第5話 同居の始まった翌朝に寝坊した!

誰かがドアをノックしている。誰だ! うるさい! 目が覚めた。時計を見ると8時少し前だ。しまった寝過ごした! ドアをノックする声が聞こえる。


「篠原さん、起きなくてもいいんですか? 今日はお休みですか?」


地味子の声だ。昨日から同居生活が始まっていたことを思い出した。


「今起きた、少し寝過ごした。すぐに行くから」


すぐに部屋に続いているバスルームへ行って、歯磨き、髭剃り、洗顔して、髪を整える。スーツに着替えて、リビングダイニングへ行く。


そこには黒いスーツにエプロンをした地味子が待っていた。テーブルにはトーストと温めたミルクがカップに用意されている。それにカットされたりんごとバナナが皿にのせてある。俺一人分が用意されている。


「白石さんは、もう食べたのか?」


「はい、お先にいただきました」


「篠原さんが何時に起床するのか聞いておくのを忘れていました」


「7時には起きるようにしているけど、今日は寝過ごした。起こしてくれてありがとう」


「私は6時に起きるようにしています。通勤時間が1時間以上かかったので7時30分には出かけなければなりませんでしたから」


「ここなら、会社まで歩いて15分くらいだから8時半過ぎに出かければ十分だ」


「それじゃあ7時に起きれば十分ですね」


「そうだ、それでも少し早いかもしれないけどね」


「明日からは7時に起床、7時30分に朝食、8時30分に出勤でいいですか」


「それでいい、ゆとりもあるから」


「私はもう少し早く起きて自分のお弁当を作ります」


「へー、昼はお弁当か?」


「外食は高くつきますから、夕食も自炊します」


「好きにしたらいいよ」


「朝食を準備しましたが、それでいいですか。私もいつもはそれくらいですが」


「準備してくれてありがとう。あとチーズとかプレーンのヨーグルトがあればいいけど」


「分かりました。明日はそれも準備します」


「あとで費用を払っておく。とりあえず1万円払っておくから、足りなくなったら言ってください」


「私も1万円だして、そこから朝食の材料を買います」


「まかせた」


簡単な朝食でもこれだけ食べておくとお昼までもつ。急いで食べ終わるとすぐに後片付けをしてくれた。意外と地味子は役にたつ。同居は正解だったかなと思う。


「8時30分になったら出かけるけど、一緒には出勤しない方が良いと思うので、少し前に出てくれ、俺は君の後にする」


「分かりました」


「会社への道順は分かるか?」


「私は方向音痴なのでちょっと不安です」


「初日だから一緒に行こうか、道順を教えるから覚えてくれ」


「すみません。少し離れて歩きます。誰かに見られるかもしれませんから」


「好きにしてくれ」


「そうします」


8時30分になったので二人はエレベーターで降りる。1階のコンシェルジェに挨拶をしてマンションを出る。5mほど離れてリュックを肩に担いだ地味子が後ろについて来る。


リュックは食材を買って帰るのに使うと言っていた。地味子らしいスタイルだ。会社のある大通りに出ると地味子は俺との距離をもっとあけた。


◆ ◆ ◆

今日は仕事が定時に終わった。例の機構改革の説明も先週末で大方終えた。今日は月曜日だからデートの約束はしていない。大通りのトンカツ屋に入る。ここでのトンカツ定食とビールが今日の夕食になる。


1週間のサイクルで毎晩入るレストランというか食堂は違えている。食事が偏らないためと、飽きがこないためだ。好きな料理も毎日食べるとすぐに飽きてくる。


この辺りはレストランが多いが、新しい気に入った料理を探すのには時間も手間もかかるから、自然に身についた生活の知恵だ。


このトンカツ屋はいつも昼食時には混んでいるが、今の時間、食事をしている客は少ない。これでよく店をやっていけると思う。


この大通りではレストランの出店と閉店が激しい。店の賃貸料が高いからお客が入らないとすぐに閉店になる。大体出店して2か月で勝負がつく。


新しい店ができるとすぐに行ってみる。そして食べてみたい料理を頼む。食べてみてその味と値段のコスパがよければ必ず繁盛している。それは俺でも1回行けば分かる。


ただ安ければいいということもない。うまくて値段が適正ならば客は入る。このあたりの客はみんな口が肥えていてそれなりにシビヤーだ。サラリーマンは昼飯くらいしか楽しみがないからだ。


同じ店でも経営者が変わることがある。営業不振で設備など一切を引き継いで再開店する。店名が同じこともあるし変わることもある。でもほとんど長続きしない。


その店の広さで1日何食出れば採算が取れるのか、すぐに計算できそうなものだが、その経営感覚が分からない。企画部にいるとすぐこんなことを考えてしまう。


ひとつ言えることだが、料理がうまい店で値段が適正であれば長続きする。ここもその1店だ。それからその建物のオーナーの老舗の食堂はずっと続いている。それなりの固定資産税はかかるにしても高額な賃貸料が必要ないからだろう。


一時外食に飽きて、自炊をしてみたが、できるのはせいぜい土曜と日曜くらいで、食材が無駄になり、コスパが悪いので止めた。朝食だけにしておいた方がよいと分かった。


お腹がふくれたところで、マンションへ帰る。地味子はもう帰っているだろう。職住接近は最高だ。勤務時間後の時間が有効に使える。すぐに着く。


ドアを開けて中に入ると、地味子の夕食の匂いがする。献立は何だろう? ちょっと興味がある。


「おかえりなさい」


「ただいま」


帰って家に誰かいて「おかえり」といってもらうのは悪い気がしない。ほっとする。


部屋着姿の地味子を見るのは始めてだ。上下ジャージを着ている。相変わらず、ださい格好だ。まあ、キャミソールにホットパンツやスケスケの部屋着でも困る。これで丁度いい。女を感じさせないところがいい。空気みたいに思えるところがいい。


これならこちらも夏は短パン一丁でいいような気がしてくる。気を使わなくていい楽な雰囲気だ。彼女を同居人に選んだのは正解だった。彼女を見て自然と笑みが浮かんでいたのかもしれない。


「私の恰好がおかしいですか? いままでこうでしたからそのままですけど」


「女子はみんな家ではそうなのか?」


「私の友人はそうですが」


「少し興ざめかな。でも気を使わなくていいから、その方がいいな。俺も適当な恰好をさせてもらうから」


「その方がいいです。私にお気遣いなく。でも裸で歩き回ることはやめてくださいね」


「当たり前だ、自分の部屋だけにする。君もそうしてくれ」


「もちろんです」


「夕食はすんだのか?」


「食べ終わって後片付けをしたところです」


「コーヒーでも飲むか? 淹れてあげる」


「コーヒーが好きなんですね。この前も入れてくれましたね」


「一人でも飲むのもなんだから、付き合ってくれ。ブラックでよかったよね」


「はい、喜んでいただきます」


俺はキッチンでコーヒー豆を挽いて、コーヒーメーカーにセットして水を多めに入れる。これで4~5分で出来上がる。


以前はドリップで淹れていたが、このごろはもっぱらこれで淹れている。簡単で手っ取り早い。豆を買っておいて付属のミルで粉砕してセットするだけでいい。


1杯分だけよりも2杯分の作った方が上手くはいるように思う。それでいつも多めに2杯分作っていた。


俺は砂糖もミルクも入れて飲む。淹れたコーヒーをソファーへ持って行くと地味子はテレビを見ている。そして、ビデオのリモコンを触っている。まずい!


大型テレビの映像がHシーンに切り替わる。地味子があっと驚いてソファーからころげ落ちそうになる。


「それ触っちゃだめだ」


「恥ずかしい。驚きました。突然、大きなHシーンが映ったので」


「ごめん、AVを入れたままだった。見たことなかった?」


「はい、すごいですね」


「あとで片付けておくから、ごめんね」


「そのままでいいですよ、ひとりでじっくり見せてください」


「ええ、そうか、じゃあ、好きにするといい。ビデオデッキの入っているテレビ台の下段に同じようなAVが何枚か入っているから自由に見てもいいよ」


「はい、ありがとうございます」


地味子がAVをじっくり見せて下さいと言うとは思わなかった。興味があるのかと思って他のAVのあり場所も教えて、見ても良いと言ってしまった。あんなことは地味子だから言えたのだと思う。


まあ、地味子と同居を始めたので、俺があそこで、一人で見ることもできないから、まあ、いいだろう。あれを見て少しは色気を出したらいい。


あのAVは隆一が簡単に買える方法を教えてくれたので1LDKのマンションにいた時に買ったものだった。今はネットで注文すると次の日にマンションのポストに配達されている。便利になったものだ。


「このテレビは大型で迫力があっていいですね。テレビは自由に見てもいいですか」


「好きに見てくれていい。テレビは俺の部屋にもあるから」


「カラオケも練習してもいいですか? 歌が下手なので」


「ああ、ここは防音がしっかりしているから、ほどほどの音量でなら練習してくれていい。新しい曲もそろえてあるから、俺も時々新曲を練習しているんだ」


「使い方を教えてください」


リモコンの入力装置を持ってきて使用法を教えることにした。


「ここで選曲する、一曲歌ってみるからやり方を覚えておくと言い。リクエストは?」


「『レモン』をお願いします」


「あるけど難しいよ、俺も練習しているけど」


「いい曲だから練習してみたいんです」


すぐに曲のイントロが始まる。歌詞が大型テレビに映し出される。俺が軽く歌う。地味子はじっと聞いている。


なんとか音程をはずすことなくスムースに歌えた。終わると拍手をしてくれた。良い感じだ。


「すごくうまいですね! その曲は好きなのでパソコンで何回も聞いていましたが、実際にカラオケで歌ったのを聞いたのは初めてです」


「歌ってみる?」


「もう何回も聞いていますから歌えるとは思いますが今はやめておきます。少しひとりで練習してからにします」


「せいぜいここで練習するといいよ」


「誰もいない時に練習させてください」


「じゃあ、自分の部屋に引き上げるとするか?」


「おやすみなさい」


地味子も部屋に戻って行った。話をすると気さくに相手になってくれる。話し相手としては気楽だし打ってつけだ。いやみがなくて話していても疲れない。会社で女子と話をする時は気を使うが、気を使わなくて話せるのでほっとするところがある。

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