中編

 私はライトの為に、小さなの付いたブリキの台車をこしらええた。少年達の間で流行はやりのスケート・ボードとやらを参考にし、さらに予備の電池が6本格納できる箱を備え付けた。ライトの土台にベルトで結わえてあげると、からからと音を立てて部屋中を走り回っていた。


 しばらく一緒に過ごしたが、ライトは相変わらず何も思い出せてはいないようだった。毎日一緒に朝食の卓に着き、工場こうばへ行って作業をする。もちろんライトは食事や作業はできないが、私に付いてきては、目の届く場所からこちらを覗いたり、何やら思案をしたり、しきりに掌を動かしたりしていた。


 仕事が終わると、家に帰って座布団を並べてTVを見る。ライトの好きな番組はクイズ番組だ。番組が始まるとノートとペンを持ち出し、懸命に回答を書いては見せてくる。晩酌をしている私も、つられて一緒に考えるのだが、ライトとの勝負は、五分と五分といった所だった。


 しばらくそんな暮らしが続いたある日の事だった。工場から帰宅し、娘が送ってきたチョコレイトを摘まんでいると、ライトが何やらしょんぼりとしている。


「ライトくん、どうしたのかね。電池の残りが少ないのかい。そうであれば、交換するとしよう」


 私が訊ねると、ライトは左右に掌を振る。


《イエ チガイマス ワタシハ ジブンガ ナサケナイノデス》

「情けないとな。どうしてかね。記憶が戻らない事なら、焦ることは無い」

《アリガトウゴザイマス デモ ソウデハアリマセン》

「記憶の事ではないのかい。では、いったいどうしたというのかね」

《ナニモ オヤクニタテズ ムダニ デンチヲ ヘラシテイルジブンガ カナシイノデス》

「そんな事を考えていたのか。ははは。いや、失礼。そうか、では明日からライトくんに手伝ってもらえる仕事を探すとしよう」


 ライトは、ぱぁっと掌を広げ、何度も何度も頷いた。


###


 安易に考えていたライトの仕事探しは、思いのほか難航した。ライトはそれ程パワーが無く、精密な動作も難しい。なかなかにが多い構造なのだ。私がやっている絞りや叩きは、それほど力がいるというわけではないが、絞り加減や叩き加減が肝となる。向いているとは言い難い。


 その上、ライトは片手。どうしても「一方で固定し、もう一方で作業をする」という動作ができない。私が押さえていれば、絞り機のレバーを動かしたり、ハンマーを振ったりといった作業は可能だが、それは言わば二人羽織のような物。とても良い出来の製品は期待できない。


 それではと、経理事務を任せてみた。すると、書き込むスピードは遅いものの、正確に帳簿に記帳する。機械仕掛けだけあって計算も確かだ。これはしめた物だと私もライトも喜んだのだのも束の間、工場の事情が災いした。我が工場では、帳簿を付ける取引というのが、ふた月に一度程しか無いのだ。


 板金いたがねや機械・工具は既に揃っており、日々買い足すような物も販売する物も特に無い。記帳できるのは、せいぜい水道光熱費に電話料金くらいのもの。だが、それさえも記帳は月に一度きり。結局ライトは何もする事が無くなってしまい、また元のしょんぼりに逆戻りだ。


 そこで私は、近所の工場や商店に声をかけ、ライトにできる仕事が無いかを尋ねて回る事にした。


 ツボ押しであればどうだろうかと、按摩の手伝いをさせてみる。やはり力が足りないらしい。そのうえ、手が冷たくて吃驚する、との事でうまく行かなかった。



 割烹の板前であればどうだろうかと、下拵えやあしらいを手伝わせてみる。板場の場所を取らないのはいいのだが、作業が遅く、野菜や魚の身がぐずぐずになってしまう、との事でうまく行かなかった。


 経理事務であれば大丈夫だろうと手伝わせてみる。記帳は正確なものの、やはり作業と意思疎通の速度が問題となった。それに加え、正直すぎて都合が悪い、との事でうまく行かなかった。


 その他、何人かの知り合いに頼んでみたものの、結果は全て同じ。ライトはすっかり悄気しょげていた。心なしか、帰宅時のの音も元気が無い。


「ライトくん、そう気にすることは無い。また明日にも探そうではないか。ささ、元気の無いのは電池が減っている所為もあるのだろう。交換するとしようか」


 居間に腰を落ち着けた私がそう言うと、ライトはのろのろとやって来た。ぱたりと胡坐あぐらをかいている私の足の上に腕全体を投げ出し、電池入れの取っ手をこちらへと向ける。ひんやりとした掌は拗ねたようにそっぽを向き、ももの辺りへもたれかかっていた。蓋を開け、電池を1つ取り出した時、ライトが物憂げに掌を持ち上げた。私は思わず、電池部分を手で押さえる。


「こらこら、危ないではないか。電池が全部外れてしまったらどうするのだ。動けなくなって、また全て忘れてしまいかねないぞ」


 ライトは、ぴくりと腕を震わせると、卓袱台の上のペンを取った。


《オネガイデス デンチヲ スベテ ヌイテクダサイ》

「何を言うんだね。止まってしまうではないか」

《ソノママ 30ビョウモ スレバ ワタシノ キオクハ ショウキョサレマス》

「ライトくん」

《ソノアトハ ドコカヘ ステテクダサイ オセワニ ナリマシタ》

「捨てるなどとんでもない。そう自分を責める物ではないよ」


 掌を覗き込むようにして諭すと、ライトはふいっと横を向く。


「ライトくん、君はきっと体が弱っているのだ。弱っている時は、気分も沈んで自棄やけになってしまうものだ。よしわかった。電池交換を終えたら、今日は外食をしよう」


 「外食」という言葉に興味を持ったのか、ライトは掌をこちらに向けた。


「ああ、外食だ。人は、弱った時には美味しいものを食べるものだ。君は食べることはできないが、その雰囲気だけでも味わえば気持ちも変わるだろう。善は急げだ。出かけるとしよう」


 手早くライトの電池を交換し、襟巻を首に巻き付け外套を羽織る。鳥打帽を被り終わると、ライトを連れて久しぶりの外食へと出かけた。


###


「お待ちどう様です。ハンバーグ・ステーキです」


 目の前のテーブルに、小さなフライパンようのステーキ皿がことりと置かれた。熱く熱せられた鉄板の上には、ふっくらと膨らんだ俵型のハンバーグがジュウジュウと音を立てている。立ち上る湯気の向こうには、鮮やかな朱色の人参と、皮付きの男爵芋が見える。ステーキ皿の脇には、玉葱と醤油を使っているという謳い文句のソースが添えられていた。


「どうだい。おいしそうだろう。この店のステーキ皿のフライパンはね、私が造った物なのだよ」


 私は左隣の席に座らせたライトにフォークを手渡しながら説明する。ライトは初めて見るハンバーグ・ステーキに興味津々のようだ。ソースをかけ、さらに鉄板の上が騒がしくなると、くるくるとフォークを回して喜んでいるようだった。


「さて、食べるとしようか。いいかいライトくん。今日は私は、右手でこのナイフのみを使う事にしよう。ライトくんは、私の左手の代わりに、ハンバーグを押さえ、そして口まで運んでくれるかい」


 ライトは嬉しそうに頷くと、ぷすりとハンバーグへとフォークを突き入れる。その穴から溢れる肉汁を見ながら、私はハンバーグへとナイフを入れた。ライトは待ちきれないといった様子でナイフの動きを見守り、切れるや否や、私の口元へと運んできた。


「ははは、少し待ってくれいか。どれ、いただくとしよう。お願いするよ」


 口を開けると、打って変わって慎重な動きでハンバーグが運ばれてくる。ぱくりと噛み締めれば、甘い肉汁が口中に広がる。頷きながらライトに親指を立てて見せると、ライトは大喜びでフォークをくるりと回した。そして、早速またハンバーグへとフォークを刺した。


 この不格好な二人羽織のような食事が終わるころには、ライトもすっかり元気を取り戻したようだった。私たちは2人で「ご馳走様」と頭を下げた。ライトは食後の珈琲も口元へと運ぼうとしたが、それは遠慮しておいた。


「いやあ、ご馳走様。ライトくんのおかげでいつもより美味しく感じたよ。ありがとう」


 ライトは照れ臭そうに掌をぶんぶんと振った。あまりの勢いに、その冷たい掌が私の手に当たるほどだった。その時、ふと、ある考えが頭に浮かんだ。


「そうだ、ライトくん、この仕事は君にぴったりかもしれない」


 ライトは目の前で掌をかしげて私を見ていた。

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