後編
「お待ちどうさまです。ハンバーグ・ステーキです」
ライトと外食をした翌日、私は再び同じ店を訪れ、同じハンバーグ・ステーキを注文していた。だがしかし、今回ライトは隣にいない。店主の
「どれ、頂きます」
私はハンバーグにナイフを入れる。目の前の杵塚氏とライトは、固唾を飲んで見守っている。ふっくらとした俵型のハンバーグからは、溢れんばかりの肉汁が流れだす。そのまま口へと運ぶと、私は大きく頷いた。
「うん。美味しい。美味しいよライトくん」
ライトは掌をぱっと広げ、椅子から飛び上がらんばかりに腕を振り上げた。
「ささ、杵塚さんも食べてみてください」
「はい、では失礼して」
杵塚氏も箸でハンバーグを摘まんで口に入れると、信じられないとという様子で2、3回首を振って頷く。
「うん。うまい。凄いじゃないかライトくん。こんなにも違うとは」
ライトは照れ臭そうに、誇らしそうにもじもじいている。このハンバーグ・ステーキは、ライトが
ハンバーグを作る際、まずは挽肉に塩を振って捏ねる。挽肉同士を結着させる粘りを出し、形を整えやすくするためだ。だがその際、一つ注意しなくてはいけない点がある。それは、十分に冷えた状態で作業を行う点だ。
人の手で練る場合、そのままでは体温のために挽肉の脂肪が溶け出してしまう。その場合、粘りが出たと思っても、それは、挽肉が結着して粘りが出たのではない。単に脂の粘りを感じただけだ。こうなると、焼き上げたハンバーグは隙間だらけになる。ぽろぽろと崩れ、肉汁は流れ出し、食感も物足りなくなってしまう。
洋食屋でハンバーグを練る際、氷水を使って、ボウルや、時には手まで冷やしながら捏ねる所も多いが、それにはこういった理由があるのだ。つまり、挽肉を捏ねる手は冷たい方が良いというわけだ。
以前、杵塚氏にそんな話を聞いていた私は、ライトの手に触れてその事を思い出したのだ。そして、杵塚氏に頼んで、ライトにハンバーグを捏ねさせていただいたというわけだ。
「では、杵塚さん、ライトくんをこちらで雇っていただけますか」
「はい、もちろんです
杵塚氏が差出した左手に、ライトは力強く握手を返した。
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杵塚氏の洋食店「ふらいぱん」は、たちまち人気店になった。「機械人形の手捏ねハンバーグ・ステーキ」という話題性に加え、味も大評判になったのだ。
それに伴い、ライトも一躍人気者になった。厨房でハンバーグを捏ねるだけでなく、殺到する新聞社やTV局からの取材を受け、言わば「ふらいぱん」の宣伝活動を任されるようにもなったのだ。その人気は絶大で、杵塚氏だけではスケジュールの調整に対応しきれなくなり、娘さんがライトの秘書のような仕事をしなくてはならない程だった。
やがて二号店が開店すると、ライトはますます忙しくなった。帰宅時間は遅くなり、泊まりがけで出張する事も多くなった。さらに、TVタレントのような仕事が増えだすと、だんだんと家にいない事の方が普通になり、月に一度、電池を交換するという口実で帰ってくる程度になっていた。
ライトは帰宅すると、何も書かずにぱたりと私の膝の上に載って電池ボックスの蓋を差し出す。台座にはもうブリキのスケートボードは無く、代わりに「ふらいぱん」のロゴが入った自走式の台座が備え付けてあった。電池を交換してあげると、ライトはゆっくりと身を起こし、最近あった出来事をノートへと書いて教えてくれるのだ。
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その日の夜。晩酌をしながらTVを点けると、ちょうどクイズ番組が始まったところだった。TVの中の司会者が声を張る。
「本日のゲストは、『ふらいぱん』の料理長、
ブラウン管の中では、掌の甲にちょこんとコック棒を乗せたライトがぺこりとお辞儀をしていた。「おお、がんばるのだぞ」と呟いて、ふと、隣の座布団を見た。かつてそこに座って一緒にTVを見ていたライトは、今はTVの中に居る。楽しそうに回答を見せてきたライトは、しょんぼりしていたライトは、もういない。
「よかったですね。ライトくん」
私は呟く。
「そう。よかったのです」
私はもう一度呟いて、TVを消そうと立ち上がった。
その時、玄関がカラカラと開く音が聞こえた。居間から顔を出して覗くと、ライトが帰ってきた所だった。
「ライトくん。お帰り。丁度今、君が出ているTVが放映されている所だよ」
ライトは軽く頷くと、ゆっくりと
――このまま、電池を入れなかったらどうなるだろう。
ふと、そんな考えが頭をよぎる。私は思わず唾を飲む。かつてライトは言っていた。《電池を抜いて三〇秒経過すると、初期化される》と。私はちらりと壁掛け時計の秒針を見る。あの針が、あと180度動くまで、このまま何もしなければ。その後に駅へと向かい、電池を入れて放置すれば。そして、あの時と同じように私とライトが出会ったのなら。
何を馬鹿な事を。そう頭で思いながら、私は動けずにいた。時計の秒針は既に10秒を刻んでいる。その時、ライトの掌がピクリと動いた――ような気がした。
もしかしたら、ライトは気づいているのではないか。私の額に汗が滲む。もしかしたら、ライトは気づいたうえで、許してくれているのではないか。私が望むのであれば、そうしても良いと。気づいたうえで、身を委ねているのではないか。いや、もしかしたらライトも同じように望んでいるのではないか。また、あの二人だけの生活を送りたいと。
時計の針が20秒を刻む。あと10秒。あの針が60度動くまでこのまま息を殺していれば。私の手は震えだすが、まだ動かない。唾を飲みこもうとするが、喉が張り付いたように乾いて上手くできない。そして私は――。
そして私は、6本の電池をライトの台座に収めた。ぱちりと蓋を留めると、いつものように物憂げにライトが掌を持ち上げる。
ライトよ、ライト。私の可愛い機械人形の左手よ。お前は私の所有物ではない。お前の人生はお前の物で、私の物ではない。私がそれをどうこうするなどという事は、できない。してはいけない。お前はお前の選んだ道を、そのまま歩んで行っておくれ。
隣の座布団へとちょこんと乗ったライトは、番組収録時の裏話を楽しそうに書き連ねている。その姿を見守りながら、私は考える。
ライトよ。この先お前がどんな道を歩むかはわからない。希望に満ちた幸多い道であることを願おう。たくさんの友人や、つがいとなる右腕にも出会う事だろう。
そして私は考えてしまう。ライトよ、ライト。できることなら時々は、弱った姿を見せておくれ。私の元へと、膝の上へと帰ってきておくれ。どんな事があろうとも、それでもその冷えた手が、私の腿に置かれる限り、私はお前を助けよう。助けさせてほしいのだ。今しばしの間。そう、この私の卑怯な手が、お前の手の冷たさを感じられる間くらいは。
ライトはペンをコトリとちゃぶ台へ置き、トントンとノートを指で叩く。その音で我に返った私は、済まない済まないと微笑んでノートの内容を読み上げる。ゆっくり、ゆっくりと読み上げる。
それでもこの冷えた手が 吉岡梅 @uomasa
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