第100話 百モノ語

 ・・・よし、と。正の字が、右腕に10、左腕に10。合計20・・・。

 やあ、とうとう、百話目か。

 ・・・ああ、うん、話すよ。ようやく、ここまで来たんだし。

 でも、もう少し―――。

 ・・・ごめんよ、何度も血を吐いてさ。またティッシュ、貰っていいかい?

 ・・・ふう。どうやら、急かされてるみたいだ。そんなに急いだって、結末は変わりないのにさ、はは。

 じゃあ、始めよう、・・・いや、終わらせようか。

 この、僕の、百モノ語をさ―――。


 —百モノ語—


 僕は寝室の椅子にガムテープで手足を拘束されていて、身動きが取れなかった。口にもガムテープを貼られていたから、声を上げることもできない。

 そんな僕の前に現れた親友の手には、包丁が握られていた。

 怖かった―――けど、それ以上に僕はもう、変わり果ててしまった親友の姿を見たくなかったよ。

 僕は恐らく、これから殺される。何か、得体の知れないモノが取り憑いた、親友によって。

 なぜか、殺されることよりも、親友じゃない別の何かによって殺されてしまうことの方が、悲しかった。

 なんでだろうね。なんというか、人間、いざ死を前にしたら、そういうことを考えるものなのかな?

 どうせ殺されるのなら、親友に殺された方がまだマシだ。そんな風に思ったよ。

 親友は、ゆっくりと寝室に入ってくると、目の前のベッドに腰かけた。今まで、急に泣き出したり、人格が変わったように冷静になったりと、何度も豹変していたから、今度もそうなるのかと考えてた。

 でも、その親友は、だったんだ。

 佇まい、仕草、雰囲気・・・。上手く言えないんだけど直感で、ああ、今は、親友が自我を取り戻しているな、って感じたんだ。主導権を、取り戻しているなってさ。

 親友はしばらくの間、無表情で俯いていた。包丁を片手に。

 その姿は、今から人を殺す人間っていうよりはまるで、今から自殺をする人間のように見えたよ。生気も気力も、何もかも抜け切っているような、そんな風に。

 僕はどうすることもできなかった。声を上げられなかったし、身動きも取れない。ただ、親友を見つめながら、目の前の出来事が現実じゃなかったらいいのにと、嘆くことしかできなかった。

 そのまま、一体どれくらいの間、沈黙が続いたのか。やがて親友が、

 ・・・ごめんな。

 一言。たった一言だけど、そう言ったんだ。

 その一言には、色んなものが混じっていたよ。

 悲しみ、嘆き、諦め、悔い、怒り、不甲斐なさ、疲弊、覚悟、そして―――、

 どうか俺を許してくれ、という絶望。

 ああ、何かが始まる。そう思っていると、親友は突然顔を上げて、話し始めたんだ。

 これは、とあるカップルが体験した話なんだけど・・・。

 なぜか親友はボソボソと、怖い話を語り始めたんだよ。

 こう言っては何だけど、その語り口は下手くそで、あまり恐怖を感じなかった。状況は怖かったけど、話し方が拙くて、とても聞けたようなものじゃなかった。それに内容も、どこかで聞いたことがあるようなものだったんだ。

 親友はそのまま、ボソボソと怖い話を拙く語り続けた。僕は疑問に思いながらも、何もできないまま、それをひたすら聞き入っていた。

 すると、あることに気が付いたんだ。

 ・・・これ、僕の行きつけの怖い話が集まるサイトに載っている話だ。

 その時、ふと思い出した。

 親友は僕の部屋を訪ねてきた時、

 何かサあ、そういウ怖い話が載っテるサイトとか知ラないの?

 そう訊いてきた。その後、僕の携帯を奪って、食い入るようにそのサイトを見ていた。カリカリと画面を引っ掻きながら。

 つまり親友は、そのサイトに載っていた怖い話を、わざわざ僕に語って聞かせてきたんだよ。

 意味が分からなかった。なぜ、唐突に怖い話を語り始めたのか。それも、僕が知っているであろう話を。不可解で仕方なかった。

 どうして。また疑問に思っていると、親友が、

 ——―そのカップルは、三年後にそこで入水自殺したらしい。

 と、話を語り終えたんだ。

 すると、突然、手に持っていた包丁で、自分の足を切りつけた。太腿に突き当てて、スッと横に引いて。ズボンが裂けて、みるみるうちに血が滲んでいった。

 だというのに、親友は痛がっている素振りを微塵も見せなかった。そして、そのまま、

 ・・・この話は、友達が経験した話なんだけど―――。

 また、別の怖い話を語り始めたんだ。

 そして、それを語り終えると、また包丁を足に突き立てて引いた。そしてまた別の怖い話を語り出し、終わったら足を切りつけ、また怖い話を語って、また足を切りつけて・・・。

 何より怖かったのは、そのおぞましい行動をやっている親友が、親友そのものだったことだよ。

 淡々と怖い話をしながら、語り終えるごとに足を切りつけていく。それをやっているのは、確実に自我を保っている親友だったんだ。何かに取り憑かれているならまだしも、親友そのものがそんなおぞましいことをやっているなんて、信じたくなかった。豹変した親友を見るよりも怖かったよ。

 頼む、もうやめてくれ。そんなことをしないでくれ。

 そう願う僕を尻目に、親友は休むことなく、ひたすら淡々と怖い話を語り続けた。

 やがて、右の太腿が傷でいっぱいになると、親友は今度は左の太腿に包丁を突き立て始めた。足はどんどんズタズタになっていって、血はズボンの裾まで滲んでいった。

 目を背けたかった。耳も塞ぎたかった。でも、耳は塞ぎようがなかったし、なぜか目を逸らすことはできなかった。ひたすら、怖い話を語りながら、自分に包丁を突き立てていく親友を、じっと見ていたよ。

 親友は左の太腿を傷でいっぱいにした後、今度は左腕に包丁を突き立て始めた。その頃にはもう、随分と時間が経っていたように思う。いや、僕の体感時間が長かっただけかもしれない。

 わけが分からないけれど、早く終わってくれ。僕は泣きそうになりながら、そう願っていた。

 でも、親友は休むことなく語り続ける。そして、また腕を切りつけては、語り始め・・・。

 その時、あることに気が付いた。

 親友は、腕に切り傷で字を書いていたんだ。正の字をね。

 一話語るごとに、ひとつ切り傷を付けて、五話語ったら、正の字が完成していく。まるで、数をカウントしているみたいにね。

 よく見ると、足に付けていた傷も、裂けてズタズタになったズボンのせいで分かりにくかったけれど、正の字を書いているように見えた。

 正の字・・・、話数をカウント・・・。

 ・・・これって、まさか、百物語なのか?

 そう気が付いた時には、左腕は正の字の切り傷でいっぱいになっていた。その数は、五個。

 右足に五個。左足に五個。左腕に五個。そして、新たに右腕に正の字が切りつけられていく・・・。

 ・・・百話目に何かが起こる。

 その瞬間、言い様のない恐怖を感じた。なぜか、それが確実なことに思えてならなかったんだ。

 百話目の切り傷のカウントダウンが終わった時、親友の身に、そして僕に、何かが起きる。

 それまで大人しく聞いていた僕は、初めて拘束を解こうと暴れ回った。でも、手足は何重にもガムテープでグルグル巻きにされていて、無理だった。叫ぼうにも、口も塞がれているから、声を出せない。せいぜい、喉の奥からくぐもった呻き声を上げられるだけだった。

 そうこうしている内に、右腕の切り傷は増えていく。正の字がひとつ、

ふたつ、みっつ、よっつ。そして、いち、に、さん、よん・・・。

 とうとう、最後の正の字が完成した。そして、最後の怖い話が語り終えられた。・・・終わったんだ。百物語が。

 僕はガタガタ震えながら、事の行く末を見守っていた。

 一体これから、何が起こるというんだ。親友に、そして僕に。

 すると、ずっと伏し目がちだった親友が、ゆっくりと視線を上げた。そして、じっと僕の顔を見つめてきた。

 その目は、虚ろだった。顔は、とうとうやり遂げてしまった、って表情を浮かべていた。

 ・・・なあ、俺さ。

 突然、親友が声を上げた。その声は、怖い話を語っていた時のボソボソ声ではなくて、ちゃんと感情が籠っていた声だった。

 ・・・こんなことになって、ごめんな。本当にごめん。・・・でも。

 今まで、こんなこと恥ずかしくて言ったことなかったけどさ。・・・俺、お前のこと、親友だと思ってたよ。

 そう言うと、親友は涙を流しながら、血だらけの包丁を、自分の首にあてた。

 何をしようとしているのか、瞬時に分かった僕は、死に物狂いで足掻いた。

 やめろ、まさか・・・、やめろっ!

 でも、最後まで拘束が解けることはなかった。

 親友は、そんな必死に足掻く僕を見つめながら、

 ・・・ごめんな。

 そう言って、包丁をスッと引いた。

 僕の顔に、血が飛んできた。親友の首から血飛沫が上がって。

 やがて、血飛沫は止まって、首からは滝のように血が溢れ出した。親友のシャツが、みるみるうちに血で染まっていった。

 僕は、叫んでた―――気がする。よく覚えてないんだ。気が動転していて。

 なんたって、人が、・・・親友が、目の前で自殺したんだから。

 発狂寸前だったと思う。意識を保っていたかも、はっきり覚えてないよ。ただ、ずっと、ガムテープで塞がれた口で、悲鳴を上げ続けていたような気がするけど。

 一体どれくらいの間、そうしていたのかは分からない。気が付くと、僕は項垂れて、親友の亡骸を見つめていた。親友も、ベッドに腰かけたまま項垂れて、こと切れていたよ。首から溢れ続けていた血は止まっていて、真っ赤なシミがベッドにまで広がっていた。

 ・・・ああ、なんで、どうして―――。

 その時、


 ——―――ズルッ・・・


 と、親友の口から、何かが出てきた。

 それは、舌だった。赤い血に染まった舌が、口からズルッと出てきたんだ。

 ああ、人間は死んだら、こうなるんだな。身体から、力が抜けるせいだろうか。

 ぼんやりと、そんなことを思っていると、その舌が、


 ——―ズルズルッ


 と、

 何が起こっているのか、分からなかった。でも、そう表現するより他にない。

 舌が、口から這い出てきたんだ。

 なんと言えばいいか・・・。舌先が頭のようだった。それが、ナメクジ、・・・いや、ヒルのようにヌメヌメと這い出てきた。すると、親友の首からブジュッと血の泡が立った。その瞬間、親友の口がメリメリと押し広げられて、中からいくつもタコの足のような触手がヒタヒタと這い出てきて・・・。


 ——―ズルッ、ズルルッ、ブチブチッ


 と、今度は肉が千切れるような生々しい音がした。すると、押し広げられていた口が、裂けそうなほどに開いて、


 ——―ドチャッ


 と、何かが這い出てきて、ズタズタの足の上に落ちた。

 それは、血だらけで、表面がヌラヌラとしていて・・・。まるで、牛や鹿みたいな哺乳類が産まれる瞬間を見ているみたいだった。

 それを産み落とした瞬間、親友の身体はベッドに倒れ込んだ。役割を終えたみたいに。その時、初めて親友の身体が、亡骸へと変わった気がした。

 それは、親友の亡骸の上で、ヌラヌラと蠢いていた。今までに、見たことのない生き物だった。・・・いや、生き物ではないか。

 そうだね。例えるなら、タコと蜘蛛が合わさった感じかな。でも、触手に吸盤は無くて・・・、脈打つ血管みたいだった。触手が集約されている中心部も、まるで細長い心臓みたいだった。一応、頭はあるみたいで、舌先がその役割を果たしていた。まるで蛇みたいに、舌先が鎌首をもたげていた。

 まるで、目に見えないほどの微生物か、深海の生き物みたいな、奇怪な造形をしていたよ。

 すると、親友の亡骸の上でヌラヌラと蠢いていたそれが、

 こっちを、見たんだよ。舌先が、鎌首が僕の方を見据えたんだ。

 途端に、何本もの触手が蜘蛛の足のように動き出した。大きめのタコみたいなそれが、ベッドから降りて、ヌラヌラと這い寄って来て、僕の足を這い上がって。

 僕はまた、悲鳴を上げた。もちろん、声にはなっていないけど、それでも上げずにはいられなかった。得体の知れない、それも親友の身体から這い出てきた化け物が迫ってきたんだから。

 逃れようと、暴れ回った。でも、身体は椅子に拘束されたまま。

 怖いなんてものじゃなかった。身動きができないままなんだから。まさに、まな板の上の鯉だよ。

 化け物は、僕の身体をヒタヒタと這い上がってきた。そして、顔の前に、ヌラリと鎌首をもたげてきた。

 僕は必死に顔を背けた。すると、頬に生温かいヌメヌメしたものが触れる感触があって、グイッと無理矢理顔の向きを変えられた。正面に。

 恐る恐る目を開けると、そこには、あの舌先の鎌首があった。そこだけ、人間の舌にそっくり、いや、人間の舌そのものだった。

 その舌に、

 人肉色の舌に、眼があったんだ。眼だけじゃない。裂けた口もあった。舌に、顔があったんだ。

 その不気味な瞳のない眼は、僕を無機質に睨んでいた。裂けた口は、笑っているようにも見えた。

 その時、ふと思い出した。

 モウ、ドウニモナラナインダッテ。

 親友がそう言った時に感じた違和感を。

 あの時、親友は口を動かしていなかった。大口を開けたままで、声を出した。


 ——―ああ、


 そう理解した瞬間、そいつが僕の頬を触手でヌラッと撫でてきたかと思うと、口に貼られていたガムテープを剥がそうとしてきたんだ。

 頬の肌と貼られたガムテープの間に、ニュルッと触手の先端が侵入してきて、メリメリと剥がされて。

 そいつが何をしようとしているのか、はっきりと分かった。

 ―――僕に侵入しようとしている。

 必死に口を閉じて、身をよじった。首を、折れるんじゃないかってくらい振り回した。

 でも、そいつは止まらなかった。触手を無理矢理、僕の唇に差し入れて、顎が外れるんじゃないかってくらい、口をこじ開けて・・・。

 その舌先の鎌首が、僕の口の中に侵入してきて・・・。

 僕の意識がもったのは、そこまでだった。

 気が付くと、僕は床に倒れていた。よろよろと起き上がると、酷い頭痛と吐き気がした。

 夢だったのか?そう思ったけど、残念ながら、夢じゃなかった。そこは寝室で、ベッドには親友の亡骸があった。

 すぐ近くに、椅子が倒れていたよ。僕が拘束されていた椅子が。

 一体何が・・・。

 手足を見ると、ガムテープの切れ端が引っ付いていた。無理矢理、引き千切れたみたいだった。

 僕は、しばらく呆然と立ち尽くしていたよ。色んなことが起こり過ぎて、脳味噌がパンク状態だった。

 でも、段々と冷静になってきて、涙が出てきた。気が付いたら、僕は血まみれの親友の亡骸に取り縋って泣いていた。

 どうして、こんなことに―――。

 親友が死んでしまったことが、受け入れられなかった。今までにないくらい、僕は泣いたよ。

 ひとしきり泣いた後、僕はよろよろと立ち上がって、寝室から出た。居間の方に行くと、テーブルがひっくり返っていて、その近くに僕の携帯が落ちていた。

 とにかく、警察に電話しないと・・・。

 そう思って、携帯を拾い上げて、警察に通報しようとした瞬間、口の中に激痛が広がった。

 口の中、いや、喉全体と、舌かな。まるで、引き千切られているような痛みが走ったんだ。

 思わず、携帯を落としてしまった。何も考えられなくなるくらいの激痛だった。脳味噌に直結している神経をズタズタに引き千切られているみたいだった。

 しばらくすると、唐突に痛みは治まった。

 一体何だったんだ・・・。

 気を取り直して、また携帯を拾い上げると、また激痛が走った。あまりの痛みに、床を転げ回ったよ。

 僕の身体に、一体何が起きているんだ・・・。

 痛みが治まってから、よたよたと洗面所の方に向かった。そして、鏡の前で口を開けてみると・・・。


 ——―僕の舌に、顔があった。


 あれが、僕に取り憑いていたんだ。いや、浸食されていたって言った方が正しい。僕の中に、あれが・・・。

 そいつは、キョロッと眼を剥いた。そして、裂けた口で、こう言った。


 ―――モウ、ドウニモナラナインダッテ


 それは、僕の声だった。舌が、そいつが、僕の声で喋ったんだ。

 悲鳴を上げようとして、できなかった。なぜか、口からは空気が出て行くばかりで、声が声にならなかった。

 気が狂いそうだった。得体の知れないものが、僕の中にいる。そして、そいつは僕の声を奪った。

 いてもたってもいられなかった。僕は自分の舌を、そいつを掴んで引きずり出そうとした。でも、できなかった。痛みもあったけど、手で舌を引っこ抜くなんて、物理的に無理だったんだ。

 その間も、そいつは嘲笑うように僕の声で、


 モウ、ドウニモナラナインダッテ、モウ、ドウニモナラナインダッテ


 と、繰り返していた。

 僕は半狂乱になりながら、キッチンに向かった。舌を切り落とそうと思って。

 ところが、キッチンバサミが見当たらない。

 あっ、と思い出した。

 そうだ、キッチンバサミは親友が・・・。

 寝室に戻ると、ベッドの上に血まみれのキッチンバサミがあった。それを引っ掴んで、舌を引っ張り出して、何度も躊躇いながら、遂に意を決して、切り落とそうとして―――。

 その瞬間、また激痛が走った。さっきの比じゃないくらいの激痛だった。気絶するんじゃないかってくらい。床に倒れ込んでのた打ち回っていると、喉の奥の方でブチブチって音がして、大量の血が口から溢れてきた。

 ようやく痛みが治まって、朦朧とした意識の中で、ぼんやりと思ったよ。


 ——―ああ、親友も、こうやってこいつを切り落とそうとしていたんだ。


 モウ、ドウニモナラナインダッテ


 嘲笑うような声が、僕の口から発せられた。僕の声だったけど、喋ったのは僕じゃない。

 無性に腹が立って、今度は舌を嚙み千切ろうとした。

 ところが、歯を突き立てようとすると、また激痛に襲われた。今度はとうとう気絶してしまった。

 気が付いたら、床に血だまりが広がっていた。頭が割れそうなくらいの酷い頭痛がして、起き上がることもできなかった。

 すると、ぼんやりしていた脳味噌に、

 もし、テレパシーってものがあるのなら、あんな感じなのかな。いや、外から受け取るっていうよりは、内側から命令されているみたいだったよ。それも、言葉じゃないんだ。ぼやっとしたイメージを、強制的に送り付けられている感じ。

 それは、こういったイメージだった。


 ——―もう、どうすることもできない

 ——―身体は貰った

 ——―いつでも殺せる

 ——―心地いい

 ——―いつもこうやってきた

 ——―だから従え

 ——―恐れを集めている

 ——―それが欲しい

 ——―それを、よく知っている

 ——―都合がいい

 ——―よこせ

 ——―声で、それを、手に入れる


 それが終わったら、また気絶した。

 次に気が付いた時には、自分が今どんな状況に置かれているのか、なんとなく理解できたよ。

 僕はもう、自分の身体の主導権を奪われているんだとね。

 僕の身体を操っているのは、こいつ―――僕の舌に成り代わった何かだ。

 こいつは、もう長い間、こうやって人から人に取り憑いて生きてきた。

 そして、こいつはどうやら、僕に百物語をさせたいらしい。

 こいつの目的。それは、恐怖を集めること。

 こいつは、憑りついた人間の口から声を出させること、

 はは、何を言っているか、分からないでしょ?

 でも、僕は理解できたよ。いや、理解させられたんだ。

 洗脳じゃない。洗脳された方が、どんなに良かったか。自我が残っている分、余計に質が悪かったよ。

 とにかく、僕の舌に成り代わった奴は、もっと力を得たいと欲しているようだった。

 その力とは、恐怖であり、それを呼ぶ現象、モノ。要するに、―――怪異さ。

 憑りついた人間に、怖い話、怪異を語らせる。そうすることによって、その怪異の力を得るんだよ。

 僕は、こいつを”百モノ”と名付けた。

 こいつは、単体であり、複合体なんだ。無数の怪異なるモノが寄り集まって一体となっている集合体。無数であり、ひとつである。

 百モノは、そうやって存在してきたんだ。人から人に取り憑き、宿主の口から怪異を語らせ、その恐怖を得る。自身の細胞を増殖させるかのようにね。

 だから、百モノは僕に取り憑いた時に喜んだんだ。僕がオカルトマニアで、たくさんの怖い話を知っていたからね。心地いい、都合がいいっていうのは、そういうことだったんだよ。

 親友が僕に怖い話が載っているサイトを聞いてきたのも、そういうことだったんだ。親友は、怖い話なんてほとんど知らなかっただろうから。

 あと、これは僕の推測だけど、多分、百モノは取り憑いた人間の口から語られる怪異が、本物なのか、実在するのかなんて、どうでもいいんだ。

 百モノは、恐怖という概念を自分に取り込みたいだけなんだよ。だから、話の真偽なんて気にしていないんだ。

 実話だろうが、作り話だろうが、関係ない。怪異がもたらす、恐怖という概念を得られれば、それだけでいいんだから。

 わざわざ百物語をさせるのも、そういうことなんだろうと思う。数撃ちゃ当たる、じゃないけど、より多くの怪異を取り込みたいから、質よりも量を選んでいるんだろう。

 そして、百モノは、使んだ。

 現に、僕はそれを体験した。

 僕は何が何でも、百モノに逆らおうとした。どうにか自分の命を絶って、思い通りにさせまいとしたんだ。

 ところが、それは百モノによって阻まれた。

 包丁で首を掻っ切ろうとしたら、ベッドの下からニュウッと腕が伸びてきて、包丁を持って行ってしまった。覗き込んだら、そこには笑いながら手首を切りつけている女がいた。

 諦めて、キッチンバサミを首に突き立てようとした。ところが、肝心のキッチンバサミが見当たらない。探し回っていると、寝室の隅に子供が立っていて、キッチンバサミに付いた血を舐め取っていた。

 衝撃だったよ。それまで、幽霊を視たことなんてなかったからさ。

 後ずさりしていたら、肩をトントン叩かれた。振り返ったら、天井にスーツ姿の男が垂れさがっていて、その手が僕の肩に触れていた。

 悲鳴を上げようとして、上げられなかった。声を奪われていたからね。口を開けたまま、半狂乱になって寝室を飛び出した。振り返ったら、扉の隙間から無数の手がニュウッと伸びていて、おいでおいでをしていた。

 それでも、僕は何が何でも死のうとした。でも、ベランダから飛び降りようとしたら、窓の外に同じ顔をした子供が十人位いたし、風呂場のカミソリで手首を切ろうとしたら、洗面台の鏡からブヨブヨに腐った女が這い出して来た。キッチンの他の刃物で死のうとしたら、それを噛み砕いている赤いサルみたいなのがいるし、ベルトで首を吊ろうとしたら、もう既に僕のベルトで首を吊っている男がいた。

 気が狂いそう、いや、狂ったよ。部屋の中が、みるみるうちに怪異で溢れかえっていくんだ。あんな体験は初めてだった。実際に視えてみると、幽霊がこんなにも怖い存在だったなんて思わなかった。

 中には、聞いたことがあるような姿の幽霊もいて、ああ、って気が付いたよ。これは、僕の行きつけのサイトに載っている怖い話に出てくる幽霊だって。親友が語ったことによって、それが百モノの力になり、具現化したんだ。

 とうとう八方塞がりになって、僕は手首を噛み切ろうとした。ところが、また激痛に襲われて、気絶しそうになった。

 床に倒れ込んで悶えていると、百モノが、僕にまた語りかけてきた。


 ——―諦めろ、大人しく言う事を聞け


 それでも、僕は諦めなかったよ。・・・その時はね。

 結局、外に出ることもできず、僕は部屋に籠った。携帯を取ろうとすると激痛で邪魔されたから、通報することもできなかった。だから、寝室の中で、親友の亡骸はどんどん腐っていった。

 僕は寝室を閉め切って、居間でずっと身を丸めていた。このまま衰弱死してやろうかとも思った。でも、飲まず食わずでいるのに、身体は不気味なくらいなんともならない。

 まるで、自分が人間じゃなくなってしまったみたいだった。いや、実際にそうなっていたのかもしれない。

 時々、懲りずに死のうと試みた。でも、いつも怪異に邪魔された。その度に半狂乱になったせいで、部屋の中はどんどん荒れていった。

 ぼんやり思ったよ。親友の家を訪ねた時、寝室が荒れ放題になっていたのは、こういうことだったんだなって。きっと親友も、寝室に籠って耐えていたんだ。百モノの与えてくる恐怖から。

 一体どれくらいの間、そうしていたのか分からない。何時間か、何日間か。

 やがて、・・・僕は諦めた。

 身も心も追い詰められてボロボロだった。四六時中、百モノが怪異を仕掛けてきたし、諦めろと語りかけてきたからね。

 立ち上がって、洗面所に行った。顔を洗って、水を飲んで、口を開いてみた。

 舌が―――百モノが、そこにいた。そして、


 カタリニイコウ


 そう、僕の声で言った。僕が無気力に頷くと、百モノは瞳のない眼を閉じた。

 すると、フッと気が楽になった。

 それが、百モノによる支配が一時的に解けたせいなのか、僕の頭が色々と吹っ切れたせいなのかは、分からない。できれば、前者であってほしい。

 僕はボロボロで血だらけの服を着替えて、身なりを整えた。そして、いくつかの必要なものだけを持って、荒れ放題の部屋を出て、——―次なる百モノの宿主を探しに行った。

 ・・・うん、そうだよ。

 もう、さっきから分かってたでしょ?


 ―――僕が、次なる百モノの宿主として、君を選んだんだ。


 ・・・分かってる。分かってるよ。なんで、見ず知らずの男から、って思ってるんでしょ?

 ふふ、そうだよねえ。そりゃそうだよねえ。

 でも、厳密に言うと、君と僕って、まったく面識が無いわけではないんだよ。まあ、君は僕のことなんか、覚えてないだろうけどさ。

 君、本屋さんで働いてるでしょ?僕、たまにそこにホラー小説とかオカルト雑誌とか買いに行くんだ。その時に、・・・君を見かけてさ。その・・・。

 ・・・思ったんだよ。

 どうせ死ぬなら、最後の最後に、好きな人に怖い話を語ってみたいってさ。

 ・・・ごめん。こんなこと、言う必要ないね。

 分かってるよ、分かってるんだ。僕だけで死ぬことができればって、何度思ったことか。でも、無理だったんだ。だから・・・。

 怖かっただろうね。見ず知らずの男が宅急便を装って訪ねて来て、ドアを開けたら気絶させられて、気が付いたら、椅子に手足を拘束されていて、口を塞がれているなんてさ。

 これでも、何度も踏みとどまったんだよ。でも、百モノがそうさせてはくれなかった。・・・いや、今のは僕の言い訳だ。忘れてくれ。これは、意地汚くて気持ちの悪いクソ野郎の、僕のエゴだ。

 でも、ふふ、さっきも言った気がするけどさ。感想を聞いてみたかったなあ。一介の怖い話好きとしてさ。せっかく百話も怖い話をするんだから。まあ、叫ばれるわけにはいかないから、しょうがないんだけど。

 ・・・ふう。

 じゃあ、これくらいかな。そろそろ、死ぬとするよ。

 大丈夫。親友みたいに、派手に血を撒き散らしたりしないから。

 やあ、ロフトがある。丁度いいね。あれの手すりに・・・。

 ・・・よし、と。ちょっと、椅子借りるよ。

 うん、これでいい・・・と思うんだけど。

 はは、首吊りなんて、やったことないからさ。

 まあ、多分ちゃんと死ねるよ。

 ・・・・・。

 はは、そっか。僕、これから死ぬのか。

 うん、大丈夫、大丈夫だよ。ちゃんと死ぬから。分かってる。

 だから、どうかそんな顔しないで。

 できる限りのことは伝えたつもりだよ。だから、何も知らないよりかは、ちょっとだけマシでしょ?

 ・・・マシも何もないか。ハは。

 うん、そレじゃあ、健闘を祈ルよ。

 僕は、無理ダった。屈スるより他ニなかっタ。

 いツカ、誰かガ、こイつヲどウニかしてくレルこトを願ウよ。

 デきれバ、君ニドうにカシてほシイ。

 こイツニよるギセイシャが、ボクデさイゴにナルヨウニ―――。


 ・・・ジャアネ。


























 ——―――ごめんよ。

























 ——―ガタ、ガタンッ
























 ―――ギイッ――ギイッ――ギイィッ・・・






























 ——――――ズルッ・・・















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怪異ー百モノ語ー 椎葉伊作 @siibaisaku6902

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