を漏らすと、自分のものではないスマートフォンの番号を押した。
『ミヤマ × カラス』 <了>
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