地獄の毒々甘やかしツアー

「柔らかいから優しいのか、優しいから柔らかいのか、どっちが先なんでしょうね」

 連休の最終日となる五日目。朝食の支度をしながら昨夜できなかった話をする。

「人間の器の大きさが表れてるっていう気もしますね。ブラジャーからも溢れ出しそうでしたし」

 さすがに一日経つとピザはカチカチになっていたので、特に固い縁の厚い部分は切り落とした。フライパンにちょっと水を入れてその上にアルミホイルを敷き、ピザを乗せ蓋をして火にかけて蒸す。

「人間の格とかもああいう目立つ形でわかりやすく示してもらえると助かるんですけど。見た目じゃわからなくて困ることが結構あるので」

 ガラスの蓋が湯気で白くなっていくのを一緒に眺めている神様は朝食に不満があるようで、退屈そうな顔をしていた。

「……めい、さっきから乳の話ばっかりする」

「何を言ってるんですか神様? 瞳さんの話ですよ。瞳さんの話を聞いてつまらないわけがないじゃないですか」

「神様はそろそろ別のことが聞きたいのじゃ。昨日のことを聞かせよと言うたのにこれじゃ。神様がっかり」

「だって本当に凄いんですよ? 神様も母性を求めるなら私より瞳さんにしたほうがいいです。本当に凄いんですから。……あっ」

 柔らかくなったピザを取り出し神様が食べやすいよう丸めて櫛に通していたら、話題の当人がやって来た。

 昨日のキャリアウーマンみたいな恰好から一転して活動的な装いになっている。たけは同じでも動きやすそうなハーフパンツ、濃い色のストッキングから生足へ、足元は運動靴。「なんでも着こなすなあ」と感動した。

 軽く手を振りながら近づいて来ると、まずはおやしろの階段に移った神様にうやうやしく平伏。昨日の土下座とは印象がまるで違って、凛としていた。

「神様におかれましては――」

 形式に則っているらしい挨拶を、神様は払い除けるように手を振って面倒くさがる。

「ああ、よいよい。もっと気安く接してよいのじゃ。神様寛大。大体お主がそんなではそのうちめいがマネをするからのー」

「左様でございますか。しかしながら――」

「よいというのに。ほれ見るのじゃ! めいのやつ、早速じゃぞ」

 瞳さんの隣で正座しようとしているのを見咎められてしまった。渋々カセットコンロへ引き返す。瞳さんにも呆れ顔で見つめられてしまったら改めるしかない。

「なるほどこれは問題ですね。……では朝ごはんに混ざってもいいですか? 自分の分も材料を持ってきましたから」

 急に砕けた態度になって脇に置いたリュックから紙袋を取り出し、私の方にも見せてきた。多分、食べ物が入っていると思う。

「これでおねえちゃんが素敵な朝食を作ってあげる――と言いたいところなんだけど……。ごめん、めいちゃん。おねえちゃん実はほとんど料理できないんだ」

 そんな風に弱った子猫みたいな態度にならなくても、私が瞳さんに失望なんてするはずがない。

「料理ができなくたって他にできることがたくさんあるじゃないですか。瞳さんは充分以上に素敵です」

 想いのまま伝ると照れながら食材を手渡された。それから感慨深げに頷く。

「普段褒められないから心に沁みるわ。承認欲求が満たされていくのを感じる……」

 言われて、初体面のときにシンパシーを感じたことを思い出した。今になって考えるととんだ見当違いで恥ずかしい。

「瞳さんを褒めない? ……信じられない。一体何様なんでしょう。……あっ、そうか。神様ですよね」

 チラリと見ると神様が猛烈に首を振った。

「神様褒める! 褒めるのじゃ! 八木にはめいの面倒を見てもらっておるゆえ心から感謝しているのじゃ!」

「本当にそうですか? 昨日から叱ってばかりのような……」

 瞳さんを低く評価するのなら神様の価値観自体が怪しいものになってくる。自然、私が庇われることいることにも疑いが及んだ。

「私に優しくする神様が間違っていて、やっぱり世間のほうが正しいのでは……?」

 考え込んでいたら瞳さんに肩を揺さぶられた。

「そんなことより、おねえちゃんお腹空いてるからごはん作ってほしいな。これが材料、お願いしていい? めいちゃんの分もあるからね」

 受け取った紙袋を開くと、中にはパンとバナナと卵とソーセージ。ただしソーセージは魚肉ではなくて三本しか入っていない平たい真空パック。バナナも大きくて立派。パンも真四角で馴染んだ大きさなのに知っている物より重い。どれも高級そうな食材だった。

「これを、私が、食べるんですか……?」

 分不相応過ぎて胃に穴が空く気がする。

 でもここで尻込みしていたら神様と瞳さんがいつまでも食べられない。調理は必ずこなさなくてはいけない私の役目になった。

 自分が食べるかどうかは思考停止して調理に取り掛かる。

「では、いきますよ……。ああ、ソーセージの弾力が凄い。ひぃ、高そう……」

 油を引いたフライパンで切れ目を入れたソーセージを転がしていると、神様が隣で様子を覗き込んできた。はしゃいで動きたくてウズウズしているようで、でも食べ物の周りで暴れないよう気を遣っているのかお尻がピョコピョコ動くに留まっている。

「八木が来てくれて良かったのー。めいもおいしく食べるのは嬉しかろ?」

「いやあ私は喉を通って栄養になればなんでもいいので……」

 と言うよりできるだけ何も感じないようにしているのに、慣れない好待遇で止めた思考を揺り動かされるのは心が苦しい。下手に急速解凍すると食材は傷むものなのに。

 でも、神様が言いたいところはそこじゃなかったようだ。

「何を言う。昨日お主が『一緒に食べるとおいしい』と言うたのじゃ。食卓に並ぶ料理は上等で、囲む仲間は喜んでおったほうがより良いに決まっておる。お主が構わずとも他の皆は選り好むからの。集団でモソモソ食事をしたところでつまらぬ、つまらぬ」

 言われて、想像してみた。

 二人は私が作った料理でもきっと喜んでくれる。賑やかに話して食べるその光景、空想の中では私だけが無表情だった。料理に手も付けようとしない。

 それでハタと気が付いた。

「瞳さんが私に何かしてくれるとき……私はちゃんと喜んだほうがいいんでしょうか?」

 視線をフライパンから外して向けると、瞳さんは離れたところで携帯電話で誰かと話していた。「ハイ、ハイ」と素直な返事を繰り返しながらも怒っているようで、木札のストラップが揺れるたびに狭まった眉間がヒクついていた。顔が恐い。

 取り込み中とあって質問をできずに、矛先を神様に変える。神様はにっこり笑った。

「余力の内からすることで見返りは期待せぬとは言っても、喜んだほうが尽くし甲斐を感じるのが人情。恐縮するばかりでは憂いが返るものじゃ。まあ、八木はめいを見放しはしないじゃろうがのー。というか、させぬ」

 とてつもなく、恐ろしいことを言われた。

「私に『尽くす』なんてそんな! そばにいてくれるだけでも過ぎるくらいにありがたいのに、その上『あれが欲しい』とか『何かしてほしい』なんて思いませんよ。あああ、どうしよう! 私上手に喜んだりできますかね? がんばらなくちゃ――」

 私が錯乱に陥りかけると、膝に神様の手が置かれた。

「何を貰っただの、してくれただの、表の出来事にばかり気を取られるのはよすのじゃ。『そうしようとしてくれた』、その思い遣りこそを気に留めよ。想いから出た行いならば、報いるのもまた行いではなく想いじゃよ」

 呆れた風でもなく、静かに言う。その様子がなんだかふしぎだった。「神様らしい」というのがどういうことかはよくわからないけれど、それらしく見える。

 だからこそスッと言葉が心にしみ込んできた。

「……瞳さんは役目とか同情じゃなくて、思い遣りで私に接してくれていたんですね」

 そう思うと、これまでの一つ一つのことが増して嬉しく感じられた。いちいち戸惑って遠慮していたことが失礼にすら思えてくる。

 そして、気づいた。

「私、瞳さんにちゃんとお礼を言ってない」

「八木は気にしておらんじゃろうが、いつでも聞かせてやればよいのじゃ。……それよりホレ、〝思い遣り〟が焦げておるぞ」

「わっ! あわわ、折角の頂き物が……」

 フライパンを火から離して取り分け、次の具材を仕上げていく。

 そうして卵とソーセージのサンドイッチができあがったところで、瞳さんが電話を終えて戻って来た。

「あー! 腹立った、お腹空いた。わぁ、おいしそう。思ったよりシャレてるし」

 サンドイッチは少しでもよく見えるように小さく切り分けて可愛いピンを差しておいた。気を配っても全部貰い物の内からできることだから満足してもらえるのかは不安がある。

 瞳さんは真剣な面持ちで皿をじっと見ていて、次の口調はやたらと重々しかった。

めいちゃんってさ、どの程度料理できるの?」

「ええっと……家庭料理なら一通りできると思います。飽きると家族に叱られるから、図書館で借りたレシピ本は大体憶えたので。どちらかというと和食に偏ってますかね」

 答えながらカットしたバナナを皿へ追加する。少しでも良く採点してほしい。

「……これはめいちゃんとの将来をもっと前向きに考えたくなったわね。前傾過ぎてそろそろ倒れそうだけど」

 どうやら合格を貰えたらしくてホッとしたけれど、もう既に次の課題が迫っている。

(お礼を言わなくちゃ、喜ばなくちゃ、お礼を言わなくちゃ、喜ばなくちゃ……!)

 頭の中を二つのことが駆け巡って、言葉になる前に衝突を起こし口から出てこない。脂汗ばかりが流れた。

「あれ、めいちゃん具合悪い? ……さてはまた何か思い詰めてるんでしょう」

 私の様子がおかしいことに気付いた瞳さんが朝食の皿を脇へよけると、座ったばかりの折り畳み椅子から地べたへ降りた。

「とりあえずここにいらっしゃい」

 ポンポンと腿を叩いているけれど何を求められているか正解がわからない。じっと凝視していたら、瞳さんのほうからにじり寄って来た。

「私って割と『自分一人で精一杯』って感じで生きてきたから、元々他人の世話を焼くタイプじゃないのよね。頼ってもらえないのはそのせいかしら。人生の歩みを間違えたなんて普段思わないけど、ちょっと考えちゃうわね」

 瞳さんに落ち度なんてあるわけがない。すぐに否定しようと思ったら脇に手を入れられてヒョイと持ち上げられた。かと思うと瞳さんの腿の上に着陸する。

「なんだか辛そうだから。正しくないかもしれないけど大目に見てね?」

 腿に乗せられ腕に巻かれて、朗らかな顔が目の前にある。すぐさま逃げ出したくなる気持ちを、グッと堪えた。

 私が動揺していたから落ち着かせようとしてくれている。自分はそんなに優しくされるような人間じゃないなんて筋違いだ。そうしたいと思ったからそうしてくれている、その気持ちを汲むべき。

めいちゃん、あなた睫毛まつげ長いわね……」

 限界だった。

「もう! もうです! もう充分身に余ってますので! 正直これ私へのショック療法とか超えて過保護なのでは? っていうか、こんな物理的にまで重荷にはなれません。降ります、ここで降りまーす!」

「何言ってるの、めいちゃんメチャクチャ軽いわよ? 心配になるわよ……」

 もう何を言われても耐えられないので離れようとしたところ、神様が「神様も!」と膝に乗っかって来た。こうなると払い落してまでは逃れられなくなる。

「か、神様……? これから食事するのにコレはちょっとお行儀が悪いかなー、なんて。それに二人分だとさすがに瞳さんが大変なので」

「そう固いことを申すな。のう、八木?」

「ええ、もちろん構いませんとも。さあ神様、一緒にめいちゃんを甘やかしましょう」

 結局離れずに三段重ねのまま食事が始まり、二人から同時に食べさせられるので大いに困った。

 厚意を受け入れるということは漫然とするようでいて、なかなか大変なことらしい。



 食後、今日も瞳さんとお出かけすることになった。当人から言われて知ってはいたものの一応瞳さんに確認してみたら、神様は本当に山から下りられないらしい。

めいちゃんはあの神様が恐ろしい〝祟り神〟ってことを信じられないのね。自由に出歩くだなんてそんな恐ろしいことされたら、こっちが堪らないわよ……」

 麓の公園駐車場で車に乗り込むなり、瞳さんは出発するでもなしシートに背中を預けた。体からはぐったりと力が抜けて眼差しに力が無い。

「確かにめいちゃんにとっては安全な存在よ。でも他の人間にとっては話は別。言っとくけど私、脇汗ビッチョリだからね? 朝食に自分が食べられそうで気が気じゃなかったわ」

 神様をバケモノ呼ばわりされているみたいでモヤっとしても、瞳さんに抗議なんてできない。自分の感想が間違ってるんだとすら思う。

「私てっきり、馴染んでるのかと」

 気安く接するよう言われてからは打ち解けて見えたけれど、その実神経をすり減らしていたらしかった。

「そうするよう言われたからそうしただけよ」

 瞳さんが従う教義ルールは私のよりも強いのかもしれない。

「あの神様を作った呪いがどういう〝式〟で編まれているか、何が発動条件になるかがまだ判らないの。今はとにかく刺激したくないから、めいちゃんも協力してくれると助かるわ」

 身震いまでしていて、心底から恐がっている。やっぱり共感はできない。

「神様は瞳さんのこと気に入ってると思いますよ。瞳さんのことを話すようにせがまれましたし」

「……それ、めいちゃんがどう答えたかで私の運命が左右されるんだけど……まあ、めいちゃんは私のこと悪くは言わないわよね」

「散々お世話になっているんだから当然です。人として」

 結局のところ、瞳さんが私に優しくしてくれる理由は神様のことがあるからだと思う。私に何かあれば神様が怒るから、神様が荒ぶらないように私の面倒を見ている。それが瞳さんの仕事なら邪魔をしたくはない。

「瞳さんが私にしてくれることは『したいからしてる』んだって、神様は言ってました。気持ちを受け入れて、気持ちで応えるように言われました。私もそうしたいと思ってます」

「へえ、さすが神様。良いことを言うわね」

「ですよね。あの神様は悪い神様じゃないと思いますよ。昔に起きたことはともかく、他の神様に比べたら全然恐いことなんか――」

 受け答えしていたら急に瞳さんが身を起こしたので言葉が引っ込んだ。

めいちゃん、ひょっとして怒ってる?」

 あまりに突飛な質問に驚く。

「私が怒る? 瞳さんに? そんなとんでもないことですよ」

「だって遠慮する以外はずっと大人しいのに、積極的に主張するから。……あっ、わかった! 私があの神様をやたら恐がるから、それが気に入らないんでしょう」

 さっき疼いた胸の内を探り当てられて動揺が深まった。

 不満を感じたなんて知られたくなかった。瞳さんは「逆らった」なんて理由で罰を与える人じゃないとしても、嫌われて手を離されるだけで私は絶望する。

「うぅっ、ごめんなさい。ちょっとだけ、ちょっとだけ嫌でした……」

 神様は瞳さんを信じているのに、瞳さんは神様を信じていない。

 瞳さんに罪を責める雰囲気は現れなかった。目を輝かせて嬉しそうにする。

めいちゃんが怒った! そんな風に自分から感情を出すのって初めてじゃない?」

 今度こそ、心外なことを言われた。

「何を言ってるんですか、私に感情なんてあるわけないじゃないですか。感情も人権も無い石ですよ、私は」

「友達を悪く言われた――みたいな感覚なんでしょう? 人間関係に口出しして機嫌を損ねるなんて姉妹っぽいわよね? おねえちゃん嬉しい!」

「あの、ちょっと聞いてください。人権はありませんが今だけは発言させてください。否定させてください」

「よかったー。めいちゃん油断すると元に戻って目から生気が消えるし全然進展してないって思っていたのよ。でも私のしたことはちゃんと届いてて、振れ幅は大きくなっていたのね。これは今日のスケジュールをこなし甲斐があるわ。めいちゃん、シートベルト!」

 瞳さんが張り切っている。これは昨日よりも大変なことになりそうだとわかって、寒気を味わっているうちに車は発進した。


 移動の車中で何度も窓から外へ飛び出して逃げたくなったなったものの、神様に言われたことを思い出して堪えた。

 瞳さんの行動を甘んじて受け入れること。私の願いは瞳さんに嫌われないことなので、当然彼女のすべてを尊重したい。だからもし迷惑でないのだったら、本当にそうしたいのだったら、いくらでも私を好きにしてほしい。

 神社の生活環境は連休が終わる前にできるだけ整えたい――と考えていたのに、私に実現可能な以上のレベルですっかり済んだ。それだけのことをしてもらった立場で「これ以上は要らない」と言うのも図々しい話で、余った時間を捧げるくらいは当然するべきだ。

 なのに、これまでに培った卑屈な性分がそれを邪魔しようとする。優しさを拒絶しようとしてしまう。なので私はまず自分自身と戦わなければいけなかった。

(瞳さんを喜ばせる、そう考えればいいんだ。そう思えば何をされても耐えられる……!)

 車で運ばれる時間が長かったおかげで覚悟を決められた。窓の外の景色が段々と見たことがないビル群の都会に移り変わっても正気を保ち、コインパーキングで車を降りたあとも瞳さんを信じてついて行った。

 そして今、分厚くてふかふかの椅子に座らされてからも辛抱を続けている。後ろで知らない人に髪を触られていることも含めて。

「あー、確かに傷んでんねえ……。まあ大丈夫っしょ? まーかしときなってw」

「お願いね。約束通りトリートメントとか全部買うから。領収書は『神社総庁』ね」

「ウケるwww儲かったwwwww」

 回転する椅子と目の前の壁には大きな鏡。入口にあった看板は字がオシャレ過ぎて読めなかったけれど、ここが髪を切る店だということはわかる。しかもここは私が知っている「床屋さん」よりずっと高級な店。表で見かけた細かく分かれた料金表を思い出すと眩暈がした。銭湯の二十倍に近い。高い。

「あの! 床屋さんにもずっと行ってない私がいきなり美容室なんてハードルが高過ぎません? しかもこのお店の名前、もしかして『ビューティー』って入ってませんか? 私が、ビューティーって!」

「いいじゃない。めいちゃんにビューティー。ねえ?」

「んー……色白で弱そうな美形だから沈黙が似合う感じかねえ……。窓辺で伏し目がちにため息ついてりゃボーっと見惚れた奴が窓から落ちていきそうwww」

 瞳さんに賛成した美容師さんは明るい髪色と濃い付けまつ毛で印象がとっても派手。これは「盛る」という文化だと小耳に挟んだことがある。クラスにも同じジャンルの子はいるけれど、そういう子たちと違ってこの人には不思議とケバケバしい感じがなかった。髪に触れる手つきは遠慮がない割に繊細で、だからこそ落ち着かない。

「瞳さんの優しさを受け入れる覚悟はできてますけど、瞳さん以外に優しくされるのはまだです……!」

「そうは言ってもこればっかりは私がやるわけにはいかないのよ、ゴメンね」

 美容師さんも「素人が刃物で他人を切ったらヤバいっしょ」とケタケタ笑っている。なんて明るい人だ。

「あの、お二人はお友達なんですか?」

 せめて瞳さんとの繋がりを知れば安心できるかもしれない。瞳さんが信頼する相手なら私にとっても同じこと。そう思って質問したら、驚くことに瞳さんは首を振った。

「全然知らない。昨日の夜に電話で予約したときに初めて話した。口調が雑だからそう思ったんでしょ? なにしろ本人がこのノリだからさ、丁寧にするだけ馬鹿らしいって」

「客なんだから偉そーにしてりゃいーのにwww」

「いやいや、その理由じゃあんたが砕けた態度を取るのはおかしいからね? めいちゃんにはあけすけなほうが良いと思ったけど、ここまでとは思わなかったわ。失敗だったかしら」

 一つ嬉しいことが分かった。瞳さんは私の為にこの人を選んでくれた。

 声は少し大きい。でもまったく嫌な感じがしないから緊張はするけれど恐くはない。なによりこのキャラクターは私が今までに接してきた教義ルールに当て嵌まらなかった。

「『お客様は神様』って言うのに、客商売でこんな人がいるなんて……!」

 ものすごい衝撃。それなのに当人はしれっとしている。

「それ言ったの歌手らしーじゃん? 同じ客商売つっても客との距離がゼンゼンちげーからwww 向こうは神様に刃物で切り付けたりしないっしょ? 他でもねーかw」

「神事で鹿の角切りっていうのがあるけど――ああ、余計な話はいいや。あれは神といっても神使で実のところ安全措置だし」

 驚天動地のコミュニケーション能力を相手に、瞳さんがリラックスしているのがわかる。私と話すより楽しそうだ。私と話しても別に面白いことはないから仕方ない。

「とにかく今日は不特定多数でとことんチヤホヤ甘やかすからね。これはその第一弾。このあともめいちゃんが今まで貰い損ねた幸せを利息付きでまとめてお見舞いする予定」

「そこは分轄、分割にしてください。そのほうが将来に渡って構ってもらえる気がして嬉しいので」

「幸せってw 女の子が可愛くしてもらうのは当然の権利じゃんねw」

「ねー?」

「私には権利とか無――わわっ!」

 突然椅子の背もたれが後ろへ倒れ、顔にタオルを被せられ、更にお湯を浴びせられた。一つ一つの出来事に悲鳴が漏れてしまう。けれどどれもそのあと痛くて辛いことには繋がらなかった。これがこのお店の普通のサービスらしい。つまりこの私が、普通の扱いを受けている。

「うぅぅ……人権が、人権が全身に流れ込んでくる……! 私が私でなくなる!」

「何言ってんのwww」

 髪を洗ってもらい元の姿勢に戻ると、横で美容師さんが髪型のカタログを開いて瞳さんと盛り上がり始めた。

「んで、どういう感じにするんスか? とりあえず色抜いてー、とりあえず巻いてー、な感じで可愛く?」

「フザけんじゃないわよ。めいちゃんは今のままでも可愛いじゃないのよ」

「アンタ何しに来たんスかwww」

「この子に普通の体験をさせてあげたくってさ。ねえ、めいちゃんはどれがいい?」

「私に希望はありません」

 意見を窺われたのでここはキッパリと答えておく。

「瞳さんが気に入ってくれたらそれが一番なので、瞳さんに選んでもらいたいです。そういうキラキラした子ばっかりの見本から選んで『これにして』なんてとても言えませんよ」

「そういうこと言い出すんじゃないかとは思ったわ。そうねえ……〝大変身〟も見たいけど、学校で叱られるようなことになったら困るし、目立ちたくはないでしょ?」

 さすが瞳さんは私のことをわかってくれている。信じられる。

「だったらウィッグで遊べばいいんスよw ガッコ行く時だけ外して家では盛るw」

「あっ、それいいわね」

 信頼を裏切られているような気がする。でもそれでこそ私の人生だ。

 二人で盛り上がっているのを横目にじっと耐えていたら、そのうち美容師さんが後ろへ回った。

 ついにカットが始まる。知らない人が刃物を向けてくる。髪を切られるということに良い思い出が無いので緊張が強まった。自然と肩が力んで縮まる。

 こういうときに助けてくれる、頼れる瞳さんは隣の座席で寝こけていた。伸ばした手を握ってもらえない。

(……仕方ないんじゃないかな。さすが私の人生だ)

 これはこれで、恐い思いをするのは日常だから仕方ないとサッパリ諦めた。

 気がかりは「髪型を決める前に眠ってしまったのでは」という点。現に瞳さんの膝の上ではカタログが開かれたままになっている。

 意を決して、美容師さんに話しかけることにした。

「……あの、瞳さんは髪型を選んでくれたんでしょうか?」

 疲れているだろうからこそこんな場所で眠ってしまった。なら起こして直接尋ねるわけにもいかない。小声で尋ねると鏡に映る美容師さんは恐ろしいことに首を振った。

(この人、瞳さんの好みを聞かずに勝手に切ろうとしている!)

 プロの技術を疑うわけではないけれど、完成して瞳さんのお気に召さなければ私にとっては意味がない。そこだけが唯一のポイントだからこそ守ってほしかった。

「いーからいーからw」

 カバーを首に巻かれたらいよいよ逃げ出すわけにはいかない気がした。鏡の中では美容師さんがニンマリ笑っている。

「あーし思うんだけど、髪型はさ、こういうのはどうかな――」

 不意に顔を寄せてコショコショ囁かれる。距離が近い怖さが消し飛ぶくらい、思いも寄らない名案を聞かされた。驚いてつい振り向き美容師さんを見つめると、相変わらずニンマリ笑っている。

「それ、すごくいいです……!」



「――ふがっ。ああ、ゴメン、ちょっと寝てたわ……」

 目を覚ました瞳さんが隣の座席で伸びをする。

 途中何度かうなされていたので心配になったけれど悪夢のテンションを引きずってはいないようで、ボーっと視線を投げ出していた。

 私のほうはカットからもう一度洗髪してセットまで終わっていた。つまり完成をお披露目することになる。横髪を軽く内側へ巻いた他はシンプルなショートカットで、熱心に何か塗り込まれたおかげで艶々している。薄目で鏡を覗いたらまるで自分じゃないみたいでふしぎだった。まるで普通の、女の子がそこにいる。

 起き抜けで半分閉じていた瞳さんの瞼がパッと開いて、それからゆっくり細められた。

「うん……いいじゃない。すっごく可愛いわ」

 望んでいた言葉を貰えて視界がにじむ。「調子に乗ってはいけない」と自分を叱る戒めは美容師さんがはさみを入れくしを通す度に何回も褒めてくれたせいで緩んでいる。

「待ってw 折角メイクもしたんだから撮るまで泣かれたら困るしwww」

 美容師さんから「カットモデルになって」とお願いされた関係で化粧もしてもらっている。〝カットモデル〟がなんのことかよくわからないけれど「お役に立てるのなら」と気軽な気持ちで返事をした。「もしや美容師さんのようにされるのでは」と内心恐れおののいたのは杞憂に済んで、血色の悪さを隠す程度で抑えられていた。

「ありがとうございます! 瞳さんに喜んでもらえたのは全部美容師さんのおかげです!」

 感動して振り向くと丁度目の前にデジカメがあって、ピカッと光った。

「ワオ、イー感じの笑顔頂きましたーwww テキトーに撮ったとは思えないw でもお客さんの本命はコレじゃないっしょ?」

 この人は本当によく手が動く。デジカメを片付けたと思ったらすぐに付け毛を取り出し、正面を向かせられるなり後頭部で留め具がパチンとはまる。

 そのあとも櫛で自毛に馴染ませ引っ張ってと〝変身〟を進めていたら、横でニコニコ見守っていた瞳さんが赤面し始めた。

「え~っと……もしかしてそれがめいちゃんの希望?」

「いいえ。何度でも言いますが私に希望はありません。でも理想はあります」

 出来上がったのは後ろ髪を結い上げてかんざしでまとめた――瞳さんと同じ髪型だった。私の理想の、ほんの一部。ファッションに無頓着な私が「好き」と言える髪型は唯一これしかない。鏡に映しても横を向かないと肝心の部分が見えない点はちょっと寂しい。

「どうですか瞳さん。『カワイイ』って言ってください。じゃないと精神が持ちません」

「そりゃ可愛いけど……。自分に寄せて来てると知ってたら褒めにくいじゃないの」

「愛されてるっスねーwwwww」

「ハイ、大好きなんです」

「ああもう……可愛いわよ、めいちゃん」

 瞳さんは赤い顔で困った風に笑った。


 それから付け毛の扱い方を美容師さんに教わった。教わるのは私ではなく、なんと瞳さん。それはとても申し訳ないことだけれど、「妹の髪をいじるのとか夢だったから」と言ってくれるので任せることにした。

 髪型だけでも瞳さんと同じなら鏡を直視するのも嫌な気分にならない。むしろ眺めて触って確かめていたくなる。化粧のおかげで顏も陰気さが抜けて、もしかすると今の状態なら他の「愛されて育った」クラスメイトたちに混ざってもわからないんじゃないだろうか。

 鏡に向かって悦に浸っていたら、付け毛講座を修了した瞳さんに肩を叩かれた。

「じゃあ次は服ね」

 そう言えば、首から上は整ったけれど、そこから下はジャージだった。



 美容師さんにお礼を言ったあと車で大きなショッピングモールへ移動して、瞳さんに引っ張られるまま手近な服屋さんに飛び込んだ。

 瞳さんは吊るしてある服を掴んでは私の体に当てて「可愛い! 買う!」と次々店員さんへ渡していく。その様子があまりにも手当たり次第だったから三着目で止めた。

「あの、言葉が過ぎたらすみません――正気ですか?」

「いやー、予算を気にしなくていい買い物がこんなに楽しいなんてねえ。ねえ、みなさんどう? うちの妹、可愛いでしょう」

 なにやら妙にテンションが高い。変なのは瞳さんだけじゃなくて、店員さんたちもどこかおかしかった。お店のスペースには三人いるのにその三人全員が集まって来ている。

 手にした商品を「これもこれも」と勧める様子を見て「カモにされているのでは」と疑いかけてから、美容師さんのことを思い出した。

 彼女がいたあの店はお客さんどころかスタッフすら他に見当たらなかった。冷静になって考えればこのモールも営業開始直後。その前に行った美容院はまだ営業時間前だったのではないだろうか。瞳さんが昨日電話で話したというのは、私が恐がらないよう人当たりを確かめて予約したというだけでなく、もっと他の下準備をしていたのかもしれない。

 改めて観察してみると店員さんの動きがその予想を後押しする。吊るし棚を動かして通路や外からの視線を遮り、他のお客さんがやって来ると自然に離れた所へ誘導する。一番ありがたいのは直接は近付いてこないこと。商品を瞳さんに手渡すに留めてくれている。これはもう打ち合わせがあったとしか考えられない。

「洗濯はコインランドリーになるだろうから、乾燥機使えるやつだと楽よね」

「か、乾燥機! 私なんかにそんな――って言い方をしたらここの商品までバカにしてることになります? そこまでする品物じゃないって」

「なるなる。とりあえずどれか一着買って、先に今のジャージから着替えちゃいなさい。あ、靴もあるかしら?」

「気軽に『とりあえず』で買い与えないでください! ああでも、瞳さんの近くにいるならきちんとおめかししないと恥をかかせてしまいますよね……」

「そんなことでく恥なんか持ち合わせてないわよ。めいちゃんに色々着せて遊ぶのが楽しいだけ。さっ、いいから着替えて着替えて」

 手を惹かれ試着室の前へ連れて来られた。薄いカーテンを引かれ狭い空間の前に立つと、全身が緊張で固まった。息が乱れて顔が下を向く。

 目ざとく、瞳さんが気付いてくれた。

「あっ、もしかして恐い? 一緒に入るのはちょっと面積が厳しいし、着替えが窮屈になっちゃうんだけど。……外からずっと声かけてるんじゃダメかな?」

「……いえ、大丈夫です。やれます」

 試着室の中は明るくて、狭いと言っても身動きできないほどじゃない。そもそも入口はカーテンだから嫌ならいつでも飛び出せる。それなのに過去閉じ込められたことを思い出してしまって体がすくんだ。暗いのも狭いのも恐くはないのに、「外に人がいる」という状況が私にはたまらない。

 こんなに良くしてくれている店員さんたちを疑うなんて最低だ。もう今までとは環境が関わったのだから、いい加減に私自身も変わらなくてはいけない。

(試着室に入るだけのことなんだから、大して勇気なんて要らないんだから……!)

 自分に言い聞かせ、運動靴を脱いで一歩踏み込む。でもすぐにそこで屈み込んで動けなくなってしまった。やっぱり恐い。

「こんなこともできないなんて……!」

 唇からこぼれた声は自分のことながら悲しいくらい情けなかった。

「大丈夫よ。このくらいの不都合、社会は優しさで許容する」

「……え?」

 瞳さんの言葉に顔を上げると、店員さんたちが動いていた。

 二つ並んだ試着室を仕切る間の壁を取り外し、どこからか運んで来たアコーディオンカーテンで入口を大きく囲ってしまった。そうやって、大きなひとつの試着室ができあがる。

「さっき聞いたんだけど、車椅子のお客さんとかの為にこういうことできるようにしてあるんだってさ。いやー、ここまでしてもらえるとは思ってなかったわ」

 それは確かに凄いことだけれど、私がその枠に入っていいとは思えない。

「でも私、車椅子じゃありません。なのにこんな特別なことしてもらうなんて、許されない〝甘え〟じゃないですか」

「事情はある。店側は納得して特別なサービスをする。そこに何か問題があるの? 許しが要るなら私が許すわよ。どこかで誰かに文句を言われたら『八木瞳が許した』って言ってやりなさい。その先のことは残らず全部私が請け負うから。神社総庁の総力で、余さず漏らさず押し通してあげる」

 ニコニコ笑いながら恐いことを言う。多分、瞳さんは本当にやる人だ。

「さ、わかったら着替えましょうよ」

 広がった試着室の内側に用意された丸椅子に腰かけた瞳さんはゆっくりと足を組んだ。そばにいてくれることはありがたいけれど、着替えを堂々と鑑賞するのだからまるで悪趣味な金持ちみたいだ。

 思考を止めて気持ちを切り替える。私が今しなくてはいけないことと、したいことは共通して一つ。瞳さんを喜ばせる。その他の考えはすべて深呼吸で追い出した。

「……店員さん。ジャンジャン持って来てください! 私はこれから着せ替え人形になります。なにしろ感情が無いので!」

 宣言すると、カーテンの隙間からサッと服を積んだ棚が差し入れられた。


「楽しいわー。『着替えを眺める』とか変態みたいだから気が咎めなきゃいけないところだけど、ほんっと楽しいわー」

「ドンと来い。ドンドン来いです。瞳さんの喜びは私の喜び」

「って言っても限界でしょ? ゴメンね。服もお揃いにしたほうが励みになるんだろうけど、私がめいちゃんに寄せていくのは絵的にキッツいものがあるからさ」

「ハイ。何もかも瞳さんの言う通りです」

「はぁ? ……ああいや、本当に限界なのね。じゃあこの辺にしとこっか」

 お役目を果たしたと知って、指定されたポーズを解くとその場に膝を付いた。けれど服がシワになりそうだと気付いて慌てて立ち上がる。

 今身に付けている服は明るい色のワンピースで、シンプルながら絞りや細かい刺繍が入っている高そうな品だった。襟にも袖にもレースが付いていて「お嬢様」のよう。足元は浅いヒールのあるサンダル。精神衛生の為に値札は見ないよう心に誓う。

 試着室を元に戻す店員さんたちに何度も頭を下げて店を出た。同じ動作でも叱られて謝るのとお礼を言うのだと気持ちの在りようがだいぶ違って、心苦しさもずっと軽い。

「あの、瞳さん。私まだまだがんばれ――わぁっ! なんですかそれ」

 話しかけようとしたら、隣を歩いていたのは荷物の塊だった。瞳さんの姿が大量の紙袋と箱に埋もれている。

「何って、めいちゃんが買った物じゃないの。これだけ散財すると気持ち良いわよね」

 どういうわけか入れ物にプリントされた店名は今出た店のロゴだけでなく複数ある。

 どうやら私が半ば意識を失いながらファッションショーをしている間に色んな店から商品が大集合していたらしい。値札を確認するまでもなく、眩暈めまいが起きる。

「こんなにたくさん私が買ったって、人聞きの悪いこと言わないでください……!」

「人聞き悪くないわよ。大評判の上得意よ。一撃で何枚スタンプカード貯まったと思ってるの? 割引は今度私が使うから、これ内緒ね。経費で買うのにバレたら怒られる」

 もう何を言っていいかわからなくなったので、差し当たり瞳さんの顔を圧迫していた箱を掴み取った。せめて荷物持ちでもしないことには気が休まらない。

「買い物の重みは幸せの重みだから気にしなくていいのよ? 楽をしたいならカートを借りて来てるし」

「ではその幸せを分けていただきますので」

「おっ、そう来たか。なら半分こするのが適切かしら。……平気?」

 続けて紙袋を受け取ると、中身はほとんど布ながら量に見合う重さが腕にかかった。しかも袋が大きいせいで床に擦らないよう気を配ると少し持ち上げていないといけないので結構キツい。

「聞いて確かめるのは怖いんですけど、私は一体何を買ったんでしょう?」

 意識が朦朧としていたのでファッションショーの間に何を身に付けていたか記憶が無い。

「そりゃもう、一式よ。部屋着とよそ行きと帽子と靴と靴下とパンツとブラね。あと腕時計なんかの小物とコスメはこっちで選んでおいたから」

「うぅっ、私が考える一式より種類が多いんですけど。……えっ、私さっき下着まで着替えてたんですか?」

「さすがに下着はしてないわよ。持って帰れないのはつまらないから、これでも抑えたんだからね? 第一立て替えられないし。完全に浮かれてクレジットカードの限度額が足りないことに考えがいかなかったわ。……本当はこのあとエステとネイルサロンにも行こうと思ってたのに」

「瞳さんは私を追い詰めるのが本当にうまい」

 えっちらおっちら駐車場へとたどり着く。瞳さんの車は後部座席もなくて、荷物はどうするんだろうと思っていたら後ろが開いた。車自体があんまり大きくはないから荷物できゅうきゅうになったトランクを見て、瞳さんは満足そうに頷く。

「いやー、買ったわねー。カードの実績が溜まってまた信用度が上がっちゃうわ。ちょっと怖い」

「あの、瞳さんの買い物はしないんですか? 瞳さんのファッションショーが見たいです」

「いやいや、私が自分の物を買うなら同じようにはいかないわよ。今月はもうカード使えないし、預金はもっと大事な時に取っておきたいからね」

 神様の機嫌を取るには私が幸せでなくてはいけないので、その為に瞳さんが所属する団体は費用を出す、という理屈らしい。私がそこに反対する権限はなくて、求められた役割に従うしかなかった。

「私は神社に帰ったら神様に『こんなに良くしてもらいました』『私は幸せです』『この時代には祟らなくちゃいけない酷い人はいません』ってアピールすればいいんですよね」

めいちゃんって適応力高いわよね。うん、そうしてくれたら助かるわ。義務のように感じてはほしくないんだけど」

「大丈夫ですよ。本心ですので。でもこんなに色んなもの買ってもらわなくたって、瞳さんさえそばにいてくれたら私はそれだけで幸せです」

「……可愛がり甲斐があるわねえ」

「重くてすみません」

 その点が気がかりだ。役割が嫌になるのは瞳さんのほうじゃないだろうかと不安になる。

 瞳さんは「馬鹿馬鹿しい」という風に息を吐いた。

「どちらかと言うともっと甘えてほしいと思ってるんだけどな。ねえそれより、今から帰るにはまだちょっと早いと思わない? どこか寄って行きましょうよ」

「できればお金のかからない所が気兼ねしなくて助かります」

 瞳さんは「手持ちもあんまりないしね」と笑って、車を発進させた。



 車はショッピングモールを出て公園の駐車場に停まった。街中だけあって大きく、緑地を囲んでぐるりと遊歩道が整備されている。

 露店でタコスを買い食べ歩いて、貸しボートで池を漂って、イベント用の小さなステージで神楽舞を見せてもらって時間を過ごした。

 瞳さんは仕事で色んな現場を回るらしくて多彩な技能と話題を持っている。本人は「愚痴」と言うけれど語り口は〝笑い話〟のそれで、聞いているだけでとても面白かった。

 学生時代の思い出からは進学の話にもなって、「きちんと勉強するなら出資はともかく必要な制度を利用できるように手伝ってあげる」と約束してくれた。

 学校での処世術を聞いたら「一番強い奴をやっつける」と言われた。とても参考にできそうにない。

 瞳さんが所属する団体は基本的に血縁による結び付きらしい。まったくの無関係ではないけれど係累を主張するのは苦しいほど遠縁に瞳さんは産まれ、ところが生まれたその日にその遠縁の本家に至るまで何人もが神通力を失う事件が起きたらしい。まるで代わりであるかのように強い力を授かった瞳さんは〝忌み子〟と呼ばれ、本家へと養子として迎えられた。

 なかなかに大変な話だとは思うのに、瞳さんは「勝手なこと言って勝手なことするわよねえ」と笑った。

 あとは小さい頃からの心霊体験や、実家で飼っている犬のことを聞いた。

 この先の人生で、今日のこの日をきっと何度も振り返るに違いない。瞳さんがいるだけで、世界のすべてを肯定できる。そんな夢のような時間を過ごした。

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