第99話 スズリバコ

 えっと・・・、あれ?もう99話目か。

 ふふ、早いなあ。そっか、もう、99話目ね・・・。

 いやあ、話してきたんだねえ。ここまで。別に、感慨も何もないけどさ。

 最後には僕の話をすると決めているから、僕の脳内ライブラリから引っ張り出してくる怖い話は、これで最後になるわけか。

 ううん・・・、どうしようかなあ。どれを選ぶか、迷うねえ・・・。

 99、99か・・・。ふふ、それじゃあ、99話目に相応しい話をしようか。


 ―スズリバコ―


 これが、スズリバコです。

 その人はそう言って、古ぼけた木製の平べったい箱を、風呂敷の包みを解いて取り出した。

 大きさは、ちょっと大きめのお弁当箱くらいかな。ボロボロだったけど、表面には漆塗りが施されていたらしくて、その艶めきが所々に残っていた。

 スズリバコ。そのまま、字の通りの意味ですね。これは、硯を入れておくための箱です。大昔の習字道具セット、とでも言えばいいでしょうか。

 これが作られたのは江戸時代の頃のことだと、生前の曽祖父から聞かされました。私の家系は元を辿っていくと御典医、将軍や大名に仕えていた医師に行きつくようで。これは、私の祖先が御典医を務めていた時代に、主君から褒美として送られた品らしいのですが・・・。

 これが、このスズリバコが、本来の役割を果たしていたのは、その頃だけなのではないでしょうか。

 蔵の中で眠っていたこれを見つけたのは、幼い頃の私でした。何か面白いもの、宝物が眠ってはいやしないか。そんな軽い気持ちで、私は蔵に放置されていた箪笥を遊び半分に漁っていました。

 すると、妙な事に気が付いたのです。

 大きな横長の箪笥。その中央の下辺りに、取っ手が付いていない引き出しがひとつ、設けられていたのですよ。

 最初は、ただの幕板かと思いました。しかし、その上下左右の引き出しを開けて裏側を覗き込んでみると、きちんとスペースが設けられている。となれば、ここも開かなければおかしいではないか。

 幼い私は好奇心の赴くままに、その引き出しをこじ開けようと試みました。しかし、木と木の継ぎ目はあるのに開く様子は全くない。その辺に転がっていたノミを、その継ぎ目に差し入れてみましたが、ビクともしませんでした。

 私は業を煮やして、とうとう金づちを持ち出し、ノミを力一杯叩き入れました。すると、その取っ手のない引き出しの部分が、パコンと外れたのです。どうやら、幕板をはめ込んだだけの隠し棚のようでした。

 幼い私は興奮しながら、中を覗きました。きっと、お宝があるに違いないと。

 身をかがめて、隠し棚の中の暗闇に目を凝らして―――。その時、突然、

 ——―シュゥゥゥ

 と、尖らせた口から空気を出すような音が聴こえて、気が付いたら、私は布団で曽祖父に介抱されていました。

 あれ?一体何が・・・。

 目が覚めたか。

 曽祖父は、腕組みをしながら、私の顔を覗き込んでいました。

 ・・・お前は、蔵で何を見た?

 そう訊かれて、私は正直に答えました。遊び半分に箪笥を漁っていたら、隠し棚を見つけて、その中を覗いたのだと。

 でも、中にあったものは見てないよ。

 そう言うと、曽祖父は、

 中にあったものとは、これだ。

 と言って、風呂敷の包みを取り出しました。

 まさか、これがまた日の目を見ることになろうとは・・・。

 曽祖父はそう言うと、まるで御伽話でも聞かせるかのように、話し始めました。


 昔々、まだ日本にお侍さんが残っていた頃のことだ。

 うちのご先祖様が、お医者さんだったことは知ってるだろう。それも、大名様に仕えていたような、偉い人だった。

 そのご先祖様がある時、大名様に呼ばれてお屋敷に出向くことになった。きちんとした身なりをして、中に入ってお辞儀をしているとな。大名様はこんなことを申された。

 わしの子供が妙な病気にかかっているから、治してほしい。

 ご先祖様は快く引き受けた。大名様の命令には逆らえなかったのもあるが、お医者としての誇りを持っていたからな。

 それで、大名様に連れられて、奥座敷に通されるとな。そこには、布団の上でのた打ち回っていた、大名様の娘さんがいたのだ。

 ご先祖様は早速、娘さんを取り押さえて、診断に取り掛かった。しかし、娘さんは言葉をまともに喋れず、シュウシュウと息を吐くばかりで、どこが痛い、どんな風に悪いと言えないほどの状態だった。仕方なく、身体中を調べてみたが、どこにも悪い所が見つからない。

 ご先祖様は、とりあえず薬を飲ませることしかできなかった。様子を見るしか、打つ手がなかったのだ。

 しかし、どれだけ薬を飲ませても、娘さんは治らなかった。何日経っても病気が治る気配はなく、布団の上でグネグネとのたうち回るばかりだった。あまりにも暴れるので、途中からは畳の縁紐で身体を縛り付けて寝かせていたそうだ。

 ご先祖様は頭を抱えた。こんな病気、今までに見たことがないとな。気が触れてしまっていると言えば、それで済んだのかもしれないが、大名様の手前、そんなことは言えない。大名様の気分を悪くすれば、それだけで殺されてしまうような、そんな時代だったからな。

 それで、行き詰まったご先祖様は、仏門に助けを乞うたのだ。高名な偉いお坊さんがいる、歴史の深いお寺に出向いてな。

 まるで狐でも憑いたかのような病気です。どうか、お祓いをしてくれませんでしょうか。

 ご先祖様がそう頼むと、お坊さんは娘さんをお寺に連れてくるように言った。

 それからが大変だった。大名様を命がけで説得しなければならなかったからだ。大名様は、医者が神仏に頼るとはけしからんと怒ったが、もう、こうするより他にないと、命がけで説得したそうだ。

 それでやっと許可をもらい、夜な夜な籠を使って縛り上げた娘さんを屋敷から連れ出した。夜中にこっそりとそんなことをしたのは、大名様がそうなった娘さんを見られたくなかったからだろう。

 お寺に着くと、お坊さんが本堂に布団を敷いて待っていた。そこに、縛り上げた娘さんを寝かせて、何人ものお坊さんで取り囲んで、お経を唱え続けたそうだ。

 すると、娘さんは畳の縁紐が切れるほどのた打ち回り始めた。心配になって見ていると、突然娘さんの口から、一匹の黒い蛇がにょろりと這い出てきた。

 お坊さんはそれを、エイッと一喝した。すると蛇は、たちまちとぐろを巻いて固まってしまったそうだ。

 これは、悪い物の怪だ。これが娘さんに取り憑いて、悪さをしていたのだ。

 お坊さんはそう言うと、別のお坊さんに命じて、どこからか鏡を持ってきた。

 技師を呼んできなさい。これを閉じ込めておく箱がいる。ああ、それがいい。

 お坊さんは、ご先祖様が持っていた硯箱を指差した。ご先祖様は大名様から褒美として貰った大事な品だったから渡したくはなかったが、すっかり大人しく寝入っている娘さんを見て、渋々差し出した。

 そうこうしている内に技師が来て、硯箱に細工を施した。箱の底と蓋の裏側に、切り出した鏡を貼り付けたのだ。

 お坊さんはその中にとぐろを巻いて固まった蛇を入れると、蓋を閉め、技師に釘で封をするように命じた。その後、箱の表面に御札を貼り付けて、そこに、

 ”この箱、百年開けるべからず”

 と書いて、娘さんを縛っていた畳の縁紐でグルグル巻きにした。

 いいか、この硯箱は、向こう百年開けてはならん。もし開けたら、あの蛇が中より出でて、また悪さをするであろう。

 お坊さんはそう言って、硯箱をご先祖様に返した。ご先祖様は感謝しながらそれを受け取り、元気になった娘さんを連れて屋敷に帰ったそうだ。


 曽祖父は話し終えると、風呂敷の包みを解いて、中からこれを取り出しました。

 これが、その硯箱だ。お前はこれを見つけたのだよ。

 しかし、その硯箱には、御札も紐も施されていませんでした。

 じゃあ、この中には―――。

 そう言うと、曽祖父は簡単に硯箱の蓋を開けました。

 中には―――、何もありませんでした。しかし、話の通りに、箱の底と蓋の裏側には、くすんで影しか映らないような、ボロボロの鏡が貼り付けてありました。

 ご先祖様はな、お坊さんの言いつけをしっかりと守ったのだ。子孫に、この箱を絶対に開けてはならんと言い残してな。それから百年とさらに二十年、この箱は開けられなかったという。

 じゃあ、この箱はどうして開いてるの?

 そう訊くと、曽祖父は僅かに顔をしかめて、

 わしが若い頃に、日本は戦争をしていてな。ここら一帯にも空襲があって、これを収めていた蔵に爆弾が落ちてきたのだ。その拍子にこれが放り出されて、封が解かれてしまったのだよ。

 しかし、お坊さんの言いつけ通りに、百年間、箱が開かれなかったせいか、中からは何も現れなかった。中にいた悪いモノは、長い時を経て消えてしまったのだろうよ。

 そこまで聞いて、私はあることを思い出しました。

 箪笥の隠し棚の中を覗き込んだ時に聴こえた、シュゥゥゥという音。あれは、蛇が威嚇する際に出す音だったのでは・・・?

 それを曽祖父に告げると、

 心配はいらん。恐らくそれは、この箱に残っていた悪気のようなものだろう。なんせ百年以上も、悪いモノを閉じ込めていたのだ。染みつくのも無理はない。

 だから、わしはこれを人目に付かないように、箪笥の隠し棚に入れておいたのだ。あまり、いい気を振りまくものではないからな。

 私は、おずおずと謝りました。しかし、曽祖父は私の頭を優しく撫でて、

 いいんだ。もう何も、問題はないだろうからな。

 と言い、にっこりと微笑みました。

 そこまで言うと、その人はスズリバコを手に取って、パカッと蓋を開けた。すると、中には確かにくすんで影しか映らないような、ボロボロの鏡が貼り付けてあった。

 この中には、何が封印されていたのでしょうかねえ。悪さをするモノ、物の怪。正体は分かりませんが、今となってはどうすることもできませんよ。

 その疲れ切ったような表情に、僕は疑問を感じて質問した。

 今はどうすることもできないって、どういう意味ですか?

 すると、その人は、

 ・・・私の家系には、時折、妙な死に方をする者が出るのですよ。

 父方の叔母は、布団の中で電気コードで首を絞めて亡くなりました。枕元のストーブに使っていた延長コードが、寝返りを打った際に運悪く首に巻き付いたらしく。

 母方の祖母は、農作業中に山の斜面から転落しましてね。発見が早かったら助かったらしいのですが、藪の中で蔦が身体に絡まり、身動きが取れずにそのまま衰弱して。

 私の甥は、冬に原付を運転中、ほどけたマフラーがタイヤに巻き込まれて首を取られ、事故を起こしました。まだ、高校生だったというのに。

 ・・・お気づきになりませんか?

 全ての者は、紐状のものによって亡くなっているんですよ。

 叔母は電気コード、祖母は蔦、甥はマフラー・・・。

 私の考え過ぎでしょうか。しかし、このスズリバコの中に封印されていたのは、蛇の形をした悪しきモノだった。

 ・・・蛇も、紐状のものといえませんか?

 それに、曽祖父は蔵で首を吊って亡くなりました。縄には、畳の縁紐を使って。

 私はこう考えています。このスズリバコの中にいたモノは、決して消え失せてなどいなかった。百年以上の長い時を経たとしても。

 だから、空襲によってこの箱が開いた時に、中にいたモノは外へと解き放たれた。そして、復讐を開始したのです。自身を百年以上も閉じ込めた、私たちの一族に。

 これに気付いた私は、曽祖父から聞いた、ご先祖様が駆け込んだという寺を探し求めたのですが、見当もつきませんでした。諦めて、別の高名な寺に行き、いわゆるお祓いというものをして頂いたのですが、それでも災いは続いています。

 だから、もうどうすることもできないのですよ。悪しきモノは、きっと長年に渡って、私たち一族を呪い続けるのでしょう。恐らくは百年以上、いや、もっと長いのかもしれません。

 言葉を失っている僕を尻目に、その人はスズリバコを風呂敷の中に包みだした。

 あなたも、早くここから去った方がいいでしょう。どうしてもと、無理を言われたからお見せしましたが、あまりこれと関わり過ぎるのはよくありません。

 そう急かされて、僕は追い出されるようにその人の家を後にした。

 その日、家に帰ってから、僕は色々と考えたよ。そのスズリバコについてね。

 まず、思い立ったのは、日本で起きた話の割には、やたらと要素が海外めいていたこと。

 蛇は世界各地で古来より神聖なものとして崇められてきた反面、邪悪なモノとして扱われることもあった。西洋の方の宗教では、悪魔の使いや化身として蛇を扱うものもある。

 それに、娘さんの病状。布団の上で、まるで蛇のようにのた打ち回るなんて、狐憑きっていうよりは悪魔憑きみたいじゃないか。

 お坊さんたちが行ったとされるお祓いも、結末はまるでエクソシストが行う悪魔祓いみたいだった。

 そして、スズリバコに施された鏡の細工。鏡も神聖なものとされる反面、異界へと続く入り口ともされてきた。

 箱の底と、蓋の裏側。要するに、合わせ鏡だ。箱の中に閉じ込められたモノは、合わせ鏡の狭間に閉じ込められたといってもいい。なぜお坊さんがそんな細工を施したのか真意は分からないけれど、まるで異界へ帰れとでも言いたげな細工だ。これも、なんだか日本的というよりは、西洋的な考え方に近い気がする。

 ただ、ここから先は、さらに考えが捻じれてくる。

 スズリバコの中にいたモノが、西洋でいう悪魔だったのかは分からない。なぜ、唐突に日本の地で悪魔が発生したのかもね。

 まあ、仮にそのモノが西洋の悪魔だったとして、お坊さんは立派に悪魔祓いを成功させたわけだ。仏門の人間だったにもかかわらず。

 そこまでできたお坊さんなのだから、スズリバコの封印は完璧だったのではないか?僕はそう考えている。つまり、スズリバコの封印は意味があったわけだよ。中にいたモノは、百年の時を経て消え失せてしまった。

 しかし、問題はここからだ。

 日本には、こんな独自の文化、考え方がある。長い年月を経た道具には、霊魂が宿り、付喪神となる。

 ツクモは九十九と表記することもある。つまり、その長い年月とは、九十九年という時間を指すわけだ。

 スズリバコは百年以上もの間、封印されていた。中に、悪しきモノが入った状態で。

 ・・・スズリバコは、悪しき付喪神になったのではないか?まるで、中にいる悪しきモノの悪気が染みついたように。

 中にいたモノは消え失せた。しかし、その入れ物だったスズリバコが、悪しきモノとなってしまったのではないか?

 もちろん、これは僕の仮説だよ。

 西洋の悪魔に、付喪神なんて概念が通用するのかは分からない。悪しきモノにも、郷に入れば郷に従えなんて考えがあるのかなんて、僕は知らない。

 でも、現にスズリバコの呪いは続いている。それは、一族の人間たちにお祓いをしても、止まることはなかった。

 それは、スズリバコ自体がいわゆる呪物となったせいではないのか?

 ということは、スズリバコ本体を祓えば、一族に降りかかる災いを解決することができるのではないか?

 僕はこの仮説を、その人に伝えようとした。もしかしたら、解決の糸口を見つけたのかもしれないと。それで、もう一度家に出向いてみたんだけど・・・。

 いざ、家に着いてみると、喪服姿の人たちがたくさんいて、お葬式をやっていた。亡くなっていたのは、スズリバコの話を聞かせてくれた、その人だった。

 僕は遠巻きにそれを眺めることしかできなかった。そんなに深い間柄でもなかったし、とてもお葬式に参加できる身なりじゃなかったしね。

 ただ・・・、それとなく、参列している人たちの会話に聞き耳を立てていると・・・。

 その人は、感電死したらしい。家の敷地に、強風によって千切れた電線が放り出されていて、それに触れてしまって・・・。

 電線・・・。紐状のものだ・・・。

 僕は家の人にスズリバコのことについて伝えるのを諦めて、帰ることにした。赤の他人の言う事なんて、どうせ信じてはもらえないだろうと思ったからね。

 後日、差出人の名前を記さずに匿名で、スズリバコのことに関する考察をまとめた手紙をその家に送ったけれど、それが読まれたかは分からない。でも、僕にできることは、それくらいしかなかった。

 今、スズリバコがどうなっているのか、僕は知らない。できれば、僕の考察が当たっているかも分からないけれど、とにかく処分されていてほしいよ。

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る