中編
私はライトの為に、小さなころの付いたブリキの台車を
しばらく一緒に過ごしたが、ライトは相変わらず何も思い出せてはいないようだった。毎日一緒に朝食の卓に着き、
仕事が終わると、家に帰って座布団を並べてTVを見る。ライトの好きな番組はクイズ番組だ。番組が始まるとノートとペンを持ち出し、懸命に回答を書いては見せてくる。晩酌をしている私も、つられて一緒に考えるのだが、ライトとの勝負は、五分と五分といった所だった。
しばらくそんな暮らしが続いたある日の事だった。工場から帰宅し、娘が送ってきたチョコレイトを摘まんでいると、ライトが何やらしょんぼりとしている。
「ライトくん、どうしたのかね。電池の残りが少ないのかい。そうであれば、交換するとしよう」
私が訊ねると、ライトは左右に掌を振る。
《イエ チガイマス ワタシハ ジブンガ ナサケナイノデス》
「情けないとな。どうしてかね。記憶が戻らない事なら、焦ることは無い」
《アリガトウゴザイマス デモ ソウデハアリマセン》
「記憶の事ではないのかい。では、いったいどうしたというのかね」
《ナニモ オヤクニタテズ ムダニ デンチヲ ヘラシテイルジブンガ カナシイノデス》
「そんな事を考えていたのか。ははは。いや、失礼。そうか、では明日からライトくんに手伝ってもらえる仕事を探すとしよう」
ライトは、ぱぁっと掌を広げ、何度も何度も頷いた。
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安易に考えていたライトの仕事探しは、思いのほか難航した。ライトはそれ程
その上、ライトは片手。どうしても「一方で固定し、もう一方で作業をする」という動作ができない。私が押さえていれば、絞り機のレバーを動かしたり、ハンマーを振ったりといった作業は可能だが、それは言わば二人羽織のような物。とても良い出来の製品は期待できない。
それではと、経理事務を任せてみた。すると、書き込むスピードは遅いものの、正確に帳簿に記帳する。機械仕掛けだけあって計算も確かだ。これはしめた物だと私もライトも喜んだのだのも束の間、工場の事情が災いした。我が工場では、帳簿を付ける取引というのが、ふた月に一度程しか無いのだ。
そこで私は、近所の工場や商店に声をかけ、ライトにできる仕事が無いかを尋ねて回る事にした。
ツボ押しであればどうだろうかと、按摩の手伝いをさせてみる。やはり力が足りないらしい。そのうえ、手が冷たくて吃驚する、との事でうまく行かなかった。
割烹の板前であればどうだろうかと、下拵えやあしらいを手伝わせてみる。板場の場所を取らないのはいいのだが、作業が遅く、野菜や魚の身がぐずぐずになってしまう、との事でうまく行かなかった。
経理事務であれば大丈夫だろうと手伝わせてみる。記帳は正確なものの、やはり作業と意思疎通の速度が問題となった。それに加え、正直すぎて都合が悪い、との事でうまく行かなかった。
その他、何人かの知り合いに頼んでみたものの、結果は全て同じ。ライトはすっかり
「ライトくん、そう気にすることは無い。また明日にも探そうではないか。ささ、元気の無いのは電池が減っている所為もあるのだろう。交換するとしようか」
居間に腰を落ち着けた私がそう言うと、ライトはのろのろとやって来た。ぱたりと
「こらこら、危ないではないか。電池が全部外れてしまったらどうするのだ。動けなくなって、また全て忘れてしまいかねないぞ」
ライトは、ぴくりと腕を震わせると、卓袱台の上のペンを取った。
《オネガイデス デンチヲ スベテ ヌイテクダサイ》
「何を言うんだね。止まってしまうではないか」
《ソノママ 30ビョウモ スレバ ワタシノ キオクハ ショウキョサレマス》
「ライトくん」
《ソノアトハ ドコカヘ ステテクダサイ オセワニ ナリマシタ》
「捨てるなどとんでもない。そう自分を責める物ではないよ」
掌を覗き込むようにして諭すと、ライトはふいっと横を向く。
「ライトくん、君はきっと体が弱っているのだ。弱っている時は、気分も沈んで
「外食」という言葉に興味を持ったのか、ライトは掌をこちらに向けた。
「ああ、外食だ。人は、弱った時には美味しいものを食べるものだ。君は食べることはできないが、その雰囲気だけでも味わえば気持ちも変わるだろう。善は急げだ。出かけるとしよう」
手早くライトの電池を交換し、襟巻を首に巻き付け外套を羽織る。鳥打帽を被り終わると、ライトを連れて久しぶりの外食へと出かけた。
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「お待ちどう様です。ハンバーグ・ステーキです」
目の前のテーブルに、小さなフライパン
「どうだい。おいしそうだろう。この店のステーキ皿のフライパンはね、私が造った物なのだよ」
私は左隣の席に座らせたライトにフォークを手渡しながら説明する。ライトは初めて見るハンバーグ・ステーキに興味津々のようだ。ソースをかけ、さらに鉄板の上が騒がしくなると、くるくるとフォークを回して喜んでいるようだった。
「さて、食べるとしようか。いいかいライトくん。今日は私は、右手でこのナイフのみを使う事にしよう。ライトくんは、私の左手の代わりに、ハンバーグを押さえ、そして口まで運んでくれるかい」
ライトは嬉しそうに頷くと、ぷすりとハンバーグへとフォークを突き入れる。その穴から溢れる肉汁を見ながら、私はハンバーグへとナイフを入れた。ライトは待ちきれないといった様子でナイフの動きを見守り、切れるや否や、私の口元へと運んできた。
「ははは、少し待ってくれいか。どれ、いただくとしよう。お願いするよ」
口を開けると、打って変わって慎重な動きでハンバーグが運ばれてくる。ぱくりと噛み締めれば、甘い肉汁が口中に広がる。頷きながらライトに親指を立てて見せると、ライトは大喜びでフォークをくるりと回した。そして、早速またハンバーグへとフォークを刺した。
この不格好な二人羽織のような食事が終わるころには、ライトもすっかり元気を取り戻したようだった。私たちは2人で「ご馳走様」と頭を下げた。ライトは食後の珈琲も口元へと運ぼうとしたが、それは遠慮しておいた。
「いやあ、ご馳走様。ライトくんのおかげでいつもより美味しく感じたよ。ありがとう」
ライトは照れ臭そうに掌をぶんぶんと振った。あまりの勢いに、その冷たい掌が私の手に当たるほどだった。その時、ふと、ある考えが頭に浮かんだ。
「そうだ、ライトくん、この仕事は君にぴったりかもしれない」
ライトは目の前で掌を
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