彼女と俺のSUKIYAKI問答

アイオイ アクト

彼女と俺のSUKIYAKI問答

 よりによって七限目まであった今日。

 クラスの男子は全員、昼休みから放課後まで下半身をもじもじさせていた。

 全国でも珍しく室内プールが整備されている俺の高校は、一年の内どこかで体育の時間に水泳があるのは珍しくない。そんな希有ともいえる真冬のプールの時間。


 クラスの男子全員のパンツが更衣室から消えた。


 幸い、ほば全員のパンツは帰りのホームルームの直前に全て見つかった。他のクラスの生徒が化学室でパンツの山を発見したのだ。


 だが、俺のパンツだけはその山の中になかった。

 皆に同情されつつ、俺は一人化学室へとパンツを探しに戻って来てみたのだが、そこで見た光景に意識を失いかけた。


 カセットコンロの上でコトコトと煮えるすき焼きと、それをつつく可憐な少女。

 立ちこめる甘い醤油の香りは食欲を刺激するが、それ以上に俺の頭を混乱させた。


 一体なんなんだ、この光景は。

 その少女はホームルームに姿を見せなかった郡瀬ぐんぜ詩枝しえだった。


 誰一人としてこの深窓の令嬢を地で行く郡瀬を犯人だと思うことはないだろう。

 俺以外は。

 ここは化学室だ。俺と郡瀬だけの化学部の部室でもあり、鍵を持っている生徒は部員に限られるからだ。


「……あの、郡瀬、どうしてみんなのパンツを盗んだの?」


 なんとか質問を口から絞り出す。


「分からないの? 最強になれるからよ。富士ふじ君。いや、つむぐ君と親しみを込めて呼ばせてもらうわ。あなたは私のカレシなのだから」


 まだ実感は湧かないけれど、そうだった。

 たくさんの男子に言い寄られる郡瀬が、どうして俺を選んでくれたのかは分からないが、俺は郡瀬の彼氏という立場に昇格できたんだった。


「私はこのすき焼きを食べたら最強になれるの。今ならきっとヒクソンにも勝てるわ」


「ひ、ヒクソン? 誰……? そ、そうじゃなくて、どうしてみんなのパンツを盗んだんだよ?」


「何を困った顔をしているの? 困っているのは私の方よ。400戦無敗の男を知らないなんて」


「そうじゃなくて! 俺の質問に答えてよ」


「私の家ではすき焼きにジャガイモを入れるの。ホクホクしておいしいのよ」


 柔らかく煮えたジャガイモが口に放り込まれた。

 ほくほくとした食感と共に、甘味と塩味がとても複雑に絡み合う芳醇な香りの出汁が味蕾を刺激する。なんて美味しいんだ。

 いや、恍惚としている場合じゃない。


「お、美味しいよ、ありがとう。でも、質問に答えてよ」


「答えたわ」


『ヒクソンに勝てる』が質問の答えになっていると言いたいんだろうか。


「えと、じゃあ質問を変えるよ。どうしてここですき焼きなんてしてるの?」


「そ、それは……あなたに、私の料理を食べて欲しくて」


 郡瀬が恥じらいながら答える姿は可愛い。でも、騙されてはいけない。

 取り皿も卵も一つずつしか用意されていない。

 一人でこのすき焼きを楽しもうとしているところに俺が現れてしまったんだ。


「あのさ、郡瀬」


「そんな風に呼ばないで、詩絵と呼んで」


「え? す、すぐは恥ずかしいかな」


「もう交際を始めてどれくらい経つと思っているの?」


「それはその、一昨日の放課後からだから……そんなには」


「つまり約48時間ね。でも中学の頃から友人とは言える関係性だったわ。下の名前で呼び合うには十分な時間よ。どうして今になって告白してくれたの?」


「そ、そりゃ、前から好きだったけれど、勇気が出なくて」


 恥ずかしいなぁ、もう。


「つまり、やっとあなたの好きな物は『きょじん・たいほう・たまごやき』から、郡瀬詩絵・エミリヤーエンコ=詩絵・アントニオ=ホドリゴ=詩絵になったということね」


 知らない単語が雨あられと俺の脳内へと降り注ぐ。


「ポカンとしないで。昔の子供が好きな物ベスト3も知らないの? まぁ、私もどうして大豊なのかは疑問だけどね。確かに中日と阪神を支えた日本屈指のスラッガーであり、台湾の英雄だったけれど」


「だ、だから、誰? それはたいほう違いだと思うんだけど……お相撲さんだったような?」


 待て俺! 突っ込むところはそこじゃない!

 ここに来た理由を思い出せ!

 晴れて恋人同士になったことを喜び合うためでもすき焼きの相伴に預かるためでもない!

 スースーする下半身をなんとかするためだろう!


「と、とにかく! みんなのパンツを盗み出したのはどうしてだよ!? そ、それから俺のパンツ返してよ!」


 郡瀬、もとい詩絵が下を向いてしまった。


「どうして犯人は私と決めつけるの? うん、割り下の出来は最高ね」


 詩絵がまだ赤い部分の残る肉を口に運んだ。箸の持ち方がきれいだ。小さく開いた口に八重歯が光る。きれいだ。自分の恋人であるというスパイスが、その姿をより美しく見せているのかもしれない。


「そ、そんなに見つめないで。私だってあなたのことが好きだったのよ。でも私の素直な気持ちをぶつけて拒絶されたらグレイシー道場破りをした安生の如く身も心もへし折られて、挙げ句にまだチャンスはあるとストーカー化してあなたのベッドの下に潜り込んでそこ隠してある男がサディスティックな女の子に性的にいじめられまくるマンガ雑誌を読みあさっていたでしょうね。今度貸して欲しいわ」


 え? なんだ、両想いだったのか。

 俺がやぶれかぶれの告白をしたのは正直、詩絵を吹っ切るためだった。

 詩絵の視界に俺は入っていなかった。そう思っていたんだ。それでも、運動部に入りたいという気持ちを抑えて詩絵が所属する化学部に入った。本当は文系志望だけど、二年に上がってから理系を選択して同じクラスにまでなったんだ。

 俺は既に立派なストーカーだ。化学室でわりと本格的なすき焼きを調理して食べているくらい許容しないと。

 でも、窃盗は容認出来ない。もちろん詩絵がちゃんと懺悔の言葉を口にすれば一緒に謝罪するなり水に流すなりはする……ん?


「ななななななんで俺の漫画知ってるの!?」


「昨日あなたが塾へ行っている時よ。お母様にあなたのパンツが欲しいとお願いしたら快く部屋へ通してくださったわ」


 母さん!? どうして!?

 そういえば昨日何故か晩に赤飯が出たような? まさか!? え!?


「黙っていてごめんなさい。私はそこで覚えたの」


「お、覚えた?」


「そう、覚えたの。ほら見て。うちは白滝じゃなくて糸こんにゃくを使うの。こっちの方が香ばしいからね。ふふ、美味しい」


 ゆっくり、汁を飛ばさないように糸こんにゃくを吸い込む姿も可愛いな。そんなことを思っている場合ではないのに。


「えと、その、何を覚えたの?」


「匂いよ。KB、KT、KBBをしてみたかったの」


 瞬時に悟った。

 利きブリーフ、利きトランクス、利きボクサー・ブリーフの略だ。


 怖い。

 でもなぜか、とても心地よくもあった。

 あの漫画雑誌は誰にも理解してもらえなかった。詩絵はそれを忌避しないどころか興味まで持ってくれているのだ。そんな希有な出会いは奇跡としか思えない。

 だというのに、俺の手は震え始めていた。


「どうやら、私はあなたのパンツを当てることができたようね」


 それは素直にすごいけれど、僕の背中には汗がたまり始めていた。


「ね、ねぇ、詩絵。俺のパンツ一枚だけならいくらでも誤魔化しようがあったのに、どうして全員のを盗んだんだよ?」


 春菊を咀嚼しながら、詩絵は微笑んだ。


「私の恋人だけを昼休みから七限目まで一人もじもじさせるなんて、私にはできないわ」


 そっか、詩絵なりに気を遣ってはくれたのか。確かに一人だけパンツがなかったら、俺は針のむしろだ。


「本当はね、分かっているわ。あなたにお願いすべきだって。でもそんなお願いしたら、さすがに引くでしょう?」

「え?」


 なんだか腹立たしい。せっかくお互いの想いが通じ合ったのに、そんな風に思われるなんて。


「だ、大丈夫。俺は引いたりしないから、今後はお願いしてよ」


「本当に? このクイントン=“ランページ”=詩絵の願いを聞いてくれるの? 今ここで素直にズボンを脱いで、あなたの香りでいっぱいの、若干の塩素と制汗スプレーの香りがするあなたの脱ぎたて新鮮ホカホカをくれるの?」


「…………」


 ゾクリと、背中に悪寒が走った。


「……で、できる! 渡せるよ! 今は履いてないけど!」


 言い切った。よく言い切った、俺。それでこそ郡瀬詩絵の恋人、富士つむぐだ。


「……ごめんなさい。試すような質問をして。決してそんなことお願いしないわ。確かに新鮮なパンツは欲しいけれど」


 あれ? 逃げ出したい。

 どうしてそんなことを思うんだろう。そんな必要は無いはずなのに。俺は決めたんだ。詩絵を受け入れると。俺の性癖を受け入れてくれた詩絵を。


「そもそも今日、あなたは水着の上からパンツを履いてきたでしょう? つまり新品同様。私が求めている物とは違うわ。でも、私は18枚の中からあなたのパンツを探し当てた。これほどの達成感を感じたことはないわ。私はあなたのパンツを交渉の末にいただくのではなくて、勝ち取りたかったのよ」


 俺の頭の中は『?』マークで埋め尽くされていた。そうしている間にも、すき焼きの具材はどんどん減っていく。

 彼女が晒す本音をなんとか心の中で咀嚼し、返事を考える。窃盗を是とするかのような考えは改めてもらわないと。


「……だ、ダメだよ! パンツが欲しいなら俺に言って! 他に人に迷惑をかけないと約束してよ!」


 詩絵の長いまつ毛が下を向いてしまった。

 辛いかもしれないが、分かってもらわなくちゃならないことだ。


「……もうしないわ。ごめんなさい。ただ、分かって欲しいの。あなたはきっと私の願いに身を震わせて恍惚としつつも屈辱と羞恥に歪んだ顔でズボンを脱いでくれる。でもね、その程度で私は満たされないと知ってしまったの」


 口を挟もうにも、彼女の決意したような視線に封じられてしまった。


「分かりやすく説明するわ。『機動警察○トレイバー』が好きな人に『恋は○上がりのように』を勧めたら、その人はきっと数ページ読むだけでピンときて作品にのめり込んでくれるわ」


 ……は?


「でも、『恋は雨○がりのように』が好きな人に『機動警察パ○レイバー』を勧めてもあまりピンとこないと思うの」


 ええと、何を言っているんだろう?


「見て。これが○トレイバーが好きな人に恋は○上がりのようにを勧めてみた時の如くピンとくる方よ」


「へ……?」


 汁だけになった鍋から、詩絵が箸で引き上げた物を見た瞬間、俺は息を飲んだ。

 真茶色に染まり、野菜の切れ端がたくさんついた物体。


「それ……お、俺の……?」


「……うん」


 どうやら俺は、もじもじしたまま帰らないといけないようだ。


「でも安心して。これを履いて」


 詩絵がスカートのポケットの中から出した物も、俺のパンツだった。


「あなたのお母様に借りたの。つまりこれが、いまいちピンと来ない方」


 良かった。たとえ話はまったくもって理解できなかったけれど、渡されたパンツは少しだけ湿っているだけで何とか履けそうだ。


「今日一日、ハンカチ代わりに使ってもばれないか、お母様と賭けをしたの。私の勝ちだったと伝えておいてちょうだい」


 あれ? おかしいな。

 視界が狭まっていくほどの強い目眩を覚えた。

 詩絵はおかしなことを言っている。母さんもついでにおかしい。


 俺のパンツを煮込んで出汁を取るという行為は仕方ない。彼女はそれを摂取すると強くなれるらしいから。

 でも、俺自身は最強にはなれない。むしろ自分のパンツの出汁を吸ったジャガイモを食わされたなんて……ん?


「……あれ? まさかこの鍋……!」

「ふふ、気づいたわね。これは仕切り鍋よ。あなたが食べたジャガイモは仕切りのこっち側よ。ほら、見て」


 彼女がその仕切りから箸で引き上げたのは、あまり馴染みのない形をしているが、すべての男子が密かに憧れている小さな布。


「そ、それって……!」

「そうよ」


 雷に打たれた。

 本当に、打たれた気がした。

 その電流が背骨を通じて全身に無限の力を与えているかのような快感に襲われた。


「お、俺も……ヒクソンに勝てるかな……?」


 ヒクソンが誰かは知らないけれど。


「勝てるわ。さぁ、帰りましょう。この場でそのパンツを履いてちょうだい」


「ああ、もちろん!」


 俺はためらうことなく、思い切りズボンを下ろしていた。



 その後、俺と詩絵は校内最強カップルの名を欲しいままにする……ことはなかった。

 それどころか最強の変態窃盗カップルとして仲良く停学処分を喰らい、大学推薦枠を失ってしまった。


 だが、そんなことで俺と詩絵の仲が揺らぐようなことはなかった。

 あれから何年も経った今でも、記念日ごとにあの鍋を取り出しては、あの日と同じことをして、互いの愛を確かめ合っているからだ。

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